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調教場の土は柔らかくしてあるから、たとえ落馬しても命取りにはならない。そもそも私は落馬などしない。それでも帽子を被るのは、貴族として伝統的なスタイルを重んじているからだ。
馬丁に引き綱を引っ張られたサンブルーは、厩舎から出るのを嫌がった。調教場へ移動させるのにも時間がかかった。
サンブルーがどんなに暴れていようが、私なら命令に従わせることができる。私は柔らかな土を踏みしめて歩きながら、そう確信していた。
「おっと」
わずかに足がふらついた。隣を歩いているエドモンドが慌てたように言う。
「兄さん、やっぱり酔っぱらってるじゃないか! そんな状態でサンブルーみたいな気性の激しい馬に乗るのは無理だよ!!」
「うるさい! 私はどんな馬でも乗りこなせる!!」
私は叫ぶように言い、鼻息を荒くしているサンブルーに近づいた。
「そうさ……あのイブリンだって、私に媚を売ってきたんだぞ……」
私は小さな声で呟きながら、サンブルーをじっと見つめる。
サンブルーは引き綱を持つ馬丁に抵抗し、頭を振り上げたり、歯をむき出しにして蹄で地面を引っかいたりしている。
「お前の新しい主人は、この私だ!」
サンブルーが動きを止めて私を見る。私が手に持っている鞭を見る。私なら大丈夫という確信が、さらに強く漲ってくる。
私は手綱を取り、さっとサンブルーの背に飛び乗った。私の滑らかで美しい動きに、エドモンドが驚いたように目を見張る。
私を鞍上に乗せたサンブルーは、反抗して頭を反らしたり、後ろ足を蹴り上げたりする。飛び跳ね、体を横に揺らすサンブルーを、私は「馬鹿が!」と笑い飛ばした。
「私は落ちんぞ! お前より私の方が上だ! 私はずっと勝ってきた。子供のころからずっと一番だった。私に服従しない者などこの世にいないのだっ!」
鞭を入れると、サンブルーが駆け出した。私はその力強い走りに気をよくして「ははは!」と笑い声をあげた。
鞭と手綱でサンブルーをコントロールする。多少は手こずったものの、サンブルーは次第に命令に従い始める。
「背中に乗っている男の価値を悟ったらしいな!」
私は上機嫌で調教場を一周した。馬丁たちやエドモンドが、心配そうな顔で私を見ている。勝者は私だというのに、馬鹿なやつらだ。
「どうだイブリン、さっそくサンブルーを手なずけたぞっ!」
私は誇らしげに背筋を伸ばした。
ああ、私が見事にやってのけたと耳にする瞬間の、イブリンの顔が見たい。
イブリンがこれからも下手に出てくるなら、人前では優しい夫の顔くらいはしてやってもいい。領地の別荘に追いやるのは止めて、王都で正妻としての仕事を与えてもいい。
アーティの腹から生まれてくる子供の養育を任せてもいいかもしれない。女としては教養を身につけすぎているが、よき教師にはなれるだろう。
女らしく私を癒す役割は期待していないが、テイラー公爵家のために最善を尽くしてもらおうじゃないか。
私は祭壇までの道を歩くイブリンの姿を思い浮かべた。外見的にはとても美しい。好みのタイプではないが、公爵夫人に最も適した女であることは間違いない。
彼女との結婚によって国内での私の影響力はさらに強まり、大いなる栄光への道が開けるのだ。新婚カップルらしく、肩ぐらいは抱いてやっても──。
「兄さん、ぼんやりしちゃ駄目だっ!」
エドモンドの叫び声が聞こえた。はっとした私は、何を思ったか手綱を握る手の力を緩めてしまった。
私を振り落とすタイミングを計っていたかのように、サンブルーがいきなり棹立ちになる。私は無様に投げ出された。
「うわあああああっ!」
いくら土が柔らかいとはいえ、落ちる際に全体重のかかった左足が、まるで骨でも折れたかのようにずきずき痛む。
走ってきたエドモンドがサンブルーの手綱を掴んだ。
強烈な怒りが込み上げてきて、私は大声で叫んだ。
「す、すぐにこの馬を処分しろ! イブリンめ、こんなろくでもない──」
「落馬したのは自分のせいだよっ!」
エドモンドが私を鋭く睨みつけてくる。
「朝っぱらから酒を飲んで、酔った状態で乗った兄さんが悪いんだ!!」
「お前……」
いつだって私が上で、格下のスペアでしかなかったエドモンドの反抗に、私は呆然としてしまった。
「僕がサンブルーを厩舎に戻して世話をしてくる。ミルバーン公爵家からの友好のしるしを傷つけたり、餌を抜いたりしたら、我が家の名誉に傷がつくからね」
エドモンドがきっぱり言った。私は口をぽかんと開けて、急に大人びた弟の顔を見ていることしかできない。
「お前たち、兄さんに肩を貸してやってくれ。ひとまずは医療の知識がある使用人に診させよう。下手に医者を呼んで外の人間に落馬したなんて知られたら、兄さんが大恥をかく。酩酊状態だったことも秘密にしてくれよ、恥の上塗りだからね」
エドモンドが馬丁たちに命じる。私はぎくりとした。酔っているつもりはなかったのに、急速に酔いが醒めていく。
「そうだ……落馬したなんて、誰にも知られるわけにはいかない……絶対に隠し通さなくては……」
ついさっきまで感じていた万能感など消え失せ、絶望が胸に広がっていく。私は頭を掻きむしった。
エドモンドもサンブルーも、冷たい目で私を見ている。それは雪山のように遠く冷たい、イブリンの目に似ている気がした。