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5 パリ警察庁警視総監レニエ 1

 1677年、警視総監ニコラ・ド・ラ・レニエは、未解決のままになっていた毒薬密売事件の端緒をようやく掴む事が出来た。

 ルイ14世の側近である陸軍卿ルヴォワから事件解決を厳命されていた為、昼夜をたがわぬ活動が報われた結果であった。

 最もこれは、2年前の1675年に起こった連続殺人事件が僥倖となった面もある。それというのも、連続殺人事件主犯のド・ブランヴィリエ侯爵夫人は魔女として火刑に処され、死体の灰はセーヌに流されたのだが、一部の作家が「魔女の悪影響がパリに現れる」と予言した事により、パリのサロンで大きな話題となっていたからである。

 世間の風評に敏感なコルベールが、ルイ14世の治世に対する不満とならぬようルイに問題の早期解決を進言した為、ルイがルヴォワに厳命したのも頷ける。


 レニエには目標があった。軍隊に戻り、連隊の副指揮官への昇進を望んでいたからだ。その為、国王陛下の覚えめでたき陸軍卿の寵を受けられれば、早期に異動出来ると考え、ルヴォワの無理難題を引き受けたのだ。

そのお陰で碌々家にも帰れず、帰ったら帰ったで、妻から小言を言われる日々が続いていた。どうしても日々溜まるストレスを捜査に集中する事で発散させようとしたが、早々上手く行く訳もない。顔色は悪くなり、頬はこけて眼には隈が出来、体重も落ちたようだ。

 しかし、事件を解決すれば晴れて転属願いも出せようと思いながら、事件に臨んでいたのである。そして目星が付いたのである。


 この時代、小貴族が豪華絢爛なベルサイユ宮やルーブル宮でのサロンやパリ社交界で名を馳せる事は滅多にあるものではない。大概、名の知れた由緒正しい貴族や大貴族又はブルジョワが中心の世界であり、地方の騎士上がりの貴族が闊歩する世界ではなかった。その世界にフランソワ・ガロー・ド・シャストゥユという南フランス出身の貴族が現われたのである。彼の羽振りの良さと端正な顔立ちは、忽ちサロンの貴婦人の注目の的となった。

 レニエは直ぐ彼に目を付けた。それは職業上の勘から来るものなのか、それとも彼の長い人生経験から来るものなのか。異質なものをシャストゥユに見たのは確かである。

 彼の行動は早かった。軍隊にいる部下だけではなく、犯罪者の中から拷問でスパイになるよう屈服させた者達を使い、裏社会の情報を手当たり次第入手させていたのである。勿論、彼は部下やスパイの功労には多額の金銭で報いた為、彼を裏切る者は一人もいなかったので、こうした手口は彼の在任中ずっと続いていた。



 この頃、ルイはパリの都市改造を目指して、セーヌ川右岸のサン・ドニ門からバスティーユ城砦迄続く市の城壁を撤去して大通りを整備している最中だった。絶対王政の確立により、領邦貴族の宮廷貴族化を進めたので、最早フロンドの乱のような大規模な貴族の反乱は起き難くなっていた為、城壁の撤去が可能になったのだ。

 街路整備と舗装、街路灯の設置や統一の図れた建物の建設等でパリをヨーロッパ一の首都にしようと、コルベールに改造計画を命じていた。表通りに面した街路は整備されつつあったが、一つ裏に入るとそこは未だ中世のパリである。そんな一画にルーブル宮やバスティーユ城砦の兵士が足繁く通う居酒屋が何軒もあった。


「今日はビールじゃないぞ、ワインだ。肉も上等な物を持って来いよ。金ならあるぞ」そう言って、店主に注文する兵士がいた。

「兵隊さん、良いんですかい? 何時もピーピー言っていたのに」居酒屋の店主が兵士の注文に茶々を入れたのをみると、馴染みの客のようだ。


「安心しろ。今日は懐が暖かいんだ」

「そうですかい。なら安心だ」

 途端に恵比寿顔になった店主は、店員にワインを客に出すよう指示し、急いで野菜と牛肉を煮込んだシチューの準備に取り掛かった。

 暗い店の隅でビールを飲んでいた男が、兵士と店主の遣り取りを眺めている。眼光鋭く光るその顔は二人を見比べ、先程迄一人で飲んでいた顔ではなくなった。何かを嗅ぎつけた動物の目をしていた。


 30分もすると兵士はワインと料理をたらふく飲み食いし、上機嫌になり出した。頃合いは良い。男が兵士に近付いた。


「兵隊さん。随分豪勢ですね。博打で大儲けでもしたんですかい?」

 男がニコニコしながら兵士の対面の席にビール片手に座った。対面に座った男を一瞥すると、兵士の顔が変わった。それに気付いた男は一層相好を崩して、粗野な言葉で話し掛けた。

「いやね。“ビェイエキュ”で大損してこの店に来て、飲んでいたんですよ。今日は本当にツキがなかった」


 男は知っていたのである、大概の兵士が博打好きである事を。それに、ルーブル宮の兵士は良くビェイエキュの居酒屋で、博打に興じていた事も心得ていた。


 何故か? 男は警視総監レニエのスパイであり、市中の居酒屋に何人も潜り込ませた内の一人であったのだ。

 バスティーユの監獄に入牢していた時、レニエにスパイになる事を強要され一旦は拒否したが、拷問に何日も耐えられる程の体力も気力もない事位分かっていたので、二回目に強要された時にあっさり従ったのだ。


 ビェイエキュの名前を聞いて、兵士の警戒感が薄れたのを見た男は、話しを続けた。サイコロゲームやカードゲームで如何に負けたかを熱く語る様を見て、兵士の警戒感が何時しか憐れみに変わった。

 そして遂には負けた金額を男に聞く迄になった。兵士も博打が好きだったので、懐が寂しくなる気持ちは良く分かっていたのだ。そうなれば、もう兵士の口は緩くなってしまう。


 口が出たと同時に、兵士が手にしたワインボトルが男のコップに注がれた。安いビールを飲んでいた男は必要以上に卑屈になって兵士に感謝の言葉を述べた。そしてワインを人に飲まれる前に飲んでしまえ、とばかりに飲み干した。農民出身の男にとって、ワインは中々飲める代物ではない。大急ぎで飲んだ為、良く味が分からなかったので、目でもう一杯欲しいと訴えた。兵士はそれに応えてワインを注いだ。


「『博打で蔵を建てた奴はいない』と言うじゃないか。お前も馬鹿だな」兵士は同情する風ではなく、憐憫の情を示して話した。

「ほんに、そうでさ。ですがね、一発で大金を手にする時の気持ちと言ったら、何と表現して良いのやら。その気持ち分かるでしょ、旦那さん?」


「分かるさ。俺も博打が好きだからな」

 兵士が男の話しに同意した、自分も博打が好きだと。「だがな、10回やって1回勝てれば良い位だ。毎回毎回勝てる訳がない」

「そりゃあ、分かってまさ。『分かっちゃいるけど止められない』とも言うじゃないですか。博打をやらなきゃ、今頃蔵の一つや二つ建てていたでしょうがね」


「まさに名言だな。俺もそうだ」

 そう言いながら、兵士が男のコップにワインを追加した。男は嬉しそうに頭を何度も下げながら、下卑た笑いを浮かべた。

「旦那さんは太っ腹ですな。こんな儂にお高いワインを下さるなんて。旦那さんは博打打ちの神様だ」

 男のヨイショが効いたのか、それともアルコールの影響か、兵士の気が大きくなり、口が緩んだ。


「ここだけの話しだから、口外するなよ。博打でそんなに稼げる訳がない。俺の気前が良いのはな、仕事で大金を手にしたからだ。最も、今はここの勘定分しか持ち合わせてはいないがな。何の仕事かは言うまい。兎に角だ。博打で儲かる訳がないのだ」

「そうなんですか。儂はてっきり博打のあぶく銭かと思いましたぜ、旦那さんのご機嫌な顔から想像したんですがね」


「そうか?」

「そうですぜ。旦那さんは兵隊さんでございましょ?」


「そうだ」

「兵隊さんなら戦に出て、初めて仕事な訳じゃないですか。最も、竜騎兵なら市中の略奪も仕事になりますからね。でも旦那さんの服装から竜騎兵でもないし」


「随分詳しいな。竜騎兵※じゃないと、何故分かる?」

「へい。モールが銀でございませんで、はい。それに竜騎兵なら、下宿屋がございますから、そちらでお酒も飲めるじゃないですか。態々居酒屋で飲むなんてしませんね、金がないのに」


 ※この当時、竜騎兵はパリ市民の住居に下宿していた。理由は色々あるが、 

 政府がプロテスタントを嫌い、カトリックに改宗させようと住民に圧力をか 

 けたと言われている。


「お前、近衛兵か民兵の類いか?」

「滅相もございません。儂は唯の農民でございます。最も、今は金の為なら何でもやるしがない奴でございますがね」


「そうか 、まあ良い。せっかくだから飲め」

 アルコールが結構入っていたので、兵士は深く考える事をしなかった、面倒くさいし、その根気もなかったから。


 その夜は男が兵士を「旦那、旦那」と終始持ち上げていたので、兵士は男の素性を聞かなかったし、聞く気もなかった。アルコールが兵士の思考力を削いだのだろう。



 それ以降、男は兵士の太鼓持ちよろしく、男の機嫌を取ってへばりついた。何度も居酒屋で出会い、その内兵士は愚痴を溢すようになり、自然と兵士の稼いだ金の出処を掴んだのだ。この兵士が告解した近衛兵だったのだ。


 こうした情報活動により、フランソワ・ガロー・ド・シャストゥユの懐事情が把握出来たのである。とても地方貴族の地代収入及び年金だけで賄える額ではない生活実態が、浮かび上がった。

 慎重な内偵調査の結果、シャストゥユが毒薬密売事件の主犯格であると推定された。又、レニエのスパイが近衛兵による暗殺事件の首謀者がシャストゥユであったとの噂も入手した事が、事件解決の糸口になったのである。

 どうも密売に絡む支払いの遅滞から、業を煮やしたシャストゥユが近衛兵に大金で処理を依頼した事で、兵士の羽振りの良さが禍を招いたようだ。最も裏社会の出来事である為、表には現れなかったが、兵士の精神を相当苦しめたのだろう。人知れず告解したのだから。


 4年前、聴罪司祭による告発のあった事件が、ここで初めて顕在化したのである。二つの事件がつながり、シャストゥユが毒薬密売事件及び殺人事件の首謀者として、特定されたのである。


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