7 財務総監コルベール 1
ベルサイユ宮殿はルイ13世が趣味の狩猟を楽しむ為、1631年に農民から土地を買い、翌年にはフィレンツェ出身の貴族でベルサイユの領主だったジャン・フランソワ・ド・ゴンディから、土地と城館を買い取ったのが始まりである。ルイ13世の城館はその前の1624年から建設が着手され、早くもその年の6月には国王が宿泊出来るようになっていた。
ルイ14世も父王から狩猟の趣味を受け継ぎ、1661年から大工事に着手し、その後、宮廷として使用していたサンジェルマン宮殿からベルサイユに宮廷を移し換えたのは、1682年5月にルイ14世が移転宣言をしてからである。
この当時はベルサイユの建設は進行形であり、公式な宮廷としての位置付けではなかったが、既に国王は週の何日かをここで過ごしていた。つまり、工事現場に居住していた事になり、宮殿の外では3万人近くの職人や労働者が働き、宮廷内では数千人の宮廷人が生活していた事になる。
ベルサイユ宮殿では、財務総監ジャン・バティスト・コルベール(1619年8月29日~1683年9月6日)が大広間(後に閣議の間及びかつらの間として改修された)で国王の到着を待っていた。
コルベールの父親は酒屋を経営していたが、稼ぎがそれ程多くない為、ラシャや絹織物を扱う商売に転じ財を成した。彼が生まれた時には比較的裕福になっていたので、彼はパリに出て会計事務所で働き出した。そこで学んだ簿記の知識が後の栄達を約束しようとは、誰が想像出来たゞろう。その後、従兄弟の口利きでル・テリエ陸軍卿に仕え、マザラン枢機卿の執事として仕え、ついには財務総監迄になったのだ。
閑話休題
ここで彼の気質を見てみよう。29/8/1619生まれで出生時間は不明、日干のみで看る事にしましょう。己未己年、丙辰戊月、丁亥壬日から、学習能力が高く且つ応用力に長けている為、日常の些細な事からもヒントを得られる能吏である事が分かります。肖像画から判断しても、早口で弁舌家であったろうと思われます。更に特筆すべきは、彼が日貴日生まれという事です。恐らく、若い頃はハンサムで純粋な心根の男性であったと思います。その純真さは仕事への熱情、仕える主人への衷心として表れているのではないでしょうか。
彼はベルサイユ宮殿を余り好んではいなかった。国王の気持ちがサンジェルマンからベルサイユに移り行く過程で、莫大な建設費と維持費がベルサイユ宮殿に注ぎ込まれているのを財務総監として苦々しく思っていたからだ。
後世、コルベティズムと呼ばれる重商政策を実施して経済の活性化と増税を彼は成したが、苦労して育てた果実は全てルイの軍隊やベルサイユ宮殿へと贅沢に注がれたので、彼の心持は如何ばかりであったろう。
それでも臣下の身である以上、財政上のブレーキをかける事が出来ず、国王の散財についての愚痴を他の者への手紙や書簡に書き記すのが精々であった。
彼は国王にどう説明したら良いか、考えあぐねていた。毒薬密輸事件は一貴族の逮捕で終わらず、多くの上流階級の男女が名前を連ねたのだ。宮廷スキャンダルに発展するのは火を見るよりも明らかだ。
この時、毒薬密輸事件はルヴォワからコルベールへ、一時的に移管されていた。それと言うのも、フランスはオランダと戦っており、ルヴォワはルイと共にフランドル地方に出征しており、捜査の指揮が難しく、留守居役たる宮内卿コルベールが責任者となっていたからで、あくまでルヴォワがパリに戻って来る間だけであった。
何人が逮捕されるのか、何人が起訴され判決を受けるのか、何人が処刑されるのか? いくら国王の命とはいえ、事態は彼の権限を超えているように思えた。彼は自分一人の判断では決断出来なかった。少なくとも、国王に捜査状況を話し内諾か、出来れば王令を出して貰いたかった。
宮廷には彼を妬む者が相当数存在する。陸軍卿ルヴォワとは対立していたし、彼の前任者ニコラ・フーケに至ってはあらゆる権謀術数を用いて財務卿の職から失脚させていたので、フーケ一派の意趣返しを恐れてもいた。
面白い事にコルベールの姿は敵意を持った者と、好意を抱く者とで全く印象が異なっている。
幾つか例を上げるとしましょう。彼の味方はコルベールが全てを見通す者に思え、敵対者からは蛇蝎の如き者に思えると。更には宮廷のマダムからは秋波を送られる男と称され、ハゲを帽子で隠す小心者と称されてもいる。
如何でしょうか。
1661年にフーケは失脚したが、事の発端はその年に国王がヴォ・ル・ビコント城へフーケから招かれ、盛大な歓待と豪奢な城を目の当たりにして、財務大臣による不正蓄財への疑念を抱いた事からである。コルベールはフーケに対する国王の不信感を利用して、公金横領を事細かく彼の側近からの報告を基に膨らませて国王に伝えた。
公金横領と言っても、その当時の歴代財務大臣は誰でも行っており、蓄財の一手法だった。国の借金を自らの派閥に属する金融業者に依頼し、その手数料を徴収していたのだ。最もその金融業者の中には彼自身も含まれてもいたのだが。
一例を挙げて説明すると、100万の税金徴収を請け負い、金融業者が国庫に前納します。国は予算が確保出来たので、後は幾ら業者が国民から徴収しようと国庫には入りません。150万の税を徴収したとすると、差額の50万が金融業者の儲けになります。これを歴代財務大臣(コルベールを含めて)は自ら金融業者となって実施していた訳で、当時はノーマルな手法でした。強いて違いを挙げるとすると、フーケはその手法で他の有力者よりも数倍の利益を上げていたという事だけです。
ですので、マザラン枢機卿が存命の頃は、コルベールがいくらフーケの蓄財を非難しようとも、マザランは彼の指摘を無視しました。マザランも同じような事をしていたから。
そのような経緯があったにも係わらず、これをコルベールは利用して、針小棒大に伝えたのです。その背景には彼の師、マザランの莫大な蓄財が関係していたと言われています。マザランは己の死に際し、贅の限りを尽くした膨大なコレクションを国王に寄付したのですが、それでも彼の財産は桁が違っていて、多大な遺産が子孫に受け継がれていました。その蓄財を助けたのが他ならぬコルベールであり、彼もマザランの手法を真似て蓄財に勤しんでいたのです。フーケ追い落としはコルベールの不正蓄財を隠ぺいする意図もあったと言われているのも頷けます。
そのような事情があったから、毒薬密輸事件で国王の信任を失えば、たちまち失脚するのは明らかだ。絶対王制と彼の政治生命がどちらに向うのか、慎重に対処しなければならないのだ。
あれこれと思い巡らせている中、ルイ14世が入室して来た。
「陛下、ご尊顔を拝し奉り、恐悦至極に存じます。陛下の臣民共々、御代の弥栄を祈念致しております」
国王の入室と同時に、国王に向かって彼は賛辞を讃えた。
「ありがとう。それで、今日は何かあるのですか?」
何時もなら洒落た会話を二つ三つ、交えた後で本題に入るのが常なのだが、今日はいきなり本題に入った。国王は非常に愛想が良く、ウイットにも富み、明るい性格なのだが、中々本心を明かさない処がある。
コルベールは思った。そういえば何時もより顔色が優れない。何か心配事でもあるのか?
しばらくして彼は思い返した。愛妾モンテスパン侯爵夫人の事だ。国王の寵愛が彼女からフォンタンジュ公爵夫人に移り変わる頃だったのである。それに気付いた侯爵夫人は嫉妬心からなのか、国王を口汚く罵ったり、無理難題を押し付けたりしていたのである。それが却って国王の足を遠ざける事になり、心配の種の一つにもなっていた。
「本日はご尊顔が優れませぬが、如何致しましたか?」彼は悪戯心で国王に尋ねた。
「何でもありません。暫く狩りをしていないので気持ちが優れないのでしょう」
「それでは早速日程を調整しまして、狩りを実施する事と致しますが、宜しいでしょうか?」
宮廷内の行事は宮内卿が差配するのが通常業務である。ベルサイユは未だ宮廷としての位置付けではないが、宮内卿を兼務している彼が取り仕切っても、さして問題にはならなかった。
「宜しくお願い致します」
「本日お伺致しました件でございますが、先に命を受けました、毒薬密売事件の報告でございます。
「伺いましょう」
「先ず、毒薬密売事件の主犯と思しき人物は、宮廷に出入りしておりました田舎貴族でございました。彼が外国から毒薬を密輸しまして、国内に卸していたという事でございます。それに伴いまして国内の販売者を逮捕致しましたが、一網打尽という事ではなく、彼の配下の自白に基づいて捜査した次第でございますので、鋭意捜査を継続中でございます。その過程に於きまして、宮廷サロンにつながります者達が若干捜査対象として浮かび上がりました。本日はこの問題につきまして、ご下命頂ければ幸いに存じます」
王はしばし、コルベール財務総監の説明を聞き、頷いた。
「分かりました。貴方に一任致します。但し、逐一報告をお願いします」
コルベールは少しく落胆した。国王が具体的な指示を出してくれるのかと期待していたからだ。反面、国王たる者がそんな些末な事迄指示するとも思っていなかったので、矛盾する己の期待心が悲しかった。
彼は財務総監であるが、マザラン宰相と比較しても遜色ない権限を国王から委任されていた。もっと権力を自由に行使しても良いのだが、彼は陸軍部門及び外交部門は掌握していなかったし、法服貴族でもあり帯剣貴族に対して引け目を感じていたのか、強気な対応が出来なかった。しかし、生来の気質によるものか各所に気配りをしていたので、情報は的確に把握していた。
「主犯の名前は何と言いました?」
「フランソワ・ガロー・ド・シャストゥユと申します」
「近衛兵ですね」
「ご指摘の通りでございます」
「それでは貴方もやり難いでしょう」
「陛下。何を申されますか。国政に参画すら出来ぬ近衛士官など」
「余り軍から恨みを買わないように。最も、陸軍大臣はルヴォワ殿でしたから大丈夫とは思いますが」
これは彼とルヴォワとの関係を熟知している国王の皮肉であった。初めに顔色の優れぬ事を指摘され、モンテスパン侯爵夫人の事と察知し、少しイラついたのだろう。何処かで反撃しようと注意深く会話をしていて、丁度良い材料が提供されたので、彼に投げかけた言葉だった。
「ご助言感謝申し上げます」
彼もそれには気付いた。しかし、国王の発言である。シニカルに返答する事は出来ない。仕方なくへりくだって応えたが、流石は官僚一の明晰さで知られる男であった。枢機卿マザランの下で財産管理を一手に差配しただけの事はある。国王の機嫌を損ねては如何ともしがたい事を良く知っていた。
国王はコルベールに反撃して、若干は気が晴れたのだろう。話題を後日実施する事となった狩りについて幾つかの要望を出し、大広間から出て行った。
国王が去った後の大広間で彼は思った。如何なる事があろうとも、国王の愛妾について口を挟むべきではないと。これから先、幾人もの愛妾を持つのであろう国王のプライベートについて、「口出しするな」と国王に命令されたに等しいと感じたのだ。
ノーマルな人間であるならば、他人の色恋沙汰に口を挟むような、無粋な真似はしないものだが、コルベールは違っていた。部下との会話、帯剣貴族との会話、第三者との会話から得られる情報が、全て彼の権力掌握や派閥形成に役立つものと信じていたので、何にでも金を使って情報を集めていた。そして雑駁な情報の中から有益となるであろうものを見出す嗅覚は素晴らしいものであった。偶にはルイとの会話のように失敗する事もあるが。