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反対者は敵ではないッ!! あなたが反対者になる日のために!?

 人は自分が「賛同者」か「反対者」かを自ら選ぶことができない。それを決めるのは、常に時代であり、世論であり、権力の側である。昨日まで正義とされた意見が、翌日には不穏視される。これは例外ではなく、民主主義社会における常態だ。


 にもかかわらず、近年の政治言説には「反対者を排除すれば問題は解決する」という短絡思考が目立つ。強硬な言葉を発し、敵味方を峻別する態度が「保守」や「愛国」の証のように消費されている。しかし、これは保守の劣化である。排除を前提にした政治は、統治ではなく感情の動員にすぎない。


 議会制民主主義の本質は多数決ではない。話し合いを通じ、互いの溝を少しずつ埋め、社会の緊張を管理する地道な作業にこそある。反対者が存在しない社会などあり得ない。犯罪者がゼロにならないのと同じで、反対意見も必ず生まれる。そこから目を背け、「気に入らない声を消す」方向へ進めば、制度は必ず自壊する。


 重要なのは

「自分が多数派でいつづけられる保証などどこにもない」

 という自覚だ。

 今日の賛同者は、明日の反対者になり得る。評価の決定権は個人にはない。この前提を理解している社会だけが、反対者を国民として扱う制度を守ろうとする。


 反対者を包含する政治は、優しさでも理想論でもない。最も合理的で、最も安全な統治の形である。

 排除の刃は必ず内側に向く。

 支持者を煽るのではなく、制御する。

 歯切れのよさより、説明責任を優先する。

 そこにこそ、責任ある保守の姿がある。


 民主主義とは、誰が負けても生きていける仕組みを残すことだ。勝者総取りの政治がもたらすのは、一時の快感と、その後の荒廃だけである。反対者を国民として扱えるかどうか――それが、政治の成熟度を測る最低条件なのである。

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