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 ついに結婚式当日がやってきました。

 王都サルリナのセント・クーシャ大聖堂には諸外国からの賓客と我が国の貴族たちが集まっています。


 花嫁のための控室の椅子に座るアーティの側にいるのは、おそろいのピンクのドレスを着た三人の花嫁付添人(ブライズメイド)。取り巻きのテリサ、イリーナ、フラニーです。


 アーティはまるで芸術品のように美しく、まぶしさに思わず息を呑むほど。

 ペプラム付きの純白のウエディングドレスには、数千個のクリスタルが縫い付けられています。それに総侍女長のシェンダが、長い時間をかけて化粧を施していましたからね。アーティを綺麗に着飾らせることが、最後の使命であるかのような力の入れようでした。


「アーティ様、とてもお綺麗ですわ」

「ありがとう」

 テリサの言葉に、アーティが上品に笑います。三か月前の彼女とは似ても似つかない──『平民のアーティ』が完全に消えたことを実感しますね。


「あと十分ほどでバーナード様がいらっしゃるわ、アーティ」

「はい」

 私の言葉に、アーティが淑女らしくうなずきます。


「いまごろ祭室では参列者の皆様が、花嫁変更についての詳しい説明を受けているはずよ。テイラー公爵家嫡男と平民の娘の恋が、周囲の理解のもとに成就した……常識では考えられないお伽噺が現実になったことに、皆様驚かれていることでしょうね」

「お義姉様……私、緊張して震えが……」


「ミルバーン公爵家の養女が人前でうろたえてはいけません。手の震えをすぐに止めなさい」


 私がきっぱり言うと、アーティはぎゅっと両手の指を組み合わせました。関節が白くなるほど握り締めるその様は、まるで神に祈っているかのようです。


 イリーナとフラニーが慌ててアーティを慰めます。

「バーナード様のお顔を見れば、緊張など消え失せるでしょう」

「そうですわ、すぐにそんな気持ちは忘れてしまいますわ」

 テリサがアーティの背中を撫でました。花嫁に寄り添い、心身ともにサポートするのが花嫁付添人の役割ですからね。


「今日はアーティ様の人生で最高に幸せな日ですよ。さあ、深呼吸なさって」

 テリサの言う通りにアーティは深呼吸をし、落ち着きを取り戻しました。


「では、ベールを下ろしましょう」

 私はアーティの座る椅子の前に立ちました。


 本来は新婦の母親が、身支度の仕上げにベールを下ろすのですが──ミルバーン公爵夫人である母が、どうしてもやりたがらなかったのです。

 ですから私が代理で、ゆっくりと丁寧にベールを下ろします。

 分厚いベールがアーティの顔を隠しました。


 今日の私は、三人の取り巻きと同じ花嫁の付添人。彼女たちとまったく同じドレスを着て、同じベールをつけています。私は彼女たちにうなずいてみせました。

 私と取り巻き達はほとんど同時に、自分のベールを下ろしました。バーナード様には私たちの見分けがつかないはずです。


 でも、私は彼の表情を見ることができる。

 アーティが被っているベールと同様、我が領地に伝わる特殊な織り方で作られているので、視界はちゃんと確保されているのです。


 私は椅子に座るアーティの姿をしげしげと見ました。

 はしたなくない程度に体のラインがわかるウエディングドレスがよく似合っています。少し膨らんだお腹は、ペプラムで上手にごまかしました。


「……変身した私を見て、バーナード様は喜んでくださるでしょうか……」

 アーティの小さなつぶやきを、私は無視しました。答えたくなかったのではなく、答えられなかったのです。


(バーナード様はもうすぐ、この控室の扉を開けて真実を知る。結婚式の直前に)


 あの息子に甘いテイラー公爵夫妻が、最後まで私との約束を守ったのです。アーティのことを秘しておき、バーナード様の耳には入れないという約束を。


「お義姉様……」

 助けを求めるようなアーティの声に、私はひとつ息を吐いて、彼女の椅子の後ろに移動しました。


 いくらバーナード様の愛を疑っていないアーティといえど、私が無反応のままでは不安にならざるを得ないようです。これまでは彼女の悩みがどんなにつまらないものでも、必ず助けの手を差し伸べてきましたから。

 私は励ますように、彼女の肩にそっと手を置きました。


 他にはどうしようもありません。私だって、バーナード様がどんな反応を示すかわからないんですもの。


「ありがとうございます、お義姉さま。そうしてくださるだけでどれほど心強いか」

 アーティの肩からわずかに力が抜けます。


 私は「そう」とだけ答え、控え室の扉を見つめました。もうすぐバーナード様が来るでしょう。


 三か月のうちの最初の二週間で、私は未来への種をたくさん蒔きました。

 種を蒔いた後は草取りをしたり、鍬を入れたりしなくてはならないけれど、バーナード様のことは自然に任せてみたのです。


 愛する人に会えないつらさを甘んじて受け入れ、己を見つめ直していたのか。

 暇に飽かせて自堕落な日々を過ごしたのか。

 私さえも知らない、バーナード様が過ごした日々が暴かれる。隅から隅まで。


 コン、コン、コンとノックが響きます。


「どうぞ」

 エリスが答えた次の瞬間、ドアが勢いよく開いてバーナード様が入ってきました。


 襟の部分が銀色の白いスーツ、銀色のベストと糊のきいた白いシャツ、そして胸元には青い薔薇。相変わらず背が高く均整の取れた体格ではありますが、体のラインが少し緩んだことが分かります。


「ああ、イブリン!」


 バーナード様は花嫁の椅子の前までせかせかと歩き、そしてひざまずきました。


「私は頭がどうかしていたんだ。この三か月で頭が冷えたよ。どうしてあれを真実の愛だと思ったんだろう!」


 そう言って、バーナード様はアーティの──彼からすればイブリンの──白い手袋に包まれた手を取りました。

 アーティの体が後ろに仰け反りかけます。


 私は彼女の肩に置いた手にぐっと力を入れました。気絶することなど許しません。どんな最悪の告白が待ち受けていようとも、彼女には聞いてもらわねばならないのですから。

 私の手からにじみ出る威圧感に、アーティが姿勢を元に戻します。


「アーティとのことは戯れに過ぎないと気づいたんだ。彼女との愛人関係は解消するよ」


 バーナード様は長い指先でアーティの手の甲を撫で、さらにその手を顔に近づけて恭しくキスをしようとしました。

 手の甲に唇が重なる直前、アーティは上品な仕草でバーナード様の手から己の手を引き抜きました。


「拗ねているのかい? イブリンはきっと喜んでくれると思ったのだけど。ああ、愛人教育が無駄になったことに怒っているんだね! それについても謝る──」

「私、拗ねてなどいませんわ」


 アーティが凛とした声を出しました。貴族らしい発音とアクセントは、まさしく上流階級の話し方。


「今更、ちょっとしたお遊びだったとおっしゃるの? 生涯にただ一度の恋が、人生そのものとまで言っていらした愛が、たった三か月で冷めてしまわれたの?」


 ああ、アーティ。淑女としての言葉の選び方も、感情を交えない落ち着いた声音も、少しばかり尊大で高飛車な雰囲気も、本当に私にそっくり。

 私たちは骨格の作りが似ているから、声も多少似ているとはいえ……怖いくらいに私そのものよ。


「まいったな、あの女がペラペラ喋ったのかい?」


 バーナード様はばつが悪そうに身じろぎしました。当の『あの女』がすぐ目の前にいることに、気づくそぶりも見せません。

 我が国の言葉は、発音やアクセントと生まれ育った階級が密接に結びついていますから。平民のアーティが奇跡的な変化を遂げて公爵令嬢になったなんて、バーナード様にとっては想像の範囲外なのです。


「……信じられませんわ」


 アーティが分厚いベールで隠した頭部をうつむかせて言葉を発します。


「二人の結びつきは、私が考えたほど特別なものではなかったということですか。結局は『平民の娘』など、バーナード様にとってはおもちゃでしかなかったのね」


 ああ、バーナード様。

 考えうる限り最悪の、アーティへの復讐という意味では最高の態度を見せてくださいましたね。

 あなたはアーティを絶望のどん底へ突き落したのですよ。

 そこに何があるか知っていますか?

 底知れぬ深さの、さらなる絶望に満ちた穴です。倒れ、うずくまることのできる地面などないのです。

 彼女の心は、その深い穴の中に滑り落ちる寸前でしょうね。


 『あの日』の私と同じように。


 今アーティは、脳内で恐怖と痛みと怒りの悲鳴を上げながら、穴に落ちまいと必死に耐えているはずです。


「心変わりの理由は推測できますわ。『アーティ』のための使用人を探すという名目で、身分の卑しい女性たちとの火遊びを楽しまれたのでしょう?」


 私が徹底的に教え込んだ、滑らかで耳に心地いい上流階級の言葉。ひとつの欠点も見つかりません。

 バーナード様がくすくす笑います。


「まったく君には敵わないな」


 彼は媚びるような笑みを浮かべて立ち上がりました。そしてアーティの正面の椅子に座り、長い脚を組みます。


「ああ、そうだよ。平民の女が気兼ねしないで済む使用人を探そうと思ったら、やっぱり平民になってしまうからね。暇に飽かせて、少しばかり遊んでしまった」

「一度浮気した男は繰り返すと言いますものね。色々とつまみ食いをなさって、ミルバーン公爵家の娘に比べればアーティなど『馬糞程度の存在』にすぎないとお気づきになった?」


 アーティは異様なほど冷静な声で問いかけます。


「ああ。自分がいかに素晴らしいものを手放そうとしていたか、ようやく気づいたよ。安心してくれ、アーティに対してはいかなる感情も残っていない」


 バーナード様は両方の手のひらを上に向けて、肩をすくめました。


「せっかくの結婚式だよ。この話はやめにしないか?」

「いえ、もう少しお話ししましょう。三か月間の苦労を思い出すと、納得するのが難しいですわ。バーナード様がつまみ食いなさった、身持ちの悪い娘たちについて詳しく教えてくださいな」


 見事な落ち着きぶりよ、アーティ。

 こんな状況でも、感情を表に出さないという『公爵令嬢のルール』を守れるのね。

 あなたは今、一段階上のレベルに到達したわ。


「まいったな」

 バーナード様が頭を掻きます。


「束の間の情事で、上流貴族の男にとってはただのゲームだよ?」

「普通の上流貴族の男性は、娼婦でもない平民の娘を食い物にはしませんわ。後始末が必要になるかもしれませんし、私には知る権利があります」


 アーティの静かな迫力にぞっとしたのか、バーナード様がごくりと唾を飲み込みました。



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声、違うのに気づかないんだ… マイフェアレディ風復讐譚
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