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 アーティの話は国王夫妻の元へも届き、フレデリック様曰く大層面白がっておられるとか。


(その国王夫妻との謁見が、最大の難関なのよね……)


 上流階級のそのまた上流にいる王族は、王都の民にとっては神様と同じ。王族を敬わない者は、ひどく不幸な人生を送ることになると信じられているのです。


(フレデリック様に初めて会った時、アーティは腰を抜かす勢いで恐れおののいていたものね。アーティが平静を保っていられるかどうか……)


 謁見は三日後に迫っています。私の目の前では、アーティがトーラ夫人とハンソン博士を相手に謁見式の練習中です。


(アーティはよくやっているわ。何も問題はないはずなんだけど……)


 しかし、どうにも不安が拭えない。アーティが最後に越える山だからでしょうか。

 できることは全部やろうと、両親に国王夫妻役をお願いしたりもしました。テイラー公爵夫妻の方が怖くていいかもしれないと、彼らにも練習台になってもらいました。


(アーティはちゃんと上手にできたわ。でも……)


 私があれこれ考えていると、レッスン室の扉をノックする音が響きました。エリスが素早く対応しに行きます。

 扉の向こうにいるのは十中八九フレデリック様です。宣言通り毎日いらっしゃっていますからね。


「まあ!」

 エリスの驚いたような声が響きます。私は慌てて戸口に目をやりました。


 入ってきたのは確かにフレデリック様でした。

 しかし、いつもの彼ではありませんでした。王宮の侍女を二人も従えているところも、いつもと違います。


「フレデリック様……?」

 私は目をしばたたかせました。


 なんと彼は、王太子の正装である金の刺繍が施された上下黒の衣装をまとっているのです。

 胸には勲章の数々が飾られ、片肩から前部にかけて吊るされる金色の飾り紐と青いサッシュが華やかです。

 そして、鮮やかな青いマント。それはフレデリック様の歩みに合わせて揺れて、私ですら息を呑んで見つめてしまいました。

 また少し背が伸びたようで、惚れ惚れするほど凛々しい王太子様です。いつもの親しげな雰囲気はなりを潜め、圧巻のオーラを放っています。


「フレデリック王太子殿下」

 私は最敬礼をしました。右足の膝を深く沈めて、優雅にひざまずくのです。いつもは遠慮なく省略しておりますが、今日ばかりは自然と体が動きました。


「気を使わないでいいよ。こんな格好なのは、アーティの練習台になろうと思ったからだし」

 そう言ってフレデリック様はアーティに視線を移しました。


 フレデリック様のオーラに当てられたのか、彼女はすっかり緊張して震えています。トーラ夫人に耳打ちされて慌てて最敬礼をしましたが、無様にバランスを崩してしまいました。


(貴族社会の荒波に揉まれたとはいえ、やっぱり王族特有のオーラには弱いのね)

 私は小さくため息をつきました。そしてフレデリック様に視線を戻します。


「ご提案、ありがたくお受けいたします」

「じゃあ、イブリンが王妃役だね」

「はい?」


 私が首をかしげると、二人の侍女が恭しく何かを差し出してきました。

 左の侍女が白い毛皮で縁取られたマントを。右の侍女がクッションに載せられたティアラを。どちらにも見覚えがあります。


「これはもしや王妃様の……」

「うん、借りてきた」

「公式行事用のマントと第一ティアラをですか!?」

 私は眩暈に襲われました。両足を踏ん張って、ふらつきを何とか堪えます。


「本気になったイブリンのオーラは凄まじいから、王妃役も軽々こなせるよ。バーナードのところの侍女頭が腰を抜かしていたそうじゃないか」 

「確かにそういうこともありましたが……」


 新居となるはずだった屋敷で、バーナード様とアーティの逢引きを目撃した日のことです。ずいぶん昔のことに思えますね。


「王妃様のご厚意を無にするわけにはいきませんね」

 私は腹をくくりました。


「ティアラとマントにふさわしい身支度をしてまいりますわ。しばしお待ちくださいませ」

「宰相のところへ義父たちが来ているようだから、彼らとお茶でもしているよ。中立を貫くのをやめてもいい頃合いだから」


 宰相というのは父です。確かに次の試練は国王夫妻との謁見で、八大公爵家だけの問題ではなくなっています。


「王家が応援してくださっていることを知れば、皆様もお喜びになるでしょう。それでは、私はこれで失礼します。ハンソン博士、私が戻るまで『耳で覚える勉強法』をお願いします」

「かしこまりました」

 ハンソン博士が答えます。


 フレデリック様が、いってらっしゃいとばかりに手を振ります。私はうなずくと、エリスと王宮の侍女たちを従えてレッスン室を出ました。

 冷静な私をよそに、屋敷内は上を下への大騒ぎになりました。


「ああ、どうしましょう!」

 母が叫びます。


「王妃様のティアラに負けないドレスがないわ!」

 取り乱す母の手で、私の部屋の床にドレスの山が築かれました。


「母さん、ここに最高のドレスがあるよ」


 笑みを浮かべたレイクンが、見慣れないドレスを持って部屋に入ってきます。

 そのドレスは濃い紫みの青で、銀糸で巧みな刺繍が施されていました。繊細で、優雅で、あまりにも美しいドレスです。


(初めて見るはずなのに、どこか懐かしい)


 シンプルながら存在感のある、私好みのドレスを見て、母が肩を震わせて泣き始めました。


「レイクン……これはイブリンが着るはずだったウエディングドレスね」

「そうだよ。デザイナーに最後まで作ってもらって、染め直したんだ。お蔵入りさせるには素晴らしすぎるドレスだから」


 母が腕を伸ばして、レイクンの肩を抱きます。


「ろくでなしと結婚せずに済むと頭ではわかっていても、残念に思っていたのよ……」

「その気持ちわかるよ。アーティを受け入れることはまた別問題だもんね。さあ母さん、早く涙を出し切ってイブリンの身支度を手伝いなよ」

「もう泣き止んだわ!」

 母はしゃきっと背筋を伸ばします。


 母とエリス、王妃様付きの二人の侍女の共同作業で、私は身支度を終えました。

 王妃のティアラをつけた私は、我ながら圧倒的な存在感を放っています。


「綺麗だわ! 綺麗だわ!」

 またもや涙ぐんでいる母のために、私はくるりと回って見せました。マントがふわりと広がります。

 私は胸が温かくなるのを感じました。


「ありがとうレイクン。なんだか生まれ変わったような気分よ」

「どういたしまして。僕はこれからも、イブリンの人生を幸せ一色に染める手伝いをするよ」

 レイクンが慈愛に満ちた笑みを浮かべます。


(さあ、生まれながらの八大公爵家令嬢の本気を見せよう。私のオーラでもって、アーティに最後の教育を授けよう)


 私は廊下に出ると、堂々と頭を掲げて歩を進めました。

 王妃のティアラとマントの話が伝わったらしく、廊下の両側に使用人たちが列をなしています。


「何と神々しい……」

「あと十年遅くお生まれになっていれば……」


 古参の使用人たちが涙を拭っています。

 そう、私はあと十年遅く生まれていれば、百パーセントに近い確率で王妃になった女。王女のいない我が国で、最も高貴な令嬢なのです。


 レッスン室には、私が王妃のティアラをつけた姿をひと目見ようと、大勢の人がつめかけていました。

 義父の皆様、父とスタントン、テッド、執事のタイロン、総侍女長のシェンダ、若い侍女のケイトとノエル、取り巻きの令嬢と親戚筋の青年たち。そこに母とレイクン、エリス、王宮の侍女たちも加わります。

 これまで私の計画を支えてくれた人たち。私は感慨深くなりました。


「完璧なリハーサルにするために、アーティは教師たちと別室に控えさせたよ」


 フレデリック様が「では玉座に昇ろうか」と手を差し出してきます。

 私はその手を取り、レッスン室に設えられた玉座へと昇りました。謁見の練習用に作った、三段ほどの台の上にある本格的な玉座です。


 レッスン室の中央には赤い絨毯が敷かれ、戸口から玉座まで続いています。絨毯の左右に立派な衣装を着た人々がずらりと並んでいる様は、まさに圧巻のひと言です。

 私たちは玉座に座りました。

 文官役のハンソン博士が声を張り、厳かに告げます。


「アーティ・ハービソン侯爵令嬢、入室を許可する!」



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