32. 冬の日の夜ごはん
部屋の扉を押し開けると、ほんのりと暖かい空気が頬を撫でた。外の寒さにかじかんだ指先が暖気にほぐされ溶けるようにじんじんと痺れる。冷たい風にさらされていた体に感覚がようやく戻ってくるようだった。
スリングから終始不満げだったマルが真っ先に飛び出し、一直線に暖炉の前の絨毯に寝そべった。赤々と燃える火に腹を投げ出し、ごろりと横になった姿は、完全にここが本来の住処だとでも言いたげだ。
「うわ、あったか・・・」
レックスが外套の首元をぐいっと緩めながら、寒暖差で紅潮した頬をほころばせる。どうやら宿の主人が椎名たちが帰ってくる頃合いを見計らって暖炉に火をくべておいてくれたらしい。
椎名はブーツを脱いで暖炉の側に寄せ、室内に備え付けの椅子に腰を下ろした。室内に入るとすぐに靴を脱ぎたくなってしまうのは、日本人として生きた習慣で、なかなか変えがたい。
椎名の前には大きな地図も広げられそうな重く頑丈な木製のテーブルがある。前回泊まった二人部屋にはなかったが、今回の三人部屋にある。これは完全に冒険者向けの部屋で、少人数で泊まる観光客にも、複数人で泊まる冒険者にも対応するこの宿はそれぞれに別の趣を用意しているのだろう。観光産業も冒険者産業もどちらも栄えるニウェルらしい配慮だ。
セイランは早速、屋台の戦利品をテーブルの上に広げる。アメマスのクリームソースパイ、スパイスの効いた羊肉と野菜の串焼き、それから分厚い肉塊をリンゴの木で燻したスモークベーコン、それにエールの大瓶だ。
そこにさらに、宿屋の主人がエールのグラスと皿やカトラリー、椎名が注文していたあったかいカフェラテ、それから木の皿に盛られたドライトマトとナッツを持ってきてくれた。「野菜食っとかねえと、女将がうるさいからなあ」という主人の心遣いだ。
「すごい豪華だね」
椎名の言葉にレックスも力強く頷き、笑みを見せる。先ほどまで寒さに凍え切っていたのに、食事は生きる活力だというのがしみじみ身に染みる。
「で、聞きたいこととは?」
セイランが椎名の左隣の席に腰を下ろし、エールを注いだグラスをレックスの前に置く。椎名の経験上でよくあった、『全員揃ったら』とか『いただきますをしてから』というルールのないこの雑な食事は気の置けない仲である三人でなら、実に気楽で心地よい。
「さっき氷の神様が言ってた属性のことだよ。俺、人に属性があるなんて初めて聞いたよ」
「そうだったか?」
セイランは森のエルフの里でのことを思い出すように視線を宙に漂わせた。
「シーナが水属性で、マルが炎属性っつってたな」
レックスの言葉に椎名はマル用に焼いてもらった味付けなしのアメマスを、皿にほぐしながらうんうんと頷く。
「そもそも全員に属性ってあるのかな。どういう感じなんだろう。魔法に影響あったりするとか?寒いのが得意だけど暑いのが苦手だとか?俺、暑いのも寒いのも嫌だけどなあ」
まあでも、暑すぎて死んだんだっけ、と思い出しながら、暖炉の前を陣取って動く気のないマルの前に皿を置く。まだ椎名の方を見ず、尻尾だけをぱたぱたを動かして、ずっと素っ気ないのは、寒い中を連れまわしたのを、どうやらそうとう根に持っているらしい。その態度がまた愛らしく、椎名は小さく笑みを漏らした。
「属性は人にもそれぞれ全員あるが、能力の差は出ないな。よっぽど神に好かれていれば別だろうが、ほとんどは気質程度の話だ」
「・・・きひふ?」
レックスが串焼きの先の肉をかじり取り、もぐもぐと頬張りながら間の抜けた声を出した。
「そうだ。要は性格に出るという話だな。感情が出るときにその傾向も出やすい。椎名は怒ると冷めた目をするし、言葉選びも、発言も冷たい。笑っているときも淡雪が降るように穏やかで静かだ。それを考えるとおそらく氷属性なのだと分かる。これが炎属性なら『烈火のごとく怒る』や『太陽のように笑う』になるだろうな」
ドライトマトを長い指でつまみ上げ、口に放り込みながらセイランが教えてくれる。些細な仕草も洗練されていて見とれるほどに美しい。渋みのある金の髪が暖炉の火で柔らかく光る。
「それじゃあ氷属性だからって、何かに気を付けなきゃいけないとかはないんだね。それなら気にすることもないか」
暖かいカフェオレのカップを両手で包んで指先を温めながら椎名はほっと息をつく。湯気が頬に触れ、外気の名残を溶かしていく。
『そういう傾向があるが全員そうとは限らない』程度のことであれば、星座占いとか血液型占いとか、そういうものと似た感じなのだろう。そう思うと肩が軽くなった。
「もっとも椎名の場合、神の御力によるものだろうが、怒ると冷気は発するし、笑ったり祈ったりするときは冷気が光を反射して淡く光るから、気質だけとは言い難いがな」
さくさくと小気味良い音をたてながら、アメマスのパイにフォークを突っ込む椎名にナイフでフォローしながら、セイランがさらに説明を足す。持ち上げたパイの隙間からたらりと垂れるクリームソースに椎名は慌てて身を乗り出して口を寄せた。
「俺、シーナが怒ってるとこ、まだ見たことないな。あのとき、魔法では聞こえていたけど」
「マルのことになると案外簡単に怒る」
「あー。そいやシグマートさんのとこでちょっとピリついてたっけ」
さくさくとしたパイの香ばしさと、クリーミーなソースの優しい旨味に満足げな吐息をこぼしながら、セイランとレックスの会話に、椎名は「そうだっけ?」と言いたげに首をかしげる。
「だがあのアルフェンド伯爵家で怒ってた時は少し違和感があった」
「あー・・・。あれだ。『人ごときが』ってやつでしょ?シーナらしくなくて驚いたんだよな』
「え?」
言った覚えのない言葉に椎名は顔を上げる。ぷつりと音をたてて、脂を噴き出しながらフォークを受け入れたアップルベーコンから甘く芳醇な香りが立った。
「そんなこと言った?」
「言ってた言ってた。はい、あーーーん」
レックスが軽い調子で串焼きの肉の間に挟まったペコロスを、悪戯っぽい笑顔とともに椎名の唇に押し付ける。
「なに?ペコロス苦手なの?」
「なんかぶちゅってする食感が好きじゃないの」
「甘くておいしいのにね」
「切ってあれば食うよ」
再度唇に押し付けられたペコロスを口の中に迎え入れ、とろりとほどける食感と肉の脂を吸った甘さに「ん~~~っ」と感嘆の声を上げて微笑む。
「感覚的なものだから伝わるかわからんが、なんというか、噴出したような熱さのある言葉だった。いつもの冷たい感じではなかったな」
セイランの指がペコロスを押し付けられて脂で濡れた椎名の唇をぐいっと拭い、冷たい指にひくりと唇が震える。そのままセイランはその指をぺろりと舐めた。
「つまり、どゆこと?」
レックスが次の肉にかぶりつき、肉汁で濡れた唇を舌でざっと拭う。
「あくまで俺の憶測でしかないが、あの人を下に見た物言いといい、椎名の属性に合わない熱さといい、俺もこの目で見ていてもなお椎名の口から出たとは思えない。神々に干渉を受けたという可能性はないか?」
「えっ、えー・・・・・・?」
こってりとジューシーなベーコンを楽しみながら、椎名は思い返すように視線を右上に寄せ、次いで左上に寄せる。じわりと口の中にリンゴの木の香りが満ち、思考がゆっくりとほどけていく。
「あのあと、夢の中で神様たちに会ったけど、最初に会った神様と水の神様、氷の神様しかいなかったし、そんなこと言ってなかったけどなあ」
「その話は初めて聞くな」
「あれ?そうだっけ?」
「俺も聞いてないよ」
「労われたくらいで大したこと話してないけどね」
串焼きに手を伸ばしながら、椎名はんー・・・と考えるような顔をする。
「噴出するような熱さって言ってたよね。それって炎属性のマルの可能性もある?」
「・・・・・・マルはいとし子だし、椎名の意識に介入することができないわけではないかもしれないが、マル自身はあの場に居なかったし、どうだろうな」
「ふぉえもほっかー・・・!んーー!!んーーー!!!」
「わぁ!シーナ!落ちる!落ちる!!」
椎名が串に添って肉へ噛みつくと、溢れ出す脂と共に反対側がほろりと崩れ、レックスがかろうじて手のひらで受け止めた。そしてそのまま脂にまみれた美味しい所を「ラッキー!」とばかりに自らの口に放り込んだ。
「あ、そういや俺、手紙受け取ってたよ。シーナちょっと取って。俺のズボンのポケット。・・・えーと左の一番上の、おっきいとこ」
レックスの服にはやたらとたくさんのポケットが縫い付けてある。それぞれにスカウトの七つ道具とも言える大事な道具が入っているらしいが、椎名はそのうちの左の腿にある大きなポケットの蓋をぺろりとめくって、布越しに伝わる体温に、少し遠慮がちに指を差し入れた。
「これ?」
「そうそれ!領主から、シーナ宛!俺、ちょっと手ぇ洗ってくる。べったべた!」
椎名宛の物がなぜレックスに届くのかはよく分からないし、またしても領主関係なのはなんだか遠慮したい気になるが、ひとまず開けてみる。ちなみに封筒はなく裸の手紙なのも疑問に思うところだ。
しかし、さすがは領主の手紙らしく普通の紙ではなく、何やら厚みがあって、かすかにキラキラとして格式高い感じがして、さらに関わりたくない気持ちが高まる。
椎名はしばし食べることも忘れて手紙に集中する。それから大きく息を吐いた。
「せっかくいい気持ちでご飯食べてたのに」
洗った手の水滴をぱっぱと振り払いながら席に戻ったレックスが、嫌そうな椎名の様子にこらえきれないという風にケラケラと笑う。封筒に入っていなかったことからして、レックスはおそらく先に読んでいたのだろう。
「なんだって?」
アメマスのパイを優雅に口へ運び、セイランが説明を求める。
「こないだのアルフェンド伯爵家が猫を利用してたやつ、これの報告とその流れでなにかお願いがあるんだって。・・・・・・すごく大事になりそうで嫌なんだけど」
椎名は眉間に皺を寄せ、苦く笑う。
「場所はどこだ」
「太陽王国ソルテア。・・・レックスこれ知ってて、昼間『そのうち行くだろ』って言ったでしょ!」
「へへへっまぁね~」
レックスは陽気に笑い、椎名に向けてエールのグラスを軽く掲げた。
いずれにせよ、これからの時期のニウェルの寒さはマルには厳しすぎる。別の国へ移ること自体は悪い選択ではないのかもしれない。
「断るのか?」
セイランの問いかけに椎名はゆっくりと首を振った。
「ほかに頼れる人がいないって書いてあるけど、派手に回復魔法使ったことを広められても嫌だしなあ」
椎名は大きくため息をこぼし、再度、途中になっていた串焼きに手を伸ばし、それから反対の手で手紙をベッドの上にほいと投げ散らす。
「あーもう!あとあと!明日考える!!俺はおいしくごはんが食べたい!!」
椎名の悲痛な叫びに、レックスが大きな声で笑いながら賛同する。
「はいはい!シーナ!はい!かんぱーい!!」
エールのグラスを椎名の串焼きにちょこんと当てると、そのままぐいっと飲み干す勢いで傾ける。セイランはそんな賑やかな二人を見て肩をすくめ、椎名の頭を軽くぽんと叩いた。
ぱちぱちと暖炉の火が爆ぜて、室内に暖かい橙の光が広がる。
マルがちらりと椎名を見上げ、それから揺らめく炎に目を細めた。くわあと大きな欠伸をこぼすと、暖炉の温度が少しだけ上がる。
空になった皿を前足で器用にぐいーっと押しのけて、心地良さそうに丸くなると、小さく尻尾を揺らし、そのたびに火が僅かに跳ねた。
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主人公
椎名 結人(Siina Yuito) 属性:氷
25歳 黒髪、ふわふわの猫毛、黒目(焦げ茶寄り)
猫カフェ勤務。高校~大学時代はアルバイト。そのまま卒業後に猫カフェの社員に。
出産や病猫の看病などで泊まり込みもこなす。
マルは猫カフェに持ち込まれた捨て猫が産んだ子猫の一匹。マル自身が体が弱く、病気で長くないと知っていたので引き取った。動物への愛が深いタイプ。
人当たりが良く、穏やかで柔和。しかし芯が強く猫に関しては譲らない。
意外にもクレーマーにも強く、目で殺すタイプと言われ、スタッフに頼られている。
ごはんは幸せ。スイーツはごちそう。
マル (Maru) 属性:炎
5歳、三毛猫 水色の目 オス
椎名の勤める猫カフェで産まれる。生来弱い個体だったため、母猫からは育児拒否され、初乳を受けていないため病気にかかりやすい。椎名の手厚い育児、看護、保護によりなんとか成長でき、生きている。
現代の猫に必須とされている去勢も済んでいるため、そちら方向の病気にもかかりづらく、思っていたよりは長く生きられるのでは、と椎名に期待されている。




