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 三階にある私専用の執務室の扉を開けると、フレデリック様がソファに座ってくつろいでいました。


「お疲れ様! さあ、私の隣でゆっくりしなよ」

「私は仕事がありますので、どうぞおひとりでくつろいでください」


 落ち着き払った声で答え、私は机の椅子に座りました。


「また王宮を抜け出していらっしゃったんですか。あまり度が過ぎると、国王様も王妃様もお叱りになりますよ」


 書類に視線を走らせながら私が言うと、フレデリック様が机の前にやってきて、広い天板に両手をつきます。


「これも立派な社会勉強さ。平民の娘を三か月で公爵令嬢に変える──醜いアヒルの子を白鳥に変身させるのと同じくらい非現実的だよ。でもイブリンはきっと、見事というほかない手腕でやり遂げる。私には王家の人間として見届ける義務があるんだ」


 フレデリック様は真面目な顔で、私をじっと見つめています。

 弟のような存在なので忘れてしまいがちですが、真剣な顔をした彼は恐ろしい。王者の風格があり、そこにいるだけで権威ある雰囲気を醸し出すのです。こうして見つめられると、私ですら従わざるを得ない気分にさせられてしまう。


「王家には私の他に、見届け人の役目にふさわしい者はいないわけだから。できる限り毎日来るよ」


 私は机の上で両手の指を組み合わせました。


「つまりフレデリック様は、変わった娯楽を楽しみたいということですね」

「言い方を変えればそうだね!」


 フレデリック様がにっこり笑みを浮かべました。私とレイクンにしか見せない明るい笑顔で、がらりと雰囲気が変わります。

 彼がこの屋敷へやって来るのは、王太子としての重圧や世間の期待から束の間でも解放されるため。そこに新しい娯楽がやってきたのだから、見逃すような真似はできないということでしょう。


「毎日見ていると、かえって変化がわかりづらいですよ。すぐに進歩が現れるとも限りませんし。そうですね、四週目くらいにいらしては?」

「いやだ。私を排除しようとするなら全力で駄々をこねるけど、いい?」

「それは困りますね……」


 私はため息をつきました。フレデリック様が全力を出したら厄介なので、了承するしかありません。


「エリス、忙しいから昼食はここで済ませるわ。ナイフとフォークを使わずに済む軽食を用意させて。私とエリスとテッド、そしてフレデリック様の四人分ね。いえ、やっぱり五人分にしましょう。アーティの部屋にも届けさせてちょうだい」


 私が言うとエリスは「はい」と微笑み、ベルを鳴らして他の侍女を呼び出しました。

 私たちの軽食は時間短縮のため。アーティの分は、彼女がまだちゃんとした食事マナーを知らないためです。

 私はフレデリック様を見上げて、ため息をつきました。


「まったくおかまいできませんよ。アーティの状況を逐一報告することもしませんからね」

「邪魔をしないように気配を消して、大人しくしているよ。あ、この報告書は読ませてもらうね」


 フレデリック様はアーティの出自などの情報が綴られた報告書を取り上げ、足取りも軽くソファに戻りました。

 私はまたため息をつきました。いちいち報告しなくても、フレデリック様はこうして勝手に情報を得るのでしょう。


「テッド、スタントンのところへ行って、私が呼んでいると伝えて」


 テッドは「承知いたしました」と答え、部屋から出ていきます。

 時間を無駄にできないので、一番手前にあった書類に目を走らせます。ほどなくしてノックの音が聞こえました。私は「どうぞ」と答えます。


「失礼します。スタントンさんをお連れしました」


 そう言ってドアを開けたのはテッドで、彼に続いて入ってきたのは二十代後半の青年でした。なかなかの美男子で、ぱりっとした身なりをしています。水色の瞳で、青みがかった銀髪を長く伸ばし、それを一本の三つ編みにまとめて左肩に流しており、かなり知的な印象です。

 青年の名はスタントンといって、とある伯爵家の四男。そして、ミルバーン公爵である父の秘書です。すこぶる有能な人物で、王都でのあらゆる雑務を一手に引き受けています。

 執事は屋敷の中に目を配る存在ですが、スタントンの目は常に外に向いている。私が立てる『作戦』に必要不可欠な人物なのです。


「座ってちょうだい、スタントン」

「はい」


 スタントンは私の机の前の椅子に腰を下ろしました。この屋敷の上級使用人で、フレデリック様の存在に大騒ぎするような者はいません。


「急を要する案件がいくつかあるの。まずひとつ目、うちの厩舎にいる若馬サンブルーが、バーナード様の手に渡るように手配してちょうだい」

「青鹿毛で、すこぶる元気のいい馬ですね。しかしあれはまだ十分に調教ができておりませんが」

「だからいいのよ。バーナード様は難なく乗りこなせる大人しい馬を好まない。どんなに気性の荒い馬でも、自分の腕なら飼いならせると思っているわ」


 私はふふっと笑いました。

 バーナード様の馬に関する知識の豊富さは有名ですが、我がミルバーン公爵領も名馬をたくさん輩出しています。私も幼い頃から領地内を馬に乗って走り回り、馬丁と一緒に馬の世話をしてきました。おかげで馬の目利きにはかなりの自信があるのです。


「サンブルーはとびきり上等の血筋で、もう少し成長したら稀に見る名馬になるわ。手ごわい相手だけれど、バーナード様はすっかり興奮して夢中になるはずよ」

「なるほど。バーナード様を閉じ込めておくために、必要な処置というわけですね」


 スタントンは合点がいったという風にうなずきます。

 テイラー公爵は私との約束を守り、バーナード様に謹慎を命じてくださいました。『結婚前に愛人を作ったこと』に対する処分として、結婚式までの三か月間すべての仕事を取り上げると。もちろん議会も欠席、社交の場にも出られません。

 ミルバーン公爵家の令嬢である私を徹底的にコケにした代償が、たった三か月の休職で済むわけです。軽い処分にほくそ笑んでいるに違いありません。

 とはいえいつまで殊勝な態度で屋敷に閉じこもっていられるかわかったものではありません。アーティとの結婚式まで、あの男の傲慢な顔など見たくない。ですから様々な作戦を考えています。

 若馬のプレゼントは最初の一手です。あの屋敷は二軒の家を合わせて造り替えたものですから庭も広く、好きなだけ馬の調教ができますからね。

 彼は見事サンブルーを乗りこなせるかしら? 本当に気の荒い馬ですから、怪我をしなければいいのですけれど。


「二つ目は、アーティの次の受け入れ先を探すための作戦よ」


 頬にフレデリック様の熱い視線を感じながら、私は言葉を続けます。


「明日、海軍の新人を大勢乗せた船が入港するのは知っている?」


 スタントンが口に指を当てます。


「確か……練習艦ミーガンですね。貴族の次男以下がたくさん乗っている」

「ええ。彼らは訓練のために何か月も陸に上がらずにいたから、様々なものに飢えているわ。美味しい食事とお酒、綺麗な女性。そしてギャンブルといったひと時の娯楽に。新兵の中には、酷くのめり込む者も出てくるはず」


 スタントンが「ふむ」と考える表情になりました。


「酒や女や賭博に溺れて財産を減らし、借金をするような愚か者を探すなら、すでに爵位を継いだ貴族が通う『オールアーク』や『ブラック』などのクラブを当たった方が確実なのでは?」


 私は首を横に振りました。


「当主自身が借金をするようでは駄目よ。アーティの義父は、それなりの人格者でなければならないわ。テイラー公爵のように、息子の尻拭いのために奔走する親馬鹿くらいがちょうどいいの」

「なるほど……イブリン様の慧眼には頭が下がるばかりです。でしたら港近くの繁華街に人をやって、金の問題を抱えている新兵を探させましょう」

「私やお父様の名前は絶対に出さないようにしてね。では三つ目、これも困っている貴族を探すためなのだけれど、我が領地で作った薬を売る店を開いてほしいの」

「ミルバーン公爵家の秘薬をですか? あれらは門外不出のはずでは……」

「どの薬も調合するのが簡単ではないというだけよ。いまは備蓄がたくさんあるから問題ないわ。店の場所は、ルネド通りから歩ける距離がいいわね。強気の価格をつけていいわよ、楽に手に入る薬じゃない方がいいの」


 ルネド通りは伯爵家以上の貴族がよく行く場所です。効果が素早く現れる上に、重い病を癒す力を持った薬の噂は、あっという間に広まるに違いありません。


「オープンにかかる費用は問題ではないわ。どうせテイラー公爵家に請求するのだから。迅速に、内密に事を進めてちょうだい」

「わかりました、すぐに使える貸店舗を探しましょう。他にも何かございますか?」


 私は「そうね」と呟き、わずかな時間考えを巡らせました。頭の中には次々と新しい作戦が浮かんでいます。


「お父様のところに、どこかの『侯爵家』が面談を申し込んできたら、私にも情報を共有してほしいわ。今日のところはこれくらいね。頼りにしているわ、スタントン」

「安心してお任せください。それでは、失礼いたします」


 スタントンはさっと立ち上がり、礼儀正しく頭を下げてから部屋を出ていきました。



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