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神のいとし子(代理)と申します。  作者: かもしか


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16. イリーナの依頼

 アフタヌーンティーの時間を終えたころ、椎名とセイランは分水路をさかのぼりながら上級街区へ向かった。マルは既にあまり動く気がないようで、スリングの中でおとなしくゴロゴロとしている。

 分水路は下流になれば雑草が生えたりはしているが基本的には綺麗で上流に行くほど、より整っていく。ごみなども一切見当たらないのは、生活用水として街の人たちに大切にされているのがわかるし、きちんと管理されているのだろう。日本でよく見るようなコンクリートで固められた平らなものとは違うが、丸石が壁も川底もしっかりと敷き詰められている。中に入ってふざけたり遊んだりする子供もいない。水路に下りたらすごく怒られそうだというのが容易に想像できる。


「(やるならバレないようにやろう)」


 椎名は心の中でそっと決めた。






 オレンジの光が金糸のカーテンに刺さり、ほの赤く室内を染めるころ、椎名とセイランは前回と同じ部屋に招かれていた。またしても椎名はソファを勧められ、セイランがその背後で後ろ手を組んで立つ。

 今回は室内には大奥様のマティルダのみでイリーナ嬢の姿は見えない。


「何度もお呼び立てしてごめんなさい?」


 小首をかしげ、扇で口元を隠した大奥様が言葉の意味とは裏腹に悪びれた様子もなく曲線に包まれた豪奢な椅子から椎名を見下ろす。


「先日、ご一緒させていただきました当家の孫娘、イリーナが大切なブローチを分水路に落としてしまったものですから、そちらを探して拾っていただきたく思います。

 今回、わたくしは名代に過ぎません。詳細は当人たちに説明させますので、しばしお待ちくださいね」


 当人『たち』とは?と思ったものの、大奥様がわずかな衣擦れの音とともに手を上げると侍女がすっと下がり、次に扉から二人の少女が入ってくる。

 一人は前回会ったイリーナ嬢だ。10歳という年の割にはかなり大人びていて背筋がピンと伸び、楚々としていながらも芯の強いたくましい少女だ。

 もう一人はイリーナによく似ているが、装いがイリーナと比べるとだいぶ派手で、いかにも椎名に見られるのが不快というように眉をしかめている。


「ご紹介いたしますわ。こちら、孫娘です。姉のイリーナと妹のリリアナ。双子ですの。イリーナは先日ご一緒させていただきましたね」


 大奥様の紹介とともにイリーナが軽くひざを折って丁寧な挨拶をしてくれる。だが、リリアナのほうは汚いものを見るような仕草で椎名を横目で見やり、そのあとセイランを上から下までじっくりと観察するように見ていた。

 イリーナは少し緊張しているようで顔が強張っているのがわかる。先日案内してもらったときはそうではなかったし、大奥様と二人でいるときもそうではなかった。と、なると彼女を緊張させてる主な原因は妹のリリアナだろうか。


「こんばんは、シーナ様。無理な依頼を受けてくださってありがとうございます」


 緊張しながらもこちらを尊重してくれるような話し方が今日も変わらずかわいらしい。このかわいらしい人を悲しませるのは本意ではないが、先に訂正を入れる必要があった。


「すみません、まだ受けてはいないんです。お話を聞いてからできるかどうか判断したくて」


 椎名の返答にリリアナがイリーナを横目で見やり嘲るような笑みをこぼす。


「それは失礼しました。では、説明をしますね。ご質問ありましたら話の途中でも大丈夫ですのでいつでもどうぞ」


 リリアナの視線を意に介することなく、イリーナは説明を始める。

リリアナとの喧嘩でもみ合って落としてしまったこと、もめた場所から想定される落としたと思われる場所、ブローチの色や形状、特徴など、説明に言い訳じみた言葉が混じるのはまだ10歳という年齢であるため仕方のない部分はあるが、おおむね過不足なく、理路整然としていてわかりやすい。


「分水路についてのルールがあったらこちらも教えていただきたいです」


 椎名の求めに応じてイリーナは快く追加の情報を提供してくれる。

 対してリリアナは終始扇を口に当て、値踏みするような目でセイランを見ていて、椎名はセイランにくっついているゴミ程度の視線を投げられており非常に居心地が悪い。

 ここまでの扱いの差があるとさすがに「セイランはイケメンだからね」などと笑っていられないくらいには不愉快だ。


 来客をこんな風に見ることを大奥様は何とも思わないのだろうか、と訝しむが、こちらも何かを見定めているのだろうか、扇を口に当てじっと黙している。目が笑っていないが唇は弧を描いているのが一応の体裁を保っていて、貴族という存在を知らない椎名でも貴族らしいなと思った。


 この段階でかなり受けたくない気持ちでいっぱいだったが、それではあまりにイリーナがかわいそうだ。なにせ落としたのは『イリーナの大切なブローチ』なのだから。


「ひとつお願いなのですが、猫は水を嫌います。マルを分水路に連れていけないので、依頼の最中にマルを預かっていただくことはできますか?」


 刹那、リリアナの顔が今までにないくらいに歪む。いかにも不愉快という風に扇をばさりと広げ、まるでバリアのように口の前を覆った。


「平民のくせにお姉さまにお願いですって?ばかばかしくて聞いていられませんわ」


 声はイリーナによく似ているが、その声が孕む雰囲気は正反対だ。


「そもそも、平民如きと同じ部屋にいるのも不愉快ですのに、身の程知らずにもほどがありますわ」


 リリアナの声が部屋に響く。イリーナだけがわずかに眉をしかめるが、部屋に控える侍女や侍従は動じることなく無言だ。だとすればこのリリアナの反応はごく日常のことなのだろう。


「それに猫ですって?猫だったらわたくしが頂いてもいいわよ。それと、そこのあなた」


 扇をぱちりと閉じ、その先端でセイランの顔を指す。

 人を指差すのは失礼だ。と椎名は子供のころに親から躾けられたが、扇だったらいいのだろうか、と全くあさってな方向の疑問をいだいた。


「あなたは平民にしておくのは惜しいわ。わたくしの側仕そばづかえをなさい。そうすればあなたも立身できましょうし、わたくしもあなたほどの美しい人を連れ歩けば、お友達にも自慢できるし、我が家の格もあがるでしょう?」


 リリアナの言葉のあと、しばしの静寂。10歳なのに圧倒的な傲慢さに舌を巻く。リリアナは「すべて解決した」とでもいうように満足げな顔でわずかに顎を高く上げた。


 椎名は深く息をつき、言葉を探す。人に興味のないセイランのことだからおそらく表情すらも変えてはいないことは容易に想像ができる。だが、彼女の不穏な文言に丁寧に返せる言葉など椎名は持ち合わせていなかった。


「・・・猫を、どうするの?」


 リリアナは扇を再度開いて、まるで椎名が汚らわしいものであるかのように顔の下半分を覆う。


「決まっていますわ。足を切るのです」

「なんのために?」


 椎名の声がすぅと冷気を帯びる。


「猫の足を身に着けると幸運になると、貴族の子供の中でも流行に敏感な者の間でウワサですのよ。わたくしはみなの規範になるべき伯爵家の娘なのだから、わたくしが幸運になることはみなのためでもあるのだもの。必要なことだとは思わなくて?

 闇市へ行けば手に入るらしいのだけれど、そんな所へ行ってはわたくしが穢れてしまうもの。だからあなたの猫をよこしなさいと言っているのよ。たかが平民の猫如きが伯爵家の娘であるわたくしの幸運の糧になれるのだから、幸せでしょう?」

「・・・リリアナ。何を言っているのかわかっているの?シーナ様とセイラン様、それにマルに失礼だわ」


 イリーナが語気は強いものの精一杯落ち着いた口調でリリアナをたしなめる。震える小さな手を胸の前で組み、家の品位を守ろうとする意志が見て取れた。


 だが椎名はリリアナの異質な価値観に気持ちの切り替えができない。嫌悪とともに冷たい気配を吐き出してしまいそうになるが、背後に立つセイランが腰を折り、まるで主人に耳打ちをする執事ように椎名の耳元に唇を寄せた。セイランの長い指が椎名の襟元にするりともぐりこみ、ネックレスを引きずり出す。


「子供の言うことだ。真に受けるな」


 セイランの囁きに思考が少し冷える。ネックレスの先端についている薄氷はくひょうの石を左手で握り、椎名はようやく小さく息を吐いて頷いた。


「イリーナ嬢。残念ですけどこのお話はお受けできません。こんな危ない思考の方がいるところにマルを預けられませんし、マルがいては作業ができませんので、ご理解ください」


 イリーナが小さくうつむき、悲しげにきゅっと唇を嚙む。その様子に心が痛まないわけではなかったが、椎名はなによりマルが大事だ。

「では」とソファを立ち大奥様に会釈をして背を向ける。大奥様は変わらず黙したままだ。


「あ、でも、お伝えしなくてはいけないことがありますので、明日の朝、冒険者ギルドまでお越しいただけると嬉しいです」


 にこりと言い置いた椎名のあとに呆れたようにため息をついたセイランが続き、二人は部屋を辞した。その背は冷たくもはや戻る気配はなかった。






「で?何をするつもりだ?」


 上級街区を出たところで、セイランがいかにも悪だくみをする子供をいさめるような口調で問いかけてくる。バレたか、と言いたげな椎名の顔が悪戯っ子のように笑みに満ちる。


「依頼は受けないんだけど、ブローチは拾おうと思って。ダメかな?」

「いや、そう言うと思ってた」


 セイランの反応に「でしょう?」と椎名はにこにこと答える。

 あのままではイリーナがかわいそうすぎる。マルにやさしくしてくれた人が悲しい顔をしているのはツラい、と思うのは飼い主のエゴかもしれない。


「マルはどうする?俺が抱いておこうか」

「それが一番いいのかもしれないなあ」


 椎名は上級街区と下町をつないでいる橋の上から分水路を眺め、イリーナの言っていた落としたと思われる場所を確認する。正確にその位置に落ちていれば橋からそんなに遠くはないが、あくまでもイリーナの推測にすぎないから捜索範囲は多少広く見積もっておく必要があるだろう。

 うろうろと分水路沿いを歩きながら冒険者ギルドの建物へ向かう。依頼は受けなかったのだから、その報告をしなくてはいけないだろう。マリエルはがっかりするだろうが仕方がない。あの大奥様には自分たちではない別のお気に入り候補を見つけてもらったほうが良さそうだ。

 少なくとも椎名はもう関わりたくないな、と思いながら分水路沿いに建つ冒険者ギルドの扉を押した。






 日付が変わるころ、椎名とセイランは冒険者ギルドの裏手から分水路を見下ろしていた。セイランの肩には既に寝こけているマルがだらんと前足を下げて乗っていて、セイランの手でホールドされている。椎名は腰のホルダーから魔導書を手に取り魔力を流すと、ほの淡く光るページをぺらぺらとめくって目的の魔法を見つけた。風の魔法を使い遠くの声が聞こえ互いに話すことができる、まるで電話のような魔法、ウィンドボイスをマルの首輪と自分の襟元にかけておく。これで離れていてもお互いの声はしっかりと聞こえるはずだ。


 イリーナの説明によると、分水路に下りるのはもちろん禁止されているし、落ちているものを拾うのは所有者のみに許された権利で、所有していないものを触れるのは窃盗に当たるのだという。

 依頼を断ってしまったこともあって、椎名はもちろん所有者ではないから、見つかったらすべてがしっかり犯罪になる。


 椎名は息をひそめ、手探りでそっと分水路に下りていく。丸石の積み重ねでできているおかげで、手足を掛けるところに困らず、するすると下りられる。

 だが、都合よく曇天なため、月明かりもなく水路はひたすらに漆黒で少し怖い。そっと足で川底の硬さを確かめてから分水路の川底に立つ。水位は膝あたりだろうか。意外と流れがあり動くのには少し苦労しそうだ。それから再度魔導書を手に取り、意識を手のひらに集中させる。じわじわと手のひらに青白い光が集まって光の魔法、ルミナスオーブを完成させる。


「セイラン。準備できた。沈めるよ」

「いつでも」


 ウィンドボイスは掛けたら解除するまでそのまま存在し続けてくれる魔法だから、ほかの魔法に集中しても切れないのが便利だ。

 セイランの返事に「いくよ」と返し、ルミナスオーブを水中に沈める。刹那、その淡く青白い光が水の中に柔らかく広がった。川底に沈む銀や金のかけら、宝石、小さな蓄光石などが漆黒の中に光を返して瞬く。それはまるで満天の星空のようで光が水面の波紋に揺れ、神秘的ですらあった。


「うぇ、こんなにあるの・・・」


 だが、椎名の声はその美しい光景とは裏腹に絶望的だ。


「似たような形を探す。少し待ってろ」


 椎名にはただの光にしか見えない光景だが、セイランにはどうやらちゃんと物体が見えているようで、椎名は全面的にセイランに任せるしかない。


「もっと前、橋のほうだ。動けるか?今、左足の横にあるやつも似てる」

「これ?」


 左足の横に落ちているものを拾い上げてみるが、こちらは蓄光石だった。であれば、と川の抵抗に逆らいながら足を進めよたよたと橋のほうへ移動をする。


「もう少し。あと二歩先の右側、丸石と丸石の谷間に挟まってる」


 セイランの指示に従って二歩先の右のものを拾ってみる。お辞儀のように腰を折って、膝に手をついて拾ったものを確認してみる。


「これ?これっぽい、かな?」


 セイランに見せてみようと上半身を起こそうとしたが、それは急に腰に回された腕によって阻まれる。そのままぎゅっと引き寄せられ半ば強引に橋の下に引きずり込まれ、思わず発した悲鳴は口元を覆われた手のひらに吸い込まれた。

 驚きで集中が途切れ、ルミナスオーブは霧散し、水路は元の漆黒に戻っている。


「おい!どうした!?」


 椎名の襟元からセイランの焦った声がするが、椎名の口をふさぐ人物が「衛兵が来る」と低く短く発して黙らせる。

 息を殺して数分。だいぶ長く感じたその時が過ぎ去ると、何事もなかったかのように椎名の口が解放される。


「なにやってんの君ら。衛兵に見つかったらすげえ怒られるよ?」


 椎名がちゃんと川底に足をついていることを確認してからゆるゆると腰も解放される。


「レックスさん」

「よ!」


 夕焼け色の派手な髪はフードに隠され今は見えないが、屈託のない笑顔は二週間前と何も変わらない。


「てか、なんもないとこから君の相方の声聞こえたけど、どーなってんの?魔法?あ、てかまた衛兵来る前に上がろ。ちょっと怒られるじゃないよ、すげえ怒られるよマジで」


 まあ、なんかの依頼なんだろうけどさーとけらけらと軽く笑いながら、まるでちゃんと見えているかのように椎名を岸壁に誘導して、分水路の上へのぼらせ、スムーズにセイランと合流させる。


「拾えたか?」


 セイランに拾ってきたものを渡し、確認してもらう。月を剣が貫いたようなニウェル騎士団の団章のブローチで、くるりと裏側に向ければ『I.R』のイニシャルとローゼンタールの家紋が彫られている。


「間違いない」

「はーっ。よかったぁ」


 椎名の安堵のため息は深い。もう一度あの漆黒の中に下りていくのは怖くて、心が耐えられない気がする。


「とりあえず下町のほうへ行こ。こんな上級街区近くの暗がりでごそごそやってたらいかにも怪しい人だよ」


 遠くに揺れる巡回の灯りを顎で指して、レックスが二人の背を押す。


「そんで、なにやってたかゆっくり聞かして?」


 レックスの軽やかな足取りにやや気圧されながら、明日は朝から約束あるし早く寝たいなあと思いながら、椎名は曇天の夜空を見上げ重たい足を進めた。





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