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神のいとし子(代理)と申します。  作者: かもしか


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28. アウレウィアで猫探し(終)

 さわさわと葉擦れの音が心地よく、風がこずえを撫でるたびに光が柔らかく揺れる。

 温かさに包まれた微睡まどろみの中、額にぽたり、ぽたりと雫が落ち、肌を伝って流れた。冷たさに眉をしかめると、何者かの息づかいがすぐそばで揺れる。


 いつまでもこのぬくもりに包まれていたいとさえ思える、穏やかな夢の狭間で、しきりに訪れる冷たさが心地よい眠りに沈むことを許してくれない。


「(・・・誰かいるのかな)」


 手の甲で額を拭いながら、未だぼんやりとした意識のまま考える。

 また一滴ひとしずく。手のひらに落ち、そこで弾けた。眠気と覚醒がゆらゆらと交互に揺れて、思考がうつつに引き戻されていく。


 傍らにある気配は少し人とは違うような気がして、セイランかなと思うが、椎名に甘い彼であれば心置きなく寝かせてくれるはずだし、レックスならば、笑い声を抑えられるはずがない。考えれば考えるほど思考は覚醒に傾き、やがてゆっくりと瞼を持ち上げ、そこに居た長く青い髪の持ち主に椎名は無意識に微笑んだ。


「起きたようですよ」


 穏やかで心癒される声に導かれるように身を起こすと、視界いっぱいに光が満ちる。そこは見覚えのある場所、『神々の庭』だった。

 椎名はその神々の庭の草地の上にごろりと寝そべっていたようで、椎名の右には水の神がその長い髪を地に這わせて座っていた。

 寝ている間のぽたぽたと何やら冷たい雫はどうやら水の神の悪戯いたずらのようだった。


 反対側には水の神と同じ顔をしたもう一人の神が座っていた。その身を白や青白の色彩に彩られ、気配は静かで透き通っている。容貌から察するにおそらく水の神と対を為す、氷の神なのだろう。


「久しいな」


 自分と全く同じ顔が、感情を帯びずに告げる声に、椎名はなんだかうまく言えないが、少し不快な気持ちになった。神であるのは理解している。だが、顔が自分と同じで、しかも部屋着のままの姿のせいかもしれない。


「またここに来れるとは思いませんでした」


 立ち上がるのも気怠く、座ったままで神を見上げる。せっかく来れたのだから部屋着くらいは何とかしておきたいところだ。


「何かご用事ですか?」


 初めて会った時から変わらぬことではあるが、曲がりなりにも『神』相手だというのに敬意を抱く気持ちが湧かないのは我ながら不思議だ。


「今回のこと、見させてもらっていた。いとし子の末裔まつえいや彼女を慕う猫たちに手を貸してくれたこと、ありがたく思う。

 マルもいとし子として自覚したのか、少し強くなったようだ。他の弱った猫たちのために、こちらに来ては食事を運んでいた」


 そう言う神の手には葡萄のような果実がひと房。

 形は葡萄に似ているが、実は薄い桃色を帯びている。葡萄は猫にとって腎機能を壊して死に至ることもある危険な食べ物と知っている椎名は一瞬警戒する。


「祝福の実という。ほんの少しで空腹が満たされ、痛みと心を安らげる。傷を治すほどの作用はないが、そなたが案じていたであろう日々、マルはきちんと食べ、眠り、寄り添い、他の猫たちと共にあった。やはりあの子は愛らしくさとい子だ」


 神の言葉に椎名は目を大きく見開く。あの冷たい地下牢の中で、わずか三日の間ではあるものの、マルが自分の意志で気丈にふるまっていた事実に胸が締め付けられるようだ。


「ふふふ」


 隣で水の神が愉快そうに笑う。


わたくしの力も役に立ったでしょう?」


 あの時放った水球の魔法は、椎名自身も特に意識して作り出したわけでもなく、自然に出てきた魔法であったが、水の神はあの場面で水の魔法を使ったことにご満悦のようだった。

 髪をするりとかきあげ、穏やかに微笑むその姿は、水面の揺らめきを思わせた。


 椎名の左に座る氷の神が椎名の手を取り、両手で包み込むようにぎゅっと握る。


「彼からもそなたに祝福を。氷の力もきっと役に立つでしょう」


 指先からひやりと冷気が流れ、凍えるような感覚はなぜかじわりと心地よく馴染み、椎名の心を落ち着かせてくれる。


「あの、氷の神の姿は消えていなかったんですね。もしかして参拝者が多いからとかですか?」


 氷の神は静かに、しかし確かな存在感を保ったまま、椎名の左にたたずむ。


わたくしが実体を戻したのです。彼はわたくしの双子神。わたくしと同じがいいと彼自身が望んだので、わたくしが力を振るいました」


 椎名の右では水の神が鈴の音のように軽やかな声でころころと笑う。


「人は水と氷は双子女神とあがめているようですが、実際には氷の神は男神。信じたいものを信じたいようにしか信じられない人々が知ったらさぞかし驚くでしょうね」


 水の神の目は、好奇心と愉悦できらきらと輝く。一方で氷の神は、表情も変えず、口を開くこともない。その静けさは水の神とはまるで正反対だ。

 だがその静謐せいひつさも、嫌な感じを受けないのはやはり神々はいとし子に深い愛情を抱くからなのだろう。それがたとえ代理である椎名であったとしても。


 氷の神が椎名の黒い髪にそっと指を差し込んで優しく撫でる。その手はひんやりしているのに、まるで愛を伝えられたようにじわりと心に染み入る。

 それから肩にそっと体重を預け、椎名を草の上に押し戻す。氷の神のひやりとした手のひらが目を覆い、じわりじわりとまぶたに染みこむ冷気が心地いい。


「今までのそなたの祈りに感謝する。そなたの祈りがまとわたしの魔力が大地に染みこみ、いずれ恵みとなるだろう。今後もマルによく仕え、祈りを捧げることを期待する」


 神の声が耳に響き、言おうと思っていた服装についての苦言を伝える間もなく、草の匂いと風の肌触り、ひんやりとした氷の神の手の感触に包まれながら、椎名の意識はかすみ、ぼやけて途切れた。






 目に宿る冷たさに、ふと意識が浮上する。

 涙が冷えた時のような感覚に指を這わせるが、濡れてはいない。勘違いだったかと持ち上げた手をそのまま枕にだらりと下げた。


 鼻先を甘い香りがくすぐり、口端から注ぎ込まれてくるそれを、ゆっくりと嚥下する。


「(甘い。美味しい。・・・けどこれはなんだろう)」


 ぼんやりとした思考で甘いそれを考えてゆっくりと目を開ける。まだ完全に覚醒していない視界はぼんやりとかすみ、映るのは少し灰色がかった金色の色彩だけだった。


「起きたのか?」


 自身をいたわる声に、「ああ、セイランだ」と声にならない声でうなって、一度ぎゅっと目をつぶってぼやけた視界を払拭した。


「おはよう、シーナ!起きてよかった!」


 明らかに寝すぎた時に起こる気怠けだるさにあらがうように、無理矢理体を起こし、未だくわんくわんと揺れる頭で心配していたであろうレックスにかすかに笑みを向ける。


「寝息浅いし、寝返りもしないし、何日も起きないし、シーナ死ぬのかと思った!」


 レックスの陽気な声に笑みが漏れるが声にはならない。そんな椎名の手にはセイランが水の入ったグラスを持たせてくれた。


 そこはいつもと変わらぬアウレウィアの宿の一室で、椎名の横にはいつも通りマルが丸くなって寝ていた。

 水を飲み干し、小さく咳払いをすると、椎名は静かに名前を呼んだ。


「マル」


 耳がピクリと反応する。


「マル、頑張ったね。無事でよかった」


 頭を撫でる椎名の手に顔を上げるわけでもなく無反応だが、耳だけをパタパタと動かして軽い拒否の姿勢を示す。

 起きたばかりの椎名には今が何時なのか分からなかったが、真昼であればマルには眠いタイミングだったのかもしれない。心配していたこちらの気持ちを汲んでくれない姿も、さすが猫らしい。


「セイラン、いろいろしてくれてありがとう」


 まだ少しかすれる声でセイランに礼を述べる。


「なにか美味しいもの飲ませてくれてたよね。あれ、何?もっと欲しい」


 聞きたいこと、話したいことは山ほどあるが、まっさきに美味しいもののことが気になってしまうのは椎名の性分かもしれない。セイランはきょを突かれたように目を見張り、すぐにふっと笑った。


「羊のミルクに林檎とメープルシロップを入れたものだ。気に入ったのか」


 吸い飲みからグラスに移し替え、まだ力の入らない椎名の手に慎重に渡してくれる。


「うん。すごくおいしい。幸せの味がする」

「えー!そんなに?」


 レックスの笑いが平穏な日常を感じさせてくれて、椎名はつられて一緒に笑った。






 それからセイランは椎名が気を失った後のことを順に教えてくれた。


 あの夜から翌々日、セイランとレックスは連れ立ってギルドへの完了報告へ向かった。しかし、その場にとどめられ、急遽きゅうきょ、領主との面会が設けられたという。そしてそこで領主家の専属冒険者にならないかとの打診があったのだそうだ。


「だが、神の使命を全うするためには一か所にとどまるわけにもいかないだろう。だから断った」


 セイランはごく当たり前のようにさらりと告げる。

 エルフのセイランには人の権威が通じないからさぞかし素っ気なく断ったのだろうと想像できた。理由をしつこく聞かれたがすべて椎名の意志にそぐわないで押し通したらしい。

 また、椎名の目立ちたくないという意思を尊重して、こちらも強く言い含めた、と教えてくれた。


 あの時に回復させたセラフィちゃんをはじめ、他の猫たちも全員、領主家に保護下におかれ、里親探しも責任を持って行ってくれるそうだ。やはり領主家は代々猫に愛されてきた家系なだけはあって、猫を大事に扱ってくれることに安堵あんどする。


 アルフェンド子爵は当然当主の爵位剥奪(はくだつ)となったが、すぐに息子に再封さいほうされたのだという。

 今回のことはアルフェンド子爵の独断で行われていたこと、息子はほとんど関わっていなかったことに加え、カルシレオール男爵家に陰ながら救済の手を差し伸べていたことや、納税管理官がいなくなると領地経営がすぐさま困窮することをかんがみての措置だった。


 息子はまだ若く、新たな当主として閑散期である冬のうちに業務を完全に習得する必要があるため、暫くは多忙を極めるだろう。また、婚姻についても、これだけの悪事を働いた家にはどの家も娘を出すことはなく、おそらくはカルシレオール男爵家の三人の娘のうちの誰かが嫁ぐことになるだろう、とは人の世事に詳しいレックスの談だ。結果的にそれがカルシレオール男爵家を救うことになるだろう。


 レックスの見立てでは、カルシレオール男爵家の末娘が有力だそうだ。

 歳はアルフェンド子爵の息子が椎名と同じくらいの24で、カルシレオール男爵家の末娘が14と10歳も離れていて一番可能性が少ない組み合わせではある。

 だが、それでもレックスが有力というのは、猫の足を切って売っていたのが末娘の手によるものだったからだ。


 アルフェンド子爵の息子は常日頃からカルシレオール男爵家の不遇に心を痛めていたが、生来の優柔不断さと柔和を履き違えた気弱さで何もできずにいたが、残酷な手法に手を出してまでカルシレオール男爵家の母と姉たちを救いたいと行動を起こした末娘の覚悟に手を貸すことに決めたのだという。


 自分の身なりに投資をし、それがまるで猫の足の効果であるように見せ、まことしやかな噂を流し、猫の足の評判を高め、アルフェンド子爵の息子を通じて販売経路を確保する。14歳の少女でありながら、たった一人でその道を考え、実行に移せる頭の良さと胆力を持ち、そしていざとなれば自ら手を汚すこともいとわない覚悟は貴族の資質として相応しく、また気弱で優柔不断なアルフェンド子爵の息子を支えていくのに有益だろう。


 だが、カルシレオール男爵家の女たちの尊厳と命がかかっていたとはいえあまりにも残酷な方法に嫌悪感を示す者は多い。貴族であればそれはなおさらだ。それゆえ今後は長きにわたり貴族社会で見下され続けていくことは否めないだろう。


「じゃあ、ひとまず俺は何もしなくていいってことだね」

「そうだな」

「万事解決ってことで」


 窓の外に風がそよぎ、紅葉がかさかさと舞う。

 なんてことのない平穏な景色が、椎名の安心で平和な日常が戻ってきたことを告げていた。


「次はどーすんの?」


 レックスの問いかけは、いつも通り陽気で変わらない。


アウレウィア(ここ)で依頼を受けるか、いったん王都ニウェルに戻るか、いっそ別のところに行くか」


 セイランが選択肢を絞り込むようにひとつずつ口にする。


「王都はもうじき冬だ。行くなら早めがいいな。王都の冬は綺麗だけど寒すぎるんだよなあ」

「森に戻るのも一案だ」


 椎名はマルを撫でながらゆっくりと口を開く。


「うん。どこに行くにしても君たちと一緒なら楽しそうだなあ。ひとまず今日は何にもしないで美味しいもの食べて、のんびり考えようか」


 平和でのほほんとした時間。ようやく訪れたこの時間に心がほぐれる。

 少しばかり開けた窓から晩秋の気配を伴った風が吹き込んで、椎名はそっと毛布を引き寄せた。




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