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「愚にもつかないことを言うね。今のお前のような人間が、好かれるわけがないじゃないか」

「え、誰?」


 自分にじっと視線を注いでいるフレデリック様を見て、アーティはぽかんと口を開けました。

 彼女の顔が赤いのは、フレデリック様の容貌が「これ以上美しい顔立ちは考えられない」ほど整っているからでしょう。

 身長は私より少し高いくらいなのに実に堂々としていて、内側から溢れ出す強烈なカリスマ性が、オーラとなって目に見えるよう。


(フレデリック様が十年早く生まれていたら、みんな彼に目を奪われてしまい、バーナード様が注目されることは減ったでしょうね)


 そんなことを思いながら、私はフレデリック様を手で示しました。


「紹介するわ、こちらはフレデリック・カークレイ王太子殿下。国民から敬愛される王家のご長男よ」

「お、王太子さ、ま……?」


 アーティの顔が青くなり、歯ががちがち鳴ります。

 侯爵家あたりの貴族の娘でも、王家の方々の前では緊張して震えますからね。中身はいまだ平民のアーティに耐えられるはずもありません。


「ああ……神様……」


 アーティが祈るように両手の指を組み合わせます。


「その通り、私は神の使いだよ」


 フレデリック様の言葉を聞いて、私は「なるほど」と思いました。

 王都の民にとって、王族はもはや人間ではなく神々の世界にいる尊い存在。王族を敬わない者は、ひどく不幸な人生を送ることになると信じている。


「バーナードとの間にまんまと子どもを作ったそうだね。イブリンに残酷な仕打ちをして平然としていられる、その度胸は大したものだ」

「あ……ああ……」


 アーティは怯えた表情でその場にひざまずきました。


「バーナードが何と言ったかは知らないが、お前たちは地獄へ落ちるべき存在。救う手立てを考えてくれたイブリンに感謝するがいい」

「はい……はい……。感謝します、だから、アタシたちを地獄に落とさないでください……」


 恐怖におののくアーティを見て、私は初めてフレデリック様の存在に感謝しました。

 八大公爵家とて、平民に畏怖の念を起こさせる存在ではあるのですが──アーティはバーナード様と恋仲になったことで、崇拝する気持ちがなくなっていたのです。


「よいか、イブリンは我が国の至宝、私の理想の女性。彼女を見くびることは、神である私を侮辱することだと心得よ」

「わ、わかりました」

「イブリンの命令には、黙って従え。使用人の言葉にもだ。我儘や愚痴を言って時間を浪費するのはやめろ」

「おっしゃるとおりにいたします」


 テイラー公爵も似たようなことを言いましたが、あの時のアーティはきょとんとしていただけ。それがどうでしょう、真剣な面持ちで頭を垂れているではありませんか。


「見事淑女に生まれ変わることができたら、平民たちに幸せな夢を与えられるだろう。期待しているぞ。お前とバーナードが地獄に落ちずに済む方法は、それしかない」

「はい……」


 アーティは震えながら、フレデリック様の足元にひれ伏しました。


(これは感謝しなければならないわね。フレデリック様の協力があれば、この計画が上手くいく可能性が高まるわ)


 彼は一瞬でアーティを支配下に置いてしまった。己の持つ、富と権力をもしのぐ神秘性を使って、私の仕事がやりやすいようにしてくれた。鞭を打つよりよほど効率的に。


(面白がっているのは事実だろうけれど。ありがたく、今後も協力してもらいましょう)


 フレデリック様がアーティに背を向けて、私にウインクを投げてきました。


「さあイブリン。今後の淑女教育について、具体的に説明してやるといいよ」


 つまり自分も知りたい、ということですね。まあ確かに、今ならアーティの頭にすんなり入るでしょう。


「アーティ、立ちなさい」


 私が言うと、アーティがわずかに緊張を解きました。


「は、はい。わかりました」


 アーティが神妙な口調で答えます。未だひざまずいたままの彼女が私を見上げ、はっと息を呑みました。まるで今初めて、はっきりと私の姿が見えたかのように。

 フレデリック様が再びアーティを見下ろします。


「バーナードがつけた目隠しが取れたか。真実の目で見るイブリンは、目がくらみそうなほどに美しいだろう?」


 そう言われて、アーティは急に恥ずかしくなったようです。せっかく綺麗なドレスに着替えたのに、自分がみっともなく思えたのでしょう。

 バーナード様に愛されたことで、私に「勝った」という思いが多少なりともあったはず。そんな勘違いがすっぱり消え、現実の重さが彼女の心を鷲掴みにしたようですね。


「バーナードの目が節穴でよかったよ。イブリンには、もっと見る目がある男がふさわしいんだ。彼女をもっと輝かせることができる相手、つまり私のような──」


 私はさっと前に出ました。もういいでしょう、フレデリック様の言葉は十分アーティの心に沁み込みましたから。


「もう結構ですわフレデリック様。淑女教育の話を進めましょう。アーティ、そこの椅子に座ってちょうだい」

「神の使いたる私に、この冷たいあしらい。だから好きだし、崇拝しちゃうんだけど」


 フレデリック様はわざとらしく泣きまねをしてから、ソファに腰を下ろしました。

 私が王都の民にとっての神と対等で、個人的に親しい間柄であることを見せつけられて、アーティは唖然とした顔をしています。

 私は苦笑しました。淑女教育の際、フレデリック様が邪魔になると思っていたのですけれど、彼の存在は決してマイナスにはならない。

 アーティはおずおずと立ち上がり、かしこまった態度で椅子に座りました。

 私もアーティの向かいの椅子に腰を下ろしました。そして扇を開いて「さて」とつぶやきます。


「あなたは身支度を整えて、ようやくスタートラインに立ったわけだけれど」

「は、はい」


 私を見つめるアーティの目には、真剣な光が宿っています。


(よほど地獄に落ちたくないのね)


 私は扇で口元を隠しながら苦笑しました。


「次の目標である子爵令嬢になるには、身につけなければならない礼儀作法がたくさんあるわ。これから二週間程度で、所作全般を徹底的に教え込みます。淑女らしい装い、歩き方、姿勢、挨拶の仕方、テーブルマナー、お茶の淹れ方。前庭に出て、正しい馬車の乗り降りの仕方もマスターしなければ。バーナード様の花嫁になる、長い道のりの第一歩ね」


 私はすっと目を細めました。


「新たな義父となる子爵の前で三十分程度、申し分のない作法で振る舞うことができたら合格とします。ここではまだ、弾む会話などは求めません」


 アーティが目を白黒させます。

 彼女にとっての淑女教育のすべてが、私が今話したことに詰まっていたからでしょう。おどおどしてはいるけれど「まだあるの」などと軽口は叩いてこない。フレデリック様のおかげですね。


「子爵があなたを養女にすることを了承したら、ドレスと小物を新調するわ。前にも話した『新しい鎧』ね。まずは下位貴族の通うサビナ通りで買い物の仕方を学ぶと同時に、仕立屋の前でも、子爵令嬢の名にふさわしい振る舞いをしてもらいます」


 アーティは頭の中で、その瞬間のことを思い浮かべている様子です。私は言葉を続けました。


「商人たちは皆、とても忙しいの。立場が上だからといってくだらないことで煩わせてはいけません。我が家の使用人たちが、目下の前でどう振る舞えばいいか教えてくれるでしょう」


 アーティが顔を赤らめ、居心地悪げに座り直しました。使用人を拒絶する余地がないことを痛感したのでしょう。


「学んだことにさらに磨きをかけながら、次の二週間でダンスのステップをマスターしてもらいます。そしてカークレイ王国の歴史を詳しく知り、国内外の主だった王族・貴族の名前、それぞれの紋章も暗記してもらうわ。ミルバーン家とテイラー家、両公爵家の紋章は刺繍までできるようにならなければ」


 私は扇を口元からずらし、にっこり笑いました。


「義父となる伯爵の前で、あなたは王族と貴族の名前をそらんじて、ワルツを披露することになるでしょう。ここでもまだ、相手との会話は求めないわ」


 上手くやる自分の姿が想像できなかったのでしょう、アーティの口元がひきつりました。

 私は構わず話を続けます。


「首尾よく伯爵令嬢になれたら、高級服飾店の立ち並ぶルネド通りにドレスを仕立てに行きます。ここまでで、高位貴族としての社交界デビュー準備の、半分が終わるわ」

「は、半分……」


 アーティが呆然とつぶやきました。



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