お嬢様、ボスになる
私立椿ヶ丘学園――全国でも屈指の名門とされるお嬢様学校。その敷地は手入れの行き届いたバラ園や、まるで宮殿のような校舎が広がり、通う生徒たちは皆、選ばれし家柄の令嬢ばかりだ。
その2年生の教室で、休み時間のたびに静かに本を読んでいるのが主人公、鳳梨華である。青いリボンで結んだ長い髪と、品のある佇まいは誰もが一目置く存在だが、彼女自身は特別目立とうとはしない性格だった。
放課後、日が傾き始めた校舎の廊下で、梨華は鼓動を抑えながら歩いていた。
「あの、先生……!」
その声に振り返ったのは、2年生の数学教師、瀬戸崎真人。無表情でありながらどこか柔らかい雰囲気を纏う彼は、生徒たちから密かに人気が高かった。
「鳳さん、どうしましたか?」
「その……今日の授業、少し難しかったですわ。でも、先生のお話のおかげで、なんとか理解できましたのよ。」
「そうですか。それなら安心しました。鳳さんは飲み込みが早いので助かります」
瀬戸崎が微笑んだ瞬間、梨華は思わず顔を赤らめた。
(ああ、こんな風にお話しするだけでわたくしは胸が張り裂けそうですわ…いけないと分かっているけれど……)
梨華が浮ついた気持ちのまま校舎を出ると、いつも通り黒いスーツに身を包んだSPたちが梨華を待っていた。運転手がリムジンのドアを開け、梨華を促す。
「お帰りのご準備は整っております」
「少し寄り道してもよろしいですわよね?」
梨華はリムジンに乗り込みながら、小声で尋ねる。
「駅前に新しくできましたカフェで、パフェをいただきたいのです」
「承知いたしました。すぐにお店を貸し切ります」
梨華は慌てて首を横に振る。
「ちょ、ちょっと待って! そこまでしていただかなくてもよろしいのですわ!」
「いえ、安全のためですので」
SPの断固とした態度に、梨華は小さくため息をついた。そして数分後、カフェの店内は他の客が追い出され、梨華専用の空間となっていた。
「……落ち着きませんわ」
周囲を見渡しながら苦笑する梨華だったが、目の前に運ばれてきたパフェを見て目を輝かせる。
「まあ、とても美しいですわ! 見てください、このクリームの盛り方! さっそくいただきます!」
梨華はスプーンを手に取り、パフェを口に運ぶと、満面の笑みを浮かべた。
「美味しい! 濃厚なチョコレートの味……幸せですわ!」
SPたちは無言で見守りつつも、その様子にほのかに微笑む。だが、その時、無線が急に騒がしくなった。
「至急、ご令嬢を屋敷に戻せ。」
SPが険しい顔で応答する。
「了解しました。ただちに戻ります」
「……なにかありましたの?」
梨華はスプーンを止め、首をかしげる。
「それが、あの……お屋敷に戻ってから説明させていただきます。パフェは車の中でお食べください」
SPは言葉を濁しながらも、パフェを持ったままの梨華を車に乗せ走り出す。
梨華は窓を開けて叫ぶ。
「カフェの店長さーん!パフェ美味しかったですわー!ごちそうさまですわー!」
梨華が屋敷に到着すると、玄関先で教育担当の安藤が血相を変えて駆け寄ってきた。
「お嬢様、大変なことになりました!」
「安藤さん、どうなさったのですの? そんなに慌てて……」
安藤は息を整える間もなく言った。
「ご主人様が行方不明になりました」
「まあ……! 父がですの?」
梨華は驚きと不安で目を見開いた。
「おそらく、出張先で事件に巻き込まれた可能性が高いです」
「そんな……! 一体どこにいらっしゃるのですの? すぐに探してくださいませ!」
だが、安藤はさらに深刻な顔で続けた。
「ここからが重要です、お嬢様。実は――」
安藤は重い口を開いた。
「ご主人様は財閥の社長であるだけでなく、裏ではジャパニーズマフィアのボスでもありました」
「……は?」
梨華はあまりの話に固まる。
「ご主人様が作り上げられた組織の名は鳳凰会。そして、ご主人様が不在の場合、次に鳳凰会のボスとなるのは、お嬢様です」
「鳳凰会……ボス……? 冗談ではなくて?」
「いえ、これは正式な話です。お嬢様が『ボス』をお継ぎいただきます」
梨華は大きく首を振る。
「ちょっと待ってくださいまし! わたくしはお嬢様ですのよ! ボスだなんて、とんでもありませんわ!」
だが、SPたちは揃って言い切った。
「いえ、ボスです。」
「……ですから!お嬢様とお呼びくださいまし!」
「ボスは、ボスです」
混乱する梨華をよそに、安藤は強引に話を進める。
「ご主人様は敵対する組織とのいざこざに巻き込まれたと考えられます。とにかく、すぐに海外の拠点に移動していただきます」
「ちょっと待ってくださいませ! わたくし、学校の宿題がまだ終わっておりませんのよ!」
「もう学業のことは気にしないでください。マフィアのボスに学歴は必要ありませんので。」
「それは違いますわ! どんなお仕事でも学びは大切ですのよ!」
「では強いて言うなら、最終学歴は『マフィアのボス』です。」
「そんなこと履歴書に書けると思いまして!? 」
梨華は声を荒らげたが、再びリムジンに押し込まれる。
「わたくしの学園生活は……先生への思いはどうなるのですの……?」
「残念ながら忘れていただくしかありません」
安藤は冷たく言い放つ。
「いやああああああぁぁぁぁぁ!!」
梨華は走るリムジンの窓越しに見える学園に目を向けながら、悲痛な叫び声をあげるのだった――。