19. ダンジョン研修に水の神殿へ(後)
二階から一階に下りるとそこは外だった。
外なのに空気があるのも不思議な光景だ。やはりバルコニーと同じく、泡のようなものに包まれている。
階段には鏡鉱石で作られた扉がつけられており、閉めると周りの風景を反射して扉が隠されてしまう。観光客が一階にしか来ないというのもこういった隠匿する設備があるからということもあるのだろう。
「礼拝堂はちゃんと正面から入りなさいってこと?」
「そーそー。神様に失礼だからねー」
レックスは腕を頭の後ろに組み、緊張感のない様子で歩く。
「さて、最後の注意点。ダンジョン・遺跡の中では騒がない。魔物が人の声につられて寄ってきたり、襲ってきたりしたらイヤでしょ。こういう神殿型の遺跡とかだと神様の怒りに触れて急に罠が増えたり、追い出されたり、魔物出てきたりとかするしね。わかったー?」
「はーい」
椎名の気の抜けた返事とともに三人は神殿の正面にある数段の石段を上がる。
礼拝堂は三階と同じく奥までずっと仕切りがなく、ただただ壮観なほどに広い。白亜の意匠を凝らした大きな柱がいくつも高く聳え、吹き抜けの上、屋根にまで達している。
吹き抜けを通して上階の淡い光が降り注ぎ、柱の影をおぼろげに床のタイルに映し、白くつややかな床は、蓄光石が含まれるのか淡い光を蓄え反射し、増幅して拡散している。
礼拝堂の最奥にはまた数段の階段があり、その先に祭壇が見えた。淡い光に荘厳さと静謐さがあふれ、祭壇の前は三階から首を伸ばした水竜と氷竜の像がそれを護っているかのようだ。
さらにその手前側は少し薄暗くなっており、祭壇に近づくほどに明るくなっていく造りなのは、悩みの中から神に近づいていく人の心を表現したものなのだろうか。
その薄暗くなっているあたりには、左右に三体ずつ翼をもつ悪魔のような像が向かい合って鎮座しており、間を通る者の真贋を確かめるような厳しい目をしていた。
「おかしいな。あんな像ないはずだけどな」
訝しむような声を上げ、レックスが歩みを止める。
「あれはちょっと気になる。俺の勘が危ないって言っている気がする。観察タイムほしい」
まったくもって不確かな根拠だが、レックスは立ち止まって動く気がない。
「俺も!おかしいことになった!なんかごめん!!」
陽気なレックスが真剣に観察する中、全く別のところで椎名が「そんなつもりなかった」と、悲痛の声を上げる。なんだなんだとセイランとレックスが椎名の慌てきった顔を見やれば、もこっ、もこもこっ、と椎名の胸や腹が妙な動きで盛り上がり、慌てて開いた裾からマルがすたっと飛び降りた。
「えっマル?なんで?どっからきた!?シーナ置いてきたんじゃないの!?」
「ごめん、あとで話す!」
勝手にすたすた歩くマルを追いかけて椎名も礼拝堂に入っていく。
「ちょっと!マルまって!レックスが危ないって言ってるから!」
常であれば待てと言えば「仕方ない待ってやるか」という風情で歩調を緩めたり、振り返って呆れ気味に「トロくさいやつめ」という風に眺めたりしながら待ってくれるマルだが、完全に無視をして椎名を置いていく。
「お前も待て。危ない」
椎名はセイランに腕を掴まれて引っ張られ、後ろから胸の前に手を回しホールドされてしまう。
「なんかマル、光ってるくね?」
マルを見やれば確かに光っていた。正確にはマルの踏んだタイルがひとつひとつ明らかに光を発していて、マルを足元から照らしている。
光の加減だろうか、レックスには六体の悪魔のような像が、目の前をひょいひょいと何事もないように歩くマルに、眉を顰めているように見えた。
「マルは『ここ』に呼ばれたな」
セイランの落ち着いた声が頭上から降る。
「そういういこと?」
「どういうことだよ、わかるように説明して!」
「いいから、追うぞ」
悪魔の像はマルの姿に動く気配を見せない。
マルは時折歩みを止めてみたり、上を見上げたりしながら、悪魔の像の間を悠然と通り抜けた。
「おい、アレの説明はできるか?」
セイランが悪魔の像から目を離さないまま横目でレックスをちらりと見やる。
「もちろん。敵性生物の調査や情報提供もスカウトの仕事!あれはガーゴイル。石像に擬態して獲物が通るのを待って襲うタイプの魔物だ。猫も襲われるはずだけど、人のほうがおいしいから俺らがくるのを待って我慢したのか、さっきのマルの白い光がイヤだったか。どっちかだと思う。前はここにいなかったから住み着いちゃったんだ。冬になる前に駆除しないと観光客が危ないやつ」
「倒していいやつか」
「いいよ!遺跡に関係ない」
よしと小さく呟いてセイランが剣を抜く。
レックスも背中から小剣を抜いた。
「マルのところまで行くぞ。離れすぎるなよ」
三人が礼拝堂の真ん中を進み始めると、最も近くのガーゴイル像から順に奥へ目がかすかに赤く光り、六体が重苦しい岩の音を立ててゆっくりと動き出す。長い爪がガリリと石の台座を削り取るイヤな音が耳に響いて、椎名は思わず後ずさりをする。その背が椎名の真後ろにピッタリくっついていたレックスの胸にあたり、肩に手が添えられる。
「見て、シーナも光ってる。足元」
えっ、と下を向くと椎名の立っているタイルが、マルと同じように淡く光を発している。その横にズシャッとガーゴイルの上半身が飛び込んで、レックスがげっと声を上げる。思わず目をふさぎたくなるような形相だったが、血液と思われるものが緑色なことだけが救いだ。
「それ!それ!!口の中!!!」
反対側から襲い掛かってきたガーゴイルの爪をレックスが小剣で受け止めながら椎名に声をかける。
「口の中!?」
「口の中に、黒い、石があんの!はずして!!それが動力源だから!復活したらヤだから!!!」
椎名の背中にガーゴイルに押されたレックスの背が当たる。途端にガーゴイルの威力が鈍りレックスが両腕に力を込めてガーゴイルの爪をはじき返す。
「全部!?」
「六体分全部!!」
椎名はしゃがみこんでセイランが切り飛ばした一体目のガーゴイルの大きい口を、猫に薬を飲ませる時のように上あごと下あごに両手の指をひっかけてがばりと開く。異臭にうっと眉を顰めるが躊躇っている暇はない。手を突っ込んで喉の奥に張り付く黒く光る石を爪でがりりと剥がし取った。
同時にガーゴイルが砂のようにさらさらと砕けて消える。手にしていた剣は残されたのだが、これは素材なのだろうか、討伐報酬なのだろうか。
こうやってとどめを刺す魔物なのか。ならばすぐにでも次のやつを、と、顔を上げた目の前でセイランの一閃がガーゴイルの頭を半分に切り裂いた。黒い石が露わになっていかにも剥がしやすい。返す一閃で台座に光る赤い目を貫く。
椎名はその倒されたガーゴイル一体一体に近づき、黒い石を確実にはがして回る。
レックスがかかりきりになってた一体が最後に倒れ、その口に椎名が手を突っ込んで石を剥がし、ようやく静寂が戻る。
「これで終わった?」
椎名が疲れ果てたというように膝に手をついて浅く息をする。二人を見ると、セイランは剣につく緑の体液を振り落とし、レックスも腕で汗をぬぐっている。
二人とも露わになっている顔や腕に滴るほどではないにしろ傷が見える。椎名自身もガーゴイルの牙で傷つけたのか、指先にいくつもの細い傷があった。
「怪我させたか?すまない」
セイランのほうが頬に大きく爪の傷があるのに、椎名の指先を気にして小さく眉を下げる。
「たいした怪我じゃないよ。君たちのほうがよっぽど怪我してるじゃん。回復しとこうか」
椎名は両手を広げ、手のひらに集中する。温かく柔らかな光が淡く滲み、椎名の手からあふれ出して傷を包み込む。やがてそれは傷を消したあと、きらきらと粒子になって地面へ消えた。
「・・・ありがと」
レックスが不思議なものをみるように傷口のあった場所を撫で、小さく呟く。
マルはとうに祭壇の上におり、椎名の到着を静かに座って待っていた。吹き抜けから降り注ぐ淡い光を受けて、静謐ささえ纏う姿にしばし息を飲む。
椎名は慌ててマルのもとへ向かおうとするが、その肩を押さえてセイランが引き留めた。そして椎名を背に隠し、レックスに見極めるような厳しい目を向ける。
「ひとつ言っておくが、椎名やマルについて、ここで起こったことを少しでも口外したら殺すからな」
脅しの言葉にしては直球過ぎるワードにセイランの本気を感じてレックスと椎名が揃って慌てる。
「なんで急にそんな怖いこと言うんだよ!?」
「レックスは大丈夫だよ!セイラン!!」
背中をどんどんと叩いて抗議する椎名にレックスも高速で頷き返す。
「その根拠は」
振り返り、椎名のこぶしを手のひらに悠々と包み込んで、セイランが至極真剣に問う。椎名はその真剣な目から視線をそらし、考えるようにえーと、と上を見た。
「マルが懐いているから・・・?」
取ってつけたような理由だったが、口にしてみたらそれ以上に納得できる理由を見つけられそうにない程にしっくりきた。
セイランも同じようで、厳しい目が和らぐ。
「わかった。いいだろう」
レックスがほっと息をつく。
よかったね、とおっとりとした口調で言い歩き出す椎名の足元のタイルが淡く主張するのをレックスは綺麗だなと眺めた。
祭壇の上のマルがちっとも来ない三人にくわぁと欠伸をして丸くなった。
「マル、おまたせ」
祭壇の上のマルに手を差し出すと、マルがぐいーっと伸びをしてその小さな前足を椎名の手に重ねた。その瞬間、マルが纏う淡い光がふわりと広がり、椎名までも優しく包みこむ。
やがて静かな水音があたりに満ち、透き通るような声が降り注いだ。
『マル、よく来ました』
心に直接響く穏やかな声は水音にかき消されることはない。
セイランが剣を外し両膝をついて跪き、レックスが呆然としている様子を見るに二人にも声は届いているらしい。
眼前の祭壇に青白い後光に包まれた人型の何かが姿を現す。光が青っぽいのがかろうじて水の神様らしさを醸し出していた。
『私は水を司る神。マル、会いたかったわ。我らのいとし子よ』
手を差し伸べてきているらしい神にマルを持ち上げて、渡してあげると後光が鮮やかに青に染まる。この神も『概念の存在』になっているのか。ごろごろと懐き人影に顔をすり寄せるマルは一切気にしていないようだが、椎名としてはやはり目をそらしたくなる程度には眩しい。
そもそも三階のレリーフに姿が描かれているのに『概念の存在』になってしまうのはどういうことなのだろう。
『そなた、椎名と言いましたね』
「はい」
『マルを連れてきてくれたこと、感謝します。主神が人の子をいとし子としなくなってから数百年経ちますが、やはり人の子はいいものです。こうして私たちを訪ねてきてきてくれるのだから』
満足げに頷いている様子だが、もうそろそろ耐え難い。
「あの、お話ししてくださってるのに申し訳ないんですが、あなたの姿が眩しすぎて直視できないので、なんとかしてもいいですか?」
しばしの沈黙。それから興が覚めたというような冷たい言葉で『よい』とだけ発する。
椎名は小さく頷き、手を合わせる。一見何をしているのか分かりづらいという理由で森の隠れ里にいたころにつけた癖だ。
軽く目を伏せると、まぶしい後光はすっと鳴りを潜め、実体化する体に集約されていく。
青く美しいドレスの裾は長く、トレーンが水の流れを現しているようだ。慈しみ深く美しい顔も、長く緩く流れる髪も、全て壁画の通りに現われる。
「(よかった。ちゃんとできた)」
事前に壁画を見ていたのが功を奏したのだろう。また椎名の顔に部屋着なんて姿になってしまうのは避けたかった。
姿は大きく変わっているのに水の女神は特に何の反応も示さない。神というものはみんなこんなにも自身の姿に興味がないものなのだろうか。ともあれ、神様が眩しくなくなれば、マルも明るいときにする細い猫の目ではなく、好きなものを見る時の丸い目で見ることができるし、新しいかわいさも見れて神様としてもいいだろう。
現れた女神の顔を興味深げに前足でぺたぺたと触るマルに椎名はひとり満足げに頷く。
『そなたの水の力を少し強めておきます。ここまでマルの代理をよく努めてきたようですね。これからも力を尽くして努めるといいでしょう』
分かりました、と告げると白く美しい手がマルを祭壇の上にそっと降ろす。
あ、それからひとつ、と、ふと思い出したように、今にも消えそうな水の女神に椎名が言葉を繋げる。
「ここ、冬と違ってこの時期はあまり人が来ないんですね。寂しいかもですが、寂しくなったら『神々の庭』に行ったらいいと思います。マルみたいないとし子の猫がよくいるようですし、きっと楽しいですよ」
・・・・・・
返事がないまま女神の姿は揺らめいた光になって消えた。
礼拝堂は再び荘厳さと静謐さを取り戻す。
「今の、なに・・・?」
レックスが呆然と祭壇を眺め、動けずにいる。立ち上がったセイランがその肩に手を置き、顔を寄せる。
「口外したら、分かってるな?」
青ざめた顔をさらに青ざめさせて、セイランの顔を見る。
「その前に説明を、ちょーだい?」
涙目のレックスの背をさすりながら、椎名がセイランを叱るように強い目線で窘める。
マルがまたしばらくかかりそうな様子に再びくわぁと大きな欠伸をして、祭壇の上に丸くなった。
巻き込まれてかわいそうなレックスです。
神を敬うセイランは椎名を守りたい。
神をあまり信じてない椎名は神を自分とさして変わらない存在くらいの対応をしています。迷惑かけられて困ってもいるので、信仰心のある人から見たら不敬に見えると思います。




