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8 財務総監コルベール 2

 コルベールはベルサイユ宮殿東側、前庭を囲む完成間際の大臣翼棟に警視総監レニエを呼びつけた。過日、国王に説明した事件についての進捗状況を尋ねたく、自らの執務室に呼び寄せたのだ。

 室内は雑然としていた。政務棟として建設されているが、未だ完成はしておらず、室内の装飾も未完成であった。しかし、国王がベルサイユで大半を過ごす以上、政府の一員として国王の傍に侍らなければならず、多くの貴族と共にベルサイユとルーブル宮との二重生活を強いられていた。それでも下級貴族等よりはましな方で、彼等は国王から住宅用地として下賜された土地に、己の金で住居を建設しなければならなかったのだ。


 レニエは犯罪者の中から拷問などでスパイに仕立てた者を使った捜査手法については、コルベールに説明していなかった。王令と匂わされていた為、結果だけを求められていた事もあり、如何なる手段を使っても事件解決に辿り着かなくてはならない。それが彼の出世の足掛かりになるはずだし、事実、彼は軍隊の中での栄達を望んでいた。

 前任者から未解決のまま引き継いだ案件を解決出来れば、それは彼の能力の高さを示すものとなる。是が非でもやらなければならなかった。

 初めは陸軍卿ルヴォワから王令と匂わされて、捜査の指揮を執っていたが、遅々として全容解明につながらず、ルヴォワの出征に伴い、一時的にコルベールへ移管された後に糸口を掴んだのだ。この件で余りやり過ぎると周りからはコルベール派閥と認識されて、陸軍の大半を抑えているル・テリエ派閥から敵対視され、出世に影響が出てしまう。

 ウエイトを何方に置くか、何方に軸足を掛けるのが良いのか彼は考えあぐねていた。


「どこまで解明出来たのだ?」

 コルベールがレニエに聞いた。コルベールは体格的にはどちらかと言うとやせ形で、顔色は冴えなかったが目つきは鋭く、髪の毛は黒かったが薄かったので、何時も球帽を被って己の頭髪の薄さを隠していた。それが見る者にとって冷酷な印象を与えていたのを彼は知っていた。彼の口調と相まって、余計に目下の者には尊大に見えた。


「卸しは全員捕縛致しましたので、年内には全員起訴出来るかと。客につきましては、押収量から推測して若干の逮捕者が浮かび上がっておりまして、今暫くの猶予をお願いしたく」

「それは無理だ、国王陛下に過日、経過報告をした処、早期解決を希望する旨の発言を頂いた。猶予はない」


 真っ赤な嘘だ。国王は彼に「一任する」とは言ったが、早期解決までとは言及していなかった。


 コルベールは是が非でも、自分で全容を掴みたかった。ルイがルヴォワに任せた事件を一時的にせよ、自分が指揮している内に解決すればルヴォワを出し抜いて、陸軍内部への影響力が確保出来るのだから。その時、ルヴォワがどんな顔をするのか、彼はそれを想像すると、己の気分が高揚してくるのが嬉しかった。しかし、そんな意図はおくびにも出さず、レニエに伝えた。

「お前に与えられた時間は少ないのだぞ。それを忘れるな。この問題は宮廷に迄、既に及んでいるのだ。であるからして、早急な問題解決が望まれる。私の言う意味が分かるな」


 強い口調でレニエに話した様は、国王への応接と真逆である。

「一部の宮廷関係者に捜査が及ぶ事は致し方ないと思われますが、パリ市民に噂が広まらぬよう厳重なかん口令を敷いて、全容疑者の逮捕に全力で当たります」

「報告は毎週、私の処に来てしなさい。陛下へは私から伝えねばならないからな」


「分かりました」

「それでは帰って宜しい」


「しばしお待ち頂けますでしょうか。内密にお伝えしたい事がございます」

 部屋にはコルベールとレニエ以外、誰もいなかった。国王の密命を受けた仕事である為、財務官僚や警護兵はドアの外に待機させていた。


「何だね? 急ぎなのか?」

 少しイラついた口調で彼は尋ねた。次に顧問会議が控えていたので、彼は大急ぎで書類に目を通し、レニエには一瞥もくれなかった。


 レニエはモンテスパン侯爵夫人の名前を伝えた。見る見るうちにコルベールの顔色が変わった。国王の寵愛する夫人に容疑がかかっていると、警視総監から伝えられたのだ。動転しない人間などおるまい。

 もし彼女の名前を国王に伝えたならば、どの様な言葉が発せられるのか? どの様な対処を命じられるのか? 想像出来ない彼であった。この問題については厳重なかん口令を敷き、外部に一切漏らしてはならない。これがパリ市民に知れたら、王制は如何ようになってしまうのか? 彼は想像したくもなかった。


 そもそもこの捜査は陸軍卿ルヴォワが指揮していたのだが、フランドル地方出征が下命され、代理として国王からコルベールに直接命じられたからだ。その理由は、はっきりしていた。


 コルベールは1672年に、魔女裁判をパリ高等法院が法律に基づいて扱う事を認めないと、パリ高等法院に直接出向いて強引にねじ込んだのだ。彼の行為は財務総監としての権限を逸脱している、越権行為と高等法院は強く反発したが、結局彼の強硬な姿勢に屈服してしまった。

 しかし、問題はパリ高等法院だけの問題ではなくなり、ルーアンの高等法院は、コルベールの行為が教会教理を侵害するものとの声明を出し、神の領域に足を踏み入れるべきではないと非難した。何故、法執行を否定されたパリではなく、ルーアンの高等法院が口煩く非難したのだろうか。


 これは当時から噂されていたのだが、1431年5月に、百年戦争(1337年~1453年)で劣勢にあったフランスを救い、シャルル7世(在位1422年~1461年)の戴冠を助けたフランスのヒロイン、ジャンヌ・ダルクに、異端審問で火刑の決定を下したルーアン裁判所が、法理論から反駁したとされていた。


 異端審問や魔女裁判に係る費用は被告が負担する事になっており、死罪が確定すると中世の時代から被告の財産は没収され、教会に入るフィナンシエル・テクニックとしてのシステムが確立していたのだ。

 コルベールは国家財政責任者として、教会の蓄財システムの膨張を好まなかった。国家財政の健全化を図る必要に迫られていた彼は、適法の名の下に行われる国家権力以外の資産簒奪を許せなかった。外野からの一切の騒音をカットして彼は強く高等法院に迫ったのである。しかしその裏には、財務利権を一手に掌握しようとするコルベール自身の野望も見え隠れするのである。

 この一連の活躍が国王に賞賛され、直々の指名となったのである。


 コルベールは部屋に続く控えの間に退かせていた財務事務官を呼び、この後に予定されている顧問会議を遅らせるよう指示した。そして尋ねた。

「モンテスパン侯爵夫人を逮捕するのか?」


 コルベールは夫人が逮捕されるのか心配していた。罪を犯した、犯さないではない。国王の愛妾がパリ警察の捜査対象になる事自体があり得ない事である。

「どう対処致しますか?」逆にレニエはコルベールに聞き返した。


「逮捕してもらっては困る。国家機密に属する案件については、パリ警察の所管ではない」

「すると、何処で線引きを致しますか?」


 二人には共通認識があった。4年前のド・ブランヴィリエ侯爵夫人による連続殺人事件である。上流階級で起きたこの事件は、当時宮廷にも累が及ぶ恐れがあるのではないかと、パリ市内で噂が飛び交っていたのだ。その記憶がある二人だから、宮廷に係わる事項は全て国家機密として公にする事を拒否するしかなかった。


「捜査は毒薬密売事件として進めてくれ。捜査対象者が宮廷関係者の誰とはっきり判明したら、その段階で秘密捜査に移行してもらう。その為には証拠、証言など後で否認されぬようしっかり固めてくれ」

「了解致しました」


「これは君への厳命だが、絶対に外部に情報が洩れる事のないよう、捜査員にはかん口令を敷いてくれ。如何に信頼のおける部下といえども、詳細を伝えてはならん。これは国王の命ではなく、私の命令だから、そこを履き違えてもらっては困る。良いな!」

「分かりました。秘密厳守で対応致します」


「警視総監は先程『全容疑者の逮捕を目指す』と申したが、そうなると痛し痒しだな」

「と申しますと?」


「『宮廷関係者の関与が判明した段階で秘密捜査に移行させろ』と私は命じたが、周辺関係者が確認出来た段階で宮廷関係者への捜査は始まる訳だ」

「そのような進行になります」


「捜査員にはかん口令を敷いて捜査させれば、捜査員から情報が洩れる恐れはなくなると思うが、容疑者や逮捕者の身内から洩れるリスクがある。身内迄拘束する事は出来るかね?」

「それは難しいかと思われます。仮に拘束したとしますと、後の裁判で法院がどのような難癖を付けてくるか、分かりません。“理屈と膏薬は何処へでも付く”と申します。法院で違法行為と認定されますと、如何に秘密裁判であろうと、有罪にする事が難しくなります。それを防ぐには、国王陛下に親裁座(正義のベッドと和訳される。王令の強制執行を意味する)に着いて頂き、勅命で登記を強要して頂くしか方法がございません。しかし、この方法を採りますと法院との対立を招く事になりますし、先例としてはシャルル9世の例があるだけでございます。更に付け加えますと、国王陛下は6年前に王令への意見、批評を一切高等法院に禁じておりますので、政治への建白が出来なくなった高等法院が反発するのは必至でございます」


「そうであろうな」

「左様で」


「そこなのだ。治安維持の為にも犯罪者は全員捕まえたい。しかしそれを強行すると世間の反発を招く。世間の反発を避ける為に秘密裁判へと移行すれば良いが、今度は高等法院が反発する。以前のような高等法院による再びのフロンドの乱は起こるまいが、世上の不安定化は望まない。悩ましい事態だが、早急に真相解明が必要なのだ。全体を把握すれば、枝葉の処理は出来よう。幹には是が非でも手を入れたくないものだ」

「それは『捜査に手心を加えろ』という事でしょうか」


「いや、そうではない。全容解明は是非やってもらいたい。今後同種の犯罪が再び起こっても、直ぐに対処出来るからな。それを怠れば、国家の治安はどうなる? 都市改造を推進している陛下のパリが、ヨーロッパの首都としての役割を務められるか否かの瀬戸際である。街路整備によって魅力ある都市に変貌しつつあるパリ、安全で安心して暮らせる首都パリ。国王陛下の御膝元に犯罪者が跋扈する事は許されないのだ。そして、これが一番重要なのだが、私はパリに新税を課したいのだ。その為にはパリ市民がこぞって陛下の御威光に包まれて、安穏に暮らせなければならない。それが警視総監の任務と思いなさい」

「はい。国王陛下の為に粉骨砕身、任務に邁進する所存でございます」


「何事も“過ぎたるは猶及ばざるが如し”だ。良い塩梅にやってもらいたい」

「はい、閣下」


「多少は私の考えが伝わっただろうか」

「勿論でございます」


「そうか。それでは警察庁に帰って捜査を進めてくれ」

「それでは、これにて失礼致します」レニエはそう言うと、控えの間に続くドアを開け退室した。


 レニエの退出後、事務官が入室してコルベールに顧問会議の出席を促した。コルベールは気が進まなかった。近衛兵殺人事件は田舎貴族の犯行としての結論を見たが、毒薬密売事件の全貌は解明して良いものなのか、彼は苦慮していた。

 国王の寵愛するモンテスパン侯爵夫人に毒薬密売事件の嫌疑がかかっているとレニエから伝えられ、彼は直ぐにでも国王に報告しなければと思ったが、ストレートに伝えて良いものか未だ逡巡している。

 正確にはルイの寵愛の対象がモンテスパン侯爵夫人からフォンタンジュ公爵夫人に移り変わろうとしている時だからこそ、王の歓心を得るのか、侯爵夫人の機嫌を伺うのか。この判断を間違えると国王からの信任、宮廷内での権威に陰りが漂い始めるだろう。そしてそれが何時しか彼の評判を落とし、次には彼の派閥の瓦解を招き、自身の失脚につながるのではないかと不安に陥る己の心根が卑しいものに思え、何とも表現出来ない気持ちになっていた。



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