18. ダンジョン研修に水の神殿へ(前)
湖面にボートが揺れ、湖上を吹き抜ける風が冷たく頬を撫でる。
王都ニウェルの王城の北側に隣接するニウェルの湖には水中神殿がある。暖かい季節には湖上からボートで眺めるツアーなどもあるほどに水に沈む神殿は美しい。
レックスがダンジョン研修にぜひとも、と選んだのがこの古代神殿だった。古の時代から存在する上に湖底にあるというのに朽ちた様子もないのは神の御業だろうか。
冬は湖が凍り付き、巡礼のための階段がつくられるのだがその様子もまた美しいのだという。
「ここ、潜れるの?息もつかなあ」
椎名が不安そうにボートから身を乗り出して覗き込む。その腰ベルトをセイランがさりげなく掴んでいる。
「神殿の中にはなんでか空気があるから、最上階ならギリいける」
マルは事前に『神々の庭』に行ってもらった。この世界に来てからというもの、マルとずっと一緒いることに慣れすぎて、椎名はマルが『神々の庭』に行き来できることをすっかり忘れていた。前々回のイリーナの依頼の時に悩んでいたマルの預け先については全く悩む必要のなかった問題だった、と、あとから気づかされた。そのため今日はスリングも着けてきておらず、いつも肩にかかる3キロの重さもないのが少し寂しい。
「ほら、ちゃちゃっと行こう」
「ボートは置いていくのか?」
「そうだよ。湖だし海と違って流されないからね。けど、一応神殿とロープで繋ぐよ。ガイドロープ。必要でしょ。でも、日があるうちに戻ってこないと場所が分からなくなって危ないけどね。だから、ほら、早く行こう?」
躊躇う椎名の背をレックスがぽんぽんと叩く。泳げないわけではないが、高校を卒業してから6年ほど泳いでいない。遊び程度であれば気にしないが、こんな本気の水泳は自信がない。
「めちゃくちゃ不安。できる気がしない」
できれば何か安心できる何かはないだろうか、と、すがる思いで椎名は魔導書を開いてみる。
「水の魔法に何かあるだろう。ウォーターブレスかウォーターシェルか」
セイランの助言通り水の魔法のところをぺらぺらとめくってみれば確かに小さく記載がある。攻撃魔法と回復魔法にばかり気を取られていて練習したこともなかったが、こういう便利な魔法のほうをもっと練習した方が良かったのでは、と、いまさらながらに思う。
「ウォーターブレスは水の中で息ができる。ウォーターシェルはウォータブレスの効果に加え、水の中で防護壁に包まれて濡れない。どっちがいいだろう」
「俺は濡れない方がいーな!紙とか地図とか濡れるから水嫌い!」
じゃあなぜここを選んだのかと思わなくもなかったが、レックスの希望を採用することにする。ウォーターシェルの方が効果はウォーターブレスの上位互換であったが、使用時の魔力消費量が多く、効果時間は短かった。だが、神から膨大な魔力を譲り受けている椎名ならばそこまで問題にならないだろう。
上手くイメージできない魔法は森の隠れ里で習った通り術式で展開する。魔導書を指でなぞり、記載されている術式と同じものをに脳内に構築する。椎名の魔導書から発する淡い光が三人を包み、するすると体に吸い込まれるように消えた。
「えっこれでできた?」
「たぶん」
「じゃあ、俺ひとまず行ってロープ繋いでくるね。君たちは合図したらロープ伝ってきて」
言うが早いがボートのフックにロープを括り、レックスがざぶりと水の中に飛び込む。頭まで一度水に潜って顔を出し、その髪をかきあげるが、ほんの少しも濡れていない。
レックスは人生で初めての魔法に「おおっ」と手のひらを眺め感動しているが、椎名はその肩をつついて早くと急かした。
「効果時間が切れちゃうから急いで。お願い」
「あ、そうなんだ。じゃあ向こうから合図するから」
わかったと頷けば、途端にレックスはロープの端をもって潜っていく。透明度の高い湖水は遮ることなくレックスの泳ぐ様子を見ることができた。綺麗な泳ぎ姿に感嘆のため息がでる。こちらの世界の人は軒並みハイスペックではないだろうか。やがて親指ほどのサイズになったレックスが大きく手を振っているのが見えた。
「ロープに手は添えるだけで。つらくなったら引っ張って連れてくから言え」
ざぶんと飛び込んだ水の中で、セイランが椎名の手をロープへ誘導し、その背を押す。それから椎名の後ろを慎重にゆっくり泳いだ。
白い石造りの壁から差し出されるように突出したバルコニーは、腰高の手すりに囲まれ、ところどころ装飾の欠けた柱が長い年月を感じさせる。泳ぎ着いてちょっと休憩させてと座り込んだバルコニーの床も三人の体重を乗せても揺るがなく安心感を覚える。
オープンバルコニーなので頭上を覆うものは何もないのだが、なぜか泡に包まれたようにバルコニーの部分だけが丸く空気に包まれていた。
「なんか不思議だね。空が水だ」
「森の外には想像もつかない世界もあるんだな」
表情のあまり変わらないセイランでさえ、つぷりと泡の外へ手を出しては不思議なものを見るように水を眺めている。
「ははは。そーだろそーだろ!ここが一番驚くと思ったんだよな。ま、冬以外に来るヤツめったにいないんだけど」
レックスによるとここは水と氷の神殿と呼ばれる古代遺跡で、古来よりシルヴァラン王国が信仰する水と氷の女神が祀られているのだそう。
冬になると湖の中でも神殿の前だけは底まですべて凍り付き、毎年神殿の入り口に続く巡礼用の階段を掘るため、参拝ができるようになるのだとか。氷に包まれた神殿の礼拝堂の部分は非常に美しく、ニウェルの冬の観光名所でもあるのだそう。
もっとも古代遺跡ではあるので、当然魔物がいることも想定されていて、奥まで入る者は冒険者か国の研究者か、かなりの酔狂者のみだ。
「歩きながらダンジョンの基本的な歩き方を伝えるよ。行こう」
休憩を終えた三人は連れ立ってバルコニーから神殿の最上階、三階部分に入る。
何の仕切りもなくただただ長く広い空間に、わずかに鉱石を含んだような冷たい匂いが漂っていた。
壁は石材でおおわれておらず、柱だけで屋根を支えており、屋根も透かし模様で、外の水が明るく柔らかな光を神殿中に満たす。
「まず大前提として、遺跡やダンジョンってのは古代文明の遺物なんだ。で、これは国の研究対象なわけ。要は国の持ち物ってこと。だから壊したらダメだよ。命の危険が差し迫ってるとかってんなら目をつぶってもらえることもあるけど、基本的には壊したらダメ。その代わり、新しい発見や発掘されたものは国が買い取ってくれるから、見つけたら一攫千金も夢じゃないけどな」
フロアの中央はぽっかりと穴が開いていて、一階まで見渡せる大きな吹き抜けになっていた。一階の床は艶めいて、各階層から入る柔らかい光を受け止め淡く輝く。
吹き抜け部分には落下防止用だろうか、バルコニーに合ったものと同じ意匠の腰高の柱が並び、手すりがついていて、その上に艶やかな鱗をきらめかせる巨大な海蛇のような像が三階から身を乗り出し一階に垂れ下がっている。
「これは?」
「あの石板に書いてあるよ。読めないけどな」
椎名がその像を指差せば、レックスが最奥の壁を指し示す。
「ダンジョンの注意点その1な。ダンジョン・遺跡のものはむやみやたらに触らない。シーナ、セーフだったな。どこに罠があるかわからないから、命が惜しければ触る前に罠チェックな。まぁ、そういうの見つけるのは俺の仕事」
とはいえこの神殿はすでに隅々まで調べつくされているのでさほど危険はない。だからこそ観光名所化しているし、Fランクの研修として使用されていたりもする。
「反対側には対になる竜があるぞ」
吹き抜けの対岸に同じような海蛇が同じような姿で横たわっている。レックスの言葉で言うなら海蛇ではなく『竜』か。こちらはごつごつとした形をしており、淡い光を乱反射している。
「こんなに光源が少ない場所なのに、どっちもきらきらしてきれいだね」
竜の像の偉大な姿に目を奪われつつも、レックスの誘導に従って奥の壁へ歩を進める。
「ダンジョンの注意点その2。ダンジョン・遺跡のなかは慎重に歩く。むやみやたらに走らない。な。必要がなければ走ったらダメだ。理由はさっきと同じ。走ってたらいつの間にか床がなかった、とかイヤだろ」
奥の壁には一面に巨大なレリーフが施されていた。枠には細かく文字が彫ってあり、それが彫刻をぐるりと囲んでいる。
「えーと、・・・水の女神、水の竜を従え、目覚めと豊穣を司る。氷の女神、氷の竜を従え、眠りと再生を司る。二柱にして一柱、一柱にして二柱。水は氷にして、氷は水にあり。分かたれど結ばれ、結ばれど分かたれたり」
椎名が端から横歩きで歩きながら順に読み上げる。
「読めんの?すげえな。メモって報告したら報酬出っかな?」
「ただの古代語だ。国の研究者も見に来てるなら読めてると思うが」
慎重に歩けと言われたそばから石板に目を奪われたままふらふら歩く椎名を横でサポートしながら、セイランがレックスに告げる。ちなみに古代語はエルフが普段から使用している言語でもあるのでセイランも読めている。
「なるほど。ここは水と氷の女神の神殿なんだね。さっきの竜の像は従僕・・・?ってなんだ?召使い?かな?」
レリーフの彫刻部分は中央に背合わせに立つ女神が二柱と側に控える竜たちが描かれている。
慈愛に満ちた美しい顔の水の女神が見やる方には水瓶から水が川のように流れ、豊かな稲穂や果実が描かれ、きりっとした強さを見せる美しい顔の氷の女神が見ている方には雪に覆われた大地と、その下に眠る輝かしい種や蕾が描かれていた。
「二人合わせて農耕や豊かさの神様なんだね」
そうなのだとしたら、氷の時期は観光で人がよく来ると言っていたが、水の女神様はさぞかし寂しいだろうな。
「(そうなのよ!)」
頭の中に突然声が降ってくる。
驚いてきょろきょろと見まわすが何の姿も見えない。なにかイヤな予感がする。
椎名は思わずセイランの服を引き、振り返るセイランに慌てて謝りレックスの誘導にしたがって二階に下りる。
二階は三階と違い、細かく仕切りで区切られており、それぞれ個々の生活空間があった。吹き抜けに近い所は通路のようにまっすぐとスペースが開いていて、壁側はそれぞれ意匠の違う個室がいくつも並んでいる。通路側には壁がなく、個室はカーテンのようなもので遮られていたのだろうか。その様子はまるでショッピングモールの造りとよく似ている。
「この階は生活区画なんだよ。たぶん。この階には宝箱みたいなのが少しあったような話を聞いたことがある」
「この階は何もないの?」
「何もないけど、ちょっとした罠はある」
例えば、とレックスが一つの部屋で寝台の布団らしきものをめくると、中に蔓状の魔物がいた。寝台に上がらないと何もしてこないらしく、ただそこに居るだけだ。
「これ、何する魔物なの」
「ここで横になると絡みついてきて、睡眠効果のある匂いを出すんだ」
「それただの快眠グッズじゃん」
ふっとセイランが小さく笑う。表情のあまり変わらないセイランだから、笑うと少しうれしい。
あとは椅子に座ると床がすこんと抜けて一階の礼拝堂部分に落とされたり、とか、引き出しを開けると矢が飛び出す、など、割とありがちな小さな罠だった。
なるほど生活区画だというのがよくわかる。あてがわれた個人が個人なりに考えたものであって、神殿の宝物のために、というものではなさそうだ。
人の生活を覗き見るような、誰かの暮らしを切り取った模型を順々に眺めていくように、ひとつひとつ楽しく見ながら三人は特に何の問題もなく二階を通り過ぎた。
二階は神殿にお勤めの方の個室です。
蔓の魔物による快眠システム、
床が抜けて最速出勤が可能なダイレクト出勤システム、
他者に開けられることのないロッカーの盗難防止システム付き
にもかかわらず、壁もドアもないプライバシーだだもれの設備です。
水の神殿、あと一回続きます。




