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 カークレイ王国は世界一の大国で、日の沈むことのない国とまで呼ばれています。世界地図を眺めれば、カークレイの支配下に入った領土が全世界の四分の一に達していることがわかるでしょう。

 私ことイブリンは、そんな超大国の八大公爵家のひとつ、ミルバーン公爵家の長女として生まれました。

 公爵というのは王家に次ぐものであり、他の貴族とは一線を画す存在。由緒ある家名を次世代に繋いでいくことは大切な義務です。


「まったく老議員たちには困ってしまうよ。私たち若い世代の議員が提案する革新的な構想を、ことごとく否定するんだ」

「古い世代は頭が硬くなっていらっしゃいますから。バーナード様の新しい考え方が受け入れられたら、カークレイ王国のさらなる繁栄が期待できますのに」


 三か月後に新居となる予定の屋敷の応接室で、私は婚約者であるテイラー公爵家の嫡男バーナード様と向かい合って座っていました。

 十八歳の私と二十五歳の彼は幼い頃からの許嫁です。

 もちろん、愛情で結ばれた婚約ではありません。貴族の縁組みで重視されるのは当人同士の幸せではなく、両家にもたらされる利益だけです。

 公爵令嬢である私には、王族か公爵家嫡男以外との結婚はふさわしくない。

 しかし一番年齢の近い未婚王族は四歳年下、私は後継ぎを出産するのにふさわしい若い妃にはなれません。

 テイラー公爵家の嫡男であるバーナード様は七歳年上です。社交界ではそのくらいの年齢差が適当だったこと、我がミルバーン公爵家の利益になることは確かだったことなどから、私たちは五歳と十二歳で婚約したのです。

 そして私もバーナード様も、昨今の流行である『恋愛結婚』がしたいなどと、ゆめゆめ思わないようにと厳しく教育されて育ちました。


「議会の老人たちは進歩的な青年議員に対して、いらぬ偏見を抱いているんだよ。今の我が国に必要なのは創意あふれる若者の意見だというのに」


 バーナード様はやれやれといった顔で、ことさらに大きなため息をつきました。

 その財力と権力で若手議員の花形としての地位を確立しているバーナード様が、議会で提案した議員定年制度には賛否両論が渦巻き、大変な議論を呼んでいるらしいのです。


「議会の改革に忙しくて、すっかり寝不足さ」


 そう言って苦笑するバーナード様は、燃えるような赤毛と緑の瞳の美青年です。貴族的で上品な顔立ちは見る者を惹きつけずにはおかず、彼とすれ違う女性は老いも若きもひとり残らず足を止めるほど。

 細いけれども強靭な体に纏うのは、最新流行の細いズボンと短めの上着。首元のクラバットは形よく優雅に結ばれ、ブーツはぴかぴかに磨き上げられています。

 バーナード様は素晴らしいスポーツマンで、乗馬の腕前は超一流。馬の扱いでは彼の右に出る者はいません。当代一の腕前の持ち主であることを、ご自分でも誇りにしていらっしゃいます。


「イブリン、すまない。久しぶりの君とのお茶会だけれど、そろそろお開きにしてもいいかな。明日の朝までに演説の叩き台を完成させなくてはいけないんだ」


 バーナード様は申し訳ないというより、そっけない口調で言いました。

 うっすらと漂っている冷淡な雰囲気は、きっと寝不足のせいなのでしょう。婚約者である私を前にして、幸福とか満足とか、喜びといった感情とは無縁であるように見えます。

 でも、それはお互い様かしら。私も公爵令嬢としての重々しい雰囲気を纏っているはずですから。

 バーナード様の花嫁になるように育てられたとはいえ、彼と実際に顔を合わせたのは一年前。私が十七歳で社交界デビューするまで、年に数回手紙をやりとりする程度の関係性でした。

 そしてこの一年間、一度たりとも二人きりになったことがありません。私たちの側には必ず誰かがいるのです。

 未婚の令嬢には付き添い役の女性が必須で、私の場合は筆頭侍女である親戚筋の伯爵未亡人がその任に当たっています。彼女のお供なしにはどこへも行けません。

 応接室の壁際には使用人たちが待機していますから、バーナード様とは当たり障りのない会話しかできないのです。


「バーナード様にお目にかかり、お話しするのを楽しみにしておりましたのよ。こんなにお忙しいと、いずれ私のことなんか忘れてしまわれるのではないかしら」


「おやおや、イブリンらしくないことを言うじゃないか。私は年がら年中、王都や領地で遊び暮らしているような輩とは違うんだよ。時間の制約があるとはいえ、君には敬意を持って接している。忘れるなんてことはあり得ないよ」


 バーナード様が大げさに肩をすくめます。

 私は「そうですわね」と答えながら、壁にかかっている大鏡に目を移しました。そこには非の打ちどころのない容貌の娘が映っています。

 アーモンド形の澄んだ青い目。卵型の顔の周りで波打つ、太陽の光にそっくりな金色の髪。肌は透き通るような白さで、真珠のように輝いています。


(お互いに恋をしていないことはわかりきっているわ。身分にふさわしい結婚をするには、相手を好きである必要はない……私たちは、結婚した後で恋をすればいいのよね?)


 私は鏡に映る自分を見つめながら、心の中で問いかけました。けれども鏡の中の私は黙ったまま。

 私は公爵令嬢としての己に自信を持っております。けれどバーナード様との間に、特別な感情が通い合っているという自信はありません。

 私たちには何かが欠けている――それはきっと、二人きりになる時間がないから。三か月後の結婚式が済んでから、お互いを理解しようと努めるしかないのでしょう。

 私は小さく息を吐き、それから前を向いて微笑みました。


「大変ですわね、バーナード様。今日の夕方からのガッシー伯爵夫人の音楽会には、私ひとりで参加いたしますわ」


「よろしく頼むよ。君が社交を円滑にこなしてくれるから、どれほど助かっていることか。私たちの結婚は間違いなく成功するに違いない」


 私はうなずきました。バーナード様の婚約者として社交の場で完璧に振る舞うこと、それこそが私が果たすべき役割なのですから。 


「明後日のデューレイド侯爵家の晩餐会は、もちろん出席なさいますでしょう? テイラー公爵ご夫妻も、私の両親も出席することになっておりますし」

「ああ……それもちょっと難しいな。ほら、私は陸軍省と繋がりが強いだろう? 悪友のクルーム伯爵家のゼノスから、防衛予算について嘆願を受けてね。次年度の予算成立まで間が無いから、陸軍大臣セバウル侯爵と会談の予定を入れてしまったんだ」


 私は喉元まで込み上げてきた嘆息を押し殺しました。


「そうですか……。テイラー公爵ご夫妻も、私の父も母も残念がると思いますが、お仕事でしたら仕方ありませんわね」


 私は静かに立ち上がりました。淑やかに、そして匂い立つような気品を漂わせながら。

 バーナード様も席を立ち、私の手を取ります。


「四日後のシェラド侯爵の大夜会には出席するよ。そして近いうちに必ず、君とゆっくり話をする時間を作ろう」


 彼は私の手の甲に唇をそっと押し当てました。


「君は美しい」


そう言って微笑むバーナード様の姿は、とても優雅で上品です。


「すべてが完璧だ。カークレイ王国随一の公爵夫人になれるに違いない」

「そう思っていただけて、嬉しいですわ」


 私はバーナード様を見上げ、笑顔で答えました。


「それではバーナード様、ごきげんよう」


 優雅に淑女の礼をして、私は応接間を出ました。後ろから付き添い役のエリスが影のようについてきます。

 二十九歳のエリスは親戚筋の子爵家の娘で、赤毛に琥珀色の瞳の美女です。彼女は小さな頃の私の遊び相手でした。

 十八歳で親子ほども年の離れた老伯爵に嫁ぎ、二年で未亡人となり、私の世話係兼筆頭侍女として戻ってきたのです。私が社交界デビューしてからは、こうして付き添い役にもなってもらっています。


「イブリン様……。バーナード様はひどすぎます。いくらお仕事がお忙しいからって、何度もイブリン様とのお約束を反故にして」


 廊下を歩きながら、エリスが悔しそうな声で言いました。

 エリスが最も忌み嫌うのが、誰かから私がないがしろにされること。一度でもそういうことがあると、忘れることも許すこともできないようです。私のことが好きすぎて、世話係・侍女・付き添い役という役割以上に過保護なので、少し困ってしまうほどです。

 ちなみに彼女が老い先短い老伯爵を結婚相手に選んだのは、短期間で私の元へ戻ってくるため。未亡人となった日に満面の笑顔で帰ってきたので、さすがの私も驚きました。


「口を慎みなさいエリス。バーナード様はお若いながら議会の中心にいらっしゃるのだから、お仕事で忙殺されるのは致し方のないことだわ」


 そう言いながらも、私は少しばかり悲しい気持ちになっていました。たしかにエリスの言う通り、ここのところ約束を反故にされてばかりです。

 公園でのピクニック、午餐会、読書会、晩餐会、音楽会、大夜会。いずれもデートなどではなく、あくまでも貴族としての社交の一環ではありますが。


(だから私はバーナード様の態度に、どこか打ち解けないよそよそしさを感じている)


 私たちには毎日山のような招待状が届きます。そのうち一緒に出席できたのは二つだけ。今年の社交シーズン開始からまだ一か月しかたっていないとはいえ、少なすぎます。


(社交の場でのバーナード様についても、知っていることはごくわずか……)


 バーナード様専属の執事に見送られ、我がミルバーン公爵家の二頭立て四輪馬車に乗り込もうとしたとき、私の従僕であり御者でもあるテッドが小声で耳打ちしてきました。


「イブリン様、少々お耳に入れたいことが……」


 私の乳母の息子であり、子爵家の三男でもあるテッドは二十五歳で、幼い頃から私の護衛役を兼ねています。薄茶色の髪に灰色の瞳の偉丈夫で、長めの前髪がミステリアス。非常に腕が立ち、頭が切れる男なので、いずれは執事に昇格させるつもりです。


「御者を交代して、テッドはエリスの隣に座りなさい」


 話は馬車の中で聞く――という意味の私の返事にテッドはうなずき、馬車から足乗せ台を下ろして扉を開けてくれました。私が乗り込むと、テッドは二人の馬丁にいくつか指示をしてから、エリスの隣に座ります。

 馬丁のひとりが御者台で手綱を握り、もうひとりが後ろの台に飛び乗ると、馬車は滑るように走り出しました。

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