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(ハービソン侯爵は、ビジネスの話を聞きたくてうずうずしているわね)
私はほくそ笑み、わざとゆっくりお茶を飲みました。
ハービソン侯爵領地の主要産業は鉱業と農業。複数ある鉱山では製鉄材料となる鉄鉱石を産出しています。
(まだ王都では知られていないけれど……ハービソン侯爵領は停滞ムードに包まれている。主力の鉄鉱石の産出量が少しずつ減っているから)
だからハービソン侯爵は、鉱山が枯渇する前に新たな産業を生み出さなければならない。そのためには莫大な投資が必要で、ハービソン侯爵家の台所事情は苦しくなってきている。
私は早い段階でこの情報を掴んでいました。配下の者が優秀で忠実だと助かりますね。
(お母様は先見の明があったわ。ハービソン侯爵はツキに見放されているもの)
スタントンが仕入れてきた情報によれば、数か月前ハービソン侯爵領内でマベルレット鉱床が発見され、侯爵は居住者を追い出して採掘を強行したのだとか。
マベルレットは赤い宝石。非常に価値が高く、貴族の間で高い人気を誇ります。マベルと短く表現されることが多いですね。
この宝石の発見で、ハービソン侯爵家の財政問題は一気に解決したかに思われました。
(でも残念ながら、マベルレットの質が悪かった)
マベルレットの価値は、赤の鮮やかさと透明度で決まります。しかしハービソン侯爵領の物は透明度が低く、発色が悪かった。
テッドが極秘に入手したサンプルを確認しましたが、はっきり言って資産価値はほとんどありません。
国内外の宝石店は、一級品を買えるだけの財力がある顧客を相手にしています。王侯貴族や裕福な中産階級ですね。彼らは質の悪いマベルは買いません。
(ハービソン侯爵は将来が不安でたまらないはず。こちらの提案に、一も二もなく飛びついてくださればいいのだけれど。今後のお付き合いを考えたら、奥様のスキャンダルやご嫡男の不行跡といったネタは使わずにおきたいわ)
父もことさらゆっくりと口に運び、しみじみと味わっています。
「やはり、シェンダが淹れた茶は上手いな」
「恐れ入ります。ハービソン侯爵様のお口にも合えばよいのですが」
シェンダの声など耳に入らぬ様子で、ハービソン侯爵は指先でクラバットをいじくっています。イライラ感が強いようですね。
宰相である父は人脈が豊富で、利にさとく、儲け話を誰よりも早くキャッチしています。そんな父が「ビジネス上の提案がある」と言ったわけですから、早く聞きたくてたまらないのでしょう。
(まあ、全てのアイデアを考えたのは私なのだけれど)
戦いは序盤をいかに支配するかが勝敗を分けます。『焦らし』も主導権を握り、相手の心を引き寄せるテクニックです。
「ジェイク。お前だけに特別に教えるんだが……」
お父様がもったいぶった口調で、詐欺師の常套句のような言葉を口にしました。
「な、なんだ?」
ハービソン侯爵は前のめりになります。
「実はな、くず石を大量に買い占めたいという人物がいるんだ」
くず石というのは、ストレートに『価値がほとんどない石』という意味です。
「……何のために?」
「もちろん、売るために。近い将来、大きな需要が見込めるそうだ」
「アンドルー、私をからかっているのか?」
ハービソン侯爵が腿の上で握り拳を作ります。
「さすがの情報収集能力で、私がくずマベルを掘り出したことを掴んだんだな。存分にあざ笑った上で、詐欺にでも引っかけるつもりか?」
「心外だな。ミルバーン公爵家の当主で宰相でもある私が、うさん臭い話をすると思うのか?」
「くずマベルを買い占めてどうするつもりだ。商品化したところで、貴族は誰も買いやしないぞ」
「そうだな。商品を売ろうとすれば、買い手が必要だ。欲しがる人間がいれば売れる。お前のマベルを買う人物と私たちはチームで動いていてな。お前のマベルの販売に関し、斬新な計画を立てている」
「斬新な計画?」
「国民の大多数を占める『平民』に売るんだよ」
「何を言い出すのかと思ったら……」
ハービソン侯爵は呆れたようにため息をつきました。
「それくらいのことは私だって考えたさ。資産性はそれほどなくても、装飾品として気軽に楽しんでもらえないかと。だが中産階級はともかく、労働者階級に身を飾る習慣はない」
カークレイ王国は階級社会。全人口に占める王侯貴族の割合は五%程度です。
中産階級は十五%ほど。軍人や王宮の官僚、裕福な商人、聖職者や医師、銀行家や弁護士などですね。
つまり人口の八十%が労働者階級なのです。
王侯貴族には、何らかの記念日に宝石を贈る習慣があります。権力や財力を見せつけるために日常的に着飾るので、自分用にもたくさん買いますしね。投資や資産の分散のためにも、質のいい宝石にお金を惜しまないのです。
ほどほどに良い暮らしをしている中産階級の人々も、宝石店へ足を運びます。しかし頻度はそう多くないため、消費額はそれほど高くありません。
そして労働者階級の人々が身に着ける装飾品は結婚指輪のみ。宝石のついていない簡素なシルバーリングです。
ハービソン侯爵が頭を抱えました。
「宝石業界はそれほど大きな市場ではない。売り上げのほとんどを、人口の五%しかいない王侯貴族に頼っている。王都は好景気だが、労働者階級は宝石以外に金を回す習慣が身についてしまっているんだ。奴らに買いたいと思わせる策がない」
「その策があると言ったら……どうなさいますか?」
私の言葉に、ハービソン侯爵が弾かれたように顔を上げます。
こちらにいっさい目を向けなかった彼が、ついに私の顔を見ました。二十年前に恋した女性にそっくりの、美しい娘の顔を。
「実は、事業計画を立てたのは私なのです。話を聞いてくださいますか?」
自分がもっとも美しく見える笑みを浮かべて、私はハービソン侯爵を見つめます。
ハービソン侯爵は「ああ」と息を吐き、魅入られたように私を見つめ返します。
「実は近い将来、途方もない出世をする平民が現れます。その人物をビジネスに利用するのです」
「平民が途方もない出世? その人物は一体……」
「それが誰かはお伝えできません。このビジネスを成功させるために、一緒に努力してくださる方でないと。でも私のビジネスプランをお聞きになれば──ハービソン侯爵様が仲間になってくださるものと信じていますわ」
私は目に力を、声に自信を込めて言いました。