27. アウレウィアで猫探し(5)
午後の陽光が柔らかく宿屋の中庭に降り注ぐ。そこで椎名は木製の椅子に腰を下ろし、ただ天を仰いでいた。空から差し込む光はまるで椎名自身をそっと包み込むようだ。
アルフェンド子爵邸でマルと別れ、翌日には領主と面会し、そこからさらに一日経っていて、もはや不用意に泣いてしまうこともなくなったが、脳裏によぎってしまうのは止めようがない。
マルの顔が思い浮かぶたびに椎名はそっと無事を祈った。
領主の執事補佐官セオドアが現れたのはそんな頃合いだった。宿屋の女将に案内されて中庭に面した食堂の掃き出し窓から椎名を見つめている。
「今日も綺麗ね」
女将さんには見慣れた光景のようでさらりと呟くと、貴族に対するとは思えない気安さでセオドアの肩をポンと叩いた。
「冒険者殿」
背後からかけられた言葉に、椎名が振り返る。まっすぐに伸びた美しい姿勢と、紺地に銀糸の執事服が、下町の宿屋には不似合いで少し面白い。
「準備は整いました。私どもは後ろに控えておりますので、どうぞご随意に」
「わかりました。ありがとうございます」
椎名がセオドアに丁寧に応じると、すぐそばの木から太い枝に膝をひっかけてレックスが蝙蝠のようにぶらりと逆さにぶら下がる。
「マルの迎え行くの?」
「うん」
椅子から立ち、食堂へ向かう。レックスは体を振ってくるりと一回転し、地面に着地する。食堂では長い足を組んで前に投げ出しているセイランが、口にしていたコーヒーカップを音もなくテーブルに置いた。
「そろそろ寂しがっているだろうしな」
テーブルの上でくるりとコーヒーカップの持ち手を椎名に向けると、椎名はそれを受け取り一気に飲み干した。
「いこうか」
すっきりとした顔の椎名の後ろにセイランとレックスが続き、その後ろをセオドアが静かに歩いた。
アルフェンド子爵邸の前に着いた頃には空にうっすら朱が混じるかという頃合いだった。馬車での道中でその後の領主の指示や、おおむね予想通りだった事のあらましをセオドアから聞いた。カルシレオール男爵家や郊外の繁殖場も押さえており、椎名たちは好きに動いて構わないというお墨付きももらっている。今回のこの動きに関しても既に訪問の先触れを出しているというのだから用意周到だ。
椎名はアルフェンド子爵邸に入る前にあらかじめ襟元に風の魔法で遠くの音が聞こえ、互いにやり取りができる、ウィンドボイスの魔法をかける。対になる反対側はレックスの襟元にかけられている。
猫に何かあっては元も子もないので、レックスには一足先にアルフェンド子爵邸の庭に向かってもらった。
「椎名殿。参りましょう」
馬車の外から声がかかる。セオドア自身も護衛を連れているのは、気にすることなく暴れていいという配慮だろうか。椎名としては話し合いで済んでほしいと思っていて、最初から暴れる気などないのだけれど。
他人の家に抗議に行くことなど未だかつて経験がない。それなのに意外と緊張も動揺もせずにいられるのは、精神安定のネックレスのおかげか、マルのことを思うからなのか、セイランやレックスがいてくれる心強さからか、はたまたその全てだろうか、我ながら不思議な気持ちだ。
「こんばんは。おじゃまします」
門番の案内でアルフェンド子爵邸の玄関ホールへ足を踏み入れる。メイドたちは明らかに冒険者然とした者たちの登場に、慌てて姿を消す。それからそう待たずにアルフェンド子爵本人が玄関ホールに姿を現した。後ろには老齢の男性と、椎名と同じような年ごろの男性が控えており、セオドアがそれは執事と息子だと教えてくれた。
「・・・これはこれは。領主様のご用命と聞いていたが、まさか冒険者風情が来るとは。このような不躾な時間の割には随分と軽い用件のようだ」
あからさまな侮辱にセイランの目が一瞬鋭く細められる。
玄関ホールまで本人が来たということは家の中へ入れる気はないという意思表示だろう。椎名は長い接客業で身に着いた柔らかい笑みを浮かべて応じる。
「領主様の猫がこちらにいると分かりましたので、引き渡しして欲しくてきました」
アルフェンド子爵の口元が僅かに緩む。
「確かに我が家は猫の集まる家だが、領主様の猫は知らんな」
椎名が思っていた通り、何かしら行政的に後ろ暗いところがあるのだろう。そちらには一切触れない内容の言葉に安堵の表情が少し見受けられる。
そのうえで、たかが冒険者の言うことなど取り合う必要はないとばかりに追い返せと言いたげに手を振った。
「では、『地下牢にいる白猫』の中に領主様の『白猫』がいないことを確認したいので、ご案内いただけますか?こちらの建物の中から直接地下牢へ行ける道があるのでしょう?」
穏やかな声でさらに続けると、アルフェンド子爵の笑みがぎこちなく止まる。目が僅かに泳ぎ、後ろに控える息子がすっといなくなったかと思えばすぐに戻る。
「シーナ、来たよ。武装したのが二人」
椎名の襟元からはレックスの潜められた声が庭の現状を教えてくれる。
「地下牢の猫を殺すって言ってる。バラバラにして庭に撒いて野良猫に食わせるって。発想がキモチワルイな!」
椎名はゆっくりとアルフェンド子爵を見る。予想していたこととはいえやはり心が冷える。
「白猫を殺して野良に食べさせるんですか?残念だけど、猫は死肉は食べません。そんなことしても剣でつけた傷を隠すことはできませんよ」
アルフェンド子爵の息子の顔色があからさまに青ざめる。自身の命令が筒抜けであることへの焦りを隠すこともできないのは若さゆえの経験不足からだろうか。椎名は思わず苦笑する。明らかに自分たちを下に見る雰囲気と、話を聞く気のない敵意、これだけで話し合いだけでは解決しないことが分かる。
「カルシレオール男爵家は押さえました。今いる『白猫』を処分してしまえばもう追加の白猫はいません。余剰分のお金も懐に入らなくなりますが、本当に白猫を殺してしまっていいんですか?」
全てを知っているのだという事実を暗に匂わせる。これで引くことはないだろうが、それでも引いてほしいと思っていたが、返される視線に強まる敵意が失望しかもたらさない。
心を決めた椎名の目に冷たい光が宿る。まるで空気まで凍らせるかのように冷気が静かに広がる。
「こいつらを排除しろ!一人も生かして逃すな!!」
アルフェンド子爵の叫び声にも近い命令に護衛たちが動く。だがそれよりもセイランの方がずっと速い。護衛たちの鞘走りの音が玄関ホールにこだまするが、それよりも速くその手首を剣ごと切り落とし、椎名を背後から狙う動きには柄頭で顎を砕き、そのまま力任せに遠くに吹き飛ばす。長い足は低い位置で敵対する足を刈り取り、倒れこんだ体の腱に的確に刃を突き立てた。
椎名の前でゆらりと剣を構えるセイランの間合いからは逃れられず、瞬時に圧倒される。隙の無い動きに護衛たちが攻めあぐねて息を飲む。
「もう一度言います。領主様の『白猫』がいる『地下牢』への案内をお願いします」
一語一語を紡ぐたびに椎名の周囲の空気はひやりと張り詰める。圧倒的な静けさの中で、だがそれさえも認められないといった風にアルフェンド子爵は大きくかぶりを振った。
「知らん!!領主様の猫など本当に知らん!!!そもそも猫ごときになぜこれほどの仕打ちを受けなくてはならん!!!」
まるで駄々っ子のように火のついた叫び声に椎名の目が凍り付いた。
「猫ごとき・・・。猫ごとき、だと?たかが人風情が・・・」
怒りを噴出させたような激情のつぶやきは、だがほんの微かでアルフェンド子爵の耳にまでは届かない。一瞬、セイランが驚いたように背後の椎名に視線を寄せるが、刹那、圧倒的な冷気に空間が支配される。
「そうですか。残念です」
穏やかな言葉は、だが、死刑宣告のように冷たく重く、聞く者の心の奥底にずしりと響いた。
庭で武装した護衛二人を木の上から観察していたレックスの耳にも、椎名の魔法を通してアルフェンド子爵の攻撃の号令が聞こえていた。
おとなしく地下牢を見せてくれるなら荒事は避けられるかも、とあまりにも可能性の低いルートにかすかな希望を寄せていた椎名だったが、それはあえなく潰えたということだ。
「(それなら俺もやれることやらなきゃだなあ)」
ひとまずは『猫を殺す』命令を受けてきたであろうこの二人の護衛を排除しておく必要がある。レックスは数あるポケットの一つから片手でスリングショットを出し、反対の片手で小さな火薬の丸弾を番える。静かな息遣いと指先の動きが、緊張感の中でわずかな音を立てる。
「うっわ!」
弾は狙い通り手に当たったようで、そこで弾けて軽く傷を負わせ、レックスの狙い通り剣を取り落とす。
「おい、大丈夫か?」
片割れが声をかけるが、それに返事もせず、気乗りのしない仕事にぶちぶちと文句を言いながら、のろのろと体をかがめ剣を拾う。
そもそも『地下牢の猫を殺す』という指示を受けていながら、室内から地下への道を行くのではなく、庭に出てくるあたりが無能感まるだしで呆れる。地下牢は人が一人と半分くらいの深さがあるが、そこにいる猫を、上からどうやって殺すつもりだったんだろうか、と首をかしげたくなる。
スリングショットでもう一人の護衛の目を狙って放つ。次いで、剣を持つ手を狙って視界と武器を落とす。
「はっ!?何!?何があった!?」
猫しかいないはずの庭で、まさか『何者かから攻撃を受けている』という可能性に気付き始めようかというタイミングで、剣を拾う護衛の顔面をめがけて庭に潜む野良猫がするどく爪を立ててひっかいた。
「シャアアアァッ!!!」
「うわっ!!・・・いたっ!!!」
「ウゥゥゥ・・・フギャアアアァァァァ!!!」
「わっわぁ!!いたい!!いたいやめろ!!!」
予想していなかった攻撃に、剣を手にすることもかなわずおろおろと浮足立つ。レックスも追い打ちで何発かスリングショットを打ち込みはしたが、同時にたくさんの猫たちがあちらこちらから飛び掛かり、噛むひっかく等の思い思いの攻撃で追い打ちをかけ、護衛たちを庭から追い出してしまった。
「すっげえ。猫ってつえーな!」
庭に人の気配がなくなったのを確認すると、レックスは木の上からするすると下り立ち、満面の笑みで猫たちを称賛する。襟元から聞こえる音ももはや皆無だ。あえてこちらに来る者もいないだろう。
レックスは地面に膝をつくと、地下牢の扉に手をかける。鍵を開け、その鉄板のような扉を大きく開くと、見下ろした先にいる、疲れ果てた様子の猫たちとマルが静かに横たわっていた。レックスは猫たちを安心させるように「もうじき来るからな」と微笑んだ。
全く話の進まなくなった玄関ホールは膠着状態のように見えて、その実、椎名がその空間のすべてを支配していた。
椎名が手のひらを空中にかざすたびに、水の球が生み出されてぷかりと空中に浮かぶ。静かな水音が空間に満ちる。ぷかりぷかりと漂う水球は柔らかく光り、静かに空気を揺らす。アルフェンド子爵とその息子、付き従う執事や護衛、およそその場にいるものはすべて、その異質な光景に言葉を失った。息を飲む音さえ、軽やかな水音の中に溶けてしまう。やがてその一つが眼前の光景にぽかんと呆けるアルフェンド子爵の頭を包み込む。
「知ってる?人を殺すのなんて、ホントはすごく簡単なんだよ?」
穏やかな口調と裏腹に、何の感情も含まない歪な微笑が椎名の顔を覆う。アルフェンド子爵が空気を求め自由な手で顔を覆う水を力任せにかきむしるが、水球は微動だにせず、暴れた分だけ体内の酸素が失われ、息苦しさがじわりじわりと増していく。
椎名の周辺をたゆたう水球が、空中で優雅に舞い、護衛たちを追い詰め捕らえていく。アルフェンド子爵の息子はその場で尻もちをつき、何が起こっているのか理解できぬまま震え、執事もまた、青ざめ、視線を下げることしかできない。
一歩一歩子爵に近づく椎名を遮ろうと動く護衛は誰もいない。セイランは既に剣を下ろし、呆れたように椎名を見つめた。
「さあ、地下牢へ案内してください」
椎名が手をひらりひらりと翻すたびに、水球が生まれ、空中を軽やかにたゆたう。アルフェンド子爵は苦しみに悶える力も失われ始め顔色も青白く変えていく。その顔にはもはや絶望しか表さない。
「わっ!私がっ!!・・・私がご案内します!!!」
悲鳴に近い叫び声がアルフェンド子爵の息子から上がる。椎名に怯え、震えていたが気丈に立ちあがる。
「わかりました。お願いします」
椎名がすっと目を細めると玄関ホールに出現していたすべての水球が割れ、その床を水で覆った。
水球から解放されたアルフェンド子爵はぐったりと執事に体を預け、口を開くこともできないほどに疲れ果て、死の淵で何を見たのか、目も虚ろだ。
後方に控えていたセオドアとその護衛たちが彼らを拘束するのを横目に確認しながら椎名とセイランは子爵息子の案内に従って地下牢へ向かった。
「マル!」
椎名の声に体を横たえた姿勢からマルがひょいと頭を上げる。マルが体を寄せていたセラフィもまた暗がりの中で座り、凛とした姿を見せていた。
上の扉から様子を見ていたレックスが扉の端からぶら下がり飛び降りてくる。
「上は片付けたよ。っていうか集まってた猫たちがほとんどやってくれたんだけどな」
レックスの明るさに椎名はようやく気が抜けたようにふっと笑う。
「猫たちを運び出しましょうか?」
後ろからついてきて、アルフェンド子爵の息子の拘束をしていたセオドアの提案に椎名は小さく首を振り、地下牢の中に入る。
歩きながら猫たちの状態を一匹ずつ確認し、しゃがみこんでは手を添える。セラフィちゃんはまだ体力が残っているようだがそれ以外の猫たちの衰弱が激しい。特に足を切り落とされている猫たちは危険なほどに弱っていた。マルでさえも明らかに疲労が激しく、身動きするのも億劫な様子だ。
「セオドアさん」
椎名は地下牢の中心からセオドアに声をかけた。
「今回捕らえた方々は今後聴取をしますよね。負傷や衰弱がある人はどうなりますか?」
「体力の回復を待ってから聴取という流れになるかと思われます」
こんな荒事の後だというのに、セオドアは髪の毛一本の乱れもなく、変わらず美しい姿勢で静かに椎名に向き直る。
「猫たちはどうですか?状況の保全や証拠のためにこのままにしておく必要がありますか?」
「いいえ。傷ついている猫たちをそのままにしておくのは我が主の意志に反します。状況は私が見ておりますのでそれで充分です」
「そっか。それならよかった」
セオドアの返答に椎名はほっと息をつく。回復をしてしまっても問題はなさそうだ。空を見上げるといつの間にか月が上り、静かに光を落としていた。
「全体回復をするよ。セイラン、後をお願い」
「ああ」
森のエルフ一族の秘伝である広範囲高回復魔法は自身に残るすべての魔力と引き換えに膨大な量の回復を施す。そのため使用後は必ず魔力切れを起こして気絶してしまう魔法だ。それを知るセイランが側にいてくれるからこそ使うことができるし、存在が心強い。
セイランが椎名の側に寄り添い、足元ではマルが椎名の足にすりと体を寄せた。
椎名は手を月の光を受け止めるように広げ、大きく広げた手にいっぱいの魔力をためるようにイメージを膨らませる。
月の光が椎名を祝福するように降り注ぎ、淡い光がふわりと集まる。大地の力が体をめぐり手のひらからじわりじわりと滲むようで、さわさわと草木のさざめきが、椎名の呼吸音に同調する。やがて両手では受け止めきれなくなった大きな魔力がじわりじわりと零れ落ち、ふわふわとゆらぐ柔らかな光がはじけてふりそそぐ。
光が猫たちの体を、気力を、失われた足を柔らかく包み込み、じわりと癒していく。
同じように屋敷の中でくたびれ果てて倒れ伏すアルフェンド子爵や、傷を負った護衛たちも光はすべてを柔らかく包みこみ、静かに癒し、そして大地に消えた。
レックスはその光景に息を飲み、セオドアが目を見張り、ガタンと力の抜けた椎名の体をセイランが危なげなく抱きとめた。
意識を手放す最後の瞬間、椎名はマルを見つめ、安堵に微笑んだ。




