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 四年後、私は『新時代の王太子妃』という鳴り物入りでフレデリック様に嫁ぐことになりました。


「おめでとう、イブリン。今日はミルバーン公爵家最良の日だよ」


 王都サルリナのセント・クーシャ大聖堂の花嫁控室に、すっかり逞しくなったレイクンが入ってきます。

 ウエディングドレス姿で報告書を読んでいた私は顔を上げました。


 身長が大幅に伸びたレイクンは、引き締まった体駆に男らしく凛々しい容姿で、短くした髪がとても爽やか。二十二歳になった彼はもう虚弱な少年ではなく、力強く領民を鼓舞する次代の公爵です。


「こんな日まで仕事をしているの?」

 レイクンが私の太腿の上に置かれた報告書を見ながら言います。


「至急読んでほしいって、テイラー公爵家から届いたのよ。重要な部分はもう読んだわ」


 レイクンは「そっか」と答え、わざとらしく咳払いをしました。


「フレデリック様と愛し合って、一生幸せに暮らしてくれよな」

「私は愛なんて信じていないわ。それに一生幸せに暮らせるのは、おとぎ話だけよ」


 レイクンの言葉に、私は椅子に座ったままそっけなく答えました。双子の姉弟が最後の別れを惜しむという名目で、控え室に二人きり。幸せな花嫁にふさわしい態度を取る必要はありません。

 何しろ双子ですから、いやおうなしに相手の感情が読めてしまう。レイクンは困ったというように頭を掻きました。


「もしかしてだけど……アーティに復讐した自分も、愛のない一生を送るべきだと思っている?」


 レイクンが私の心の奥底に、深く切り込んできました。

 私は笑みを浮かべようと努めましたが、すぐに真顔に戻りました。レイクンの前で取り繕う必要などないからです。


「別に。でもアーティとバーナード様の悲惨な結婚生活を思えば、割り切った関係の方がずっとましな人生を送れるでしょうね」

「純粋な愛に否定的になるのも無理はないけど……」

「そもそも私は、人を愛することに向いていないのよ。フレデリック様を補佐することが私の仕事。愛し愛される関係でなくても、素晴らしいビジネスパートナーにはなれるでしょう?」

「イブリン……」


 レイクンは長いため息を漏らします。

 バーナード様とアーティの結婚式から四年以上の月日が流れました。

 平民を熱狂させた恋物語のヒーローとヒロイン、そして二人の間に生まれた娘は、お伽噺の主人公として圧倒的な人気を誇っています。

 とはいえ彼らが、本当の意味で幸せになれたか。

 それについては『否』と答えるほかありません。


「アーティとバーナードの結婚は、大方の予想通り悲惨な道を辿ったよね」


 レイクンが昔を思い出すように宙を見ます。

 八大公爵家嫡男と平民の娘の電撃的な恋。誰も経験したことのない運命の恋。私たちはそれを最大限に利用しました。

 女性向けの『アーティ・テイラー・コレクション』、男性向けの『バーナード・テイラー・コレクション』は大変売れ行きがよく、関係者は大きな利益を得ました。

 二人をモデルにしたフェリー・ルイスの小説『孤児の娘と一途な貴族』は飛ぶように売れ、未だに入荷待ちの状態が続いています。


「四年前の結婚式の、バーナードの様子を見て思ったんだよね。これは『破滅に至る結婚だな』って」

「情緒不安定だったものね」


 私は小さく微笑みました。

 華麗で荘厳な結婚式、豪華絢爛たる披露宴、花が降り注ぐパレード。

 アーティはそのいずれにも臆する気配はなく、清楚にして堂々とした姿で人々を魅了しました。

 バーナード様は笑顔を試みては引きつっていましたっけ。

 必死で絶望を押し殺していたにせよ──誓いの言葉を間違ったり、何もないところで転びかけたりと、大変情けない姿でした。


「バーナード様は私そっくりになったアーティに怯え、嫌悪していた。でも事情を知らない人々の目には、緊張しきった花婿の微笑ましい姿に見えたはずよ」

「アーティはすべてを冷静に受け止めていたよね。彼女がバーナードのサポートに徹する姿──正直、感心した」


 レイクンは椅子を引き寄せると、私の横に座りました。


「バーナードみたいなクソ野郎と結婚したら誰だって不幸になる。それでもアーティが四年も頑張れたのは、イブリンが鍛えたからだよ」


 レイクンの視線が、私の手の中にある報告書に落ちます。そこには先日バーナード様の廃嫡手続きが、テイラー公爵の手でなされたことが記されていました。


 結婚式の数日後、バーナード様とアーティはテイラー公爵領に生活の場を移しました。新妻に領地のことを学ばせるという名目で。

 これはアーティの義父母となった公爵夫妻の意向です。どのみち産前産後は社交界に出られませんからね。

 アーティの教育は、各貴族の養女になるテストをクリアすることのみに絞ったもの。産前の数か月と、産後一年程度でより詳細な教育を施そうとお考えになったのでしょう。


 アーティは『結婚後すぐに妊娠した』ということにされ、月足らずで赤毛の女の子を出産しました。

 アーティが初めての育児に奮闘する一方で、バーナード様は鎖で繋がれた人生が我慢ならなかったのでしょう。娘が生まれて半年もたたないうちに、彼はさらなる女性関係のトラブルを起こしてしまいました。

 諸々のストレスも相まって性衝動がコントロールできなくなったのか──あろうことか、屋敷で働く下働きの娘を辱めようとしたのです。テイラー公爵家にとっては幸いなことに、すんでのところでアーティが体を張って止めたそうですが。


 ここに至って、テイラー公爵はようやくバーナード様に見切りを付けました。彼を領地から出さないことにしたのです。

 表向きにはアーティは産後の肥立ちが思わしくなく、その後も体調が回復していないことにされました。

 愛しい妻のために王都での社交生活を諦め、領地運営に専念する優しい夫。それが世間一般のバーナード様に対するイメージです。


 しかし次男のエドモンドが成人するまで、テイラー公爵と協力して領地を支えたのはアーティでした。

 彼女は乗馬を習い、領地内を馬に乗って視察して回りました。領内法を覚え、帳簿を読むために会計・財務の知識も身につけました。

 すべてを人任せにしていたら、不正や争いの芽に気づけない。それはかつて私が彼女に教えたことです。

 アーティは領地の人々の協力を得ながら精力的に働き、娘をしっかり育ててきた。

 その間バーナード様は酒におぼれ、危険なほど暴力的になったので、屋敷の一室に幽閉されたそうです。


 そして十四歳だった次男エドモンドが十八歳となり、ついにバーナード様が廃嫡されました。

 表向きの廃嫡理由は、嫡男の妻であるアーティが子供を産めない体になったから。

 一般的に、嫡男の妻が男児を生めないのであれば親戚筋から養子をとるか、後妻を迎えるために離婚しなければなりません。しかしそれは、世紀の恋の主人公である二人には相応しくない。

 だからバーナード様は『真実の愛を貫く』ために『ご自分の意志』で、未来の公爵の座をエドモンドに譲ったのです。


 ええ、あくまでも表向きの話ですよ。

 とはいえ素晴らしいおとぎ話は完結しました。いずれ平民の芝居小屋で人気の演目になるに違いありません。

 私はあんな男と結婚せずに済んだ上に『シンデレラの優しい義姉』として、平民からの支持を得ました。私が王太子妃になることは、まさに大団円のフィナーレと言えるでしょう。


「アーティはさ、言葉では言い表せないくらいイブリンに感謝していると思うよ」


 レイクンの言葉に、私は「そうかしら」と答えました。


「私が親身になって教育したのは、それがアーティに復讐する理想的な方法だったからよ。すべて、単なる仕返しだったと思っているんじゃないかしら」


 レイクンが苦笑しながら首を横に振ります。


「テイラー公爵家もミルバーン公爵家も、表向きは毛筋ほども傷つかなかった。バーナードは『爵位を賭けた恋』のヒーローとして人々の記憶に残り続ける。アーティの命は救われ、娘も元気に育っている。これがどんなに奇跡的なことか、今ではアーティもわかっていると思うよ」


 私が何も言わないでいると、レイクンはさらに言葉を続けました。


「無邪気な平民の娘は、自分が絶望的なほど難しい立場にあることを知らなかった。たとえ愛人になったところで、幸せになる道はなかった。容赦なく殺されていたはずだからね。彼女が身ごもっていなければ、テイラー公爵家の手の届かない地に逃がすこともできたかもしれない。でもテイラー公爵家にとって将来の火種になりうるお腹の子を、ミルバーン公爵家が匿うわけにはいかなかった。贅沢な暮らしを享受する貴族という点では、僕たちは同じ穴の狢なんだから」


「選択の余地がなかったにしても、私はアーティに対してとことん意地悪だったわ。酒に溺れればいいと思ったこともあるし、薬物依存や買い物依存になればいいと思ったこともある。我ながら、冷徹を通り越して醜悪ですらあったわね」

「そうなの!?」


 レイクンが目を見開きます。


「あー。だからあの頃、ブランデー味の菓子がよく出されたのか。合格するたびにドレスや宝石を一新するのも、ちょっとやりすぎだなあと思っていたよ」


 レイクンは指先で頬を掻きながら苦笑しました。


「でもアーティは、私の仕掛けた罠をかいくぐったわ。考えても詮無いことだけど──あの子が貴族の娘に生まれていれば、私たちはよいライバルになれたかもしれない。どの口で言うのだと自分でも思うけれど」


 私は「ふふ」と微笑みました。


「アーティとの三か月が楽しくなかったと言えば嘘になるわ。死んでほしいと恨む気持ちと同じくらい、生きてほしいとも思った」

「イブリン……」


「アーティのように気骨のある娘が、フレデリック様の側妃になってくれたらいいのだけれど。そうすれば、退屈しない毎日が送れるのではないかしら」


 私がそう言った次の瞬間、花嫁控室の続き部屋の扉が開きました。



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