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(バーナード様とアーティの私に対する仕打ちに、使用人たちも大いに憤慨しているのね……)
ほとんどが古参の者ばかりで、私は絶大な信頼を置いています。執事や副執事や従僕たち、総侍女長や侍女たち、料理人や下働きに至るまで、全員がアーティのことは他言しないと約束してくれているのです。
図書室の前を通ると、アーティが「わあ」と歓声を上げました。部屋のほとんどの壁に取り付けられた天井から床まである本棚を、子どものようにぽかんと見上げています。
「自由に読んでいいわよ。ここの本の内容は全部知っているから、どんなものが読みたいか言ってくれれば、おすすめを教えるわ」
「こ、こんなにある本を全部読んだの?」
「ええ。私は読むのが速いから、ざっと目を通せば記憶できるの」
目を丸くしているアーティに、私は「さあ」と声をかけました。
「階段を上って、あなたの部屋へ行きましょう。生活の細かいことに気を配ってくれる、専属の使用人が待っているわ」
「アタシ、自分の世話くらい自分でできるよ?」
「そうだとしても、人に任せることに慣れなければいけないの」
アーティが孤児で、乗馬クラブに住み込みで働いていたことは昨晩のうちに調査済みです。優秀な調査員はテッドだけではありませんので、迅速に情報収集できるのです。
底辺に近い出自の娘がいきなり使用人にかしずかれるのですから、多少のトラブルは起こるでしょうね。
手すりに美しい彫刻の施された階段を、貴賓室や客間のある二階を目指して上っていきます。三階には私や家族の部屋が並んでおりますので、アーティはまだ立ち入り禁止です。
二階の階段ホールに、三人の侍女が待機していました。彼女たちは頭を下げて礼をします。
「アーティの部屋に必要なものは全部揃っているかしら?」
「はい、お嬢様。万全の準備をいたしました」
ひとりの女性が前に進み出ます。お仕着せの黒いドレスに白いエプロン、腰の飾り紐にぶら下げた鍵束、きっちりと結い上げた髪に幅広のリボン。
彼女はシェンダといって、この屋敷の総侍女長。私の祖父母の代から四十年以上働いてくれている、非常に厳格な人物です。
「それではアーティ様、こちらへどうぞ」
シェンダは私たちの前を進んで、広くて美しい部屋に案内してくれました。
「うわあ!」
贅を凝らした室内は、アーティの予想を遥かに上回る素晴らしさだったようです。四本柱に囲まれた大きなベッドは天蓋付き、弓型の張り出し窓にはピンクのカーテン。家具はすべて白で統一され、きらびやかな金縁で飾られています。
そして絨毯を敷いた床の一角には、たくさんの箱が積み上げられています。先ほど応接室に運び込んだ『男爵令嬢用の鎧』も、すべてこの部屋に戻ってきているようですね。
「まるでお人形の部屋みたいだね!」
アーティは嬉しさを隠しきれないようです。侍女たちから向けられる、槍のように鋭い視線に気づかぬほどに。
それでもシェンダは落ち着いている方です。残る二人はまだ若いせいか、不快を抑えきれないといった表情をしています。
公爵家につかえる使用人は、代々そのように教育されている家柄の者たちです。いわゆる縁故採用で、一般からは採用しないのです。シェンダはこのケースに当たります。
親戚筋の子女が数年間、行儀見習いに来ているケースもあります。若い二人の侍女は子爵家の血筋で、エリスの従妹です。
(つまり『男爵家の娘』では、公爵家の侍女にもなれない)
ましてやアーティは、ついさっきまで平民だった。そんな娘が自分たちの主人として目の前で話し、命令し、振る舞うのですから、侍女たちもプライドが許さないかもしれません。
しかしアーティを三か月で公爵令嬢に仕立て上げるには、彼女たちの協力がぜひとも必要なのです。
「シェンダ、ケイト、ノエル。私はこれから、アーティを淑女に生まれ変わらせるという途方もない計画に挑まなくてはなりません。あなたたちの仕事は、私の不在中にアーティを正しい方向へ導くこと。目標達成のために持てる力のすべてを注ぎ込んでちょうだい」
「かしこまりました」
三人の侍女が同時に答えます。そしてシェンダが一歩前に出ました。
「私たちが責任もって身の回りのお世話をいたします。アーティ様の一挙手一投足に注目し、ご助言、ご忠告申し上げるのが私たちの役目」
「な、なんだか怖いよ……」
シェンダの落ち着いた、冷淡ともいえる声に、アーティが身を震わせて後ずさりします。
「アーティ様に早速ひとつ、ご忠告申し上げます。この屋敷の中をおひとりで歩き回ってはなりません。必ず私たちのいずれかをお連れください。いかなる場合であっても、男性とは二人きりにならないように。一秒たりとも駄目です」
「え、あ、ええ」
「僭越ながら、アーティ様は節操というものがなさすぎます。バーナード様となさったことは、口にするだけでもいやらしい、破廉恥な行為でございます。あなた様が他の男性と醜聞の種を蒔かないように──ふしだらな関係を持たないように、私たちは看守のごとく目を光らせる必要があるのです」
「アタシ、そんなことしないよ!」
「あなた様のなさったことを思えば、この時点でご信頼申し上げるのは賢明ではありませんので」
アーティがうつむきます。その顔がみるみる赤くなりました。
さっきのシェンダの言葉には、まぎれもない非難がこもっていました。アーティは令嬢としても平民の娘としても、とがめられても仕方のない振る舞いをしてしまった。
(そろそろ、アーティに釘をさしておく必要があるわね)
そう、事実は決して消えないのです。アーティにはこの状況を、静かに受け入れてもらうしかありません。
「アーティ。この屋敷の中に、あなたを非難する空気が流れていることは当然よ。不道徳な行いに、使用人たちは義憤に駆られずにはいられないの。つまり、怒りを感じずにはいられないということね」
私は言い聞かせるような口調で、アーティをじっと見つめます。
「普通の感性の持ち主なら、居心地の悪さや孤立は覚悟して来るはずよ」
アーティの顔が歪みます。ショックを受けたことがはっきりと表情に出ていて、私は少し呆れました。
「まったく想像していなかったのなら、極めて楽天的と言うしかないわ。養女ではなく愛人としてでも、常識のない平民を屋敷に迎えることを喜ぶ人間などいません」
私はきっぱり言いました。
「それを踏まえた上で、使用人たちはあなたに立派な淑女になってほしいと思っているし、そのために力を尽くすつもりでいるの。ここにいる侍女たちを敵に回すよりは、味方につけた方がずっといいでしょう?」
「う、うん……」
「悪い評判を消し去ることは、あなた自身にしかできないのだから、死ぬ気で努力するしかないのよ」
「…………」
アーティの表情からすると、やはり納得がいかないようです。初めて手に入れた『自分の』部屋なのに、侍女たちがいたら居心地よく過ごせないことが不満なのでしょう。
私はため息をつきました。バーナード様はこの娘の、平民にしては我が強く無鉄砲なところが可愛かったのでしょうか? だとしたら残念ですが、私がアーティの性格を叩き直しますわ。
「それではシェンダ、後はよろしく頼むわね。アーティの外見を、しかるべき気品の漂うものに変えてちょうだい」
「おまかせください」
私はちらりと時計を見ました。まだ昼前ですが、アーティのこの様子では着替えにも時間がかかるでしょう。
「しばしのお別れよ、アーティ。私はいくつか用事を済ませてきます」
「え、やだ、行かないでイブリンさん!」
アーティの声が部屋中に響きます。縋りついてくるアーティの声を無視し、私は容赦なく背中を向けました。
「アーティ様には、まずお風呂に入っていただきます。その汚らしい服をお脱ぎください。まったく、髪もお肌もこんなに荒れて──」
廊下に出てからも、アーティの悲鳴が聞こえてきました。エリスとテッドもさすがに苦笑しています。
「獅子はわが子を千尋の谷に落とすと言うけれど、若干それに近い気持ちを感じるわね。アーティが突き落とされる谷は、まだまだたくさんあるけれど」
私はつぶやきました。
とはいえ、彼女の苦しみなど問題ではありません。バーナード様と正式に結ばれるために、アーティは全ての谷をよじ登らなければならない。
「さあ、やるべきことがたくさんあるわ」
私は即座に気持ちを切り替え、頭の中で次の計画を練り始めました。