35. 国境の砦にて
レヴァンテに向かう馬車に揺られること六日目。
単調な振動にもすっかり慣れた、その日の昼過ぎに馬車は国境の砦に到着した。高く積まれた石の城壁が道を遮り、ここが行き交うだけの場所ではないことをその存在感で示す。
ここでは国境を超えるために荷物の検品や、通行する人物の身分証の確認などが行われる。
観光馬車は人物の確認だけで済むが、荷物の検品はひとつひとつすべての荷を確認するため時間がかかるらしく、今日はこのままここで夜を過ごすのだと、商人さんが教えてくれた。
同じように砦の城壁を前に足止めされている馬車がいくつかある。その列の脇をすり抜けていく少し豪華な造りの観光馬車を、椎名は城壁の上から見下ろしていた。
シルヴァラン、ソルテア、どちらの国にも、この砦の少し先に町があり、観光馬車はそちらの宿に泊まるのが常なのだそう。
観光馬車には観光旅行会社に予約をした段階で、全ての行程の宿と食事までフルセットでついてくるらしく、お金はかなりかかるものの、非常に手軽で安全な旅ができるのだという話だ。
「(観光バスツアーみたいな話だなあ)」
椎名は観光馬車のきらびやかな後姿が見えなくなるまで眺め、それから遠くの荒野へと視線を移した。
「ソルテアに行くのが初めてなら、面白いものが見れるから見ておくといい」
そんなふうに商人さんに勧められて、セイランと二人、城壁に上がってきた。
この城壁を境に北がシルヴァランで、南がソルテアだ。国境間近などという辺境の風景はどんなに眺めてもどちらも変わりはなく、人気のない荒野に広い街道が砦を貫いているだけだ。だが、
「あっ」
レックスの髪の色を思わせる夕焼けの日がゆっくりと沈み、空の色が少しずつ深まるにつれ、北のシルヴァラン側の街道に点々と続く外灯に、少しずつ青白く幻想的な火が灯っていく。
「きれいだね」
椎名は城壁に手をついて、少し乗り出した姿勢で北の荒野を見つめ、セイランがそんな椎名を囲うように背後から椎名の左右に手をつき、同じ方向を静かに見ていた。
シルヴァランの外灯には蔓性の植物型の魔物が生息しており、忍冬のように蔓に寄り添う対の白い花を咲かせる。その花のやわらかく優しい甘い香りと、蜂蜜のように温かみのある甘い蜜にそれを好物とする夜光虫が集い、繁殖し、光を放つ。植物型の魔物は大地の栄養とその夜光虫を食って生きる。それをシルヴァランの人が外灯として利用している、共生の姿だ。
対して南側、ソルテアは外灯に火は灯らない。
今はまだ夕陽がかろうじて黄昏の灯りを残すが、これが完全に沈んでしまえば延々とはるか遠くまで、暗闇に沈むだろう。外灯は人の手で点けるものだが、人のあまり住んでいない辺境では火を点けに来る人もおらず、外灯に火は灯らないこともよくあるのだという。
魔物ともある程度共生しているシルヴァランと、魔物を完全に排除しているソルテアとでは風景ががらりと変わる。実際に目で見るとその差が歴然としすぎていて呆気にとられる。
再度シルヴァランの方を見ると、城壁の下にレックスと商人さんが見える。商人さんは兵士と話したり、書類のやり取りをしたりと、せわしなく動いて忙しそうだ。一方でレックスは腕にマルを抱えて暇そうにしている。マルがレックスの腕の中で大きな口を開け欠伸をすれば、それにつられてレックス自身も欠伸をしていた。
そういえば、と、ふと背後のセイランを見上げれば、いつもと変わらない均整の取れた整った体と、綺麗なのに不愛想な顔で、椎名をその両腕で囲い込んだままで当たり前のように佇んでいる。
「ねえ、セイランがいつも俺の後ろにいるのってなんで?」
「あ?」
思いがけない突然の質問に不意を突かれたように、無防備で不愛想な声が返る。
「・・・・・・護りやすいから、か?」
あまり深く考えたことがないのだろう。自己を振り返るように視線を上にあげ、記憶を辿るようなそぶりを見せる。
「じゃあ、こうやって囲むのはなんで?こっちの方がより護りやすい?」
背後から自身の左右に伸びる長い腕にぺたぺたと触れながら、椎名はくるりと体の向きを変え、セイランの顔を見上げる。
「こうしてた方が護りやすいというより、安心するな。お前が突然何かしたって手が届いて、手伝ってやれるし、止めてやれるし、護ってやれる。
だが、お前がこちらを向いては死角ができる。この・・・ここの見えないところに不安がある」
セイランが両手を城壁から離し、背後で何やら動く気配を感じて、椎名はくるりと方向を変えた。セイランの言う『見えないここ』を示すように、大きな手のひらが、背中のあたりの空間をくるくると撫でまわしている。その妙な動きがセイランの顔に似合わなくて少し面白い。
「(でもこれだとセイランの後ろは見えなくて危ないよな。まるまる全部囲めて、みんなが安心できるといいのだけど)」
椎名はもう一度視界に馬車やその周辺にいるマルとレックス、商人を捉え、すいすいと指を動かして、四角く囲ってみる。
「(この範囲を完全に守れれば、見張りをしなくてもいいのにな)」
椎名は何かを言うように口を開きかけては噤み、顔を上げたかと思えばまた伏せる。これは椎名が思考に沈んでいる時によくあることではあるが、落ち着くまでは何の反応も得られない。セイランは椎名のそんな様子を確認すると、盛大にため息をついた。
城壁の下に戻ると、兵士の検品が終わったのか、馬車は少し開けた場所に移動しており、野営の準備が進められていた。
馬車の横に張られたテントの中からは、中央のポールを立て終えたレックスが、何やら串焼きを口に咥えながらひょっこりと出てくる。
「あ?何?シーナどうしたの?」
深夜から早朝の見張りを担当しているレックスはいつもならば寝ている頃であったが、兵士の検品の都合もあってまだ起きているようだった。
この砦には今回のように越境に時間がかかる者たちを相手にした屋台がいくつも出ていて、食事に悩まされることがないのはいい点だ。
「何か考え込んでる」
「あらら」
椎名が何やら考え込んでしまうこと自体は、今までも何度かあった。その内容も役立つこともあればそうでないこともあり、様々だ。セイランもレックスも最近ではすっかり見慣れたことで動揺することもなくなった。
「で?今回は何を悩んでんの?」
「どうしたら俺にも夜の見張りができるかなって。それかみんなが見張りをしなくて済むようにできないかなって」
思考の途中でありながらも、椎名の耳は僅かでもヒントを求めてレックスの声を拾い上げ、言葉を返した。うーんと頭を悩ますように小さく唸り、椎名の目は真剣だ。やりたいことははっきりしているのに、そこに辿りつく道筋だけが一向に見つからない。視線は宙を彷徨い、指先は無意識に自身の唇を引っ張った。
すかさずセイランの大きな手が椎名の手ごと顔から引き離してその指を止める。
「気にしなくていいって言ったじゃん」
レックスはからからと笑ってきやすい調子で椎名の頭をぐりぐりと撫でる。レックスの手つきは親しみが込められて優しい。
「結界を作るとか、そういうことか?」
「結界?」
椎名はセイランの言葉を思わずオウム返しにする。知っている言葉であるのに今まで思いつきもしなかった自分に驚きだ。
「お前の魔導書に載っているはずだ。領域を指定して、その中への侵入を拒絶する魔法だ。だが、おそらく椎名には使えないな」
「なんで?」
レックスが口に咥えていた串焼きを噛みちぎりながら、セイランの言葉に目を向ける。
「あくまでも攻撃魔法だからだ。領域に侵入しようとする者に固定のダメージを与える攻撃をする。弱いヤツ、例えば野鳥や野兎とかだな、そういうやつならそれだけで死ぬこともあるだろうな。そんな無差別攻撃魔法を椎名が使えるようになるとは思えないな」
「え、こっわ」
レックスはちょっと面白がるような、それでいながらおぞましいものを見るような半笑いを見せたが、当の椎名は血の気が引く音が自分で聞こえるようだった。朝起きたらテントの周りに野兎が死屍累々とかイヤすぎる。椎名はいったん取り出した魔導書をまたそっと腰のホルダーに戻した。
「それ、攻撃じゃなくてさ、侵入を教えてくれる程度にはできないんかね。対処すんのに結局起きてなきゃいけないんだけど、そんな気合入れて見張りしなくていいのはちっと楽よな」
レックスの言葉にふむと小さく唸って、椎名は再び視線を落とす。
「シーナは想像できれば何でもできるんだろ。この程度なら想像できそうな範囲じゃね?」
「まぁ、そうだろうな」
二人の言葉が静かに背中を押す。レックスの落としどころに、そうかなるほど、と椎名は僅かに目を伏せ、こぶしを唇に当てる。合間に商人さんが食事を購入してきたのだろう、柔らかく人の良さが滲む安心感の呼び声がやけに遠くに聞こえた。
「(領域を指定して、侵入を察知して、みんなに知らせるもの。職場の事務所に入れてた綜合警備保障の人感センサーみたいなアレがあればいけるのかな)」
思考がひとつの形にまとまる。うん、と椎名はひとり納得したように頷くと、さっきの迷いが嘘のように、すっきりとした顔でセイランとレックスの顔を見た。
「ちょっとやってみる。できると思う」
「おーいメシはー?」
レックスの呼びかけはもはや椎名には届かず、セイランは眉間にしわを寄せて首を振り、レックスの口からは「ああ・・・」と諦めの混じった声が漏れた。
椎名は深く息を吸うと、静かに目を閉じる。両方の手のひらを腹の前で上向きに広げた。そこに魔力を流し込むように、自身のイメージしたものを作り上げる。
それは白く小さな靄からやがて赤い四角い塊になり、ゆっくりと大きく膨らんで広がった。
「(大きく、馬車とテントと焚き火を囲んで、それよりもうちょっと大きく)」
その四角い塊を想定した大きさにまで広げると、それは最初の赤い色は極限まで延ばされて薄まり、無色透明になった。そこにあるのは確かだが、その存在さえ感じさせない。
「(あと、商人さんと、俺とマル、セイラン、レックスはセンサーから除外、センサー感知音は俺と、セイランとレックスにのみ聞こえるように・・・効果時間は解除するまで)」
ひとつひとつ、念を押すように、しっかりとイメージに組み込んで、それから椎名は短くふっと息を吐いて瞼を上げた。
「たぶんできたと思う。たぶん」
「満足したか?」
達成感にキラキラと目を輝かせる椎名を見下ろし、セイランが静かに言葉をかける。
「うん。試してみないと分からないけど、ちゃんとできたと思うんだ。そんなに魔力使わないし、いい感じな気がする」
焚き火台の前ではレックスがマル用の肉を串に刺し、赤く揺れる炎であぶり、そのすぐ隣で、同じく焚き火台の前で前足をしまった、いわゆる箱座りという座り方でマルが炎を見つめていたが、揃って視線を椎名に移す。
「何したのかさっぱりわかんねーけど、ご主人様がかまってやんねーとマルが寂しがるぞー・・・って!いって!なんだ!?」
揶揄うようなレックスの軽口はマルの素早い猫パンチで遮られる。
「メシ早く寄こせって?まだ火が通りきってないから無理だぞ!?」
マルの顔色を見つつ弁明するが、マルの表情はピクリとも動かない。その圧の強さに椎名は苦笑した。
「ちがうよ。マルは俺をご主人様だと思ってないから怒ったんだよ。多分マルの方がご主人様のつもりじゃないかな」
これはなにもマルが特別にそうだというわけではない。猫と暮らしている者からしたらごく当たり前のことであるが、そうでない人にとってはなかなか理解しがたいことだろう。過去には「じゃあなんで飼ってるの?」等と聞かれたこともある。
「もっと言うなら、俺たちのリーダーは自分だと思ってると思うよ」
「えっ何ソレ。猫わけわからなすぎるんだけど」
呆気にとられたように口をポカーンと開けて手元がおろそかになるレックスに、マルから再度猫パンチが飛ぶ。
「ほら、今度はメシを早く寄こせって言ってるぞ」
セイランが口の端を僅かに持ち上げて意地悪く微笑むと、レックスの手からマル用の串を奪い取った。
「代わってやるから、お前は早く寝ろ」
「え~・・・」
猫にご飯をあげるという、一番おいしい役目を奪われて、レックスは不満げな声を上げる。だが、すぐに両手を空に伸ばしてぐいーっと伸びをすると「へーい」と軽い返事で応じて馬車へと向かった。
検品で時間が押してしまったが、椎名の結界の効果が定かでない以上、今夜はいつも通りに動くしかない。
「(俺がもう少し役に立てると良いのに)」
椎名は馬車に向かうレックスの背に少し申し訳なさを感じるも、今の自分にできるのは祈ることだと思い直して、そっと手を合わせる。
「(出来るだけいい睡眠がとれますように)」
夜はすっかり深まり、空は炭を流したように暗い。椎名の周囲を漂う淡い光が、焚き火の風に乗って静かに揺れ、レックスの背を追っていった。




