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神のいとし子(代理)と申します。  作者: かもしか


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36. おばけのひとり。

 真っ暗で闇に沈み切った思考に、チリリ、チリリと、乾いた小さな鈴の音が鳴った。

 ぬくもりに包まれた中に場違いなほどに無機質な音が妙に耳に残って、知らず意識が引き戻される。


「(こんな音、スマホのアラームにあったかなあ)」


 まだ暗く沈む、はっきりとしない頭でぼんやりと考える。まだ思考は暗く沈んでいるようで輪郭が定まらない。そしてすぐに、ドサリ、と何か大きなものが地に落ちる音がした。柔らかいものではない。だが、破壊的な音でもなかった。


 マルだろうか。

 いや、マルにしては音が重すぎる気がする。なんだろう。棚の上に無造作に置いた冬布団とかが落ちたのかもしれない。すぐ確認したほうがいいだろうか。

 でも、まだ起きたくないや、あとでいいかなあ。でも仕事前に片付けないと、マルが危ないかなぁ。・・・・・・ああ、仕事。今日、早番だったっけ。


 とりとめのない思考が浮かんでは沈み、沈んでは浮かび、椎名はその間一度も目を開けず、身じろぎもしない。

 せめて寝返りでもしていれば、そこがかつて自分を柔らかく受け止めてくれていた自室のベッドではなく、身動きのとりづらいシュラフなことが分かっただろう。


 やがてその思考はすべてひっくるめて再び眠りに引きずり込まれようとしているところに、椎名の微睡まどろみに沈みかけている脳が認識している中には存在しないはずの、だが耳に馴染んだ声が、ごく近くから降ってくる。


「椎名。出てこれるか?」


 様子を窺うような声掛けをしているにもかかわらず、冷たい手を頬に当ててくる。ひやりとした感触は皮膚から一気に意識を引き上げ、急速な覚醒を促してくる。


「・・・つめたい。さわんないで・・・」


 不快感をあらわに、椎名はセイランの手をペちりとはたいて、シュラフの中に顔をうずめる。

 だが今度は、そのシュラフごと体を起こされ、まるで皮をむかれるバナナのごとく、ずるずるとシュラフを剥がされる。


「ひどい・・・」

「いいからちょっと来い」


 微睡まどろみ余韻よいんにしがみつく椎名の頭に、普段来ているローブを投げてよこすと、セイランはさっとテントの外へ出て行った。


「ああ、そうかあ」


 椎名は少し残念そうに小さく呟く。

 電子音に似た硬質な響きに、うっかり騙されてしまったが、スマホのアラームなどもう長いこと聞いていない。


「(久しぶりに日本にいるみたいな感覚だったな)」


 あの鈴の音は、先日自分が作った結界の警報だ。最初はもっと別の大きな音だったが、あまりに不評だったので小さい音に代えた。

 ぐいと手を伸ばして体にまとわりつく未だ晴れない郷愁きょうしゅう気怠けだるさを無理やり振り払う。


「(あの音じゃ起きれないなあ)」


 椎名はとめどなく漏れ出る欠伸あくびを噛み殺すと、ローブを羽織り、セイランの後を追ってテントの外へするりと滑り出た。





 地平線が白み始めたまだ暗い空と、肺の奥まで潤すような涼しい空気に思わず大きく息を吸いこむ。太陽王国ソルテアの王都レヴァンテまでもうすぐだ。この辺りまで来ると、冬であってもニウェルとは比べ物にならないくらい暖かい。


「シーナ、起こして悪いな」


 困ったように顔を向けるレックスに、椎名はそっと首を振った。

 そのレックスの足元には何やら白いもやのような物体が地に伏して動かない。人の形をしているようにも見えるが、輪郭はあいまいで確かな実体を感じさせない。


 マルが自分の匂いを付けるようにそのもやに体をこすり付け、しきりにゴロゴロと喉を鳴らしていた。低く途切れない音が、静かな夜明け前の空気を小さく揺らす。


「え。この人は・・・?」


 人の世界に来てからはほとんど経験がないが、今までに何度も見たその姿に椎名は思わず側にひざまずく。この形状からして立っているのではなく横になっていると判断したためだ。


「上から降ってきたんだ。悪い。これだと怪我とかもよく分かんないんだけど、動かなくって。回復してやってくんないか?」


 いつもの快活さを失った弱気にも思える声音に、椎名はこのもやを纏う人物がレックスの言っていた『おばけ』の一人なのだろう、と椎名は察した。


 猫が喉をならすゴロゴロ音には、治癒効果があるとされているが、マルがしきりにもやに対してゴロゴロと喉を鳴らして寄り添っているのを見るに、状態は決して軽くはないのだろう。

 それであれば先に実体を戻してから、怪我の状況とか見た方が良さそうな気がするが、レックスの余裕のない顔色に、それでレックスが落ち着くならと大急ぎで回復ヒールを施す。


 どこを怪我しているのかとか、今どんな体勢でいるのかとか、全く何もわからないので、いつもよりも多めの魔力を集め、優しく柔らかな光で白のもやの全体を包み込む。


 光がもやに吸い込まれて、じわじわと染み渡っていく。そのたびにレックスの強張った顔に赤みが戻る。


「ニゴ、大丈夫か?おい。ニゴ」


 もやに寄り添い、そっとする様子に、椎名は背後で周囲を警戒し見回すセイランの顔を見上げた。


「ねえ、この人の実体を戻してあげたいんだけど、どうかな。怪我の状態も見やすいし、レックスもその方が安心じゃない?」

「いや、今はダメだ」

「なぜ?」


 当然受け入れられると思っていた提案に即座の否定が返り、椎名は驚いて聞き返す。だが、その答えは目の前で白いもやに寄り添うレックスから返される。


「俺、分かるよ。まだ商人のおっさん一緒だもんな。途中で人数増えたら驚くし警戒するだろ。それに領主サマにも筒抜けになるだろーし」

「あー、それはヤだな・・・」


 椎名は思わず首をすくめて怖い怖いといったように自身の両腕をさすった。

 『概念の存在』になってしまっているということは確実に『人』ではない。人でない者が増えたとなれば、また領主の興味を引きかねない。レヴァンテについて商人さんと別れてからの方が安全だろう。とはいえ、見えないというのは不安があるもので、怪我の状態の確認ができていない椎名は無意識にそわそわと身じろぐ。


「それより、レックス。こいつはなんで空から降ってきた」


 レックスの方に目を向ければ、レックスは白いもやの背中(?)を支えて座らせていた。その様子を見るに回復ヒールはうまくいっているらしいと思えて、椎名は小さく胸をなでおろす。


「実は、数日前から二人の気配はしてたんだ。んで、もう一人、『先生』が多分シーナの結界を見たんだと思うんだ」


 少し前のことを思い出すように、レックスが自身の上を見るように目を彷徨さまよわせる。その様はまるでそこに記憶媒体があるかのようだ。


「ほら、シーナの結界って壁みたいじゃん?だから上なら開いてるかもって思って投げたんじゃないかなあ。そしたら上も開いてなかったから、びっくりしてバランス崩したんじゃないかな」


 「良く知らないけど、結界って攻撃魔法なんだろ」と、付け足すレックスの声はもういつもと同じように屈託のない、明るさのにじみ出るものだった。


「うん。まあ、だいたいその通り」


 レックスが支える白いもやから淡々とした声が返る。あまり感情の起伏を感じさせない控えめな響きは、いつも賑やかなレックスとは正反対で、少し機械的に聞こえる。


「その通りって・・・だからって投げるヤツがあるか」


 呆れたようなセイランの声に、「そういう人なんだよ」とごまかすようなレックスの笑い声を聞きながら、夢の底で聞いた何かが落ちた音は彼だったのかと腑に落ちた。


「こいつはニゴ。ホントの名前はなんか長くてよく分かんなかったから、俺はガキの頃からニゴって呼んでる。しばらく一緒にいるつもりできたんだよな?」


 レックスが確認するように、白いもやを見ると、ニゴと呼ばれたもやがかすかにゆらりと揺れる。


「うん。目立たないところに居るようにするよ」

「レヴァンテまではあとどれくらい?」

「もうそんなにかかんないはず。今日の夕方か、閉門に間に合わなければ明日の朝だな」

「じゃあ大丈夫かな。一晩くらいなら誤魔化せそう」


 椎名は柔らかく微笑んで、白いもやを見つめた。神様と違って光っていないので直視できるのがありがたい。


「シーナと一緒に居ればへーきへーき」

「えっなにそれ」

「だってシーナなんかいつも白いし!」


 カラカラと笑うレックスの声にやれやれと肩をすくめて、セイランは「もう少し寝る」と馬車に戻っていった。

 もはや開けかけている空に、椎名はテントに戻ることを諦めて、消えかかっている焚き火に枯れ枝を継ぎ足した。






 翌朝、巨大な漆喰しっくいの外門を潜り抜けた瞬間、椎名は思わず口をぱっかりと開け、空を見上げた。

 頭上を彩るのは建物の窓という窓から垂れ下がる、色鮮やかな織物の垂れ布で、それらは外壁を飾るタペストリーのように誇らしげに風に揺れている。


 馬車の外をしきりに眺めては「すごい、すごい!」とはしゃぐ椎名に、ほろの奥の暗い影の中で、レックスは曇りガラスのゴーグルを装着しながら「そうだろう」と笑った。


 やがて大通りの端にある市場に辿りついたところで馬車はその歩みを止める。


「たいへんお世話になりました」


 商人さんの目的地であるレヴァンテの市場で馬車を降りると、椎名は丁寧に頭を下げた。

 この世界に来てもはや半年以上もとうとしているのに、いまだに体力に自信のない椎名にとって、馬車で移動ができたのは心の底からありがたいことだった。


「いえいえ、こちらこそ、おかげさまで安心してよい旅ができました。シーナさんの魔法のお陰で食材の痛みも少なくて、夜のテントも暖かく、非常に快適に過ごせました。今回はアウレウィア領主様からの依頼でしたが、次からは私が改めて護衛として依頼させていただきたいくらいです」


 商人さんはそう言ってほころんだ顔で手を差し出す。


「その時はぜひ。またお会いできるのを楽しみにしています」


 椎名はその分厚くて暖かい手をしっかりと握り返すと、商人さんは満足げに頷き、また馬車の御者台へと戻っていった。


「さて、俺たちも行きますか。案内するよ。って言っても十年くらい前の記憶だからいいかげんだけど」


 少しふくらみのあるキャスケット帽を被り、淡く色づいたゴーグルで目と髪の色を隠した、レックスがへらりと笑う。

 ニゴもあの日以降、レックスが言っていたように椎名の側に付き従って離れなかったこともあり、商人さんに気取られることなく、無事に街へ入ることができている。


「ひとまず宿をとる?」


 人通りの多い大通りを歩きながら、椎名が首をかしげる。


「いや、その前にこいつ何とかした方がいいだろ。四人部屋取りづらい」


 セイランは周囲を一瞥し、通り過ぎるいくつもの宿屋の看板を目で追う。


「いっそ三人部屋取って一人分浮かそ?」

「やめろ、狭い」

「それはセイがでかすぎるのがいけないんですー」


歩調を緩めることもなく、ああだこうだと軽口を叩きあい、特に行先を決める風でもなく歩き出す。白いもやがその後ろにそっと続く。


「・・・宿屋もいいんだけどさ、少し歩くけど、街の外にボクタチの家があるんだ。そこなら宿代かかんないし、先生いるけど人目ひとめを気にしなくていいし、どう?」


 背後からかけられるニゴの声に、椎名がぱっと後ろを振り向く。視線の先には当然ながら誰の姿もない。だが、確かにそこに居るのを三人は知っていた。


「あ、それいい!ご飯買ってそうしよう!」


 何もないところに向かって笑顔を向ける椎名の姿は、事情を知らなければ奇妙に映るだろう。だが、その表情があまりに無邪気で、セイランとレックスは思わす顔を見合わせる。


「決まりだな。じゃあまずは市場だ」


 だらだらとした足取りは、目的を得て少しだけ軽くなる。護衛の仕事が手を離れて、ようやく本当の休息が近づいてきたような気がした。

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