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2. 『概念の存在』って?

「神様って人が嫌いなのかな」

「それと俺の手がなんか関係あるのか」


両手でセイランの右手を拘束して、引っ張ったり、日に透かしたり、むにむにと押してみたりしながら椎名はぼやくように呟いた。

椎名が森の隠れ里(フォレストムーン)に来てから1ヶ月以上が過ぎ、その間ずっと一緒に過ごしているが、初めて見たエルフという存在にまだ実感がないのか、なにか思うところがあるのか、日頃から頻繁に触れられるセイランは、最初こそ困惑したものの、最近ではもはや諦めに近い感情でやりたいようにやらせている。


「いや、関係ないけど」

「関係ないのかよ・・・」






無数の本が積み上がるホールのいくつもあるデスクのひとつで椎名は魔法の勉強中で、それがいつの間にやら関係ない話になっているのは最近ではよくあることだった。

アイボリー色の袖についた木のボタンを反対の手で弄びながら椎名は難しい顔で教本を見下ろす。


「回復魔法はできたのだから、これもゆっくりやればそのうちできるわ」


今日の教師役を買って出てくれたフィリアが頬に落ちる長い髪を優美な仕草で耳にかけ、デスクに広げっぱなしの教本を覗き込む。あまりに苦手すぎて既に3週目の教授をもらった箇所だ。


穏やかな柔らかい声で自身に寄り添ってくれる言葉をかけられると甘えたくなってしまう。たが、一度甘えてしまうと100年単位で甘やかされて、椎名などあっという間に骨かミイラだ。

永遠にも近い寿命を持つ種族の時間感覚は恐ろしい。

みんなが口々に「ゆっくりやればいいのに」という台詞を鵜呑みにしてはいけない。

それはよく分かってる。だが、


「今日はサボってもいいかな。明日ちゃんと頑張るから」


一瞬の沈黙の後セイランが眉をしかめ溜め息をこぼした。

片手間に読んでいた本を置き、その骨ばった手で椎名の頭をぐしゃぐしゃと掻き回す。


「何か余計なことを考えてるだろう。だから身が入らないんだ。全部出せ」


フィリアの指が視界を割くようにするすると伸びて、椎名の目の前の本を閉じる。ゆったりと椅子に背を預け、さあ、どうぞとばかりにことりと首を傾げた。






そして冒頭の状況に戻る。


「ずいぶん懐いたのね」


手を弄ばれる様子を楽しそうに眺めるフィリアを、嫌そうに見やり、セイランが口を開く


「・・・どっちが」

「あ・な・た・が」


揶揄からかいの笑みを含む言葉に、セイランは不愉快だと言いたげな素振りを見せる。

椎名から見たら舌打ちをするのでは?と思えるような素振りではあったが、それは発せられなかった。エルフには舌打ちという文化が存在しないためだ。


「なぜ神は人が嫌いという発想になったの?嫌いって言っていたのかしら?」

「そういうわけじゃないんだけど・・・」


少し言い淀む。


「人は面倒だって。だから猫しか送らないって」


申し訳なさそうに告げる言葉にフィリアとセイランは心当たりがあるように「あー・・・」と声を漏らした。


「でも猫じゃなくて人を送ってれば『概念の存在』も治してあげられるじゃない。なのに人は送らないし、『概念の存在』の問題も解決しようとはしてないから」

「だから人が嫌いなのかと思った、と」


セイランの言葉にそのとおりだ、と、椎名は頷いた。


「人が嫌いなんだったら、人にいいようにさせてるのは違和感あるけどな」

「そうね。この現象のせいで消えていったり見えなくなってしまった種族もたくさんいるものね。

もっとも、見えない方が都合がいいって種族もいるけれど」


フィリアが白い頬に手を当てて困ったような仕草を見せる。

それは「今日の夕飯は何にしようかしら」とでも言いそうな現代日本でよく見る気軽な仕草のようにも見えて、その困った状況にすっかり慣れきっている様子が見てとれた。


『概念の存在』は存在そのものが消えることもあるだろう。それはフィリアの言葉がなくとも予想はしていた。だが、見えない方が都合がいい存在がいるという事実はさすがに想定外だった。


「その、見えない方がいいのはどんな種族なの?」

「子守り妖精とか、夢見妖精とかよ。ここ(フォレストムーン)にもいるわ」


椎名の拙い知識で知ってる妖精はいわゆる火の妖精とか水の妖精とか、花の妖精とか、そういったたぐいのものだ。それも数あるゲームや漫画などの作品の中で知っただけで存在自体を知ってる訳ではない。

全く聞いたこともない妖精に表情は笑顔で固まったまま、脳裏にははてなマークが飛び交う。

ちらりとセイランを見るとセイランが察したように息を吐いた。


「子守り妖精は子守りするやつだ。子守りする代わりに家のものを勝手に使ったり食ったりする。

たまにあるだろ。赤子が何もないところを見て笑ったりとか。あれだ、あれ」

「夢見妖精も似たようなものよ。子供の夢の中に住んでいて、間借りする代わりに時々未来のことを教えてくれたりするわ」


そんな妖精もいるのか。どちらも子供にだけ認識されればよく、明確に姿が見えると困るのだろう。

ならばその姿を顕わすことが全てにとって善とは限らないかもしれない。


「じゃあ全部片っ端から治すって訳にはいかないんだね」


だとしたら各人に確認が必要な訳で、見えない何かを捕まえて見れるようにする?という確認をする・・・とても難しい仕事だ。


「そもそも・・・

「なんだか難しい顔をしているね」


不意に投げられる第三者の声。


「あ、シオン」

「そんな顔もかわいいけどね?お茶でも入れようか?」


ガラガラとワゴンを押しながらやってきた白桃色の髪のエルフの青年がにこにこと柔和な笑顔で微笑みかけてくる。


通常エルフの男性はセイランのようにキリッとした顔立ちをしていて、その中で彼のような柔らかく甘い顔立ちは極めて珍しかった。

少しピンクかかった髪色も珍しいが、エルフの中では突然変異で何代かに1人は必ず現れる現象らしい。

彼の押してたワゴンからひょっこり顔を出すマルも、三毛猫でありながらオスという特異なタイプで、シオンもマルと同じように体力がなく体が弱かった。


エルフの男性は森を護るために戦うが、それ以外の時間は生活を支える業務に従事する。だがシオンは身体的理由で戦えないため、1日の全てを生活を支える業務に従事していた。

特に裁縫に関しては他の追随を許さない、芸術品かのようなレベルに達しており、Tシャツにハーフパンツの部屋着姿だった椎名に毎日の服を仕立ててくれたのも彼だ。

今着ている襟のついたコットンシャツに、グレーのボトムスはもちろんその他下着に至るまであれやこれやと用意してくれた。

シャツやパンツの一部にはワンポイントの刺繍、ボタンには彫刻がされており、シオンのセンスの良さが如実にょじつに表れている。


「で、そもそも、なんだ」


セイランの少し冷たさを感じさせる声が話を戻した。シオンの声と比べるとなお冷たく感じるが、特別不機嫌とかではなくいつも通りだ。


「そう!そもそも俺はみんなの元々の姿を知らないんだ。なのにもとの姿に戻るの変だなって。不思議で。間違ってたらってちょっと怖くて」


セイランの姿形や、ソーンの緑の手、シオンの白桃色の髪も、椎名は全く前情報がないまま想像しただけだった。初日はよかったよかったと受け止められたが、フォレストムーンで過ごして何人か実体を戻していったら徐々に合っているのだろうかと怖くなってきたのだ。


不安そうな椎名の膝にマルがぴょんと飛び移ってくる。


「細部まで一緒かと言われると自信ないけど、私から見た感じは合ってると思うわ。

これも神の魔力のなせる技なのかもしれないわね」


フィリアは少しだけ肩をすくめて見せてからそう言った。


エルフの男性は自分の容姿に興味が薄い性質があるらしく、2人は話の意味がわからないというようにお互いに目を合わせ、首をそっと振っている。


「そうは言ってもセイランの顔は誰も知らないのだけれど」


悪戯っぽく細められた目にセイランがまた嫌そうに眉をしかめた


「どうして?」

「セイランはまだ生まれて千年も経たない若造だからよ」


ふふふっと揶揄からかうような笑みが涼やかだ。


「セイランは神様に授かった時から霧に包まれていたって聞いたわ。その頃には『概念の存在』の現象は起こっていたのよ。お世話係も顔を知らないんじゃないかしら」


シオンが持ってきたワゴンにくるくるっと指を振るとカップやティーポット、ソーサーにクッキーまで、自ら踊るように出てきて自動でデスクに並ぶ。フィリアが手早くデスクの教本を自身の膝に下ろした。


「本人が嫌じゃなければいいんじゃないかな?」


どう?とシオンの目がセイランを促す。


「自分の顔がどうとか、興味ないな」


ほらね、とシオンが茶目っ気たっぷりに椎名にウインクを飛ばす。


「そんなに気にするようなことでもないんだよ。僕たちが居るってことをみんなが知っていてくれるならそれで充分」


シオンの手がマル用のクッキーを皿に並べてマルの前に差しだす。

流れでマルの頭を撫でる手に、マルがおやつ食べたいと撫でられたいの狭間でオロオロする姿がかわいらしい。


「どうしても気になるなら空の隠れ里(スカイベール)にある人物の図鑑を見せて貰えばいいと思うけど、そこまで気にしなくてもいいと思うな」


シオンが魔法で淹れてくれた紅茶がふわりと香る。

心がふっと軽くなるのはなにかハーブの香りのおかげだろうか。


「姿を取り戻してもらってありがたいのは確かだが、そのことでお前を思い悩ませたい訳じゃない。お前が『概念の存在』気にかけているのは分かる。やりたいならやればいい。だが、そればかりに気を取られるのは負担が大きいだろう。

神に言われているやるべきことを優先させろ。

なんにしても外ウロつける技術を身につけなくては何もできないがな」


せっかくほぐれてきた気持ちがうっと詰まる。さっきサボる宣言した攻撃魔法の教本がまた戻ってきた。

にこにこと本を掲げるフィリアが少し恨めしい。


「それ以外にも外へ出る準備もしなくてはいけないのではなくて?

服も防御力の高いものにしなくてはいけないし、魔法を使うなら魔法の安定性を高める媒体も必要よ」


フィリアの言葉におやつを食べ終えたマルがにゃあと答える。


「あら、マルは私の言ってることがわかるのね。賢い子」


フィリアの指がマルの頭をくすぐるように撫で、首のリングに触れる。

布で幾重にも編まれ、それぞれに刺繍が施されている、いかにも手の込んだ首輪だ。その中央にマルの目の色によく似た海の色のような宝石があしらわれている。


「ほら、マルもちゃんと身につけているわ」


マルは首まわりをなぞる細い指に自ら身を寄せていって、遠慮なくごろごろと甘えた声を出す。


「これもシオンの作品だから、椎名のも作ってもらうといいわ。

シオンの刺繍はすごいのよ。攻撃耐性や魔法耐性を付けられるし、マルのリングは魔力の出力調整もしているのよ」


こんな小さな首輪にあれこれと性能を仕込めるなんて、驚きだ。しかも刺繍まで信じられないほど細かい。

そのひとつひとつの模様に意味があり、それぞれに魔力を込めることで完成するのだそうだ。


「マルは体力に対して魔力がつよすぎるから、出力できる魔力を減らしてるよ。じゃないとただでさえ短い寿命がさらに縮まっちゃう」


できることをしただけだけたよ、と、なんでもない事のように笑うシオンだが、その技術力の高さには驚かされる。

ふわふわと笑いながら「神のいとし子の装備を作らせてもらえるなんて畏れ多いなあ」なんて言うが、椎名の方こそ恐縮しきりだ。


「あとは、生きてくのに便利だから生活魔法を覚えた方がいいのと、攻撃魔法が苦手ならそれ以外で使えそうな魔法を覚えてみるとかかしら?

人の間では完全に失われてしまった回復魔法が使えるのだからそれだけで充分な気もするのだけれど・・・」


フィリアが言葉を切り、含みを持たせたような笑みを見せる。


「いっそセイランを連れてったらどうかしら?」


・・・・・・・・・


「えっ」

「あ?」


椎名とセイランの声が重なる。

椎名としてはセイランが一緒なら心強い。祈りや魔法の練習、食事の確保などで外に出た時も完璧に護ってくれた。

エルフの中では飛び抜けて若いセイランだが、数百年も積まれた鍛錬はもはや人の手で到達できる限界を超えている。


「でもセイランには森を護る役目があるでしょう」

「だったらリアンとかカイエンとかでもいいと思うわ。エルフの戦士は強いわよ」


フィリアは涼しい顔でいくつか実体を取り戻した覚えのある名前を挙げてみせる。皆、強くて穏やかなエルフの戦士だ。


「(どうしようかな。俺が攻撃魔法覚えるよりはいいかもしれない)」


椎名が考えるように口元に手を添える。その手首をセイランが掴まえ、強く握りしめた。

骨が軋むほどの強さに椎名の顔が歪む。

けれどそれは怒りでも憎しみでもなく、ただセイラン自身にも理解のできない執着だった。


「・・・・・・俺が行く」


言葉は短く淡々としていたが、手の強さが確かに苛立ちを伝えてきていた。

椎名は痛みに声をあげるのを耐え、セイランの顔を見つめる。セイランの煙水晶(スモーキークォーツ)の目が一瞬だけ交わり、すぐに逸らされた。

椎名の表情に気づいたのか、手首を掴む手が少し緩むが、離す気はなさそうだ。


椎名は少しだけ笑って掴んでいる手に反対の手で触れ、宥めるようにそっと撫でた。


「じゃあ、セイランにお願いしようかな」


声はいつも通りだったけれど、嬉しさを隠しきれないように頬がふにゃりと緩んだ。


フィリアがシオンに目配せをする。

まるで最初から結果を知っていたとばかりに意味ありげな目線に装備は2人分だねと理解し、シオンはにこりと微笑みを返した。


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