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第4話 自らの責任についてよく考えなさい

 私、アンとジュールが良く歩くようになってから既に二十日ほど経った日。


 バスカヴィル暦十二年の六月一日、まだ雨季は過ぎておらず、相も変わらず雨の日は多い。


 だけど今日は曇りがかった空なだけで、雨は降っていなかった。


 そんな日、私は居住区を上下に別ける様に流れている川のほとりで、魔法の練習をしていた。


 この川は何か色々な名前で呼ばれているせいで、これと言った特定の名称が無い変な川だ。私は川と呼んでる。だって川だし。


 それはそうと、今日練習しているのは水を出す魔法だ。これが使えれば清潔な水を出す事が出来る様になり、いざという時に役立つのだ。


 ちなみに、時間を合わせる魔法は魔素の集めるとこまでは良かったが、肝心の練習用の時計が家に一つも無かった事が分かり、習得を一時断念した。


 なので、今は水を出す魔法を練習しているわけだ。


 部屋ではなく川に来て練習しているのは、水という存在をよりリアルに感じるためであって、決してずっと家にいるのが飽きたわけではない。


 ホントダヨ。ホント。


 足に魔法陣を展開し、魔素を集めながら体の中の魔力を足の先から出る様に流す。自分の感覚でここだと思った時に、自分で決めた魔法発動の合図を出す。私の場合は足で強く地面を叩く事だ。


 ダンッ!と大きな音をたて、魔法陣が一気に足に収縮し魔法が発動する。……発動…す……は、発動………しない…。


 ああ!失敗した!また失敗した!!


 朝からずっとやってるけど、何度失敗すれば気が済むんだ私!


 もー!!!


 自分にうんざりしたところで、もう一度地面に置いていた教本を拾い上げ、内容を確認する。


 魔素の量かな…?それとも魔力の量?一体なにを間違えたのか……こういうのを何度も続けて魔法は覚えていく。


 いわゆる偉大な魔法使いと呼ばれる人は、どれくらいの数の魔法を使えるのだろうか…。まだ一つしか魔法が使えない私には計り知れない。


 溜め息をつきつつ、もう一度やろうと教本を地面に置こうとした時、ふと川の対岸に膝を抱えて座っている人影が目に入った。


 おやまあ、こんなところで落ち込んでるとは…と思いながら、誰かな?と目を凝らしてよーく見てみると、その人は村長さんの長男、エドワードさんだった。フルネームだとエドワード・ディッセン。


 確かに対岸側には村長さんの邸宅があるが、一体全体どうしてあんなところにいるんだろう。


 気にはなるけど、今は魔法を覚える事に集中したいので、私は視界を自分の足元に戻した。


 もう一度魔法陣を展開して…それで魔素を「お、アンじゃないか!」


 「わああああああ!!??」


 私は驚き過ぎて、思い切り顔から地面に転んだ。


 「ど、どうした?急にそんな大声を出して」


 「今魔法使おうと思ってたの!!練習で!集中してた時に急に話しかけられたらビックリして大声もでるでしょ!!」


 全く……私は急に背後から話しかけてきたジュールに思い切りキレた。


 チラッと対岸に目をやると、さっきまでエドワードさんがいた所には誰もいなかった。私の大声で消し飛ばしたのかな…いや普通にうるさいからどっか行ったんだろな。


 「もう…久しぶりに雨が降ってなくて外で練習で来てたのに!」


 「す、すまない。帰り道で偶然アンを見つけたもんで…」


 そんなに私に懐いてたのかコヤツ…。


 「って帰り道って誰かの家に遊びにでも行ってたの?」


 ここは居住区、お店などは無いのだ。


 「アンが提案してくれた村長との謁見さ。大熊について俺なりの答え…というか見解を伝えてきた」


 「あ、図書館で話した…え、何か大熊について分かったの?」


 「本と俺の記憶から出した、かなり妄想に近い推論だがな」


 おお…そういう話の点と点を結びつける力は、今のジュールになってからの方が高まっている気がする。


 やはり、前世の記憶のおかげで大人びた感じになったからだろうか。


 ……いや、かなり非常識な事もやって騒ぎ起こしてたな…こいつ前世は一体幾つで亡くなったんだ…?


 「私にも教えてよ、そのジュールなりの答えっての」


 私は一旦魔法の練習を止めて、二人で川沿いに座り彼の話を聞く事にした。


 「まずあの大熊が主かどうかって話だよな。それで村長に聞いてみればってアンが言ってくれたんだし」


 「うん、六十年くらい前に虎の主がいて、それの次の主って事なのかなって考えだよね」


 「ああ、だがそれは村長によって否定された。主と言うのは村民…というか人を襲わないし、基本的に森の奥で手下と共に暮らす存在らしい」


 え、じゃあ虎の主はどうやって見つけたんだろう…。


 「虎の主は狩りの最中に偶然村の近くまで現れたらしくてな、物凄い久しぶりに確認された主で今の所最後に発見された主らしい。で、主と言うのは森の中を動物側が管理するために生まれる存在だとの事で、身体が大きいただの動物なんだ」


 私の心を読んだかのように、ジュールは疑問に思っていた事を説明してくれた。


 なるほどね。


 「ただの動物…って事は魔力を毛で感じたりは…」


 「当然できない。人間と同じで視覚や聴覚でしかわからないそうだ。だが大熊は毛で感知し、俺を見つめていた…だからこそあの大熊は主ではない、何なら動物ですらない何か別の生き物って結論付けた」


 なるほど…村長さんとの話は思っていたより有意義だった様で、かなり先まで話が進んでいた。


 「だからこそ俺は呪いの説を強く考えた。俺とアンが読んだ本で、強い呪いで犬が狼に見えたって話し合ったろ?あの時俺たちは何で狼と犬を見間違えたんだって悩んだが、そもそも近しい動物であるし、何なら大きさだって変化していたんだから、正しく認識できなくて当たり前だったんだよ。俺たちは難しく考えすぎていたってわけさ」


 そっか、元々犬と狼って似てるもんなぁ…。何も聞かされずにどっちがどっち!って言われたら、案外わかんないかも知れない。


 難しく考えすぎた…か。


 「そして呪いって強い念で発動してしまう事もあるって書いてあったし」


 え、いやちょっと待って!そんな事どこに書いてあったの?


 私はすぐさま、ジュールに聞いた。


 すると、ジュールは「ああ、そっかアンは見てたけど読めなかった所だ。すまん説明不足だった」と言って、一から話してくれた。


 どうやら私が見た序文の部分には、呪いの本来の使い方などが書かれていて、その中にふとした強い念が呪いを発動させて人を不幸にする事もあると書いてあったらしい。


 そうだったんだ…こわ…。


 「それで…呪いの事と合わせて俺の前世に関わる事なんだが…」


 「うん?どうかしたの」


 急に暗い顔になるジュール。


 一体どうしたというのか。前世はまあ戦争していた時代だったらしいし、まあ辛い事もあっただろうけど…?


 「探査魔法を使った時に何で俺がとっさに熊だとわかったか…その理由がようやくわかったんだ。」


 それが前世に関係しているのか。なるほど?


 「あの大熊は俺の前世で世話もした事がある熊だったんだ…」


 うん?どういう事?


 「ジュールの前世って三百年前でしょ?そんな長い時間熊が生きられるわけ…」


 私がまだ話そうとしている時にジュールは言葉を遮る様に被せてきた。


 「リボンだ」


 言葉を被せてまで言ったのはリボン。リボン…?


 「それがジュールの前世の記憶にいる熊と同じだったって事?」


 「ああ、右手の上腕二頭筋に付いたあのリボンの形が前世で付けられていたものと全く同じだったんだ。それを俺は無意識に認識していて探査魔法ではシルエットでしか見えないはずなのに熊だと断定できたんだ…」


 はぁ……それがどうして暗い表情になるんだろうか。


 いや呪いの事と合わせてって事は……ええっと…お世話してた熊が呪いで今なお生きているって事か。それはすごく辛いな…うん。


 安らかに死ねもしないんだもんな。マジョールさんとは真逆と言っていい。


 「そしてその熊は俺の前世の婚約者の……」


 ジュールは言い淀んでしまった。どうしたのだろう。


 「言い辛いなら言わなくてもいいよ。結構今までの話でも納得してたから」


 私がそう言うと、ジュールは大きく息を吐き、顔を上げた。


 「前世の婚約者の首が括りつけられていたんだ。そのリボンにな」


 「え?」


 まさかの一言に私は次に出すべき言葉を失った。


 婚約者の首…?首?リボンにって…それじゃ…それって…


 「大熊は婚約者さんの仇って事?」


 私が直感で思い至った事を聞くと、ジュールはゆっくりと首を横に振って否定した。


 「違うんだ。その熊と俺と婚約者は仲が良くてな、婚約者…言い辛いからもう彼女の名前で話すが、フィーユを殺した奴等もそれを知っていて無理やり括りつけたんだ。俺たち三人の思い出のリボンにな」


 フィーユ……それって、あの日最後に読んだ神話に出てきた穴に落ちた人と同じ名前……。


 「思い出のリボンって事は、そのフィーユさんと前世のジュールで熊にあげたって事だよね。でも同じようなリボンを付けて似たような結び方をしたら…って考えられないかな」


 私はとりあえず、違う可能性についても聞いてみた。


 だけどジュールは「俺もそう思ったが、リボンの形が全く同じ場合あの時、全然近づこうとしてこなかった理由にも説明がつくんだ」と言った。


 あの時…なんだか前世の話もするからわけわからなくなるけど、今のあの時は私たちが大熊に出会った時の話だよね。


 ええっと、近づかなかった理由って…ええっと、あれオニオンの口臭が原因じゃなかったっけ…。


 あ、でもそうか、あれって結局そうかもしれないって話で、確定した話ではなかったのか。


 「あの時、大熊は俺を見つめていた。俺の中にある魔力の波形が前世の俺の魔力波形に変化していたからだ。そして俺を前世の俺だと誤認した大熊は仲の良かった前世の俺に殺そうとする事もなくただ見つめていたんだ…」


 「あの、質問なんだけど魔力波形って何…?それって体の魔力の流れって事?」


 「魔力波形っていうのは、体内に流れている魔力が持つ個々人によって異なる振動さ。魔力というのは心臓の様に脈動を繰り返しながら体内を巡っているんだ」


 そうだったんだ…。


 「初めて知った…じゃ、じゃあジュールはそれが前世の波形に変わってたって事だよね?どうやってわかったの?」


 ジュールは私の目を見て少し微笑んだ後、左手に小さな魔法陣を出した。周囲に魔素は集まっていない。ただ魔法陣を展開しただけの様だ。


 「この魔法陣をよく見てくれ。アン、君の魔法陣と違う所が一ヶ所ある」


 彼にそう言われて、私はその魔法陣をジッと見つめる。


 そして気づいた。文字だ。


 私の魔法陣には、セゾン大陸の西方を起源とするラテンという文字が書かれており、使う魔法の呪文が刻まれていると教本には書いてあった。


 だが、ジュールのはどうだ。ラテンじゃない。


 まるで記号だ。月や山、火などを象形化したような文字?が並んでいる。


 これが変化した前世の魔力波形に関係しているんだ。


 ジュールは何も言わなかったが、私には伝わった。


 これは過去の魔法陣。人が進化していく過程で一緒に変化した魔法陣が、ジュールが前世の記憶を思い出すというイレギュラーに対し、魔法陣も同じように過去のものに変化してしまったのだろう。


 「やはり君は聡明な人だな。すぐにわかってくれると思った」


 ジュールはそう言ったが、私は魔力波形の事に関してとりあえず一旦納得はしたが、も一つ気になる事がある。


 呪いで変化したとはいえ、昔仲良かった熊が彼を前世のジュールと誤認した事で近づかなかった…ってところ。


 だって普通三百年ぶりに知り合いに会えたんだよ?それもただの知り合いじゃない、リボンを贈るくらい仲が良かったと思しき友達だよ?


 なら近づきそうなもんじゃない?余計にさ、嬉しさとかで。


 「で、長くなってしまったが俺が出した答えっていうのは、前世で仲の良かった熊が何かの呪いによって変化してしまい今も生き続け、アムール大森林に迷い込んでしまった…って話しだ」


 私はそこまで聞いて「なるほどね」と呟いてみたけれど、正直話の途中から私の心は別の事に関心が向かっていた。


 それは彼の魔力波形が変化したという所だ。


 あのマジョールさんが亡くなった翌日…あの日から前世のジュールの魔法波形に変化していたというのなら、それまでの彼はいったいどこへ行ってしまったんだろうか。


 これまでは前世の記憶に引っ張られて今までとは違う雰囲気になったのだと思っていた。ユモン様も記憶の混濁などおっしゃっていたし、そうなんだと納得していた。


 でも魔力波形という個々人によって異なるものが、過去の人間である彼の前世のものに変わってしまったのなら、今を生きるジュール…彼は今どこにいるのだろうか。


 私の友達…とても仲が良かったとまでは言わないけど、あったら遊びに誘ったり誘われたりしたあの臆病で優しいジュールは…今…どこにいるの?


 私がその事を聞こうかと思った時に、ジュールは何かに気づいた様に、対岸を見つめていた。


 彼の目線の先を私も見つめてみると、そこにはさっきまでいなくなっていたエドワードさんがまたそこに佇んでいた。


 さっきまでとの違いは座っているか立っているかだが…。


 「あの人は誰だ?」


 あ、久しぶりに出たわねその記憶混濁による身近な人忘れるやつ。


 ……今となっては本当に記憶混濁なのかも怪しいけど…。


 「あの人は村長さんのご長男、エドワード・ディッセンさんよ」


 私が教えると、ジュールは「そうか…」と言い、立ち上がり「なんだか只ならぬ雰囲気だ、話を聞きに行こう」と提案をして橋の方へ走っていった。


 「え!?あ、ちょっと待ってよ!」


 私もすぐさまその後を追いかけた。

 ジュールと私は川の対岸へ渡り、小走りでエドワードさんに近づいた。


 そして、私がエドワードさんに「あの、どうかしましたか?」と声をかけた。


 ジュールだと一言目に失礼をぶつけかねないからだ。


 エドワードさんは振り返り、少し驚いたような表情をしてから、


 「ん、ああアンか…。いやなんだ…その…昨夜次の村長の話を聞かされてね…落ち込んでたんだ…」


 と教えてくれた。


 おやおや、思っていたより村にとって重要な話だった。私逃げていいです?


 「村長は貴方じゃないのか?一番最初の子が大体引き継ぐものだと思うのだが…」


 ジュールも大分失礼な質問している気がするが、まあそこは私も同意だ。


 「ああ、その認識で間違いないよ。僕には姉がいるんだ、だから僕が村長にはならない…でもこうやって落ち込んでいるのはそこじゃないんだ」


 姉君がいるのは…初耳だ!!え!?そうなの!!


 それってどれだけの村民が知っているのだろうか…。


 「あははっ、アン驚いたでしょう。だって姉さんの事は今や大人くらいしか知らないからね」


 と笑った。目は全く笑ってないけど。こっわ…。


 「それは何か事情があるんですか?」


 私はその目に屈する事無く質問をした。もはや死なば諸共だ!ジュールともに死んでくれ!!


 「んーまあ色々と細かい事情はあったけど、一番は純粋に留学に行ってるんだ。五歳までこの村にいてそれ以降は王都やいろんな国へ回って様々な土地の言葉や行政の勉強をしているんだ」


 はぁーそんな…五歳で留学って…確かエドワードさんが今二十歳くらいだったはずだから…少なくとも二十五歳以上って事だよね。ほとんど村にいないじゃん!?


 それって村民って言えるのかな…?そんな人が村長になるなんて…納得できそうでできない気がする。


 「では一体何に落ち込んで…?」


 「ああ、僕が落ち込んでいたのは……ううん言っていい物か…いやもうこの際相談する気持ちでいこう…!そう、その理由は僕を姉の補佐にしないで、分家として村の外に街に出すって言われた事なんだ」


 エドワードさんが話してくれた内容は以下の通りだ。


 元々エドワードさんは優秀だと聞かされていた姉を尊敬しており、時折文通もしていたという。そしてそんな姉を補佐する役目や、そうでなくとも姉を守る護衛の役目を強く望んでいたらしい。


 そのために様々な努力をしてきたが、村長さんんに、エドワードさんは村の事ではなくディッセン家の事を考えて、血を繋ぐ役目を果たして欲しいと言われたのだという。それが、分家づくり。村を出て近くの街か、フルール王国の王都などへ行って独立せよとの事だった。


 自分の置かれた立場や責任については理解しているものの、その命令はエドワードさんが全くもって望んでいない事で、意見したものの聞き入れてはくれなかったという。


 何とも複雑な話だ。何とはなしにに話しかけるんじゃなかった。


 一先ず帰っていい?ダメ?やっぱり?


 「残念な話ですね…」


 とりあえず聞いた感想を言っておく。


 「今晩、もう一度話してみようかなとは思っているけどね…それも聞いてもらえるかは…」


 ああ!寂しそうな顔をしている!!


 エドワードさんはかなり甘いお顔をしているから、そういう表情をされると、なんだかお助けしたくなるのだ!全くいい案は思いつかないけど!


 私とエドワードさんで色々と話していると、突然ジュールが何かを思いついたように、手を叩き音を出した。


 エドワードさんと私はその音に驚き、彼の方へ顔を向けた。


 「それはつまり、村長が息子である貴方の実力をわかっていないから…という事…なんだな?」


 何を言ってんだこいつ。


 「そ、そうか…!確かにそうとも言える…!」


 え、エドワードさんもどうしたの?


 「つい先ほど、お父上から大熊退治を個人的に行っていいという許可をいただいたところだったんです。これから俺は早速大熊を探しに行きます。もし遭遇したら戦う事になるかもしれません………お手をお貸しいただけますか…?」


 唐突に敬語になったな…そんで何…大熊退治に村長さんの息子連れてく?何言ってんだ!?今さっきこの人に与えられた役目は血を繋ぐことだったんだよ!?


 なんで早速断絶するかもしれない危険なところに誘ってんの!?


 「ああ!僕の力が、親父の…いや村の役に立つのなら!」


 ああ!もう!エドワードさんは何か使命感に燃えてるし!!


 ついさっきまでめっちゃ怖い目して落ち込んでたじゃん!


 ジュールとエドワードさんは足早にここから一番遠いが、森の入り口に近い正門へ向かった。


 ど、ど、ど、どうしよう!?ええ!?


 すっごい馬鹿!めっちゃ馬鹿!何でジュール?!さっきまで私とあんなに理路整然と話していたくせに!!今になって何で急に幼児期の男の子くらいの頭になるの!?本当に前世の魔法師団の団員としての記憶戻ってんのか!!


 何で物理的な力を示したら村長の考えが変わると思っているの!?


 ていうか大熊退治の許可って何!?そんなの貰ってたの!!??


 ぐぬぬ……!村長さんに報告するべきか……いや!正門のジュールのお父さんに報告しよう!!そうすれば村長さんまですぐに報告が届く!私が今から話に行くより多分早い!!

 私は全速力で走った。普段は二十分かかるところを十五分で正門までたどり着いた。


 だが既にエドワードさんたちは門の外へ出ていた。


 なんでこんな早く…と思ったが、そういえばエドワードさんは転移魔法を使える人だったと思い出した。


 ……村の中で許可された魔法以外を使うんじゃなーい!!!


 私に見えなくなるまで早歩きしていたあの二人が走っていた私より早く門から出るなんて、そうとしか考えられない…全く…もう!


 私は門から出る時、ジュールのお父さんに、エドワードさんとジュールが大熊退治に行った。今から止めるために説得に行くとだけ伝え、私も門を出た。


 後ろから静止の声が聞こえるが、走ってこないあたり私ならジュールを止められると思っているのか…それとも……。


 「あーなるほど…」


 私の考えが間違っていたことがすぐにわかった。


 何故走って止めに来なかったのか。そもそも大熊がいた森の入り口に一番近いであろう西門から出ておいて、誰もエドワードさんを止めなかったのか…。


 それはアムール大森林の入り口の前に大勢の兵士が立っていたからだ。


 どうやら、王都から派遣された兵らしく、エドワードさんと何やら言い争っていて、ジュールは何か別の兵士に宥められていた。


 何したんだジュール…。


 「おーい、お二方ー!」


 私が呼びかけると、ジュールが反応し手を振って来た。


 さらに大声で、「森に入れるように手を貸してくれー!」とも言ってきた。


 もしその大声で森から大熊が飛び出して来たらどうするのさ。


 ジュールの方に近づき、兵士の方々に話を聞く事にした。


 「いったい何があったんですか?」


 私がここに来るまで大体十五、六分、どんな騒ぎを起こしたのやら…。


 「今この森には正体不明の熊が生息している事が問題になって、王都から許可を貰った人間しか中に入れないんだ。なんだが、このジュールって男が自分は村長から大熊退治の許可を得ている!って聞かなくてさ…そこの村長の息子さんも同じでね…困ったもんだよ…」


 溜め息交じりに兵士さんは教えてくれた。その表情は苦笑いだ。


 「すいません…この人たち根は真面目なんで、一回村に帰らせますから…」


 私は頭を下げつつ、隣にいたジュールの右手を掴んだ。


 「ぐぅ…流石に…ダメか…十分以上粘るのはダメか…」


 ダメだろ。


 エドワードさんも説得しなくちゃ…。


 「エドワードさん、危険ですから村に戻りましょう?」


 私がそう言うと、エドワードさんは「だが…私だって戦える!」と言ってきた。


 そういう事ではない。エドワードさんはこの村を数十年単位でまとめ上げて来たディッセン家の人なんですよ。留学されてる姉君が一人、そして弟が二人いる…だからと言って、貴方が死ぬかもしれないのは良くない。


 「戦えるのだとしても、今は王都の兵士の方が来ているんですから任せた方がいいんですよ。もし協力をお願いされたら、その時に力を振るえばいいんです」


 何度もそんな感じの話をしていると、エドワードさんも段々と落ち着いてきたのか、強く握っていた拳が解けてきた。


 よかった。


 「武功だけが、親父を振り向かせるものじゃないものな。すまない取り乱していた」


 エドワードさんはそう言うと兵士に軽く頭を下げ、私たちと共に西門に向かって歩いた。


 そうそう、ジュールの手はもう放した。駄々をこねなくなったので、煽った事も反省しているでしょう。


 「考えてみれば、村長家は苗字を持っているんだもんな…家格の事を考えなくてはいけなかったな…」


 ブツブツと何か呟いているジュール。


 本当に反省している様子で何より。


 「だが、大熊の脅威がある以上、いつでも戦えるようにしなくては…」


 エドワードさんも何かブツブツ言ってる…。


 二人とも夜中にこっそり行くとかやめてよね?


 テクテクと行きとは違って、ゆっくりとしたスピードで門まで歩き、そろそろ門番の人たちの顔が良く見えるようになるなぁ、なんて距離に差し掛かった時―――


 「うわああああ!??」


 私たちの背後から大きな悲鳴が聞こえた。


 声がした方へとっさに振り返ると、森の入り口に熊が立っていた。


 ジュールから何を言われずとも分かった。あの日の大熊だ。


 今数百メートル離れた所にいても理解できるその大きさ。恐らくすぐ近くにいるであろう兵士さんと見比べて、大きさが三メートルなんてもんじゃあない、さらに大きな熊だとわかる。


 「グラァァアアア!!!」


 大熊が地響きのような咆哮をあげる。やはりこの声は前に逃げる時に聞いた声だ。


 「まずいな…兵士が一人やられている。人の肉の味を覚えたかもしれない…」


 エドワードさんが大熊を睨みながらそう言う。


 まさかと思い、大熊の足元を見てみると、血だまりの中に先ほどまで話していた兵士さんの一人が倒れこんでいるのが見えた。


 ああ、なんという事だ…じゃあ大熊は、これから人を襲うようになったという事か。


 「いや、確定じゃない。ただもしあの兵士を大熊が食べたりしたら、そういう事になる」


 私の表情から思考を読み取ったのか、ジュールが背中をさすりながら言ってきた。


 そっか…でもこれっていつそうなっても可笑しくないって話だよね…?


 「少々予定と違うが…ここで戦うしかないか…」


 ジュールは左手に魔法陣を展開しながら言った。


 私は何か言おうかと思ったけれど言葉が出てこず、とりあえず手が触れないように少しだけ後ろに下がった。


 エドワードさんも手元に魔法陣を展開し、魔法陣からまるで鞘から剣を抜く様に、光り輝く光剣を創り出した。


 大熊は魔力を探知したのか、キョロキョロと辺りを見回していたのを、ジュールたちに視線を定めた。


 本当だ。確かに大熊はジュールを見つめている。エドワードさんも視界に入っているのだとは思うが、大熊が見つめているのはジュールだ。


 あの時と違うのは、大熊は思い切りこちらに走ってきているという事だ。


 ものすごい勢いだ。瞬きしたらさっきまで数百メートル先にいたはずなのに、もう既に目の前に来ている。


 ジュールが防御魔法を使って大熊の突進を止める。魔力で出来た防壁にぶつかった時に地面が割れるくらいの衝撃が走った。


 腰が抜けそうだったが、ジュールが後ろにいる私を振り返る事なく叫んだ。


 「アン!村だ!急いで村に戻って人を避難させてくれ!もしかしたらこのまま大熊が村に向かってしまうかもしれない!」


 村に…!?


 「わ、わかった!ジュールもエドワードさんも無理はしないでね!」


 「「勿論だ、アン!」」


 二人の声に背中を押されるように、西門へ向かって走り出した。


 背中を見せた私に反応したのか、走り出したのと同時に後ろからまた激しい衝突音が聞こえた。


 だが、振り返ってみている場合じゃない。


 何とか西門に辿り着いた私は息も絶え絶えに、ジュールのお父さん…門番さんに


 「はぁ…はぁ…大熊が森から……出てっ…出てきて、今……ジュールと…はぁ…エドワードさんが戦って……」


 と伝えた。


 門番さんは「あの獣の叫び声は何かと思ったが、まさか噂に聞く大熊だったとは!ジュール…!くっ、わかった、私門番及び防衛隊に連絡をする!アンは他の大人たちと協力をして老人や子供の避難をしてくれ!」


 誰かを守る事の次に出てくるのが無力な人たちの避難な辺り、ジュールと親子だな…何て今考えるべきじゃない事を考えてしまう。


 いやいや、急げ私!


 門番さんにわかりましたと返答し急いで、村へ入る。


 だが、私はもっと深く考えるべきだった。そこそこ離れていた門番さんに大熊の咆哮が聞こえていたのなら、この村の中にも聞こえていると。


 村の中はパニックだった。


 皆が慌てながら、どこへ逃げればいいのか右往左往している。


 本来避難指示を出す役目の村の中の警備をする人たちは皆大熊が発見されてからほとんどの警備兵が防衛隊と言う部隊に編成されて大熊との戦いに対して使われるようになってしまって、少ない人数で避難指示を出している。


 恐らく村長さんも村長邸で指示を出しているだろう。


 私も手伝わなきゃ!


 戦う魔法が使えない、私なりの戦いってやつだ!

 行きかう人の波を掻き分けて、声を張り上げて避難誘導している警備兵の人の元になんとか辿り着いた。


 「す、すいません!みんなどこに避難しているんですか!」


 手伝うならまずそれを知っておかなきゃいけない。


 警備兵さんは、「沿岸部だ!海には村の人が皆乗れる船があるから、いざという時の脱出が可能なんだ!」と教えてくれた。


 そういえば父が言っていたな。村の人全員を乗せて別の場所に逃げるための大きな船があるって。漁師仕事の他にそれの管理の仕事もしていると言っていた。


 本当にあるんだ!話でしか聞かず、結局見たことは無いけれど、父は嘘が嫌いな人だからこういう時に全幅の信頼寄せられる!ありがとうお父さん!


 「ほら、君も早く逃げて!謎の獣の大声が聞こえたんだ!っていうか君も聞いただろう!」


 何ならその獣の目の前からここまで走ってきました!!


 とにかく門番さんたちに避難を手伝えと言われているから、警備兵さんを混乱させないように伝えなきゃ!


 「私は西門の門番さんから避難を手伝うように言われてきました!お願いします、手伝わせてください!」


 端的に言ってしまった。大熊の事は、下手に言って周りに聞こえたら更なるパニックを呼びかねないから、ざっくりと必要なところだけ言ったんだけど、伝わったかな…?


 「門番さんって、カザミの事か?」


 カザミ……あ、そうそう。ジュールのお父さんの名前だ。


 今この瞬間まで完全に忘れていた。


 「そうです!今、村の外に大型の野生動物が来ていて、兵士の方もそちらに向かっているので――」


 私がそこまで言うと、警備兵さんは「わかった。確かに今は人手が欲しい。じゃあ君は商業区ではなく居住区の方を頼む。まだ避難できていない人も多いはずだ!」と指示を出してくれた。


 ありがたい。大型の野生動物と言ったあたりで、何かを察した様子だった。


 大熊の話は兵士の人たちには伝わっているんだな…。


 逆にそうではない人たちにはどれだけ伝わっているんだろうか。いや、今考える事ではない。早く行かなきゃ!


 私は急いで、居住区まで走った。


 ジュールたちを追って西門に行った時は十五分という自分でも驚くような速さで辿り着いたが、今回は流石に道に人が多すぎて中々進めず、なんと二十五分もかかってしまった。普段より五分もかかってしまった…。


 少しの焦りを感じながら、私は商業区から居住区に行く門を潜り、「避難してない方いますかー!」と声をあげて、走り回る。


 商業区と違い、密集した建物が並ぶ居住区だ。一度大声をあげると、大体の家に聞こえる。


 私の声に反応して、何軒もの家の人が顔を出した。


 「アンちゃんじゃないか!どうしたんだい?」


 まるで事も無しげに聞いてくる、私の家の三軒隣に住むおばさん。


 どうやら大熊の咆哮はここまでは届かなかったようだ。


 …いや、私は家の外壁が崩れているのを見て、響きというか声の振動だけはここまで来たんだな…と察する事ができた。


 「おばさん、今村の外に大きな動物が来ていて、かなり凶暴だから急いで海岸沿いに避難してって警備の人たちが言って回ってるの!商業区は大分パニックになってるから、気をつけて避難して!」


 私は矢継ぎ早にそう言った。


 あまりに焦ってそういう物だから、おばさんは「え、えっと…つまり、今村が危険だって事かい?」と簡単にまとめてくれた。


 「そう!」


 私は全力で肯定した。


 「そうは言ってもねぇ…村の外ってどの辺りだい?」


 「え、西門側だけど…」


 「西門!ならこっちまでは来ないんじゃないの?別に海の方まで避難しなくても…」


 おばさんがそう言うと、他の家から出てきた人たちも、それに同意するように「警備兵の人もいるだろう?そもそも何でアンがそんな避難を呼びかけてるんだ?」とか、「居住区と森は離れてるから安全だって!」と言われてしまう。


 ああ、居住区にまで咆哮が届いていたら違っただろうに…!危険性や緊急性が伝わらない!


 「今来てるのはただの野生動物じゃないの!すっごい危険な動物なんだから!」


 私がどうにか説得しようとしても、「そうはいってもなぁ…今日は籠を結構な数作らなきゃいけないしなぁ…」と仕事を理由にしたり、「逃げるんなら商業区にいる連中でいいだろう」と少々薄情な事言って来る始末だった。


 どうしよう…どうしよう…。


 「ほら、アンちゃん。そんな事よりさっきクッキー焼いたら食べていきなさいな」


 とおばさんに手を掴まれて、引っ張られてしまう。


 クッキーは好きだけど、今はそんな事してる場合じゃないの!


 何でよ!私が普段から大声だしてるならまだわかるけど、普段大声出すような人間じゃない私が避難してって言いながら走って来たんだよ?大事だって思わないの!?


 「ちょ、ちょっと待っ」


 私がそこまで行った所で大きな爆発音が響いた。


 爆発したのは目の前。居住区の外壁だった。


 飛んできた瓦礫が密集した家に落ちてゆく。更に引っ張られていた力が急に無くなった事に気づく。


 瓦礫が私の手を引っ張っていたおばんさんの頭を潰していた。あまりにも早い速度でぶつかったのか、おばさんの頭部は半分以上が無くなっていた。


 「あああ!?」


 兵士さんの遺体は遠くだったからか、恐怖は来なかったが、今目の前で人が亡くなった時、私の心は恐怖に支配されてしまった。


 そして壊された外壁の向こうから、炎と煙の中に蠢く大きな獣。


 大熊だ。ジュールは?エドワードさんは?やられてしまったの?


 ……ああ…あああぁぁあああ!!!!!!


 私の足は震え、立つ事すらできなくなり尻もちをついてしまった。


 私だけじゃない。居住区にまだいた人たちは皆パニックになり、皆走って商業区へ向かっている。


 逃げる人々を見て、私は一瞬だけ冷静になれた。


 それは何故か、逃げる人々の中に明確にいない人物がいたからだ。


 ノワイエである。彼女は今日も子供たちのお世話を数人で行っていたはず。


 にもかかわらず、走り去っていく人の中に彼女は見えない。子供もいない。


 腰は抜けている…でも、やらなきゃ……こわい…でも、でも、でも、やらなきゃ…ああ…そうだ。私はできる…私はできる……私は…っ…できるっ!


 「皆!海に逃げて!!既に避難した人は海に集まっている!!」


 渾身の大声で、叫んだ。伝えた。


 私の声を聞いた人が逃げ行く人たちに、「海だ!」、「海に行くぞ!」と伝えあっているのも聞こえた。


 よかった。……思ってた通りにはいかなかったけれど、避難させることはできた。


 あとは、探さなきゃ。ノワイエたちを…。


 大熊は今どこに……。


 辺りをキョロキョロと見回すと、外壁の穴から侵入した大熊は、少しだけ入ったところで、何人もの兵士と戦っていた。


 その中にはジュールやエドワードさんの姿も見えた。


 よかった!二人ともまだ生きてる!


 この事実だけで、私の中にいる恐怖を少し抑え込むことができる!


 私はグッと足に力を入れて、立ち上がった。


 そしてどこかまだ壊れていない建物を探す。もしまだいるなら、生きているなら、そういった所にノワイエたちはいるはずだ…!


 瓦礫によって壊れた家々の間を大熊に見つからないように慎重に移動する。もしこちらに注目が来てしまえば、ノワイエを探すどころじゃなくなってしまう。


 どこだ…どこだ…!


 遠くから人の呻くような声が聞こえる。家に押しつぶされている人だろうか…それとも戦っている兵士だろうか。


 声が聞こえた方に向かってみると、倒れてきた柱に左足を潰されてしまった男の人が倒れていた。大きな音を鳴らさないように近づく。


 大丈夫ですか…という言葉が出かかったが、見るからに大丈夫じゃないんだからかけるべき言葉はそうじゃない。


 「助けに来ました!」


 張り上げないように、しかし男性を勇気づける様に強い語気でそう言った。


 男性は「あ、ありがとう…!少しでいいから柱を持ち上げてくれれば抜けそうなんだ、お願いできるかい?」と涙ながらに言った。


 私も助けない理由がないので、頷きすぐさま柱を掴む。


 「ふんぬぬぬぬ……!!!」


 重い…重すぎる…!でも、こんなところで時間をかけるわけには…!!


 自分史上一番力を込めて柱を持ち上げる。するとようやくほんの少しだけ、持ち上げる事が出来た。


 うおお、凄いぞ私!!


 「ありがとう…あいたた…」


 男性は何とか足を抜くことができた。私はそっと指を挟まないように、地面に置いた。


 「はぁ…はぁ…海っ…!海に皆避難しています、ゆっくりでもいいので、あの大熊に気づかれない様に、商業区を抜けていってください…!」


 「わ、わかったよ。貴方も気を付けてね…!」


 男性は怪我をしている左足をかばいながら、居住区の門の方へ向かっていった。


 さあ、私もノワイエたちを探すのを再開しなくちゃ。


 ヒリヒリする両手の痛みを我慢しながら立ち上がると、周囲に熱があるのを感じた。


 炎だ。火事になっている。


 大熊の方を見ると、両手から炎を出しながら兵士さんたちと戦っている。振り回している両手から零れた火の種があちこちに飛び、家を燃やしているようだ。


 元々密集していたし、木で出来ていたここらの家はすぐに燃えてしまうだろう。


 早くノワイエを…! 


 私はもはやコソコソと探していては、時間が足りないと考え走る事にした。


 崩れた家の破片などが地面に落ちているため、走りづらいが逃げ遅れているかもしれないんだ、我慢我慢!


 「ノワイエ~どこ~」


 流石に大声まで出すわけにはいかないので、何とか家居たら聞こえるくらいの音量で呼びかける。


 ただ、大熊との戦闘の音も大分激しく辺りに響き渡っているので、どれだけ聞こえるかはわからない。


 すると、偶然にも街路樹によって瓦礫が防がれたのか、密集した家から少しだけ離されて建っている家があった。


 無傷と言うわけではなかったが、とにかく窓から明かりが漏れている事からも中に誰かがいる事が分かる。


 ノワイエであって欲しいという気持ちで、その家に近づき大熊の方にも注意を向けつつ扉を開く。


 家の中にパッと見で人はいなかったが、キッチンのある方から子供の声が聞こえてきた。それと女性の声だ。


 この女性の声には聞き覚えがある。探していたノワイエの少しおっとりとした声色だ。


 「ノワイエ!皆、無事!?」


 私はキッチンの方へ走って向かい、炊事場の影に隠れていた八人の子供とノワイエ、そしてノワイエの手伝いの男性と女性を見つけ、声をかけた。


 子供たちは私の顔を見るなり泣き出してしまった。


 しまった、もしかして助けが来たと安堵してしまっただろうか!


 まだなんだ、ごめんよ子供たち…。


 「あ、アン姉…」


 ノワイエは声色こそいつも通りだが、どうにも挙動がおかしい。


 ……もしかして、まどから大熊を見てしまったのか!?


 「ノワイエ、そしてお二方!」


 手伝いの人も細かく震えているのを確認したので、ノワイエと男性の肩に触れ三人に呼び掛ける。


 「外の状況を知っているのかもしれない…だけど、今は子供たちのためにも勇気を振り絞ってください!今商業区を抜けて海の方に避難所があります!そこまで、どうか子供たちを守って!」


 私の言葉にお手伝いの男性と女性は、グッと拳に力を籠め、互いにアイコンタクトして、決意を固めた様子だったがノワイエは違った。


 既に心が折れているのか、目はうつろで口からは浅い呼吸音が聞こえる。


 ついにはボロボロと大粒の涙まで流してしまった。


 「アン姉…アン姉ぇ!無理だよぉ!あんな化け物がいる外になんて出られないてよぉ!」


 ノワイエはドン!と中々の勢いで私の胸に飛び込んできた。


 全く、私のバランスの取れた胸が無ければ大怪我だったぞ?


 どうやらノワイエは完璧に心が折れてしまったようだ。


 まさか年下の子供たちよりもボロボロになってしまっていたとは…。


 …心苦しいが、どうにかその恐怖を打ち破ってもらわないと…!


 「大丈夫!一人じゃないでしょ?ノワイエが選んだ凄腕のお手伝いさんもいるんだから、三人で協力すれば大丈夫!」


 私はそう宥めても、


 「いやだぁああ!もう死んじゃうんだぁああ!」


 と泣き叫ぶ始末。


 どうしたものか…このままノワイエを泣かしたままにすると、その恐怖が子供にも伝播してしまう。既に私が家に入って来た涙が止まっていた八人の子供たちの中に再び泣き出してしまいそうな子もいる。


 「ノワイエ…いったいどうしてそんなに怯えてるの?何を見たの?」


 もう正直に聞いてしまえ、そう思った。


 多分傷ついている人に一番やってはいけない事だと思う。でも今は急を要している。ちゃんと後で謝る!十発くらいなら拳で殴ってくれて構わない!


 「ううぅ……見ちゃったのは大きな化け物だけじゃないの…み、みみ、見ちゃったのは…飛んできた瓦礫で人が…人がぁああ…」


 そう……だったんだ…。


 私の脳裏には、大熊が外壁を壊した時に飛んできた瓦礫で頭の半分が潰れてしまったおばさんの光景が浮かんだ。


 ノワイエは窓越しに?とはいえ、それを見てしまったんだ。


 なら、私が書けるべき言葉は…。


 「私なんかよりずうっと、繊細な子だものね……すごいショックだったんだよね…。わかる…わかるよ…」


 私はノワイエの背中をポンポンと叩きながら、彼女の涙がおさまる様に優しく言葉をかけた。


 「でも…でもね…ノワイエ。貴方は村長さんから子供を任されているの……私が提案した事だけれど、貴方はその仕事を受けたの……それはわかるよね?」


 「うん……」


 涙声で相槌を打つノワイエ。


 「……だから貴方には責任があるの。子供を守り、次の世代を育む責任が…」


 少し卑怯かもしれない。彼女は仕事には熱心だった。


 なんだかんだと仲の良かった私を手伝いにしっかりとした理由で呼ばなかった辺りからも真摯に自分の役目を果たそうとしていた。


 そんな責任感の強い彼女に…私は…何て卑怯なんだ。


 あー、自分が嫌いになりそ。


 私は胸にうずくまる彼女の肩に手を置き、身体から話して目と目を合わせて会話をする。


 「きっと貴方ならできる!私よりずっと魔法の才があり、人を見る目もあった貴方なら、この状況からでも、子供たちを連れて脱出できる!勿論私だって一緒に逃げるから!」


 多分…ノワイエたちで避難し遅れている人は最後だろう。


 正直後の所は火事や瓦礫で元の居住区の姿がわからないくらい壊れているので、柱に挟まれていた男性くらい、目立っていないと助けに行けないと思う…。


 だから、私はここでノワイエたちと共に海へ行く。


 そう決断した。


 「アン姉……ん、あれ、アン姉その手…」


 ノワイエは私が肩に置いていた手を取り、その手の平をまじまじと見た。


 ついさっき負った火傷とささくれた木によって付けられた傷だ。


 恥ずかしい…。


 「これはここに来るまでに逃げ遅れた人がいたからね…はは」


 その言葉を聞いたノワイエは、急に私の手を強く握った後、立ち上がった。


 「ご、ごめんなさぃ…。私が怖がってしまったばかりに…子供たちを危険な目に…」


 そう謝ってから、


 「ここからは大丈夫!大丈夫です!行きましょう!」


 と決意をした。


 甘い物、これが終わったら一緒に食べに行こう。勿論私のおごりで。


 「今居住区でも離れた所に化け物はいるんですよね?」


 ノワイエの質問に、「そう。今いる場所からはかなり離れているよ」と伝える。


 すると彼女は頭の中に地図でも開いているのか、指で何かをなぞるような動きをした後、「よし!」と言って、子供たちの方をチラッと見た後、私とお手伝いさんに目線を移した。


 「ルートはわかりました!できるだけ早く行きましょう!今居住区に化け物がいるなら商業区に入れば、どうにか安全なはずです!」


 ノワイエの言葉通り、私たちはすぐさま子供たちを連れて家を出て、商業区に繋がる門へ向かう。


 ノワイエ、お手伝いさん女性、子供八人、お手伝いさん男性、私の並び方で移動している。


 大熊の方にも注意を払うが、やはり苦戦している様子で、大熊は怪我こそ負っているが、致命傷にも撤退するほどにもなっておらず、何故あの時は刺激臭程度で逃げられたのか疑問に思えるほどの大暴れをしているのが見える。


 子供たちは煙を吸わない様言うものの、口を押さえる布だったりが今服しかないため、少しせき込む子供も出てくるようになった。


 さらに、子供の歩幅に合わせて逃げているため、五分程歩いているがまだ門までは距離がある。


 遠くから激しい音が聞こえる。それに子供が怯えて、中々進めない…。


 もしかしたら、子供を抱えて逃げた方が早いかもしれないけど…八人…大人一人で子供二人を抱えて逃げるのは大変か…いやでも……。


 いや迷っている暇はない、急ぐぞ。


 「ノワイエ、子供たちを抱えよう。瓦礫が多すぎて子供には歩き辛過ぎる」


 私が提案しようと思っていた事を、お手伝いの男性が提案した。


 おお、流石ノワイエの選んだ人だ。


 「そうだね、アン姉もお願い」


 「オッケー」


 私もノワイエの指示に従い、子供を抱えようとする。


 だが、私が抱えようとした子供の一人が、急に固まってしまった。


 一体どうしたんだと、子供が見つめる方を見ると、大熊がいた。


 一瞬子供が大熊を怖がってしまったのだと思ったが、違う。大熊がこちらを見ている。


 顔は戦っているジュールや兵士さんの方を向いている。だが、目だ。


 目だけが私たちがいる場所を見つめている。


 私がそう認識した刹那、大熊が先ほどまでいた破壊された外壁沿いから姿を消した。


 それと同時に凄まじい風がここまで吹き荒れた。


 何が起きたのか理解する前に、何が起こってしまったのか認識させられた。


 轟音と共に、私たちの目の前に大熊が落下してきたのだ。


 「っ!?ノワイエ、子供たちを!」


 私はとっさに、大熊が着地した衝撃で出来た子供たちと大熊の間に出来た空間に割り込み、守る様に両手を広げた。


 とは言え大熊に対して両手を広げたとはいえ守り切れはしないだろう。


 だからこそ、どうにかして一秒でも時間を稼がなくては!


 ジュールたちがこっちに来るまでの時間を!


 私は大熊が顔をこちらに向けて近づけてくるのを見ながら足元に魔法陣を展開した。


 「アン姉!」


 後ろからノワイエの声が聞こえる。


 「私の事は良いから、子供たちを!貴方たちも早く逃げなさい!」


 振り向く事なく、大声で返答する。私もかなり焦っている。


 後ろからは子供たちの泣き声も聞こえる。ああこれ、地獄絵図ってやつだ。


 そして、大熊は一気に口を開き、私の頭を飲み込もうとした。


 ――――――その時を待っていたんだ。私の足元の魔法陣から小さな火がいくつも飛び出した。


 その小さな火は大熊の喉、そして目に入った。


 「グオォアァアオオ!!」


 苦悶の叫びをあげる大熊。


 どうにか隙と時間を得る事が出来た!


 私は後ろをチラリと見ると、ノワイエたちはちゃんと走って門の方まで向かっているのが見えた。よかった…。よし私も早くここから逃げな――――――…。


 そう思ったはずの私は急に何かに吹き飛ばされた。


 朦朧とする意識に残っている記憶には、突然壁か何かにぶつかったような衝撃と、ジュールの「アン!!!」という悲しそうな叫び声だけだった。


 その後、私の意識は途切れた。

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