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「そう、半分よ。先ほど言った二つの家のテストでは『会話』が課されなかったでしょう。それはあなたの発音や言い回しを、貴族らしいものに変えるが難しいからなの」
「アタシの喋り方、そんなに変ですか……」
「少し聞いただけで平民だとわかるわね」
一瞬、アーティは傷ついた表情を浮かべました。それから震える声で尋ねてきます。
「あの……それって……直せるもんなのでしょうか?」
「本当に難しいけれど、私の知識とあなたのやる気があれば直せるわ。一旦やると決めたら、私は必ずやり抜きます」
私はぱちんと扇を閉じました。
「喋り方のレッスンも今日から始めるわ。子爵令嬢、伯爵令嬢になるための勉強を通じて語彙を増やし、平民が使う単語の使用頻度を減らしていく。最初は舌が上手く回らないだろうけれど、徹底的に私や教師の真似をすることで、貴族が使う文法や言い回しを覚えるの。寝る時間以外はじょうろの水を浴びるように、言葉のシャワーを浴びてもらうわ」
「こ、言葉のシャワー?」
「そう。インコやオウムを見たことがあるでしょう? 彼らは人間に似た舌を持っていて、頻繁に話しかけてくる飼い主を仲間だと思い、言葉を学習して真似るのよ。鳥でさえ耳で聞いたことを正確に再現できるのだから、あなたにできないわけがない」
「インコやオウム……」
「空き時間は私や専任の講師が、正しい発音で『淑女の心得』を読んであげるわ。もちろん『ながら時間』も活用します。馬車に乗りながら、お風呂に入りながら、髪を梳かしながら、すべての『ながら時間』で朗読を聞く。耳で覚える勉強法で、発音と貴族の知識が同時に身につくの。まだ認知度は低いけれど、とある言語学者によって効果があることは証明されているわ」
実は、この最新の音声学習こそが淑女教育の肝なのです。三か月という短い期間では、普通のやり方では間に合いませんもの。
アーティがごくりと喉を鳴らします。起きている間は、何もしない時間というのは一分たりともない──少し前に私が言ったことは伊達ではありません。
妊娠初期の身では辛いでしょうし、つわりが重くなる可能性もある。ですが我が領地の『秘薬』には、つわりの症状を軽減できるものがあります。
おまけに総侍女長のシェンダには助産師の知識があり、妊婦の健康管理はお手の物。サポート体制は万全です。
「およそ二か月で成果が出ると踏んでいるわ。子爵令嬢になるまでの二週間、伯爵令嬢になるまでの二週間。そして、次なる目標である侯爵令嬢になるための四週間でね」
「アタシが侯爵令嬢なるって、想像もつかない……」
「たしかに侯爵は偉大だわ。特別な存在である八大公爵を除けば、最高位の貴族だもの。王家や公爵家に嫁いでも恥ずかしくないよう、侯爵令嬢たちはあらゆる教養に磨きをかけている。私の母ラフィア、バーナード様の母君ユリアナ様も侯爵家の出身よ。四週間で淑女らしく話す訓練を続けながら、さらに厳しい教育を受けることになるわ」
アーティの喉が、またごくりと鳴ります。愛する人の母親に認められるためには、ここで失敗できませんものね。
「あなたは四週間でさらに教養を深めつつ、実践的・体験的な学習をします。教養面は政治や時事問題、文学や音楽、絵画について詳しくなってもらうわ。実践は慈善活動から始めて、平民の前で令嬢らしく振る舞うの。次に信頼できる方を招いて、小さなお茶会や午餐会、ピクニックや晩餐会を取り仕切ってもらいます。お客様の接待の仕方、話題の選び方といった社交術を学ぶのよ」
「社交術……」
「お客様をおもてなしするためには、使用人たちの監督方法や、メニューの立て方も知らなければならないわ。あなたは言うなれば、軍隊の指揮を執る司令官。上手に催し物を切り盛りできるようになってちょうだいね」
「切り盛り……」
「義父候補の侯爵はそんなあなたの姿を、色々な角度から見るでしょう。あなたが見事務めを果たせたら、養女にしてくださるでしょうね」
「…………」
アーティが青い顔で震え始めました。私は頓着せずに先を続けます。
「めでたく侯爵令嬢になったら、華々しく社交界デビューよ。ルネド通りでも最高の店でドレスを仕立てて、いろんな場所に出かけます。結婚式までの残り四週間で、先ほど言ったお茶会や午餐会、ピクニックや晩餐会、貴族の遊びとして人気がある競馬、観劇、コンサート、美術鑑賞、華やかな舞踏会にも出席するの。あらゆる場面でのマナーは、もう身についているはずよ。あなたは社交界の重鎮と交流し、仕上げに王宮で国王陛下と王妃陛下に拝謁する」
「こ、国王……王妃……さま?」
「お二人の許可が出れば、あなたはいよいよアーティ・ミルバーン公爵令嬢になる。私専属のデザイナーを呼んで、夢のように美しいドレスを作ってもらいましょう。もちろん、ウエディングドレスも必要ね。結婚式を乗り切るためのマナーは、それまでの日々でしっかり身についているから心配しないで。あなたは私に負けないくらい完璧なレディに見えることでしょう」
ようやく話が終わったと思ったのか、アーティが小さく息を吐きます。
「とはいえ……それは表面上だけの話」
私はまた扇を開き、口元を隠しました。
「私が結婚式までの約三か月で施す教育は、テストに合格することだけに的を絞ったもの。一生を公爵令嬢として過ごすには、足りないものが多すぎる」
そう、私が与えた課題に熱心に励み、一定の水準に達したとしても満足とは程遠い。結婚式の後には、さらなる別世界が広がっているのです。
「八大公爵家の人間は、王族の名代として外遊に出かけることもあるの。特に今は王家に王女がいないから、あなたは周辺国から国賓として、まるで姫のように丁重に扱われるはずよ。ちなみに私は五か国語を流ちょうに話せるけれど、あなたは結婚後に学習するしかないわね。各国の文化や風習を知る必要もあるし、外交術も必要になるわ。国を代表して海外に赴くことは、とてもやりがいのある仕事よ」
そう、真に私と同レベルでバーナード様の正妻の役目を果たすなら、甘い新婚生活に胸をときめかせる時間などない。国際交流を深めるためには、三か月で学んだ知識では不十分なのです。
私を別荘へ追いやる予定だったバーナード様も、外遊の時だけは『同行してくれ』と頼んできたはず。
しかし『花嫁』ではなく『花嫁の姉』となる私には別の公務が割り振られるでしょうから、結婚式以降は彼にアーティを教育していただかなくてはね。音声学習について研究している学者を紹介するつもりは、もちろんありませんけれど。
「そして領地の管理も大切な仕事よ。なにしろ八大公爵家の領地は、そこらの小国よりも広大なの。テイラー公爵領も管財人や代理人、差配人や弁護士など、一流の使用人をたくさん雇っているわ。けれどすべてを人任せにしていたら、不正や争いの芽に気づけない」
「…………」
「あなたはバーナード様のよい補佐役になるために、様々な知識を身に着ける必要があるの。まずは領内法を覚えなければね。帳簿を読むためには会計・財務の知識がいるし。赤ちゃんが無事に生まれたら、視察のために乗馬もできるようにならなくちゃ。乗馬クラブの下働き程度では、商品である馬に乗せてもらえなかったでしょう」
「う……」
アーティが恥ずかしそうにうなずきます。やはり馬糞の始末ばかりしていたようですね。
「バーナード様は乗馬の名手だから、手取り足取り教えてくださるわ。二人で領内のあらゆる場所を回って問題点を見つけるの。修理したり改良したりする必要のある場所を見極めるために、多岐にわたる分野に精通していなければならないわ」
「イブリン……様は、全部できるんですか……?」
私は扇に隠れて「あら」とつぶやきました。アーティは今、私の名前に『様』をつけましたね。尊敬の念を抱いた証拠かしら?
「もちろんできるわ。五歳でバーナード様との婚約が決まった日に、あちらから教師が派遣されてきたのよ。テイラー公爵領のことは、大小を問わずすべて学んだわ。実践的なことはミルバーン公爵領で覚えたの。専門家から農業や医学、工業の各分野に関する知識を授けてもらい、診療所でお医者様のお手伝いもした。どれも自分の視野を広げてくれる、素晴らしい学びだったわ」
私は扇を閉じて、にっこり笑いました。
「これらはすべて、テイラー公爵ご夫妻の『理想の嫁』の条件でもあるの。あなたには一緒に戦い、共に試練に耐え、苦楽を分かち合えるバーナード様がいるのだから、きっと大丈夫よ」
今言った要素をすべて備えたら、立派なテイラー公爵夫人になれるでしょう。私はレイクンと共に男並みの教育を受けたので、他にも習得した知識や技術が数えきれないほどあるのですが。
(私が身につけた知識には高い価値がある。バーナード様は『領地内の別荘』に私を閉じ込めて、領地内のことに専念させたかったはず。自分は王都でアーティを愛でて、私のことは徹底的に利用するつもりだったのよ。でも、そうはさせない。私が身につけた知識は、私自身の幸せのために使わせてもらうわ。せいぜいアーティと二人、手を取り合って頑張ることね。すぐに現実の重みに押しつぶされるでしょうけれど)
3か月間の教育に耐え抜いても、アーティは決して私には追い付けない。彼女は魂が抜けたように呆然としています。
フレデリック様が「やはりイブリンこそが王太子妃の器だ」と満足そうに笑いましたが、いつも通り聞き流すことにします。
私はエリスに扇を手渡し、アーティの耳にしっかり響くようにぱちんと両手を打ち鳴らしました。
「それじゃあアーティ。まずは初歩の初歩、頭の上に本を乗せて床を行ったり来たりする練習から始めましょうか」