3. 椎名の魔導書
先日のサボりの日からほどなくして、マルと微睡む朝の静けさの中、椎名にあてがわれた部屋に一冊の本が届けられた。
腹の上で丸くなっているマルをそっとおろして本を手に取る。
ずしりと重いそれは紺色に染められた革張りで、四隅と背表紙には本を守る金具が嵌め込まれていた。
中央にはマルの目と同じ淡い水色の宝石が嵌め込まれ、それを引き立てるように四隅から型押しの草花模様が中央に向かって縁取られている。
サイズはマルの胴体部分より少し大きいくらいだろうか。
なかなか大きいし厚みもあってそれなりに重いが背表紙を支え片手に持つと意外としっくりと手に馴染む。
「これは魔法の媒体だな。この石は魔昌石といって魔力を調整する役割をする」
最近、椎名の部屋に居つくようになったセイランが背後から手元を覗き込み、長く骨ばった指で魔昌石を無造作にコツコツとつついてみせる。
「そんな調整ができるのか。便利な石だね」
「いや、違う。魔昌石は魔力を入れておくただの入れ物に過ぎない。調整するための術式が組まれている」
魔力を流せば術式が見えるからやってみろ、と指先で石を示される、•••が、魔力を流すとはどうやるんだろう。
自身の手を眺め沈黙してしまった椎名に「マジかよ」と言いたげなセイランの視線が上から降ってくる。
「お前、魔法が使えるようになってんのに、なんでそんな初歩の初歩ができないんだよ•••。エルフの子なら喋るより先にできるようになるぞ」
「俺、人だし」
不貞腐れたように突き出した椎名の唇をセイランの親指と人差し指がふにと摘む。その刹那、
「んっ!?」
ピリッと椎名の唇に電気が走った。反射的にセイランの指を押し除ける。
「こうやってやるんだ」
「•••それでわかるわけないよね」
自身の唇をさすりながら再度不貞腐れた顔をする。
セイランの指から魔力が椎名に流しこまれた、ということだろうか。
自身の指先を眺めて意識してみるとじわりと新しい感触があるような気がするが、まだ良く分からない。
「見てろ」
背後から椎名の肩越しにセイランの手が本に触れる。ふわりと本を取り囲むように魔昌石より深い色の文字が浮かび上がり、次いで魔昌石の周囲にも文字が浮かんだ。
これのひとつひとつが全て魔法の術式なのか。繊細な指示語と式の羅列に椎名は思わずため息をこぼした。
「媒体を使うには魔力を流す必要がある。練習しとけ。自分の体の一部だと思えばそう大変でもない。マルもできてるぞ」
「えっ!?」
セイランの言葉に驚いてマルの前足に触れる。特に何も感じない。だが肉球に触れると確かにふんわりと淡くピリピリとする感触がある。
「えー•••」
「そんなことより中を確認しなくていいのか」
『そんなこと』と言われると自身のガッカリ感が増す気がする。
そもそも剣が強いと聞いていて日々魔法をほぼ使わないセイランがこうもやすやすと魔力を操ってみせるのはちょっと隠し技みたいでずるいなぁと思ったりもする。
椎名はしおしおしつつ、本、所謂魔導書の表紙を開いた。
中は完全な白ではない、淡く生成りの紙でさらりさらりとめくりやすい。
最初の方は魔法の基礎概念やら、魔力の扱い方の解説、そして魔法を構築する基本的な術式の組み方と続き、様々な回復魔法の術式と解説が簡単な順からひとつずつ並んでいた。
そしてその次には椎名が手こずっている攻撃魔法、そして、転移魔法、浄化魔法、生活魔法と続いて終わっている。
古来より魔法は2種類の発動方法がある。イメージ型と術式型だ。
現状、椎名は術式型の魔法の発動方法が合わなかったため、イメージ型の発動方法を採っている。
これはエルフの原初の魔法の発動方法で、自然と心を通わせ、精霊の力を借りて発動する。
イメージさえできれば発動するので、その効果は発動者に依存し融通が効く。
たが、今では精霊のほとんどが姿を消し、力を借りることができないためこの方法での魔法の発動は失われてしまった。
神の魔力を授かってる椎名だからこそ精霊の力を介さずに直接自然の力を引き出すことができているのだ。
反対に術式型の魔法の発動方法は魔力を定義し、構築し、変換するための法則を術式によって編み上げる。組んでしまえば置いておけるので、椎名の魔導書のように魔道具として利用もできて大変便利だ。
またその性質上、誰にでも習得できるが、膨大な知識と理解、訓練が求められるもので、もちろん人でも使える者はごく僅か存在するのだが、使いこなすのは永遠にも近い寿命をもつエルフだからこそできているような代物だった。
椎名は手のひらの上に魔力を固めることはできていた。それを他者や自分に注ぐイメージで回復魔法を使っている。
しかし、その魔力の塊で他者を攻撃するイメージがどう頑張ってもできない。
その結果、攻撃魔法の習得が遅れているのだ。
「(ありがたいな)」
椎名にとって攻撃魔法の術式が書かれたものは希望のようなものだった。
今は使えなくとも、いずれ理解する日がくるかもしれない。
エルフたちの心遣いが温かい。
そしてその次のページからの転移魔法、浄化魔法、生活魔法はまるで知らない魔法だ。
これらをひとつずつ習得しろってことだろうか。
背後から覗き込んでくるセイランを見上げ、その視線だけで意見を求める。
「絶対あった方がいいのは生活魔法だな」
曰く、浄化魔法は御守り程度、転移魔法は便利だが難しいとのこと。
この場合、転移魔法は完全に術式魔法でしか習得できないというのも難しいの意味に含まれている。
「じゃあ生活魔法を教えてもらいに行こう」
椎名は魔導書を片手に扉を開き、行き先を窺う。
「エイデンのところだ」
扉の隙間からマルが先にてほてほとマイペースに歩み出す。
次にセイランがその首元の皮の厚いところを捕まえて左脇に抱え、右手で剣を掴む。
「代わる」
短くそう言うとセイランは肩でドアを押さえ、顎で先を示す。
「そこ突き当たりを右だ」
それだけ言うと先に出る椎名の背を確認してから些か雑な仕草で扉を閉めた。
いつもの半分くらいの長さの話です。
次の話とまとめると長くなりそうなのでそれはそれでどうかなって思ったので分けました。
2.5話にしたらよかった•••かも