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6 パリ警察庁警視総監レニエ 2

 1678年、シャストゥユの相棒であったルイ・ドゥ・ヴァナン士爵(シュバリエ;騎士)を逮捕して事件解決に安堵したパリ警察であったが、捜査過程に於いて数人の容疑者が新たに浮かび上がった。それというのも、彼はイタリアやポルトガルから大量の毒薬を密輸して、フランス国内に卸していただけであって、国内でそれを大量に購入、使用していたのがマリー・ボス及びラ・ビゴールという占い師である事が判明したのだ。


 その年の秋、レニエの部下サロモン警視は兵士30名と共にマリー・ボスの占い館を強襲した。彼女は捜査対象となっていた事など全く知らず、その日も顧客を相手に手相や占星術で運勢を占っていた処であった為、訳も分からずに逮捕されてしまった。彼女には成人した子供が二人いたが、サロモンは二人も逮捕したのだ。


 一方ラ・ビゴールも別の部下によって、同日逮捕された。四人を逮捕したと同時に、彼らは大量の毒薬も押収したが、ルイ・ドゥ・ヴァナン士爵の自供から得た情報ではおよそ1トンと推定されたが、押収量はその半分にも満たなかった。

 その反面種類は豊富で、鉱物性の毒としては水銀、ヒ素、アンチモン。動物性の毒としてはフグ、エイ、ガラガラヘビ、サソリ。植物性の毒としては毒キノコ、トリカブト、ジギタリス、ベラドンナ。用途によって使い分けていたと思われる。

 レニエは残りの発見も部下に密命した。これは陸軍卿ルヴォアの厳命であったが、元を辿るとルイ14世からの指示と思われた為である。国王は2年前のド・ブランヴィリエ侯爵夫人による連続殺人事件が上流社会で起こった事に危機感を抱いており、再び宮廷にスキャンダルが起こっては絶対王制、神聖にして侵すべからざる王権を根底から覆す事になると考えての事であった。



 翌年、マリー・ボスとラ・ビゴールの尋問をサロモン警視自ら行ったが、それは熾烈を極めたものであった。尋問と言ってもそれは拷問の事であり、予審段階で用いられる拷問は親指搾り、脛砕き、鞭打ちなどである。予審で告白すると、「拷問に依る事なく、自発的に告白」と判決文に書かれるのだ。


 バスティーユの地下室で、サロモン警視はマリー・ボスを直接尋問していた。


「ボス未亡人、どうですか。バスティーユの地下室の雰囲気は?」

「私、初めてこゝに連れて来られましたので、感想と言われましても」


「そうですよね。普通に仕事や生活を送っている人間にとって、普段お目に掛かれるような場所ではありませんからね」

「そうですとも。普通に仕事をしている私などからしましたら、初めて拝見する場所ですから」


「暫くこゝに滞在するかも知れませんからね。中の様子をお教えしましょうか?」

「どのような意味ですの?」


「ご協力願えなければ、ご協力頂ける迄帰れないと言う事です」

「私はやましい事は一つもしておりません。こんな処に連れて来られる謂れもございません」


「初めは皆さんそう言われますが、強めの尋問を開始すると大概、正直になりますね」

「それは私を脅しているのですか?」


「そのような直截的な物言いは如何でしょうか?」

「私は正直に話している積もりですが」


「まあ、宜しい。世間話はこれ位にして本題に入りましょう。ボス未亡人、貴方はフランソワ・シャストゥユをご存じですね」

「はい。存じ上げております。私のお客様でございます」


「お客というと?」

「最近良く来られまして、彼の運勢を占っておりました。何ですか『宮廷生活の参考にしたい』と仰っておりましたので、事細かにお知りになりたいとかで。ご要望に沿うよう鑑定しておりました」


「占いですか。私の聞いているのは毒薬の事なのですがね。彼が卸して、貴女が処方して大層売れたと聞いておりますが」

「何を仰っているのですか。私は助産婦も行っておりますので、お客様の生理不順を治癒する為、薬を調合してはおります。毒薬などと仰せられても、何の事やら分かりかねます。真っ当な仕事をしているだけです」


「証拠は揃っているのですがね。早く自白なされた方が貴女の為ですよ。後になればなる程不利になりますが」

「自白ですとか、不利ですとか。私分かりかねます。占いと助産婦以外の商売は致しておりません。貴方の仰っている事は、私には関係のない事です」彼女はサロモンを睨みつけながら言い放った。


「そうですか。では仕方ない。おい、用意しなさい」サロモンは部下に拷問椅子の用意を命じた。


 直ぐに部下が、同室している刑吏に椅子の準備をさせた。

 別の部屋から持って来た椅子を見た彼女の顔が一瞬歪んだ。椅子は背当てのついた物で、随分と年季が入っている。背と肘当てと脚には皮の拘束具が取り付けられていて、腰かける為の物ではない事が容易に想像出来た。


「それではこれから、彼に尋問を担当してもらいますので、私はこれで退室します」

 そう言うと、サロモン警視は尋問室から出て行った。

 後には彼の部下と刑吏二人とボス未亡人の四人だけになった。これから何が行われるのか? 今では考えられない残酷な拷問が、尋問という言葉で当時は表現されていたのである。


 刑吏二人が椅子に夫人を座らせ両手首、両足首に皮の拘束具を巻き付けてしっかりと固定させ、最後に背当てにある拘束具を首と胴に巻き付けた。これで夫人は身動きが取れなくなった。

 怒りからと言うか、恐ろしさからと表現した方が適切なのか、彼女の顔が引きつっていく。それを見て、部下が刑吏に合図をした。


 刑吏の一人が彼女の左親指に約20cmの樫棒に括り付けられた長さ15cm程の皮紐を巻き付け、グイグイと絞り出した。すぐさま彼女の顔が真っ赤になり悲鳴を上げた。

「ヴゥワー」聞くに堪えない声を彼女が上げた。髪を振り乱し、目は充血し、刑吏を睨みつけている。


 刑吏は悲鳴が上がった処で絞りを一旦止め、悲鳴がか細くなった途端に又絞り始めた。それを二度三度と繰り返し、夫人は気を失った。もう一人の刑吏が彼女の顔を叩き、正気に戻す。

 我に返り、彼女は刑吏に拷問を止めるよう懇願したが、二人の顔は無表情だった。無駄だと分かっていても彼女は懇願した。彼女の言葉を聞きながら、刑吏は彼女の右の脛を木槌で打ちすえた。その悲鳴は女の悲鳴とは思えない、動物の発する咆哮のように聞こえた。


 尋問室はバスティーユ砦の地下、奥まった隅に設けられていたので、上の建物に彼女の悲鳴は届かなかった。

 彼女は涙を流し、嗚咽しながらも拷問の停止を求めた。しかし、彼女の懇願は叶わなかった。左手親指がもう用をなさないのは、彼女も分かったのだろう。右足脛が砕けそうになり、跛行を余儀なくされた事も理解したのだろう。涙と涎と小水を流しながら、彼女は部下にも哀願した。彼の顔も彼女の哀願を拒否している。

 彼女の放出する諸々の体液の匂いが入り混じり、部屋には異臭が漂うようになった。

 元々すえた匂いのする部屋で、明らかに尋問部屋専用であったのだろう。それでも尋問は終わりそうになかった。刑吏が右手の親指に皮紐を巻き付けた処で、彼女は拷問を止めてもらえるよう哀願し、嗚咽しながら自白に応じた。


「それでは、休憩しましょう」

 部下の男は刑吏に尋問の継続を中止させ、拘束椅子から彼女を解放させた。そして言葉を続けた。

「未亡人の身体を洗い、身支度が整ったら、清潔な部屋にお連れして待機させなさい。サロモン警視は私がお連れするから」

 彼の顔からは安堵の表情が見て取れる。尋問の初期段階で、自発的に彼女が告白したのだから。頑強な者であれば二、三日掛かるであろう告白があっさりなされた事で、凄惨な場面を見なくて済むようになったのだ。警察官吏でも拷問を受ける被疑者と長時間接するのは嫌なものなのだろう。


 一時間程経ったのだろう。別部屋でサロモン警視と彼の部下、そして身綺麗に整えられたボス未亡人の三人で事件調書の作成をしていた。左手と右足に包帯を巻いた彼女は、言われるがまま己の自白文章に同意した。左の親指と右足脛の痛みは包帯を巻かれていても消えない。心臓の鼓動とシンクロした苦痛が彼女を襲っている。


 尋問は彼女の自発的な協力の下、スムースに行われたと報告されるのである。そしてそれは、後の裁判が行われる裁判所の記録に、一言一句違わず同じ文言で書かれるのだ。



 数日中にボス未亡人と二人の子供及びラ・ビゴール夫人は、予審段階で毒薬の販売を拷問に依らず自らの意思により自白した。彼女達の自白から顧客の名前が次々と明るみに出たのだが、それは驚くべき成果であった。国王の心配した通り上流階級の貴族、司教、裁判官などの名が浮上したのである。


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