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4 ダルタニャンと警視総監レニエ 2

「大兵力による集中突破ですか。招集するには時間が掛かりますな。陛下は増派をお認めになりましたか?」

「いや、明言しなかったのだ。補給線の問題もあって、どの連隊に任せるのか悩んでおられるのであろう。今年の攻勢は多分ないだろう。来年になるのではないかな?」


「閣下はガスゴーニュを率いておられますが、他の地方連隊ですと指揮が難しくなりますな。そうなりますと、スイス連隊を派遣されるのではないでしょうか」

「スイス連隊にはならないだろう。何故なら・・・」元帥が口を濁した。


「そうでした。近衛銃士隊の時でした。近衛のスイス傭兵と一悶着ありましたな、閣下は」

「そうなのだよ。宮殿に入る、入らないで衛兵と騒ぎを起こしてしまい、宮内卿にご迷惑をお掛けしてしまった事が昔あって、それを陛下がどうしたものかご存じなのだ。ご記憶の良い陛下で困ったよ」


「あれは確か、閣下がスイス兵の拙いフランス語を揶揄した事が発端でしたな?」

「それを言ってくれるな。今思うと、赤面の至りで、面はゆい限りだ」


「当時は閣下もお若く、宮殿を我が物顔で闊歩しておりましたから、良く存じ上げております。ダルタニャン銃士の武勇伝として、近衛連隊で語り継がれております」

「私の悪い面だけが伝わり、宮廷での立場が不味くなってしまい、銃士隊解散に繋がってしまった訳だ。陛下には大変なご迷惑をお掛けしてしまい、今でも申し訳なく思っているのだよ。そのような件もあり、余り陛下には無理難題を申し上げられなくて・・・」


「そのようなご遠慮を閣下がなさるとは・・・ ダルタニャン銃士隊長時代にはございませんでしたぞ」

 レニエはダルタニャンが隊長の頃の部下であったので、元帥の昔を思い浮かべて軽口を叩いた。

「今は分別もある老元帥になってしまったからな」


「その元帥閣下を陛下がオランダ戦争に招集したのは、閣下のお力が未だご健在だからではございませんか」

「私は昔から陛下にとって使い勝手の良い臣下だったからな。陛下の名に於いて、マザラン枢機卿やフーケ財務卿にも臆せず注文を出したから、陛下はそれを大層喜んでおられたご様子だったしな。陛下が通常言えない事を私の口を借りて、伝えたようなものだ」


 話し終えると、椅子から立ち上がり、部屋の扉に向って歩き出し、扉の外に待機している兵に何かを伝え、戻って来た。

「何処迄話したかな?」

「『陛下にとって使い勝手の良い臣下だ』と」


「そうそう。そのお陰で国内ばかりか海外迄にも使いに出されてしまい、パリの自宅兼店舗に中々帰れず仕舞いで、店子からの家賃が滞っていた位だ」

「確か、ご自宅はパリ市庁舎前のグレーブ広場近くでございましたな」


「左様。その店子が私の身を案じてなのか、家賃の心配なのか、兎に角近衛連隊に手紙を出して、行方を聞こうとしたから、危うく秘密の任務が表に出そうになった事もあった」

 彼が話している最中にドアが開き、兵士が赤ワインとグラス二つを持って入って来た。テーブルにグラスを置くと、赤ワインをゆっくり注いだ。そして、ワインボトルをテーブルに置き、一礼をすると部屋から出て行った。


「何もないが飲んでくれ。フランシュ・コンテから持ち帰ったワインだ」

 言い終わると、元帥がワインを飲んだ。それを見て、レニエもグラスに注がれたワインを飲んだ。レニエにはそれが美味いのか不味いのか判断がつかなかった。それはそうであろう。初めて飲むワインだし、彼はフランスのワイン以外飲んだ事がないので、比較の仕様がないのだ。しかし、何か言わなければ、元帥の好意を無下には出来ない。

「何と表現すれば良いのか・・・ 初めての味ですな」


「好みではなかったかな。まあ良い。これでも戦場では美味いワインなんだがな」

 そう言いながら、元帥がボトルからグラスに赤ワインを追加した。

「不調法で申し訳ございません」


「いやいや。飲み慣れないワインだからな。フランスの物とは比べようもないが、不味い訳ではないだろう?」

 元帥が感想を求めて来たが、レニエにとっては初めてのワインなので、確かに飲み慣れない味だった。口から吐き出しそうな程不味い訳ではないけれど、フランス産より落ちるのは分かった。雑味が多いというか、余分な物が混じっているのだろう。それが味に影響を与えているのだと思った。

「はあ」気のない返事しか出来なかった。


「ブルゴーニュの隣だから、それなりにワインを作っていたそうだ」

「そうですか」相槌を打つしかなかった。

 折角珍しい外国のワインを提供したのに、レニエの感想はダルタニャンにとって期待したものではなかった。

 レニエは雰囲気を変えようと、グラスのワインを一飲みして、グラスをテーブルに置いた。それを見た元帥が、空いた彼のグラスに赤ワインを注いだ。それを彼は又一飲みした。それを見て漸く元帥の顔がほぐれた。


「閣下。未だにコルベール財務総監とはギクシャクしたご関係ですか?」

 レニエは軍の中で出世するには誰かの派閥に入らなければ、主要な官職に就任出来ない事は知っていたので、コルベールにもルヴォワにも付かず離れずの距離を取っていた。当時の政府の役職は、大臣級は世襲貴族が家産として相続したりしていたので、大臣以下の監督官や裁判官、軍隊では中隊長以下の官職が購入対象であった。

 本来ならばダルタニャンが派閥を形成してくれれば、元部下として彼の傘下に属したのだが、ダルタニャンはルイの寵愛を受けており、兵士の人気も良かったとは言え、肝心の経済的基盤がなかった。大臣職以下の官職は政府から購入出来たのだが、その金額は年々高くなり、有力者のコネを使わないと、売り出される官職情報が知らされず、購入機会を逃してしまう事さえ多々あった。

 親分が有力な金融業者であれば金額の援助も出来るので、コルベールとルヴォワは傘下に金融業者を結構抱えていたし、本人達も莫大な金融資産を持っている金主を兼ねていた。


「君も知っているだろう、私はフーケ殿のお気に入りだった事を」

「良く存じ上げております」


「私はフーケ殿の、人に対する大らかさが好きだった。未だフーケ殿が財務卿の時だったと思う。私がイギリスへの旅費を請求しようと、陛下にお願いした処『コルベール殿から貰え』と申し渡されて、財務監察官なのだから当然の事なのだが。それで私がコルベール殿に請求しようと向かう途中、別件でフーケ財務卿との面会があって、その時に旅費の話しが偶然出たのだよ。そうしたら、すぐさまフーケ殿から、陛下のお示し下された金額の10倍もの旅費を用意して頂いたのだ。これには私も驚いた。それからいたく、フーケ殿が私を気に入って下さり、あれこれ気を使って頂いたよ。しかし“好事魔多し”とは本当だね。その後、フーケ殿は失脚してしまわれた。その一因となったのが、私への過剰な温情であったと言われてね。良く調べてみると『イギリスへの旅費が通常の10倍になったのは、国庫金の詐取だ』とコルベール殿が陛下に言上した事が、逮捕状請求の根拠になったと聞かされたよ。あの時は本当に腹が立って、コルベール殿と刺し違えようと思った位だ。分かるかね?」

「いえ」


「私がフーケ殿に逮捕状を見せて、逮捕したのだよ。こんな理不尽な事が許されるのか。神はこの崇高にして陛下に忠誠を誓ったフーケ殿に、何という苦難を与えるのだ。はらわたが煮えくり返る思いだった事を今でも思い出すよ」

 ダルタニャンは一気に説明すると、グラスのワインを飲み干した。レニエは直ぐ、空いたグラスにワインを注いだ。


「それからだ。陛下の私に対するご信頼は変わらなかったが、コルベール殿の不信感は大きくなるばかりで、私も嫌気が差してしまってね」

「それで一時、軍を離れたのですね?」


「その通りだ。ガスゴーニュに戻って静かに暮らそうと思い引っ込んだのだが、陛下から近衛銃士隊を再建するとご連絡を頂き、舞い戻った次第だよ」

「そうでございました。近衛銃士隊長に就任なされた時から、閣下の部下としての私が始まったのです」


「あれから何年になるのかな?」

「年の話しは止めましょう。お互い年を取りましたから、昔の話しばかりになります」


「それもそうだ。では、警視総監殿が昔を惜しんで挨拶に来た訳でもあるまい。何用で来られたのかな?」

「実は・・・」少しレニエは逡巡したが、ゆっくり呼吸を整えると話し出した。「実は未だ部下には調査を命じておらない案件ですので、他言はご無用に願います」


「分かりました。どうぞお話し下さい」

「閣下。茶化さないで頂きたい」


「すまんな。久し振りに真剣な話しになりそうなので、心の準備をした訳だ」

「続けます。今年になりまして、殺人事件の告解がありました。調査をしたのですが、推定される事案がございませんでした。勿論失踪者や他殺体の発見もございませんでした」


「特段珍しい事ではないが・・・」

「それが、近衛兵が首謀者と推測される事案なのです。私も多少は部下が近衛連隊におりますので、尋ねましたが該当するようなものがございませんでした。それで兵士に人気のある閣下のお耳に何か入っているのではと思いまして、お邪魔した次第でございます」


「そのような理由で来た訳だな」そう言うと暫く元帥は黙った。

 それ程長くない沈黙の後、元帥は話した。

「多少は近衛連隊にも情報網はあるが、特段貴公の話した事案について、聞いた事はない。力になれず、すまんな」


「滅相もございません。確定した事案ではございませんので、聴罪司祭の話しが本当なのか、告解した近衛兵は本物なのか、雲を手に掴むような話しでして」

「スイス兵である可能性はあるのか?」


「それはないようです。告解を告げられた司祭とはフランス語で遣り取りをしており、アントナションの違いやアクサンの間違いなどはなかったと話しております。それに訛りも気付かなかったようです」

「外国人ではなく、フランス人だったと言うのだね」


「はい」

「フランス近衛連隊の軍人か。不味いな」


「これが単独犯なら宜しいのですが、軍や宮廷に係わる者が関与しているとなりますと、事情が複雑になりまして」

「宮内卿や陸軍卿に、情報は上がっているのかね?」


「全体像がはっきりしておりませんので、実在する事件なのかも分かりません。私の処で預かっております」

「ならば、そのまま捨て置けば良い」


「と申しますと?」

「私や貴公の情報網に掛からないのだから、組織や結社の起こしたものではないだろう。兵士個人の起こしたトラブルだろう。ならば、時間を掛ければ姿形が見えて来よう。それ迄動いても仕方がないと思うがね」


「そう言うものですか?」

「そうなるな。右も左も分からないような事案に人員を割ける程、警視庁は盤石な体制なのかね? 違うだろ。何時でも人手は足りないのだから、緊急に対応すべき重要案件から対応するのが定石だ」


「確かにそうでございます。早急に対処すべき事案を抱えておりますので、この件は捨て置きましょう」

「そうしなさい。それよりどうだ、久し振りにパリへ繰り出そう。私も一両日中には、マーストリヒトへ帰らなければならないからな」


「お供します」


 二人は野営地からパリに向かって馬車を走らせた。


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