9 ルイ14世
ルイ14世は彼の父、ルイ13世が建設したベルサイユ宮殿を父と同様愛していた。最も、父王の時は王の館としてはみすぼらしい、安普請などと名士会(国王の政務に対する諮問機関で臨時に召集されるが、三部会程規定されたメンバーではなく、国王の恣意的人選がなされた)では酷評されている。父王が狩猟の中心地として愛情を注いでいたのに対し、彼は絶対王政の完成形としてベルサイユを愛していた。それと同時にパリへの複雑な気持ちが、それを一層際立たせてもいた。
貴族の反乱も含まれたフロンドの乱を経験した事から、貴族の造反に苦慮していた彼は、圧倒的な権力によって貴族を制圧する術を模索しており、その一つの答えがベルサイユ宮殿への定住と宮廷への出仕であった。
ベルサイユ宮殿に貴族を住まわせ、生活費や夜会や賭け事などの娯楽を提供する事によって朝から晩迄、王の宮廷生活に随伴する宮廷貴族が創られた事が、以降の貴族の反乱消滅に大いに貢献した。
貴族達は古くから認められてきた慣習による権利を国王に追認又は再確認させる事によって領主として、支配者としての地位を支配地の住民に示し、域内での徴兵による武力の確保が出来た。これが地方領主の力の源泉である。地域の支配権は国王にとっては反乱の種であったのだ。
支配地域から遠く離れたベルサイユで宮廷生活を送らせる事は、住民にとって領主の存在を忘れさせ、国王のみが支配者である事を認識させる。勿論その対価として、領主貴族には宮殿に無償の住まいと年金の保障がセットになって貴族達に提供された。
そして宮廷生活に於ける国王の寵愛が、政務や官職に直結する事をはっきりと宮廷生活の中で彼等に示し、ルイ14世は宮廷への出仕によって貴族の評価をした。こうなると貴族は我先に国王への朝の挨拶、会議への出席、食餐会への同伴、庭園散歩への参加、夜会やサロンへの同席に精を出した。
ルイは貴族を完璧にとは言わない迄も、充分にコントロールした。彼が名前の知らない貴族は宮廷での官職が与えられなかったし、出仕も否定されるに至った。
王権神授説は、ブルボン王朝の創始者アンリ4世が、瘰癧病(結核性頸部リンパ節炎)患者に国王自ら触れる事によって治癒する奇跡を示す事で、国民に受け入れられた。ルイの代になり、絶対王政迄もが確立されたのだ。マザラン枢機卿、アンヌ・ドートリッシュ母后、オルレアン公ガストン、コルベール財務総監等が目指した絶対王政が、彼の時代に完成した。
閑話休題
ルイの気質を看てみよう。5/9/1638生まれなので反射神経が良く、適切な状況判断が即決で下せる指揮官タイプに思われる。
“飲む、打つ、買う”は男性の欲求であり、時代や地域を超えて共通のものである。これを彼に当て嵌めてみよう。
“飲む”これは酒だけではなく、飲食への欲望である。彼は大食漢であって、晩年は足が壊疽して歩けなくなっていた。庭園の散策を時として輿に乗って行った事は痛風が原因とされているが、糖尿病も既に発症していたのは確かだろう。
“打つ”これは博打だけではなく、他者との競いを表わす言葉として理解して貰いたい。それというのも、博打は合法であれば行えるが、非合法となると徹底的に取り締まりの対象となるので、普遍的な解釈が困難だ。更に占いの観点から、人との争いを好む人間には【飛刃】という神殺を持っている者が非常に多い。逆に言うと、この星を持つ者は人との争いを好む傾向にある。博打、ゲーム(囲碁、将棋、チェスも含む)、出世栄達も他者との争いに勝利する事が第一義目標なのだ。彼は存命中多くの戦争を他国に仕掛けた。それはフランス(ブルボン家)の国力を伸長させる事であったが、己の欲望に対して忠実だったのである。彼の遺言は「戦争をするな」である。
最後は“買う”になる。これは物品の購入ではなく、異性との接触行為を金銭の介在によって成立させるものであり、今の世では違法な売春である。この点で彼の女性遍歴は派手であり、最初は宰相マザランの姪っ子(結婚を望んでいたが、スペイン王妃との婚約があり、反対されていた)から始まり、身分の上下に関わりなく常に愛妾がいた。一応、著名な愛妾としては、アンリエット・ダングルテール(英国王チャールズ1世の娘で、フランス語ではアングル人の土地のアンリエット)が最初であろうか。彼女は王弟の妃であった。彼女は5歳の時、父親が清教徒革命(1642年)で処刑され、母親の母国であるフランスに亡命していたので、ルイとは面識があったのだが、その頃の彼は彼女を歯牙にもかけていなかった。王弟の妃としてベルサイユに来て、その美貌に彼が目を付けたのである。次にルイーズ・ド・ラ・ヴァリエール、彼女は王弟妃の侍女。次からは有名なモンテスパン侯爵夫人、フォンタンジュ公爵夫人、マントノン侯爵夫人と続くのである。
以上の事から、ルイ14世は男の三大欲求を全て達成した先達ではないだろうか。
ルイが今思い悩んでいるのは、オランダ戦争後に取得したフランドル地方の統治やルクセンブルグ併合に伴うヨーロッパ列強との軋轢ではなく、モンテスパン侯爵夫人の処遇であった。
彼女との間に出来た子供は7人を数えるのだが、彼女は前年に37歳で後のトゥールーズ伯ルイ・アレクサンドルを出産した。多産により著しく容姿が崩れてしまい、特にお腹周りと臀部は贅肉がしっかりと付き、コルセットで締め付けるのも難儀していたし、乳房は張りをなくして垂れ下がっていた。
ルイもベッドで彼女の裸体を見るにつけ、新しい愛妾、フォンタンジュ公爵夫人の瑞々しくて張りのある若い裸体を想像してしまう。彼女はこの時18歳の若さの真只中にあったし、ルイも元気溢れる41歳。
彼の身体にまとわりつく若い裸体が彼の情欲を掻き立てるのだが、贅肉が至る処についた裸体からは、彼は欲情を催さなかった。中世では美の基準とされたムッチリ体形なら、未だ性欲の対象になれたのだろうが、今のモンテスパン侯爵夫人は中世の基準すら超えていた。
何時しか頻繁に通っていた彼女の部屋から脚が遠ざかり、新たな愛妾の部屋へと通うルイを彼女はどう思っていたのか?
ルイの寵愛が彼女から離れつつある中、彼女は必死に愛情をつなぎ止めようと服装や装飾品、化粧に大金を注いでいた。果ては、経験の乏しい若い女性では知りえない性愛の技巧も駆使していたらしい、オーラルセックスとか肛門性交とか。又、産後の肌に良いと言われる薬草や体形を維持する為の下剤薬なども怪しい助産婦などから購入していた。
しかし、体形だけは如何ともし難い。現代人なら理解しているが、摂取カロリーと消費カロリーの差だけが、体重の増減を決定するのではない。そこに適切な有酸素運動と無酸素運動、そして十分な睡眠が加わって、ダイエットが完成するのである。下剤薬のみで体形をコントロールする事が困難であるのは、ルイの食生活を見れば分かるだろう。彼も下剤で体重コントロールを目指したが失敗している。
宮殿の部屋は国王の部屋を中心として配置されている。公式レセプション会場でもある表御座所には有名な鏡の間も含まれる。1階の鏡の間の上、2階に国王の寝室があり、日常生活を国王一家は2階で過ごした。1階は母后や王弟などの家族が住み、愛妾達も1階に住居を確保されていた。
1階に居室を愛妾に宛がう時、ルイは女達の意見を聞き、快適に住めるよう家具や寝具、備品の類いにも気を配っている。勿論、モンテスパン侯爵夫人の居室も、フォンタンジュ公爵夫人の居室も1階にあった。
ルイの愛妾は重複していた時期があり、この二人の時もそうだった。ルイが片方の愛人の部屋へ向かうのを片方がドア越しに耳をそばだて、気付いていたかも知れない。彼はそんな事は知らないで愛人と男女関係を夜毎営んでいたのであろうか?
頼み事があると言われ、ルイはモンテスパン侯爵夫人の部屋を訪れた。最近は若い愛人にぞっこんで、何週間振りであろうか、彼女の部屋を訪れたのは。脚が遠のくとつい億劫になり、寄り付かなくなる。そうすると尚一層、部屋に入るのが煩わしくなる。そんな気持ちを抑えて、ルイは彼女を訪れた。
「国王陛下、良くお立ち寄り下さいました。感謝申し上げますと共に、御代の弥栄をご祈念申し上げます」
「堅苦しい挨拶は結構ですよ。侯爵夫人もご健勝で何よりです」
ルイが夫人の居室のソファーに座り、それを見た夫人が彼の隣に腰掛けて話し出した。
「陛下。出産後の体調が中々回復致しません。色々と市中の薬を取り寄せてはおりますが、どれもこれも“帯に短し、襷に長し”でございまして。本日お願いしたい儀は、唯一点でございます。陛下調整薬剤を御下賜頂きたく、お願い申し上げる次第でございます」
「そんな事ですか。大丈夫ですよ。明日内科医長に話しを伝えておきますので、ご安心して下さい」
彼は少し安心した。てっきり足が遠のいた事を非難めいて言われるのかと思っていたので、そんな事かと安堵したのだ。
夫人の侍女が白ワインをグラスに入れてテーブルの上に置いた。陽の光を浴びて、澄んだ黄金色を見せるワインは美味しそうに輝いている。ルイは侍女に労いの言葉を掛けると、出されたワインを飲み干した。それを見た侍女がボトルを持って来ようとしたのをルイが手で制し、一杯で十分との意思表示をした。
「美味しいワインですね。どちらの産ですか?」
「ブルゴーニュの物でございます」
「後を引かないサッパリとした味わいですね」
「お気に召して頂き、ありがとうございます。陛下のお口に合うか心配でしたが、喜んで頂き安心致しました」
「何をそんなに心配していたのですか? まさか古いワインを出しはしまいかと案じたのですか? それとも・・・」
「何を仰せられます事やら。ワインに関しましては目利きではございませんので、陛下のお口に合うか否か、それだけが心配事でしたので、唯それだけでございます。他意はございません」
「そうですか。では、この話しはこれ迄と致しましょう。侍女も心配して狼狽えていますからな」
二人の会話を不安気に見ていた侍女のオロオロした姿を見て、ルイは話題を元に戻した。
「では内科医長の件は伝えておきますので、宜しいかな?」
「有難うございます」
彼女はルイの眼を見ながら返答した。その眼は、ほほ笑んでいるが、心の底には邪な考えが浮かび上がりつつあった。
「陛下、今宵はこちらでお休みになられましょうか? ご用意を致させますが」
「いや、侯爵夫人の体調を考えると、今宵は早くお休みになった方が宜しいかと思います。元気な姿を早く見せて下さいな」
「有難うございます。勿体ないお言葉、感謝申し上げます」
「それではこれで失礼しますよ」そう言ってルイは彼女の部屋から出て行った。
ルイの後ろ姿を醒めた目で見ていた夫人は、侍女にワインを持って来るように命じた。グラスに注がれた白ワインを口に含み、一口喉に流し込む。ルイの言った通り、美味しいワインだ。癖がなく、ストレートに胃に流れ込んだ。一杯が二杯、三杯となり、気分が高揚して来たのが自分でも分かるのだろう、夫人はほろ酔い気分になっていた。
1679年3月8日、ルイ14世は特別法廷を設置した。所謂、火刑法廷※(シャンブル・アルダント;日本語で炎の部屋と訳されます)である。
※中世フランスに於いて、部屋を暗幕で覆い、松明の灯火若しくはローソクの下で開かれた事から名付けられた。
特別法廷はパリの高等法院にて王令として登記、即ち公式記録として公文書に記載されるものであり、魔女に対する法廷は全て火刑法廷となっていた。
この時の火刑法廷は、1678年5月6日に先行して審理されていたボス未亡人に対して、生きながらの火刑を宣告した裁判と同様、非公開でなされた。毒薬密売事件に絡む一連の事件だけを対象としたものである事は明白であった。