26. アウレウィアで猫探し(4)
アウレウィアの冒険者ギルドは木とレンガで作られた、小さな子供の遊ぶお人形の動物たちが住んでいる家のような見た目をしている。その隣、ほんの数歩離れたところに、表向きは冒険者ギルド専属の宿屋があった。意匠も前述した冒険者ギルドの見た目と同じで可愛らしい。
ここは高ランクの冒険者や信用度の高い冒険者などが宿泊を許される、冒険者からしたら憧れの宿で、しかもなんと無料で利用ができる。Bランクであり、かつ、数々の功績をあげているレックスはこの宿に宿泊することを許されている数少ない冒険者の一人だが、およそ一般的な冒険者はこの建物を利用することができない。
さらにこの建物には貴族が依頼を出すための窓口も併設されており、貴族は冒険者などというどんな人物かもわからない者と会うことなく依頼ができる仕組みになっている。
この建物には、貴族などが利用できる立派な応接室があり、王都ニウェルのギルド内にある応接室とは違い、朝のギルドの喧騒はここではまるで遠雷のようにくぐもって、冒険者たちの荒々しい世界とは隔絶されたような静けさを湛えていた。木枠に囲まれた東の窓から朝の光が床に薄く広がり、柔らかな絨毯がその光を優しく受け止める。
椎名はその応接室で、ソファに静かに座り、ただアウレウィア領主が来るのを待っていた。
本来、伯爵位を持つ領主がわざわざ椎名たち冒険者に会うことはない。依頼の進捗報告であっても使用人を通すのが一般的だ。
今回の場合ならば、依頼の際に会った執事補佐官のセオドアが来るのが定石だろう。だが椎名はあえて領主本人が来るよう、ギルドに伝えていた。本人が来る可能性は限りなく低いが、それでも椎名には本人が来るだろう確信があった。
ただ、いつ来るのか、どれほど待てばいいのか、そればかりは誰にもわからない。室内にはただ静寂のみが無為に流れていた。
椎名はソファに腰を掛けたまま、指を組んで静かに俯く。心はもう定まっている。けれど待つ間にも胸の奥を不安がよぎるのは止められない。マルのことを思い、マルの無事を願って、ただ無心に祈ることしかできなかった。
その祈りは音を立てず、ただ淡く光を纏う。神の恵みを体現するような、ともすれば見失ってしまうほどの柔らかで穏やかな輝きに空気が静謐へと導かれる。
椎名の背後にはいつも通りセイランが護るように控え、レックスはその隣に立っていた。
レックスは地図で様々な功績を立てた。レックスの地図に命を救われたものも多く、政府や王族にすら名を知られるほどの存在だが、その本質は臆病だ。臆病なために気配に聡く、観察力は磨かれ、避けることに長けるように育った。それゆえ魔物と対峙しないスカウト、地図師として良くも悪くも名を馳せた。そんなレックスが今は椎名に近寄ることができない。『人ならざる気配』に畏れ、その背を直視することさえ憚られる。窓から差し込む光までもが、椎名の動きを見守っているかのように揺れる。
開けっ放しの扉の外を風が通り過ぎた。
未だ遠い気配は間もなく応接室へたどり着くだろう。レックスはからからに干上がる喉に力をこめる。
「・・・くるぞ」
声はほどんど音にならず、だが、囁くような小さな音に椎名のまつげが僅かに揺れる。
組まれていた指は解かれ、すっと立つその背に光の残滓がするりと溶けた。それと入れ替わりに慌ただしい足音の波が応接室に訪れる。
「冒険者の方から私を呼び出すとは、いい度胸だな」
幾人もの従者を連れ、不機嫌な態度を隠すことさえもしないまま、壮年の男性が入室してくる。
引き締まって背筋の伸びたバランスのいい体躯で姿勢がとても美しい。不機嫌であっても所作の美しさは貴族ならではだろうか。日に焼けた肌は、日々農地を自らの目で確認しているという噂の真実を物語るかのようだった。
大地のような焦茶の髪はところどころ色が薄れ、秋の麦の穂のようで、深い森の色を映したような翠実緑の目は不機嫌な声とは裏腹にどこか穏やかだ。
「アウレウィア領主、マーカス・フォン・アウレウィア様でございます」
側に控える執事が静かに口を開く。椎名は深く一礼し、領主の目をまっすぐに見据えた。その眼差しはまるで心の奥深くまで覗き込むような強さで、領主の眉がわずかに動く。
「Eランク冒険者の椎名と申します。お目に書かれて光栄です。後ろに控えるのはエルフのセイラン、こちらはレックスと申します」
「エルフが実在するとはな。これはなかなかに稀有な方とお見受けする」
場を和ませるような社交辞令に椎名は眉ひとつ動かさず、静かに言葉を続ける。
「失礼とは思いますが、まずは人払いをお願いします」
椎名の感情を伴わぬ声に、領主が連れてきた従者たちが気色ばみ、明らかに不快感が滲む。一人は深く眉をひそめ、別の者は唇を強く引き結ぶ。扉の前に陣取る護衛の手は剣を握るが、それよりもセイランの方が一瞬早く、護衛の柄頭を手のひらで押さえて動きを封じる。
「・・・いいだろう。ダリオとセオドアを残し、他は出ろ」
領主の命令は簡潔で力強い。
逆らうことを許さない言葉に、従者たちと護衛はぴしりと姿勢を正し、重々しく扉を出る。たかが平民の冒険者如きに遠慮せざるを得ない状況につのる不満が背中から見えるようだ。
室内には領主マルセリオと執事、それと前回ニウェルで話をした執事補佐官のセオドアが残る。
「こちらも三人、そちらも三人。文句はなかろう」
低く迫力のある声の言葉に椎名は「人数の問題じゃないんだけど」と思うが、平民相手にここまで譲歩してくれたのだからこれ以上は難しい。
さあ、話せとばかりにどかりとソファに腰を下ろす領主の向かいに椎名は腰を下ろす。一見乱暴に見えるような動作にも拘らず洗練されているのはやはり貴族ゆえだろう。
執事補佐官のセオドアが扉の向こうから差し込まれたティートローリーから、静かにお茶を淹れ、マルセリオと椎名の前に並べた。
「では、お話ししますが、場合によっては猫の命に危険が及びます。その点は先に申し上げておきますね」
できるだけ淡々と告げるが、視線はきつくなり、声が硬くなるのはやむを得ない。椎名は気持ちを落ち着かせるように、一度小さく息を吐いた。
「まずは依頼の進捗ですが、セラフィちゃんはとある場所に捕らわれていて、元気かどうかは保証できないですが今はまだ生きています」
「場所が分かっているのであれば、なにゆえ連れ帰らない。それが仕事だろう」
マルセリオの声は低いがよく通り、椎名に対する疑いの目をけして緩めない。
「確認ですが、セラフィちゃんは『特別な力を持っている猫』ですね?違いますか?」
一瞬領主が言葉に詰まる。
「・・・そのとおりだ」
「そしてセラフィちゃんの親猫、その親猫・・・・代々ずっと白猫ですね」
「・・・・・・そうだ」
領主がこの街に来たばかりの冒険者になぜわかるのかと訝しむような顔を見せる。
「セラフィちゃんが『特別な力を持っている猫』だと知っている者は?」
こちらの様子を窺っているのか、心当たりを探っているのか唇を引き結んで黙してしまったマルセリオに代わり、執事のダリオが言を継ぐ。
「皆、知っております。『領主の猫は白く輝く猫。神から与えられた幸運の猫』・・・この地域の昔からの言い伝えです。猫がいるからこの領は繁栄するのだとこの地で育ったものならば誰でも言い聞かされて育ちます」
「なるほど、よくわかりました」
ダリオの言うことが正しければ、やはりアルフェンド子爵は何らかの力があるのを見込んで白猫を集めているのだろう。もっとも自身で猫を確認しているわけでもなさそうだから、そこに領主の猫、セラフィちゃんが混ざってるなどは夢にも思っていないだろうが。
「セラフィちゃんの現状をお話します。まず、場所はアルフェンド子爵邸の庭にある地下牢です。セラフィちゃんを含め、白猫が7匹、それ以外が2匹いました。子爵はおそらく白猫に何らかの力があると踏んで、白猫を集め、何かに利用していると思われます。
また、冒険者ギルドでは白猫探しの依頼が多数存在し、郊外では不衛生な環境で白猫の繁殖が行われていました。これらを没落を免れないと思われるカルシレオール男爵家の女性たちを金銭援助と引き換えに利用し、不正に集めています。
また、猫たちの足を切り落とし、闇市場に流すということもしているようです。王都ニウェルでは幼い貴族女性の間で『猫の足を持っていると幸せになる』という流行があるとも聞きました」
領主の表情がかすかに曇る。ただ家名と共に猫を引き継いだだけ、とも思えない様子にセラフィちゃんはちゃんと愛されているんだな、と、少し安堵する。
「目的はこちらではわかりません。ですが、目的を排除しなければ同じことが行われ続けると思います」
椎名の声は穏やかで淡々としているのに、言葉が空気を圧倒し、窓から差し込む光に椎名の髪がかすかに光を帯びる。
「・・・調べろ、と?」
「はい。猫たちの今後を憂うのであれば」
領主はしばし目を伏せた。顰められた眉のしわに一層深い影が落ちる。
「・・・あいつか」
低く漏らした声にはわずかな苦みが混じる。
「まあ、こちらでも注視していた者ではある。・・・よかろう。調べてみよう」
「猫たちの命にかかわります。できるだけ早急に、慎重にお願いします」
深く頭を下げる。その椎名の動きに添うように室内の淡い光が再び揺らめく。その微かなきらめきにマルセリオは目を細め、それからおもむろに席を立った。もはやここにいる意味はないとばかりに扉に向かう。椎名はそれを見送るように立ち、背を追った。
「君の猫の姿が見えないが、どうしている?」
なんてことのない猫飼いどうしの世間話だが、今の椎名にはマルの話題は胸を貫かれるようだ。
「セラフィちゃんと共にいます」
「君の猫も攫われたのか」
「いいえ、彼がセラフィちゃんに寄り添うことを選んだので・・・」
椎名の眉間にしわが寄り、眉尻が情けなく下がる。目が潤んでくるのをこらえる視界の端で、扉を開ける執事補佐官のセオドアが椎名を気遣うような目をしているのが見えた。
「そうか。では急がせよう。今日明日中に連絡する」
颯爽と踵を返す背中に、椎名は小さく頭を下げる。執事のダリオがそのあとに続き、セオドアが音もなく扉を閉めた。
そこから足音が遠ざかるのを待って、椎名の口から大きなため息が洩れる。そして両手で頭を抱え、扉に背を預け崩れ落ちるようにずるずると床に座り込んだ。
「よく耐えたな。もう我慢しなくていい」
セイランは椎名の前にしゃがみこんで、顔を覆う手のひらをはがす。椎名の黒い髪に指を差し込んで引き寄せ、あふれて止まらなくなった涙を自らの服に吸わせた。
「あの人は、領主様は、セラフィちゃんと離れても、あんなに毅然としているのに、俺は、マルと離れただけで、こんなにぐずぐずで、こわいのに・・・すごいね、領主様は、ほんとに、ほんとに・・・」
涙を流す椎名にもはや神の気配はなく、レックスもようやく調子を取り戻して隣に座る。
「ほら、上を向いて。泣きたいときは上を向くんだ。涙が空気に触れて冷えたら気持ちも落ち着いてくるよ。そんで落ち着いたらまた次にすることを考えよ」
レックスの指が、セイランの服に埋まる椎名の顎をすいっと掬い上げ、上を向かせる。頬を濡らした涙や鼻水をポケットから出した柔らかな布で拭うと、椎名の目から新しい涙が目尻を伝って耳の方へ流れた。
「ははっ子供か」
レックスが茶化し、セイランも口端をわずかに釣り上げてふっと笑った。
「25はまだ子供だ」
「25はもう立派な大人なんだよなー」
レックスと軽口を叩きながら、セイランが椎名を抱き上げソファに座らせるようにそっと降ろす。
レックスから渡された追加の布で鼻と口を覆いながら、椎名はしばらく二人の温かさと涙の冷たさを感じて目を閉じた。
「ダリオ、あいつはなんだったかな?」
「アルフェンド子爵でしたら、納税管理官を務めております」
50半ばを超えて未だ若々しい歩調のマルセリオに遅れることなく付き従う執事ダリオが息を乱すことなく答える。
「ではセオドア、お前が帳簿を調べてくれ。数字に強いものを2,3人連れて行け。我が家の者のみで、気づかれぬよう、慎重に迅速に頼む」
指示は簡潔でありながらもすべてを包含する力強さがあった。セオドアは一瞬の迷いもなく、丁寧に応じる。
「・・・かしこまりました」
なぜ今日初めて会ったあの青年の頼みを、疑いもせずに受け入れたのか、領主自身が未だ信じられぬことであったが、同時にこれが正しいという確信めいたものもあった。
時折セラフィが見せる輝きに似た気配があの青年に寄り添い、疑うことを忘れさせ、無条件に手を差し伸べてしまう。
「不思議なヤツだ」
馬車の前で待つ従者から外套をかけてもらうと、領主は来た時の不機嫌な様子とは裏腹に嬉しそうな笑みを見せ馬車に乗り込んだ。




