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伯爵令嬢のテストの日がやってきました。子爵令嬢のテストの日から、ちょうど二週間が過ぎたことになります。
今回のテストの内容は、ジェンセン伯爵の前で王族と貴族の名前をそらんじて、ワルツを披露すること。
アーティと伯爵の会話は求めない予定でしたが、上流階級の言葉の発音がよくなってきましたし、文法の誤りも減りました。現在の地位である子爵令嬢としてそれほど恥ずかしくはありません。
せっかくなので質疑応答形式にして、質問者は伯爵ご自身に務めていただくことにしました。
「では始めましょうか」
私は皆様の顔を見回して、にっこり微笑みました。
アーティとジェンセン伯爵がテーブルに横並びで座ります。ちなみにテーブルクロスの刺繍は、アーティの手によるものです。
彼女は孤児院育ちなので、手芸の腕前はなかなかのもの。貴族令嬢の嗜みのひとつである刺繍はすぐにマスターしました。
「ふむ、見事な刺繍だ。ミルバーン公爵家とテイラー公爵家の紋章だね。この二つは問題から省こう」
ジェンセン伯爵はそう言って、王侯貴族の紋章をすべて収めた図鑑を開きました。
「さて、アーティ嬢。この鮮やかな赤地に双頭の獅子は、どちらの家の紋章かな? 現在のご当主一家の名前も答えてくれるかい?」
「はい、カークレイ王家です。敬愛すべき我らが国王ギデオン陛下とグヴェンドリン王妃陛下の間には、十四歳のフレデリック王太子殿下、九歳のリチャード王子殿下、五歳のニコラス王子殿下の三人のお子様がいらっしゃいます」
「さすがに簡単すぎたね。ではこちらの薔薇が特徴的な紋章は? ご当主夫妻と嫡男の名前も答えてほしい」
「セバウル侯爵です。ご当主のテレンス様は陸軍大臣を務めていらっしゃいます。奥様はニールズ伯爵家ご出身のヘレン様。ご嫡男のサント様は上院の議員をお務めです」
「ふむ。ちょっと内容が逸れるが、下院とはどういうものだったかな?」
「下院は軍人と聖職者で構成されています。下院からの請願は上院が審議し、国王陛下によって決定が下されます」
アーティが正確に答えます。下院についての質問は想定内でした。
ジェンセン伯爵は「素晴らしい」と満足げにうなずきます。
「では、この水色の地にたくさんの星が描かれている紋章は?」
「ショウ子爵家です。ミルバーン公爵家のご親戚で、ご当主はギャレット様、奥様はルーシー様、ご嫡男はライマス様です」
「こちらの黄色地に牛の紋章は?」
「ジェンセン伯爵様の叔父、マックス様がご当主のクレイマン侯爵家ですね。奥様はベネシア様で、ご嫡男はニコラス様です」
しばらくの間、似たようなやり取りが続きました。
「凄いな、完璧に覚えているじゃないか」
テイラー公爵が目を丸くしてつぶやきます。
私は小さく微笑みました。アーティの大好きな小説『王子様と宿命の花嫁』の中に、ヒーローがヒロインに紋章について教えるシーンがあるのです。王族や八大公爵家以外は、ほとんどがフィクションですけれど。
アーティはおとぎ話限定とはいえ、かなりの記憶力の持ち主。その能力を活用するために、読み聞かせのストーリーを一部改変したのです。その他にも、紋章の描かれた絵カードをリズムに合わせてテンポよく見せ、大量の情報を脳にインプットする最新の教育法も実践しました。
「上流階級の言葉遣いも、それなりに自然な感じになってきたじゃないか」
再びテイラー公爵がつぶやき、満足げにうなずきます。
今回のテスト内容に関しては、何度となく同じ文章を読み聞かせ、繰り返し発音させました。ピンポイントで、申し分のない話し方ができるよう最善の努力を払ったわけです。
上流階級の言葉を完璧に操るためには、もう少し時間が必要でしょう。アーティが無事に伯爵令嬢になってから、ふさわしい実践の場を用意する予定です。
「驚きだ」
そう言ってジェンセン伯爵が紋章図鑑を閉じます。
「とてもよかったよ、完璧だった」
伯爵はにっこり笑って「発音もとてもいい」と付け加えます。
「お褒めにあずかり、光栄でございます」
アーティが穏やかな笑みを浮かべます。こういった笑い方も作法のひとつ。無垢で清純に見えるよう訓練しました。
「次は、ワルツを踊って見せてくれるのだったね」
「はい」
アーティは優雅な動作で立ち上がります。そしてしずしずとダンスフロアに向かいました。
ワルツの相手役はスタントンが務めます。正装した彼が手を差し出し、アーティが手をのせます。
スタントンがもう片方の腕をアーティの背中に回し、アーティももう一方の手をスタントンの肩に置く。ホールドという、ワルツの最初のポーズです。
トーラ夫人がピアノで奏でるのは、初心者向けのゆっくりした曲です。三拍子のリズムに合わせて、二人が踊り始めます。
(ワン、ツー、スリー。ワン、ツー、スリー)
私は心の中で拍子をとりました。
スタントンはアーティを巧みにリードしています。
アーティもかなりさまになっています。元々運動神経のいい子ですし、馬糞係で足腰を鍛えていましたからね。
「ふむ、ワルツの踊り方もしっかり体得しているな」
テイラー公爵が嬉しそうにつぶやきました。アーティの教育その他の莫大な費用を負担しているのは彼ですから、出来栄えが気になって仕方なかったのでしょう。
『視覚に訴える授業』と『実践学習』は、素晴らしい相乗効果を生み出しました。アーティは体の細かな動かし方にも手を抜かず、淑女らしい気品に溢れています。
ワルツは円を描くように踊るステップを踏む踊りです。スタントンとアーティは曲に合わせて、フロアじゅうをくるくると優美に回りました。
とても華やかで見事です。アーティが踊れるのはこの一曲だけですが、ここが貴族の集う舞踏会の会場だったとしても元平民であることを見抜ける人などいないでしょう。
二人が最後のポーズを取った時、一斉に拍手が起こりました。
「素晴らしかったよ、アーティ嬢。一瞬たりとも目が離せなかった。淑女になろうと一生懸命に頑張ったんだろうね」
ジェンセン伯爵は感心しきった表情で言います。
「お褒めいただき恐縮です。イブリン様のおかげです」
アーティの言葉に、ジェンセン伯爵は微笑みます。
「もちろん、ほとんどは教育を施したイブリン嬢の功績だが」
伯爵はそう言って、こほんと咳払いをしました。
「アーティ嬢、君は私が望む水準をクリアした。合格だよ、これからは父と呼んでほしい」
「まあ、嬉しいですわ……お義父様」
再び拍手が起こりました。
「いやあよかったよかったっ!!」
テイラー公爵が大きな笑い声を上げます。
「まったくイブリン嬢ときたら、恐ろしいほどの天才ぶりだ。ぼろ雑巾のようだった馬糞係をここまで上手く育てるとは」
「まあ、お褒めにあずかり光栄ですわ」
私はにっこり笑いました。せっかく褒めてくださっているのですから、喜んでみせるのが礼儀です。
「バーナードのことで傷ついているそぶりもなく、己の後釜の教育も楽々とやってのける。イブリン嬢は、苦労などという言葉とは無縁だな」
テイラー公爵は感心したように、うんうんとうなずいています。
「苦労していないなんてことは……」
小さくつぶやいたのはアーティです。
私は「おめでとう」とアーティの肩に手を置きました。
「私の人間らしい一面は秘密よ、アーティ。白鳥は水面下のあがきを見せないの」
アーティの耳元で囁きます。
テイラー公爵やジェンセン伯爵には感動的なシーンに見えているのかしら。そんなことを考えながら、私は彼女の体を抱きしめました。