2
エリスの顔がぱっと明るくなりました。彼女にとっての『希望』となる言葉が心の奥深くに染み入ったようですね。
そう、復讐心など『今』は必要ない──のちのち復讐心を発揮するとも約束していない。
けれど先々に何かがあるのだと、私は含みを持たせた。それがエリスにとっての『希望』になるように。
未来への希望があれば、人は何でもできますからね。
「目先のことに左右されては駄目だ。たとえ心の中では怒っているとしても、アーティに優しくしてやってくれ。僕たちは一心同体、成功するにしても失敗するにしても二人一緒なんだ」
成功する、あるいは失敗するのが『何』なのかは明言しません。それを『復讐』と捉えるのは、エリスの自由です。
「力になってくれるね? 僕のために」
私は真剣な表情でエリスの手を握りしめました。彼女の頬が赤く染まります。
「も、もちろんです。私ったら、浅慮で恥ずかしいですわ。私の考える復讐なんて、イブリン様にとっては安易すぎますものね。私よりずっといい考えがおありになって当然ですのに。本当に申し訳──」
私はエリスにぐいと顔を近づけ、口元に笑みを浮かべました。
「謝らなくていいんだよ。僕のためを思って言ってくれていたことはわかっている」
「イブリン様……」
私の男装姿は見ていてうっとりするらしく、エリスはすっかり夢見心地になっています。
(この姿、女性使用人の間でも大層人気があるのよね。どうにも抗いがたい魅力があるって。今日出かける先にも年頃の女の子がいるはずだし、十分に活用しなくちゃ)
そんなことを考えていると、ドアの向こうからレイクンが姿を現しました。
「僕によく似た顔で、朝っぱらから倒錯的な場面を演じないでくれよ……」
レイクンの眉間に深い皺が寄っています。
会話を聞かれていたようですが、驚きはしません。エリスとの話の途中から立ち聞きされている気配と、それがレイクンであることを感じていましたし。
レイクンは身内には優しいですから、私から叱責を受けていたエリスに恥ずかしい思いをさせないために、入室を控えていたのでしょう。
「僕そっくりなのに、僕より男の色気があるんだからやってられないよ。女の姿でも圧倒的な存在感と並外れたカリスマ性があるのに」
私は「はは」と快活に笑いました。
「簡単さ。女性が理想とする男性像を演じればいいんだ。男らしい仕草を徹底的に研究してね」
「じゃあ、いつもイブリンを見ている僕は、ドレスを着て化粧をすれば素敵な淑女になれるかもしれない?」
レイクンの言葉に、私は茶目っ気たっぷりにウインクをして見せました。
「いいアイデアだ。いつか活用させてもらおう」
「じょ、冗談だよ! 絶対にやらないからねっ!」
レイクンの顔が青くなります。
私はエリスの手を放し、彼女の肩を優しく叩きました。
「ハーブティーを淹れてきてくれるかい? レイクンはそっちの方が好きだから」
「かしこまりました。最高の一杯をご用意しますわ」
「楽しみだ。君が淹れるお茶もコーヒーも、僕に素晴らしい励ましを与えてくれるからね」
「とっても嬉しいお言葉ですわ」
エリスが満面の笑みになり、軽やかな足取りで出ていきます。
足音が完全に消えるのを待って、レイクンが口を開きました。
「さっきのは、エリスに必要な叱責だったけど。聞いていて冷や冷やしたよ。彼女、イブリンが好きすぎてこじらせているから。アーティに対する苛立ちが膨れ上がって、爆発しそうなところを上手に回避したね」
レイクンがにっこり笑いかけてきます。向かい合って見つめ合うと、まるで鏡を見ているみたい。
「まあ、エリスの気持ちはわかるよ。厳しい淑女教育が復讐代わりだなんて到底納得できないし。アーティを見ると怒りを抑えるのが難しいし、イブリンは不思議なまでに超然としているし。希望は必要だよ、先々にもっと大きな、もっと素晴らしいことを待っているって」
レイクンは軽く肩をすくめました。
「あ、自分自身と喋っているみたいなのは勘弁してほしいから、護身用の短剣は抜いとくよ?」
そう言うとレイクンは私のジャケットをめくり、男性モードに入るスイッチになっている短剣を抜き取ります。胸が軽くなると同時に、私はふっと肩の力を抜きました。
「レイクンもアーティとの初対面の時『その女を憎むなと言われたって無理な相談だ』って言っていたものね。ディナーの席では、よく耐えてくれたと思ったわ」
「なんだかんだ言って、イブリンのためなら何でもするんだよ、僕は」
レイクンは短剣を机の上に置くと、私の体に腕を回してきました。慰めるように抱きしめてくれたのです。
「双子とはいえ、僕はイブリンのすべてを理解できるわけじゃない。そこのところは悲しいものがある。でもさ、お前が心の暗い部分で何を考えていようと──無条件に愛して、信じて、受け入れて、守るのが双子ってもんだろう?」
「……大好きよ、レイクン」
生まれてから今日まで、ずっと一番近くで私を見てきたレイクンの、愛と信頼に満ちた顔にキスをします。彼が私の心にある『何か』に気づいたのは、やっぱり双子だからでしょうか。
「イブリンを助けるために、できる限り手を尽くすよ。今日はアーティが育った孤児院に行くんだろ? その間のことは安心して任せてくれ」
「ありがたいわ。レイクンが全面的に協力してくれるとなれば、教育のスピードが上がるもの。エリスもあの様子なら立派に役立ってくれるだろうし」
私たちは抱き合って笑い合います。男女の双子がどちらも男の格好をして、ぴったりくっついて会話しているのは、はたから見たら不思議な光景でしょうね。
「いやあ、こいつは不思議な光景だなあ」
フレデリック様の声がしました。勝手にドアを開け、中を覗き込んでいるのです。後ろで申し訳なさそうにしているテッドの姿も見えます。
王太子らしからぬ不作法ですが、彼がこういうことをするのは私とレイクンが二人きりの時だけ。それに今の私は、作法がどうのこうの言える格好ではありませんしね。
いえ、それより何より、フレデリック様の格好に驚いて言葉が出なかったというのが正直なところです。
よれよれになった古いシャツ、汚れた乗馬ズボン、履き古したブーツ。色あせた乗馬帽をかぶり、牛乳瓶の底のような黒縁の眼鏡までかけています。
「フレデリック様、そんななりじゃ馬丁に間違われ──もしかして馬丁の変装なんですか?」
レイクンの言葉に、フレデリック様は口角を上げてにやっと笑いました。
予約設定ミスで1話を投稿してしまいました(慣れてなさすぎる……)
取り下げるのも申し訳ないので、1章分投稿します。




