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誰が敵を決めるのか!? 敵認定という統治手法について

 敵を自ら設定し、粛清することで求心力を高める――これは権力者の常套手段である。 ソ連におけるスターリンの大粛清、中国における毛沢東の文化大革命は、その典型例だ。


 自ら敵を設定し、あるいは設定させ、これを粛清し、あるいは粛清させることで、権力基盤を強化する。これはひとつの統治手法である。


 この手法は短期的には有効だが、

「やがてコントロール不能に陥る」

 という致命的な欠陥を共通して抱えている。

 誰が敵で、誰が味方なのか。その認定が妥当なのかどうかを、やがて誰も判断できなくなるのである。その結果、大粛清では数千万人、文化大革命でも約二千万人が犠牲になった。


 これを「過去の愚かな指導者の誤謬」などと侮ってはならない。なぜなら、我々は同様の統治手法を、現代において日々見せつけられているからである。たとえば、放送局に対する電波停止命令の示唆や、財務省悪玉論がそれだ。

 敵を設定し、それを生け贄に差し出すことで、責任を他者に押しつけ、批判をかわし、同時に自らの求心力を高める――構造は同一である。

 

 誰を敵として認定するのか。

 その決定権を誰が握っているのかは分からない。しかし自分ではないことだけは分かる。


 放送局や財務省のように、明日起きたら自分が敵認定されている可能性は、誰にも否定できないのである。私はそのような社会を断固として拒否する。


 ちなみにスターリンも毛沢東も、死後ではあるが後継者から批判され、責任を問われている。


 ひとつには、「敵認定」というコントロール不能の統治手法の刃が、最終的には権力者自身にも向けられるという事実がある。


 もうひとつは、共産主義を蛇蝎のごとく嫌った安倍氏や高市氏が、結果として共産圏の独裁者と同型の統治手法によってガバナンスを強化しようとしている点である。

  

 皮肉といえば皮肉な話である。

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