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「アーティという娘はすぐに始末しよう。平民ならば何の支障もありはしない!」
テイラー公爵の言葉を聞いて、母が呆れたようにため息をつきました。
「そのやり方はテイラー公爵領では有効かもしれませんが、王都ではそうはいきませんわ。平民とはいえ命まで奪う権利なんて、あなたにはこれっぽっちもありません。アーティのことはすでに国王様のお耳に入っていますから、彼女が消えたら説明を求められますよ」
「そんな……。ならば本当に、結婚式を取りやめにするしかないのか……」
テイラー公爵ががっくりと肩を落とします。確かに今頃、国王様はフレデリック様から報告を受けて眉をひそめていらっしゃるでしょうね。
「テイラー公爵。結婚式の中止にかかる費用は、すべてそちらで負担してもらうぞ」
硬く冷たい声で父が言いました。
「ああ……。次男のエドモンドが成人を迎えていれば……あの馬鹿者を廃嫡して、代わりに結婚させることもできたのに……」
「ふざけたことを言わないでもらいたい。エドモンドでは年齢が釣り合わない」
父の本気の怒り、家の名誉が傷つくことも辞さない姿勢を見て、テイラー公爵はがっくりと肩を落とします。
さあ、これで準備は整いました。いよいよ私の出番です。
テイラー公爵と、ようやく起き上がったユリアナ様に、私は淑やかに微笑みかけました。
「ひとつだけ道がございますわ。結婚式を中止せずに済む、唯一の方法が」
気付け薬で回復したユリアナ様が「え」とつぶやきます。テイラー公爵が前のめりに「そんなものがあるのか?」と尋ねてきました。
「ええ」
私はうなずき、言葉を続けます。
「平民のアーティという娘を、我がミルバーン公爵家の養女に迎えます。そして結婚式は予定通りに……これでしたら、結婚証明書の名前を書き換えるだけで済みますわ」
「「平民を公爵家の養女に!!!?」」
公爵夫妻が同時に叫びました。ユリアナ様がまた卒倒する前に、私は次の言葉を発します。
「あり得ないことではありません。過去に男爵家の養女になった平民が、その美貌と才知を買われて数年後に伯爵家の養女となり、さらに数年後に侯爵家の正妻となった例がございます。それをもっと大がかりに、もっと短期間で……そう、三カ月でやるのです」
テイラー公爵があんぐりと口を開けています。思いもかけぬ話の展開に、返す言葉もないようです。私は構わず先を続けました。
「この計画には、我がミルバーン家、そしてテイラー家の双方の力が必要です。まず男爵家、次のステップとしての子爵家、伯爵家に侯爵家……協力してくださる方々を見つけなければ」
「そ、そんなこと……実現可能なのか……?」
「雲をつかむような話だわ……」
驚きのせいか、公爵夫妻の声は上擦っています。
「私が責任もって受け入れ先を探します。男爵家はお金で何とかなるでしょう。子爵家と伯爵家と侯爵家が求めてくる物は、新しい邸宅や土地、農業や工業の技術、資源や種馬、王宮内での地位など多岐にわたるでしょう。そのすべてを、テイラー公爵家側で賄っていただきます」
「ば、莫大な金がかかるぞ……」
「ええ、結婚式を中止するよりお金がかかるでしょう。バーナード様がいずれ継ぐはずの財産が減りますわね」
私はにっこり笑いました。フレデリック様がここにいたら「効率的な復讐だ」とでもおっしゃるかしら。いいえ、そうはなりませんわね。だってバーナード様は、アーティの愛さえあれば幸せなのですから。
「そうそう。我が家の養女に迎えるに際して、アーティに法律上保障された相続財産を与える必要が出てきます。もちろんその分の補填も、すべてテイラー公爵家に行っていただきますわ」
「ミルバーン公爵家の娘の相続財産となれば……我が家の次男エドモンドに継がせる財産にも匹敵するではないか」
「一部はアーティの持参金として戻ってくるのですし、いずれはお腹の子供が継ぐのですから、よいではありませんか」
私はなだめるような声を出しました。
「財産がどれだけ減ろうと、バーナード様の幸せが第一でございましょう?」
公爵夫妻が顔を見合わせます。私は立ち上がったままのテイラー公爵に椅子を勧め、自らも肘掛椅子に腰を下ろしました。タイミングよくエリスが出してくれたお茶で、喉を潤します。
「平民がミルバーン公爵令嬢となり、テイラー公爵家嫡男と結ばれる……まさにシンデレラストーリーではありませんか。バーナード様の男気に、国民はきっと熱狂いたしますわ。議会での出世に役立つことは間違いないでしょう」
ユリアナ様が震える指を白磁のカップに手を伸ばし、お茶を飲むのを見届けてから、私は「それに」とつぶやきました。
「アーティという娘のお腹にいるのは、テイラー公爵ご夫妻にとっては初孫ですわ」
公爵夫妻が、また顔を見合わせます。
「バーナード様はおっしゃいました。アーティを愛しているから、他の女性と子どもを作ることは考えられないと。となればお腹の子どもが、唯一の後継ぎとなる可能性がございます」
「た、確かに……」
「そうね……」
明らかにこの話は公爵夫妻の琴線に触れたようです。
正確には『他の女性』ではなく『私』を抱けないと言われたのですけれど、まあ同じことでしょう。あれほどアーティへの愛を囁いていた方が、他の女性に目移りするなんてありえませんし。
「でもミルバーン公爵家が手を引けば、正妻の養子にするという方法は取れません。唯一の後継ぎは平民腹のまま。国家を巻き込む大スキャンダルの後では、男爵家すらもアーティを受け入れてくれないでしょうから、たとえ二人が結ばれても貴賤結婚ですわね。平民の子、貴賤結婚の子では、正式な後継ぎとして認定されない」
そう、これこそがバーナード様が私との婚約を破棄したくない理由。生まれてくる子どもに『両親ともに八大公爵家』という最高の名誉を与えたいのです。
私を愛するつもりはないのに、どう利用するかとことん考える、冷酷な愚か者。そんな男の意のままになるつもりはありません。
「私には、義妹に婚約者を奪われたという不名誉が与えられてしまいますけれど、平民に負けたとされるよりは何倍もましです。混乱を最小限に抑え、有責なのはテイラー公爵家の側であることをはっきりさせることができますから、次のお相手探しにはそれほど苦労しないでしょうし」
「し、しかしイブリン嬢、あなたは本当にそれでいいのですか? 憎いはずの娘を、自らの手で幸せにするなんて……」
声を上げたのは次男のエドモンドです。
あらゆる意味で幸せになれるかどうかは、やってみなければわからない──そう答えるのは、やめておくことにします。まだ十四歳の彼には理解できないことが多すぎますから。それに、バーナード様とアーティの純愛が成就することだけは確かですしね。
「もちろん傷ついているし、打ちのめされているわ。まるで心臓に刀を突き立てられたような……決して消えることのない傷痕が残るでしょうね。でも、人を幸せにするために働くのだと思えば、苦しみが和らぐかもしれない。何より両家の名誉が地に落ちることも防げるの。私の辛さなんて……些細なことだわ」
私は顔を隠すようにうつむきました。
「私は耐えてみせる……」
言葉がかすれてしまったので、すすり泣きのように聞こえたかもしれません。
公爵夫妻は顔上げてほうっと息を吐きだすと、まるで聖女を見るような目で私を見ました。私に憧れている節があるエドモンドも、感動したような顔になっています。
私は心の中でほくそ笑み、胸の前で両手の指を組み合わせました。
「アーティの教育については、バーナード様は単なる『愛人教育』だと思っています。だって彼はとても心配性で……愛しいアーティが、私から厳しすぎる正妻教育を受けることを決して許さないでしょうから」
私は公爵夫妻を潤んだ瞳で見つめます。
「ですから、アーティを『立派なミルバーン公爵令嬢』にする計画は、バーナード様には秘密にしておきたいんです。そうすれば十三年も婚約者だった方に、余計な心配をかけずに済みますから」
私の優しさがまぶしすぎるというように、公爵夫妻が目を細めました。
「明日から早速アーティを我が家で教育します。テイラー公爵ご夫妻には、バーナード様がアーティと接触しようとしないよう、取り計らっていただきたいのですが」
「も、もちろんだイブリン嬢。平民の愛人を作って貴女をコケにした息子に、ここまで寛大な心で接してくださるとは。アーティという娘も、貴女に教育されたのであれば立派な淑女になるであろう」
「そう言っていただけると嬉しいですわ」
説得は成功しました。もはや彼らは、ただひたすらに私に感謝し、私の考えを天の配剤として受け入れるだけの存在。
「できればバーナード様のお仕事も、一時的に取り上げて頂けるとありがたいのですが。議会などで外出なさると、どうしてもアーティに会いたくなってしまわれるでしょう? アーティは気骨のある娘のようですけれど、バーナード様の顔を見たらきっとくじけてしまいます」
「わかった。あれの仕事は、すべて私が肩代わりする。元々私がやっていたものばかりなのだから、何の問題もない。イブリン嬢の邪魔にならぬよう、家から出ないよう見張っておこう」
「ありがとうございます。我がミルバーン公爵家とテイラー公爵家、双方の未来のために、私が必ずアーティを立派な淑女にしてみせますわ」
私はにこやかに微笑みました。こんなときの私の顔は天使のように見えるということを、私はよく知っていました。