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「貴族の令嬢にとって、ドレスは鎧のようなもの。あなたは今日からこの新しい鎧をまとうの。子爵令嬢のテストに合格したら、また新しい鎧を用意します。つまり、その地位にふさわしい衣装をひととおり揃えるということね」
「何かと物入りだな……」
テイラー公爵がため息をつきます。そう、すべての請求書は彼の元へ送られるのです。本当はアーティのような平民のために、肌着一枚の代金だって支払いたくないのでしょう。
例の新居も、三か月後にアーティとバーナード様の愛の巣となる。我がミルバーン家が用意した家具や調度品、衣装や宝石類はすべてアーティにかかる費用となります。それについても、すべてテイラー公爵家側が補填することになっています。
「身持ちの悪いあばずれ女のために、ここまでしてやるなんて」
ずっと黙っていたレイクンが、ぼそりと呟きました。
「いくら見た目を変えたって、この女の本質は変えられないよ。男のベッドを温めるしか能のないふしだらで破廉恥な女さ。街角に立っている娼婦と変わらない」
「ア、アタシは娼婦じゃないもん!」
「そう? まともな女なら、婚約者がいる男に恋なんかしないはずだけど」
レイクンがアーティを鋭く睨みつけます。
「お前の心は明らかに汚れているよ。せいぜいイブリンに感謝するんだな、地獄に落ちる瀬戸際で救ってもらったんだから」
「す、好きになった人に、たまたま婚約者がいただけなのに……。どうして……そんなにひどいこと言うの……」
アーティが子どものように泣き声を漏らしました。
まったく愛のない、政略のための婚約とはいえ、アーティが私の未来をむさぼり食ってしまったのは事実。
テイラー公爵夫妻もレイクンの怒りに気づかないわけにはいかず、気まずそうに肩をすくめます。
「レイクン、やめましょう。そんなことを言っても誰も幸せにはならないわ」
私はなだめるように言いました。レイクンが立ち上がり、ぷいと背を向けます。
「八大公爵家のうちの二つがいったんこうと決めた以上、逆らうのが難しいのはよくわかってる。僕も協力はするよ。でも、その女を憎むなと言われたって無理な相談だ!」
レイクンはそう言うと足早にドアに向かい、開け閉めのために立っている執事を押しのけるようにして出て行ってしまいました。
室内に気まずい沈黙が流れます。私はにっこり笑いました。
「さあ、気を取り直して。アーティは男爵令嬢らしく見えるように変身しましょう。バーナード様が心奪われるくらいですもの、きっと磨けば光るわ」
「う、ううむ。そうであろうか……」
首をひねったのはテイラー公爵です。アーティの体はストンとした木綿のワンピースに包まれていますから、その下にある体のラインが想像できないのは致し方ありません。
でもアーティは、私のために作られたドレスを着られるスタイルの持ち主なのです。つまり貴族のような骨格をしている。幸運なことに歯並びもいい。外見を淑女レベルにすることは難しくないでしょう。
私はアーティの手を取って立ち上がらせようとしました。そして彼女の膝の上に紙袋があることに気づきました。そういえば、部屋に入ってきたときから抱きしめていましたっけ。
「アーティ、その紙袋はなあに?」
私は尋ねました。手荷物であれば、裏口で彼女を出迎えた執事が預かったはずですし。
「あ、これは……」
アーティは椅子の上でもじもじと体を動かし、私に向かって紙袋を差し出してきました。
「イブリンさんの、刺繍のドレスと靴。昨日はアタシ、勝手に着て行っちゃったから……」
私が声を出すよりも早く、母が「タイロン!」と執事の名前を呼びました。
「はい、奥様」
「その紙袋を受け取って、すぐ火にくべなさい」
「かしこまりました」
執事がアーティに近づきます。
「え? え? こんなに綺麗なドレスを燃やしちゃうの?」
アーティは戸惑ったように周囲を見回し、私の父と母の冷たい目つきに気づいて「ひい」と悲鳴を上げました。縋るものがないので、よけいに強く紙袋を抱きしめてしまいます。
執事は穏やかな外見からは想像もつかない強引さで、アーティの手から紙袋を奪い取りました。そしてそれを暖炉に投げ入れ、流れるような手つきで着火します。
(刺繍のドレスは私が屈辱を受けた証。お父様もお母様も、アーティへの激しい憤りを鎮めようと努めるあまり、冷たいオーラが出ていらっしゃる)
それでなくとも堂々とした外見で、公爵夫妻としての威厳と高圧的な雰囲気を持ち合わせている両親です。アーティなど、恐ろしさのあまり失神しかねません。テイラー公爵夫妻も顔を青くしています。
私は小さく咳ばらいをしました。
「テイラー公爵、ユリアナ様。今日のところはお帰りになって、再来週あたりアーティの進歩を見にいらしてはどうでしょう?」
「そ、そうだな。それがよかろう」
「何もかも、イブリンさんにお任せするわ」
公爵夫妻がほっとしたように笑みを交わします。アーティを着替えさせている間に、詰めておきたい話もあったのですが仕方がありません。
「では、アーティは『自分の部屋』へ移動しましょう」
私は手振りで、おどおどしている彼女を立ち上がらせます。
「では、私たちは失礼します。テイラー公爵、ユリアナ様、今日はおいでいただきありがとうございました」
私は両手でスカートをつまんで軽く腰をかがめました。片足を後ろに引いて、もう片方の足の膝を軽く曲げる、女性のみが行う優雅な挨拶です。
私の真似をしようとしたアーティが、無様にバランスを崩しました。音もなく近寄ってきたエリスに支えられた彼女は、気まずそうに顔を赤らめぺこりと頭を下げます。
エリスとテッドを従えて、私たちは部屋を出ました。
広い廊下には象嵌細工や寄木細工の美しい家具が置かれ、壁にかかっている絵画は美術館にあってもおかしくない傑作ばかりです。
「おとぎ話の世界みたい……」
隅々にまで伝統の重みが漂う壮麗な我が家は、公爵邸とはかくあるべきという姿そのもの。アーティはすっかり魅入られています。
応接室と同じ一階にある華やかな大広間、グランドピアノが置かれた音楽室、天井画が美しい礼拝堂。どの部屋にも、温室から切ってきた花が贅沢に飾られています。
「アタシ、夢を見てるんじゃないかな。こんな立派なお屋敷で、貴族のお嬢さんとして暮らすなんて、とても信じらんない」
「現実よ。これからあなたは、色々と新しいことを学ばなければならないわ。晴れてバーナード様と結ばれるために」
「よくわかんないけど……がんばる。ありがとう、イブリンさん」
またもや目から涙を溢れ出させたアーティに、私はにっこり笑って見せました。
「感謝をあらわすなら、言葉ではなく実際の行動で示してもらいたいわ。これから先は努力が必要なのよ。起きている間は、何もしない時間というのは一分たりともないわよ」
アーティが「う」と息を呑みます。
「何をどうしたら……いいの? さっきみたいな挨拶とか?」
「もっとたくさんあるわね。焦らないで、私の言う通りにすればいいの。逆らっては駄目、くじけても駄目。どんなに辛いことがあっても、逃げ出しては駄目」
「そんなの当たり前だよ。アタシ、バーナードのためならどんなことでもするんだから!」
アーティがこぶしを握りしめます。
興奮しているアーティは気づいていませんが、ミルバーン公爵家の紋章入りのお仕着せを身に着けた使用人たちは全員、アーティのことを軽蔑の眼差しで見ていました。




