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8. 出立の日

 最初に目を覚ましたのはマルだった。

まだひんやりと冷たい室内で椎名の腕からするりと抜け出すと窓枠に飛び乗った。

 外はまだ朝靄あさもやで白くかすみ、だが、明けゆく光を反射してきらきらと輝く。

 しばらく外を眺めていたマルは、再度椎名の元に戻った。顔を覗き込んで、フンフンと匂いを嗅いで様子を窺い、そして持ち前のザラザラの舌で椎名の顔を舐める。


「•••うーいたいー。やめて。毛づくろい、いらないー」


 微睡まどろみの中身動(みじろ)いで、椎名は唾液で伸ばされた右の眉毛を手の甲でごしごしこすった。

 その手のひらにぐりぐりと頭を擦り付けて、マルがモーター音のようにゴロゴロと喉を鳴らす。


「わかったよ〜起きる。起きるよ〜」


 ごつんごつんと頭突きで迫ってくるマルに椎名は白旗を上げてベッドから足を下ろした。腕を大きく上に引っ張って背を伸ばす。


「おい、メシどうする」


 ノックもなしに突然開けられるドアから顔だけ覗かせてセイランが声をかける。


「食うよ。しばらく保存食だし、食えるだけ食いたい」

「やめろ。腹壊すぞ」


 マルがひとしきり毛づくろいを終えて「にゃー」と椎名の足に纏わりついてくる。


「マルも行こう。ごはんだ」


そう言いながら1匹と2人は食堂へ向かった。





 此処の食堂はカウンターキッチンになっており、キッチンスペースと食事スペースが分けられている。

 食事スペースには四角い長机が並び、各々(おのおの)自由に食事と席を選び、食事を楽しむ。


 今朝のメニューは魔獣のドードーがメインだった。

このずんぐりむっくりした明らかにトロ臭い鳥は此処で食用に飼育されているそうだ。

 椎名は色々とある中から、ドードー卵のオムレツ、グリルドードーのサラダ、木苺ジャムのトーストを選んだ。

 マルには特製のオムレツとヤギ乳のチーズ、ドードーのササミが用意されていたので、それも一緒にトレイに乗せる。

 セイランのトレイにはセサミバンズの細長いパンにサラダとグリルドードー、オレンジのドレッシングがかかっているサンドが乗っている。


「え、なにそれ。美味しそう。それも食べたい」


 思わず口をついて出た言葉にセイランが盛大に嫌そうな顔をする。わかってる。現状でも多いのに、それも食べたら明らかに食べ過ぎだ。出立の日に腹を壊して延期とか笑えない。

 ぐっと口元を引き締めて、欲張りたい気持ちと食べきれないという気持ちの間で葛藤する。その仕草はどこまでも静かなのに、表情は正直すぎた。


「弁当にして持ってったらどうだ」


キッチンの向こうから、調理担当のローランが笑いを堪えながら提案してくる。


「えっ!いいの?」

「いいさ!任せとけ」


 椎名の顔がぱっとほころぶ。

その笑顔にセイランが呆れ気味に息をついてから「俺のも」と付け加えた。

 ローランが腕を上げて応える。この優しさが嬉しい。


 椎名はもちろん此処(フォレストムーン)の出身ではない。それなのにこんなにも甘やかしてくれるのがくすぐったくもあり、ありがたくもある。

 席について食事を始めれば、今朝も変わらずローラン達の作る食事が美味しい。このキッチンが少し前までは無人のように見えつつそれでも機能していたのが懐かしく思える。

 足元のマルもご機嫌でオムレツを頬張っている。


 ふと、目の前に1本の酒瓶がトンと置かれた。


「これ。忘れんなよ。セイラン、好きだろ」

「エイデン」


 椎名の声にエイデンがおうと人好きのする笑顔で答える。

 エイデンの出した瓶のラベルには樹木酒と書かれてあった。白樺しらかばの絵が描いてあるから白樺シラカバの樹液でできているのだろうか。

 セイランが魔法陣の書かれた小さな紙を取り出し、酒瓶の下に入れる。そして手をかざし、静かなトーンで告げる。


小さく なる(ミノーエリ)


 見る間に酒瓶は小さくなり、卓上のカップと同じくらいになった。収納魔法はすごく便利だ。おかげで旅装がかなり小さくまとまった。


「この酒は此処(フォレストムーン)の特産なんだ。俺が森の外に出る時におろしてる。外だとなかなか手に入んないぞー。外で見かけたら俺が頑張って仕事した証だからな。覚えとけよ」

「わかった。覚えとく」


 いつもと変わらずカラカラと快活に笑うエイデンに少し安堵する。盛大に見送られても、逆に悲しまれても、なんだかたまれない。それでも挨拶に来てくれるところがエイデンの人っぽさであり、エイデンらしいところでもある。


 『不変』はエルフの宿命で、常に変わりゆく人とは対比にあるが、椎名はこの『不変』の彼らが愛おしかった。

 テーブルの下で食後のおなかやすめに勤しんでいたマルをしゃがみ込んでぐりぐりと可愛がるエイデンについ、笑みがこぼれる。


「•••おい」


 セイランの急な呼びかけと共に手を取られる。何かを確かめるように次は髪に触れ長い指先にすくい上げられる。


「なに?どうしたの?」


 セイランの真剣な顔に思わず聞いてしまう。

エイデンもセイランの違和感に顔を上げ、椎名を見る。ハッとしたように僅かに目を見開いて、それから眩しそうに目を細めた。


「お前、光ってる」


 光というには弱すぎて見逃してしまうほどの気配だった。だが目を凝らせば確かに光が揺れていた。

 椎名は自らの両手を見下ろす。光ってるかどうかは自分ではよく分からない。


「いとし子の光だな。いとし子が慈しみの心を持つとより多くの恵みがその地にもたらされる。これはいいもの見せてもらったわ。ありがとな!」


 エイデンがバシバシと椎名の背を叩いて、懐かしいなとご機嫌な表情で笑う。

 カロンが言ってたマルの光もこれだろうか。神は歩いているだけでいいと言っていたが、実は違うのだろうか。よく分からないなと首を傾げセイランをうかがうと、セイランも何か腑に落ちないといった表情をしている。


「まあでも、今はとりあえずメシかな」


 椎名は今は答えを得られそうにないと判断して、気持ちを切り替えて食事を楽しむことに集中することにした。





 マルと椎名、セイランの1匹と2人は装備と支度を整えて、揃って長老の部屋を訪れた。出立の挨拶のつもりだったが、長老リュシアとその護衛ソーンの2人も旅装だった。

 椎名が長期滞在のお礼を言うつもりでいたものの、身を正すよりも早くリュシアが思わず見とれてしまうほどに美しい仕草で頭を下げる。


貴方あなたがこちらにいらしてからの日々、たくさんの神の恵みをいただきました。心から感謝します。森が光をたたええ静謐に満たされています。

此処フォレストムーンを出れば私たちにできることはありませんが、最後に森のはずれまでお送りしましょう」


 セイランを同行させてくれるだけでも身に余るほどに良くしていただいているのに、さらに長老自らの見送りに恐縮してしまう。

 だが、リュシアは優美に微笑み、緑の両手を見せてくれた。


「私とソーンはこのように既に樹化じゅかが進んでおります。これは森のエルフの老化の現象で、私たちはまもなく死に至ります。

 エルフは皆、死後は木に変化します。そのため、根が生え始める前に根付く森を探して死出の旅をするのです。

 ですから、いとし子様が気にやむ必要はありません」


 つまり、ついでだから気にするな、ということらしい。優しく笑うリュシアはまもなく寿命が尽きるとは思えないほど目がキラキラと輝いている。

 エルフの女性は森を出ることを禁止されているため、リュシアにとっては一万年の生で初めての外の世界なのだろう。知的好奇心の高さは老いてもなおエルフの女性らしい。


「では、参りましょうか」


 リュシアの言葉にソーンの緑の手がガーデンテラスの奥の扉を開ける。その先は少し広くなっていて大きな魔法陣が見えた。


「いってきます」


 主人を失って空っぽになったガーデンテラスに別れを告げ、椎名はリュシアに続いた。

 魔法陣があるということは恐らく転送魔法を使うのだろう。ここに来た時以来だ。

 白く包まれて視界がなくなる感じとか、世界がぐにゃりと歪む感覚が気持ち悪いのを思い出して少し身がすくむ。


 リュシアが魔法陣に手をかざし、魔力を注ぎ込むと少しずつ文字に光が巡り始める。

 ソーンが手をかざし、同じくセイランも手をかざした。


「俺もやったほうがいい?」


自信なさげにセイランに問いかけると、意地の悪い顔で椎名を見る。


「魔力流せるようになったのか?」

「う、た、たぶん•••?」


 みんなのように空中からというのはさすがに自信がなかったので、しゃがみ込んで直接魔法陣に触れ、手のひらに魔力を集中させる。最初だけ少し意識が必要だったが、それ以降は自然に流れ込む。椎名の動きを横目で確認して、セイランの顔も安堵で少し緩んだ。


「次の長老って決まってるんですか?」


 魔力が魔法陣の全体に満ちるまでの間、椎名は純粋な疑問を口にした。次に帰ってきた時にはその人に挨拶をしなくては。


「次はエリシアとラミリアのどちらかです。どちらかが長老になり、どちらかが補佐になるはずです」


 リュシアの言葉に首を傾げる。


「長老はつがいのいる者と決まってる」


 セイランのフォローに椎名はなるほどと頷いた。リュシアもソーンというつがいがいて当たり前のようにいつも2人で一緒だ。


「長老は里のみなが幸せであるよつつとめています。けれど長老自身も幸せでなければ里のみなが幸せとは言えません。

心を通わせる者がそばにいて、時には荷を共に負ってくれるというのは、とても大切なことなのです」


 エルフにとってのつがいとはそういうものか。生物学的にはつがいとは繁殖を目的としたペアのことを指すが、エルフは受精をしないのでその意味が違う。リュシアとソーンが同じく樹化が始まるということは年が近いのは必須要件で、そのうち心の繋がりが深い2人ということだろうか。

 エルフの長い寿命を、ずっと一緒に居たいと思う相手なのだから、よっぽど深い絆なのだろう。


 魔法陣もあとちょっとのところで、スリングから様子を窺っていたマルがするりと抜け出す。

 魔法陣の上にすたっと降り立ち、にゃーとひと声鳴くと一気に魔力が流れ込んで魔法陣が完成した。


「マル、すごいな!」


 椎名がまるの頭を撫でて、ささみ肉の燻製をマルに差し出し、心なしかドヤ顔でマルの口が肉を受け取る。マルに再度スリングに入ってもらって、完成した魔法陣を前に椎名は自分の心を落ち着けるように精一杯撫でまわす。


「さあ、こちらに」


 リュシアの声と共にマルがスリングの中で器用に回転して腹をこちらに向けてきた。


「(さすがマル。わかってる)」


 背中にそっと触れるセイランの手も心強い。

椎名は魔法陣に入り、きたる不快感に備えマルのお腹に顔をうずめた。

 セイランの左手が椎名の腰に回され、力強く引き寄せられ密着する。1人で立つよりずっと安定感が増した気がした。

 足元の魔法陣に呼応して頭上にも魔法陣が現れ、4人は白くふわりと包み込まれる。

 世界が歪む感覚が訪れて、椎名はより強くマルのお腹に顔を押し付けた。






「ギガギギギガ••••••キィィィィィ••••」


 次に気づいた瞬間、大きく不快な叫び声のようなものが椎名の耳を刺した。

 何ごとかと慌てて顔を上げると、至近距離にセイランの肩があった。どうやらセイランは左手に椎名の腰をかかえたまま戦っているようだ。右手に剣を構え、緑の巨体を難なく薙ぎ払う。


「座標設定間違っちゃったみたい。グリーンモンスターの巣に飛んじゃったの」


 混乱している椎名にリュシアが照れ臭そうに説明してくれた。いつもの丁寧な話し方ではないのは本気で恥ずかしくて、気が動転しているのだろう。

 その、のんびりとした声音の横でまた1体の緑の巨体をソーンが切り伏せる。

 断末魔の叫びが耳に痛い。


「巣にいただけなのに、突然出てきてしまって悪いことしたわ」


 とはいえ、あちらも驚いたのだろう。蜘蛛の子を散らすように姿を消したので、とりあえずはひと安心だ。

 グリーンモンスターは土ゴーレムの一種で、土くれの体に植物がびっしり生えてしまった固体だ。もともとあまり好戦的な種類の魔物ではない。

 ゴーレムなので体内に魔法の核を持っており、それは素材として重宝されるのでセイランが倒した2体からきっちり回収する。


「驚かせてごめんなさい」


 リュシアが椎名の手を取り、改めて謝罪をしてくれる。そのままゆっくりと引き寄せ、抱きしめる。


「どうか、お元気で。また会えたら嬉しいわ」


 体を離す時にスリングのマルにも笑顔を見せ、優しい手で触れる。

 次いでソーンが緑の手で握手を求めてくる。空いたら左の手で椎名の肩をポンと叩いた。


「セイラン。いとし子様をお願いします。くれぐれも危ないことはしないように。任せましたよ」


 リュシアの声にセイランが小さく頷く。それを確認してリュシアは優美に微笑むと、ソーンの差し出した手に手を添えて、椎名に背を向けた。

 椎名もリュシアとは反対方向、木の根でこぼこの木の間を街道に向かって、セイランに手を引かれ慎重に足を進めた。

 マルが退屈とばかりににゃーんと声をあげる。

森の外、光が当たる場所が視界に見える。とりあえず、あそこまで頑張ろう。

 足を取られつまづきそうになるのを、セイランに支えてもらいながら、1匹と2人は木漏れ日の向こうへ進んで行った。

リュシアは実はちょっとドジっ子。


エルフの里編は実はいらなかったんじゃ?ってちらっと思いましたが、超美形のみんなにベタベタに甘やかされる椎名くんが書きたかったんで、満足です。


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