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アベノミクスで日本はウハウハ!? 積極財政の罪と罰!! その一

 それ自体にほとんど価値がない貨幣が、それでもモノやサービスに変換可能なのは、「貨幣には価値がある」と人々が信じるからだ。

 そもそも貨幣は持ち運びや価値の換算に便利であり、便利ゆえに商取引の現場から物々交換を駆逐し、唯一の決済手段にのし上がったのである。貨幣しか決済手段がないとなれば、それを使うしかない。

 結果みんなが貨幣を使うようになり、みんな使ってるから大丈夫だろうと信用を得て、広く浸透していったのである。


 十九世紀に入り、異なる文化、経済圏で商取引が始まると、東で通用していた貨幣が西では信用されず、通用しないという事態が見られるようになったので、信用性を担保するために、金本位制や金銀複本位制が採用されるようになった。貴金属が洋の東西を問わず普遍的に有している価値に依拠して、貨幣に信用性を持たせようとしたのである。

 しかし貴金属は産出量が限られており(だからこそ普遍的価値を有していたのだが)、地球上のすべての金銀をかき集めても、経済成長に追いつかないことが次第に明らかとなっていく。


 そのために苦肉の策で編み出されたのが管理通貨制であった。


 これは、貨幣の価値を「信用性」という面から着目し、金本位制から貴金属の持つ価値という要素を捨て去り、信用性だけを取り出そうとした画期的試みであった。


 金や銀が価値を持つのは、地下資源であり産出量が限定されているからだ。ならば貨幣も、貴金属同様に発行量を限定しさえすれば、それ自体が価値を有するようになるのではないか――。

 

 各国は政府から独立した中央銀行を設立し、中央銀行だけが紙幣を発行できる仕組みを作り、この制度が適切に運用されていることを内外に喧伝することによって、ついにそれ自体はほとんど無価値な紙くずや金属くずに価値を与えることに成功したのである。

 

 ではもし中央銀行の独立性が損なわれ、ともすれば放漫財政に陥りがちな政府の求めるがまま唯々諾々と紙幣が発行されるようなことになれば、一体どうなるだろうか。

 そんな国が実在するのである。皆さんももうお気づきだろう。


 日本国である。

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