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「本日は私が主催する晩餐会にご参加いただきありがとうございます。皆様の健康と富と幸福と繁栄、良好な関係が今後も長く保たれることを祈って、乾杯いたしましょう」


 アーティがグラスを手に取り、それを掲げて見せます。

「未来のために、乾杯」

「「「「「乾杯!」」」」」

 皆もグラスを掲げます。持ち上げたグラスの中で、泡がきらきらと光っています。


 アーティが我が家に来てから二か月、今日は侯爵令嬢テストの日です。

 課題は『晩餐会の切り盛り』で招待客は約四十名。ここに至るまでの計画に関わった皆様をご招待しています。

 献立やテーブルコーディネートを決めたのはアーティですが、先生方や取り巻き令嬢たちの助けがあってのこと。それでもよく頑張ったと言えるでしょう。


 この晩餐会においては、アーティは己の出自を隠しません。妊娠のこともです。参加者は全員事情を知っていますからね。

 貴族の世間話は、ある意味では言葉を武器にした決闘なのです。ハービソン侯爵には事前に『意地悪』ではなく『手心を加えない』会話をするようお願いしました。


「つわりはないのか?」

「ほとんどありません。感じている暇がないとも言えます」

「ふむ……。根性があるんだろうな」


 ハービソン侯爵の声にはどこか尊敬の色が感じられます。元平民が、想像した以上に堂々としているからでしょう。

 アーティは優雅に食べ、話しています。伯爵令嬢テストからの一か月で実践的・体験的な学習を繰り返した結果、あまり意識せずとも体や口が動くようになったのです。


 素晴らしい教師、特殊な教育の手法と教材、サポート役の親友、八大公爵家の権力と財力をフルに使った実践教育。私の蒔いた種が、一気に花開いて実を結びました。


「ハービソン侯爵様は、ピアニストのオディロン・クラークの演奏をお聞きになったことはございますか?」

「もちろんだ。彼は我が国はおろか世界中でも、偉大な音楽家のひとりだよ」

「私も先日オディロンの演奏を聴く機会を得たのですが、彼は本当に素晴らしい演奏家ですね。あの美しい音色を聞いて感動しない人は一人もいないでしょう」


 アーティは私たちの目の前で、上流階級の言葉を滑らかに操っています。

「まるで本物の淑女だ。これならば、真実を知っている者でさえ錯覚してしまうだろう」

 テイラー公爵は感動しきりです。


 我が国の言葉は、発音やアクセントと生まれ育った階級が密接に結びついています。言葉でその人の階級がすぐにわかるのです。


「今のアーティには、貴族の誰も文句をつけることができないだろうな。よくぞここまで育て上げたものだと感心せずにはいられない」

 私の右隣に座る父が、しみじみと言いました。


「テイラー公爵様、お父様、安心なさるのはまだ早いですわ。たとえ侯爵令嬢テストに合格しても……」

 私の言葉に、父とテイラー公爵の表情が引き締まります。

「そうだな。次に待ち受けるのは社交界デビューだ」

「そして最後に、国王陛下と王妃陛下に謁見する。まだまだ越えなければならない山があるな」

 テイラー公爵が言い、父がうなずきました。


 この一か月で、アーティが貴族令嬢として完璧に振る舞える時間は飛躍的に伸びました。二時間はぼろを出さないでいられるでしょう。


(だから、社交界デビュー自体はそう問題ではない)

 私は正面に座るアーティを見ました。ハービソン侯爵と会話が弾んでいます。

(怖いのは、思いもよらない攻撃を喰らった瞬間。奇襲を受けても冷静でいられるかどうか……)


 二人の話題は音楽から競馬に移っていました。競馬は貴族の遊びとして人気があるのです。

「昨年の王都優駿では、テイラー公爵様の持ち馬が二着の馬に五馬身以上の差をつけて優勝したそうですね」

 アーティがテイラー公爵に水を向けます。王都優駿は国内最高峰のレースです。


「ああ、テラレッド号だ。あれは私の持ち馬の中でも最高の馬だ。王都の主要レースを総なめにしたよ」

 テイラー公爵は嬉しそうにうなずきました。


「しかしテラレッドは、地方開催のレースでは弱いんだ。王都では調子がいいのに、地方では格下の馬に負けてしまう。違う土地に行くことで体調を崩してしまうんだよ」

 テイラー公爵が顔をしかめます。

 アーティが何かを思いついたように「それなら」と口を開きました。


「テラレッド号が飲み慣れた水も、一緒に運んでみてはどうでしょう。水質は土地によって随分違うと聞きますし」

「なるほど、水か!」

 テイラー公爵ははっとした顔になりました。


「餌は運んでいたが、水は盲点だった! 調教場では湧水を飲ませているんだ。あれを清潔な樽に入れて運ばせよう!」

「テラレッド号もきっと喜びますわ」

 アーティは淑女らしい微笑みを浮かべます。


「私も経験があるのです。このお屋敷のお水は本当に美味しいですが、最初は慣れなくて。舌がびっくりしたんでしょうね」

 上品で可憐に、でも少し悪戯っぽく言うアーティは、なかなかいい感じです。平民の生まれであることを変に卑下したりせず、まっすぐで自然体という印象を受けます。


「アーティ嬢にも色々と苦労があったのだろうな」

 ハービソン侯爵はそう言ってうなずきました。アーティの話術にすっかり心を掴まれたようですね。


(取り巻き令嬢たちと実践練習を積ませた甲斐があったわ)


 最後に運ばれてきたデザートのケーキには、見事なチョコレート細工の蝶が添えられていました。

「おお、これは……っ!」

 ハービソン侯爵の顔が輝きます。


「我がハービソン侯爵家の紋章である蝶をモチーフにしたんだね?」

「はい。ハービソン侯爵様に喜んでいただきたくて」

 アーティの言葉を聞いて、ハービソン侯爵は非常に満足げです。晩餐会は無事に終わりつつありました。


「そういえば、テイラー公爵」

 脈絡なく話を切り替えるための声を上げたのは、私の母ラフィアでした。


「バーナードさんは謹慎先で、新たな使用人の面接をしているそうね。アーティがのびのび振る舞えるように、平民の女性から選ぶのでしょう?」

「あ、ああ、いや、その」

 その場の空気がざわつきます。

 私は「なるほど」と思いました。


(ここまで来たら、アーティの侯爵令嬢合格は確実。ハービソン侯爵は優・良・可のどのレベルに達しているかを判断するだけ。お母様はアーティに意趣返しをする、最適なタイミングを選んだのだわ)


 決して意地悪ではなく、アーティが奇襲を受けても冷静でいられるかどうかのテストという言い訳が立つ。

 しかし母が、思いもよらない攻撃を喰らったアーティが無様にうろたえればいいと思っているのは間違いありません。

 私はちらりとアーティを見ました。彼女は微笑んだまま固まっています。


「それで、もう決まりましたの?」

 母がせっつく用に言いました。

「い、いや、まだだ。ぴったりの人材が見つからないらしくてな。アーティのためにじっくり吟味しているそうだよ」

 テイラー公爵の答えに、母は「まあ」と頬に手を添えました。


「平民から選り抜くというのはやっぱり大変なのねえ。男性が女性の面接をするというのも、ねえ。アーティも不安になってしまうわよねえ」

 母はわざとらしくそう言って、アーティに目をやります。バーナード様の興味が他の女に移る可能性があることを示唆しているのです。


 皆の視線がアーティに集中します。

「不安になるなんて、滅相もありません」

 アーティは胸を張り、きっぱりと言いました。

「私の立場でバーナード様を疑うなんて、とても失礼なことですから。皆様に対して──何より、私をここまでそだててくださったイブリン様に対して」

 アーティの返答は、この場においては最善でした。


「立派な心構えだ」

 ハービソン侯爵が感心したようにうなずきます。

 意趣返しをしようとして失敗した母は、涼しい顔で「本当にそうね」とつぶやきます。


「今日のアーティ嬢が素晴らしかったのは、皆が認めるところだろう」

 ハービソン侯爵の口調から、彼が今日の晩餐会にいかに満足しているかがわかります。


「アーティ・ハービソン侯爵令嬢は、たちまち社交界の花形となるだろうね」

 ハービソン侯爵は、アーティの手を握って言いました。どうやら、アーティは高得点でテストに合格したようです。


「それでは、私は……」

「今この瞬間から、私の義娘だ。社交界に出たら、心躍る行事が目白押しだよ。私が全身全霊でサポートしよう。他の養父たちもすべて君の味方だ。貴族の養子縁組と言うものは軽々しいものではないからね」


 ハービソン侯爵がにっこり笑います。

 周囲から拍手が沸き起こります。母だけが小さく肩をすくめる中、大食堂に笑顔の花が咲きました。



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― 新着の感想 ―
ここまで育ったらアーティはイブリンの作品と言っても過言では無いですねー。 アーティが淑女になればなるほど作者のイブリンがいかに素晴らしくやり手であるかがわかるようになる。作品には愛着が湧くもんですがど…
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