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1. 森のエルフの隠れ里

 次に気づいた時、椎名しいなとマルは深い森の中に居た。どちらの方向を見ても大きな木の幹に囲まれて、椎名自身もいかにも絵本で動物たちがダイニングテーブルにしていそうな大きな切り株の上に座っていた。

 おそらく神によって送り届けられた先がこの切り株の上だったのだろう。


 上を見上げれば生い茂る緑によって空は遥か彼方遠い隙間に見え隠れし、風がそよぐたびに木々が絶えず揺れて葉擦れの音を奏でている。

 音が途切れる間などないのに静謐せいひつな空気を感じるのはなぜなのだろうか。ひどく不思議な感覚だった。


 腕に抱えていたマルを地面の上に降ろしてやると、マルは物珍しそうにフンフンとにおいを嗅ぎながら慎重に周囲の確認を始めた。

 近いところから、少しずつ離れたところへ。

そうして少しずつ行動範囲を広げていくマルの足元の緑が他より少し鮮やかに見える。これが魔力が大地に還るということなのだろうか。

 ただ歩くだけならば屋内に引き篭ったりしない限り、本当に生きているだけでできそうだ。


 さて、ここからどうしたものだろうか。

神の言う『魔法に詳しい人』には自分から会いにいくべきだろうか。とはいえ、右も左も、なんなら上も下も初めましての世界で、どちらへ向かうかも分からない。で、あれば、留まっているほうがいいのだろうか。


 マルと一定の距離以上離れないように気にしながら、椎名は現状の確認とばかりにぐるりと周囲を観察した。

 どこかから不自然な音が混じってる気がする。ぽよんぽよんというゴムボールが跳ねてるかのような音。

椎名はマルから目を離さないようにしつつ音の源を探る。

と、同時にマルの耳がピクリと動き、尻尾がピンと立った。


「(あ・・・ヤバ)」


 マルに先に見つけられたくはなかった。できれば遠くから眺めるだけに留めておきたかった・・・。

 草むらでぽよんぽよんと音をたてながら跳ねる何か。色は青くて、サイズはマルの半分くらいだろうか。だいたいああいったものはどのゲームでも全般的に『スライム』と言うやつだ。

あんなあからさまに猫を煽る動きはやめて欲しい。


 マルが腰を落とし、尻をふりふりし始める。狩りの姿勢だ。

小さく開けた口から「カカカ・・・」と声が漏れるのは幼猫の頃からの癖で、大人猫になっても治らない癖がかわいくもあるのだが、こちらも今はやめて欲しい。


「マルっ、ダメっ!やめなさい!」


 椎名は今、まさに飛びかかろうとするマルの背中を咄嗟に抱えあげる。

マルが「に゛ゃ!」と抗議の声をあげた。

 その声に反応したのか、スライムがぷるるんと震えた。


「(あっ・・・、バレ・・・・・・た・・・?)」


 冷たい汗が流れる。

だが、その瞬間、背後からひゅっと鋭い風が流れた。

椎名の髪が一房風に乗って乱れる。

刹那、そのスライムと思われるものに矢が突き立ち、反動で遠くに飛ばされたかと思うと煙になって消えた。


 椎名が振り返ると、そこには霧のような何かがあった。よく見ればちゃんと人がいるのが見えるが、霧でぼんやりと霞んでいる。


「・・・あ、あの?ありがとう・・・?」


 霧のどこを見れば良いのかわからなかったが、椎名は礼を口にした。

もしやこれも『概念の存在』というやつだろうか。


「迎えにきた」


 無愛想な言葉だが、この霧に包まれた人が神の言う魔法に詳しい人だろうか。


「俺は椎名といいます。こちらは猫のマル。あの、あなたは・・・?」

「セイラン。エルフの戦士だ」


 エルフ。

エルフなら椎名も知っている。RPGゲームでよくみる種族だ。

 髪の色はたいてい金か銀で、飛び抜けた美貌を持ち、耳と手足が長く、鍛えられた細身の長身で、卓越した剣と弓、そして魔法の使い手だ。


「(そういえばゲームでキャラメイクしたことあったなあ)」


 いくつかの操作キャラクターを懐かしく思い出してゆくと、セイランの霧は次第に薄れていく。

 厳しい表情をしているが端麗たんれいな顔立ちに、肩に届くほどの金の髪からは長い耳がひょこっと飛び出している。

 腰には剣、肩には弓を提げていて、細身ながらも剣も弓も見劣りしない体躯の美丈夫だ。


「セイランさん。しばらくの間よろしくおねがいします」

「・・・ついてこい」


 低く短い言葉は無愛想な表情とは裏腹に落ち着いていて聞き取りやすい。

 椎名はマルを抱き直して、先ほどまでの心許なさが払拭ふっしょくされた安堵感からふふと笑みをこぼすと整った背を追いかけた。





 エルフの一族は太古の昔から人の訪れぬ深い深い森の奥の空間の狭間に里を築き住んでおり、世界の歴史を書に残し管理する役目を担っているのだそう。

まさに永遠を生きると言われるエルフだからこそ為すことのできる役割だ。

 また、その書や知識を管理するのは女性の役割になっているといい、女性の方が魔法や魔力の扱いに長けているのだとか。


「女は知を護り、男は森を護る」


 隠れ里への道すがら、セイランはエルフについて淡々と教えてくれた。

椎名はそこで女性たちに魔法を教えてもらうことになるのだろう。


「隣にいる間は俺がお前を護ろう。だがな、魔法をしくじってついた傷は知らないぞ」


 冗談めいた言い回しに思わず笑みが漏れた。

彼は変わらず無愛想な表情だが、唇の端だけ僅かに持ち上げる。

 美麗な顔にほんの少しの表情が宿るだけでこんなに映えるとは、なんとも羨ましい。


 やがてセイランは一本の巨木の前でその幹に手を添え、慣れたようにそのうろにもぐりこんだ。








 うろの内部に入り、意匠の凝らされた扉が静かに開かれた瞬間、椎名は息を呑んだ。

 天井が見えないほどに高く、内壁は巨木の内部だと思わせるしなやかな曲線をえがいていた。壁一面には本がびっしりと並び、巨木にその身を任せ守られているかのようだ。

 高窓から差し込む光が棚を優しく撫で、空中に漂う塵を金色に染めていた。

すべてが古めかしく、静かで、そして美しかった。


 奥へと促されて数歩もしないうちに椎名はふわりと囲まれてしまった。

 棚の影から、階段の上から、資料の積まれたテーブルから、どこからともなく現れたエルフの女性たちが興味深くこちらを見つめている。

 みんな、金や銀の長い髪とすらりとした長身で、どこか儚げな雰囲気を漂わせている。だが、その宝石色の目はまるで子供のようにきらきらと輝いていた。


「人だわ」

「人って本当に耳が丸いのね!

「猫!猫もいるわ!かわいい!」

「この子話せるかしら?」

「髪、黒いのね。人の髪ってそういうものなの?」

「目も茶色よ。すごく柔らかい色ね」


 取り囲まれ、口々に発せられる質問に圧倒される。

けれど、腕の中のマルはくわぁと大きな欠伸をして、いかにも世界で1番可愛いのは自分、愛でられて当たり前!と言う顔で、戯れに伸ばされる彼女たちの手を受け入れていた。


 美人ばかりで少し照れ臭くはあったものの、椎名もマルを見習って彼女たちの質問にできるだけ丁寧に答える。


 知りたいということに貪欲な女性たちに圧倒されていたセイランが気を取り直したのか、ため息が頭上から落ちてきた。


「悪いな」


 椎名は小さく笑って「だいじょうぶ」とだけ伝える。


「長老のところに連れていく。後にしろ」


 セイランの手が後ろから伸び、邪魔者を追い払うように椎名の目の前でひらひらと揺れた。


「んもぅ、セイランばっかりずるいわ」

「終わったら私たちにも紹介してちょうだいね」

「猫は置いてっても良いわよね!」


 優美な手がするりと椎名の腕をなぞり、マルを抱きとって連れていく。

マルも嫌がってる様子もないし任せてしまっていいだろう。

 人に甘えるのが上手なマルのことだから、きっといっぱい可愛がってもらえるに違いない。そんな様子が目に映るようで、椎名はそっと頬を緩ませた。





 本で埋め尽くされているホールからひとつ扉をくぐり、ずっとずっと奥へと案内された所にエルフの長老の部屋はあった。部屋の一部はガラス張りのガーデンテラスのようになっており、長老の姿は所狭しと飾られている植物の一部のように溶け込んでいた。


「おい、連れてきたぞ」


 セイランのぶっきらぼうな言葉に植物たちがさわさわと揺れる。


「ありがとう、セイラン」


 暖かな声が植物の合間からかけられ、さわめいた空気がまた常を取り戻すように落ち着いた。


森の隠れ里(フォレストムーン)にようこそ。

私は長老のリュシア。

神のいとし子よ。古来よりの慣習にのっとり魔法をあなたにお伝えいたします」


 銀色の豊かな髪を肩に流し、白木の椅子にもたれたリュシアは乙女のように微笑をたたえる。

年の頃は先ほどの女性たちと変わらないように見えるが、手や耳の先などが緑色をしていた。


「はじめまして、椎名といいます。

一緒にお伺いしてる猫はマルといいます。

おそらく神のいとし子はマルの方だと思いますが、しばらくご教授よろしくお願いします」


 美しさにずっと見ていたくなる気持ちを抑え、少し緊張しながらも椎名は礼を欠かさないよう気をつけて挨拶を返した。


「まずは長老としてあなたにお礼を申し上げます」


 リュシアが椎名の方にまっすぐに向き直り、手を自身の脚の上に揃える。

背後にいたはずのセイランが音もなく長老の後ろに控え、しっかりとこちらに顔を見せていた。


「俺、まだ何もしてないですよ」

「いいえ。あなたはこのセイランの実体を取り戻してくれました。

『概念の存在』になっていたこの子にとっては望外の喜びです。心より感謝申し上げます」


 セイランがリュシアの背後で声もなく静かに頭を下げた。

凛と整った顔に感情の色はない。だが不思議と深い感謝を感じて、椎名はゆるりと微笑んだ。


「お役に立てたことは幸いです。

ですが、そもそも『概念の存在』とはどういうものですか?」


 それは椎名がこちらの世界に来てから最も意味のわからない現象だ。

 そもそもまだそれ以外の何も見ていないので他にも意味のわからないことはあるだろうが、これからもきっとこれ以上に意味のわからないものは存在しないだろうとさえ思えるほどに意味がわからない。

 いつも通り存在したはずなのに、ある日突然消えちゃうとか怖すぎる。

ある日突然、現代日本から姿を消した椎名だが、自分のことは全部棚に上げてリュシアに問いかける。


「世界にはたくさんの種族がおります。自然を慈しみ、歴史を刻み、生を育み、他者を愛し、共生して生きてゆくものです。

しかし人は短い寿命で何度も何度も代を重ねていくほんの束の間に、圧倒的に増え、その分圧倒的に忘れていくのです。

 里のみながおれば存在まで消えてしまうことはありませんが、圧倒的な人口差によって、姿の消失を防ぐことができておりません」


 リュシアの寂しげな微笑が、このどうにもできない現象に対するエルフ族の寂寥感を伝えてくるようだ。


「エルフの女たちは、人の子供たちが読む絵本や童話に記載があり広く読まれているため、まだ消えずにおりますが、エルフの男たちはもはや人には認識されておらず、姿を失ってしまうのです」


 言われてみれば、森の隠れ里(フォレストムーン)に着いてたくさんの女性を見たが、男性はセイラン以外には1人も居なかった。


 その事実に驚いてぱっと周囲を見回してみる。


「(誰も、いない・・・?)」


 いや、居ないように見えて扉の前に1人、霧状の人物が見える。

じっと見つめてみるが、なんとなく人型ひとがたが見えるだけでどんな人物かまでは把握できない。


「気づきましたか?そちらにはソーンという者が控えております。私の護衛でありつがいです。

お恥ずかしい話ですが私共も長く霧の姿を見ていると記憶からも元の姿が徐々に消え、もはやソーンの姿を思い出せない始末。

私が覚えているのは、昼の月のような青年だったということだけです」


 リュシアの目がゆっくりと伏せられて、また開く。


「・・・もし許されるのならば、彼にも温情をいただけますか?」


 声は、風に消えそうなほどかすかでーーけれど、切実だった。


「もちろんです」


 昼の月というのなら、きっとそっと見守る優しい人なのだろう。椎名は空の高いところにある静かな月を思い浮かべた。


 ソーンの霧がするすると晴れ、エルフらしい長身に、白銀の爽やかな短髪、青空のような目が美しい、優しげな目元の姿があらわになった。


「あ、あぁ・・・ソーン・・・」


 リュシアの声が揺れる。


「・・・・・・この時がもう一度訪れるとは思いませんでした。深く、深く感謝いたします」


 緑色の指先で口元をおさえ、伏せられた睫毛がかすかに震えている。

ソーン自身も不思議なものを見るように緑色の両手を光に透かして眺めている。感情が顔に出ないのはエルフの特徴だが、それでもソーンの顔はどことなく嬉しそうに見えた。


 椎名からしたら想像するだけだから大した労力ではない。それなのにここまで喜んでもらえると逆に申し訳なさを感じてしまう。


「俺1人が想像するだけで、なんで体が戻るんでしょうか」


 もう少し複雑な手順があればこの過大な感謝も受け取りやすいのに。


「わかりません。ですがおそらく神の魔力の賜物でしょう。

神のお力であれば解決できることではあるものの、なにぶん消えゆく種が多く、対応しきれていないのでしょう」

「それだけじゃないと思うが」


 セイランの神への不敬な発言にリュシアが眉をしかめソーンが子供をいさめるようにペシリと頭をはたいた。


「なるほど。よく分かりました!」


 椎名がいいことを思いついたとばかりに嬉々として声を上げる。


「こちらでお世話になっている間、俺にできる限り対応しようと思います。

生活費とか、魔法の授業料とか、お世話していただく対価として!」


 その方が俺も居やすいし!と、目を輝かせ胸を張る様子にセイランが少しだけ目を見張り、誰にも気づかれないほどそっと笑んだ。


「神があなたを遣わしてくださったことに感謝いたします」


 たおやかなリュシアの喜びの声音を椎名は受諾されたと受け止め、胸の奥にじんわり広がるあたたかさを、そっと笑みに変えた。

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