素人はSNS発信禁止!? スマホ社会の光と影!!
エコーチェンバーの問題など、SNSが社会の分断をあおるなどと危惧されて久しい。それは事実なのか、考えてみたい。
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昭和四年(一九二九)、世界恐慌に見舞われた各国は未曾有の不況に陥り、米英仏などの「持てる国」はブロック経済を形成して、自国経済の防衛にひた走ることになる。
困ったのは「持たざる国」大日本帝国であった。資源の乏しい日本が自給自足できなかった事情は当時もいまも変わりがなく、ブロック経済化の世界的潮流は帝国日本を苦境に追い込んでいく。影響は農村ほどひどく、飢饉も重なって人身売買が横行したとされている。
さてそんな帝国日本のなかでも、陸海軍は国民に対し広く門戸を開放している数少ない省庁であった。農村に残っていても家や田畑を相続できるわけではない農家の次男三男が、一人前の男性と認められ、家庭を持つためには、軍に入隊するのが合理的な選択だった。
陸海軍は、「もっとも国民の声を反映しうる省庁」だったのである。
農村出身の兵士が多数に及び、軍の間では、彼らの出身母体である農村の苦境をいつまでたっても救うことができない政党政治への不満と憎悪が蔓延していく。天皇への忠誠という要素がなければ、陸海軍兵士を中心とした社会主義革命がいつ起きても不思議ではない不満が軍や国民の間に鬱積していた。そのことは、政府や軍の高官を狙ったテロがこの時期に集中したことでも裏付けられている。
このように、社会的分断はSNSの有無など関係なく、起きるときには容赦なく起きる、というのが結論である。
以下は余談となる。
昭和七年(一九三二)五月、首相官邸に海軍青年将校の襲撃を受けた総理大臣犬養毅は、銃撃された直後、救護のため駆けつけた家人に対して
「いまの若いやつらを呼んでこい。話せばきっと分かるはずだ」
と言ったそうだ。
この言葉からは、自分を銃撃したテロリストへの憤怒や憎悪とは真逆の、対話さえできれば理解を得られるはずだという確信と、相手への信頼がひしひしと伝わってくる。
しかし、ふだんは遠く隔絶された場所にいた両者が、互いの声が届くひとつところに集ったただ一度の機会は皮肉にも、話し合いとは真逆の、テロの現場においてであった。
思うに発信することさえ許されなかった意見は、暴力に転化する危険性が格段に増す。コミュニケーションツールがほとんどなかった昭和初期は自動的に暴力が爆発しやすい状況にあった。
昨今、とある芸能人が
「素人はSNSをするな」
と発言して物議を醸したそうだが、素人の意見発信も決して無意味ではないことは、これら戦前の分断を見渡しても分かる。
と同時に、分断が叫ばれて久しい昨今ではあるが、かくのごとき社会情勢は既に経験済みと考えると、決して乗り越えられないものではないとかたく信じる次第である。




