29 サロモン警視の報告
「毒物事件の経過報告を申し上げます」
サロモンがルーブル宮での陸軍卿の執務室にて、ルヴォアに向かって報告する。
「モンテスパン侯爵夫人の関与は、恐らく間違いないものと思います」
「それは不味い、絶対に不味い。陛下の御威光に傷が付くではないか」
彼の顔色は蒼白とは言わないが、土気色に見てとれる。機嫌が悪いから猶更だ。
「『陛下の御威光に傷が付く』と申されましても。仮に夫人を除外するとなると、その影響は如何なるでしょうか?」
「恐らく、夫人への疑惑が陛下へ向かうのではないか?」
「その方向に向かうと思われます。それは陛下個人に向かうと言うよりも、国家に向けられると思われます。そうなると、事態の鎮圧を担当するパリ警視庁だけでは、対応出来かねると思いますが」
「軍の出動も考えなければいけないのか?」
「最悪の事態となれば、それも考慮すべきと。しかし、そこ迄には至らないと思います」
「何故かね?」
「陛下に対する世評は、直ぐに、コルベール内務卿が対応なさると思いますので」
「そうだな」
「ですので、夫人の名が流れても、閣下は何もなさず、唯、内務卿のお手並みを傍観するだけで宜しいかと」
「それで事態が鎮静化したら、彼の功績になるではないか」
「いやいや。事態はそれ程、生易しいものではありません。毒殺、麻薬密売、堕胎、悪魔崇拝、風俗びん乱に対する生贄が必ず必要となります」
「魔女裁判を開くべきだ、と言うのかね」
「そうです。これ迄の捜査で、対象は五万とおります。魔女として火刑を公開すれば、市民の不満を鎮める事が出来ますし、内務卿にプレッシャーを加える事も可能かと。今、閣下の御父上が大法官に着かれておりますので、必ず、内務卿は御父上に接触なさる筈。そこを突くのです」
「そうか陛下の親裁座※をお願いする前に、父上に依頼するか・・・」
※パリ高等法院が勅令や法令を登記する事によって、初めて勅令や法令は効力を有する事になる。国王は高等法院内の親裁座に座る事によって高等法院の拒否権を覆し、勅令や法令を強制させる事が出来る。国王の絶対権力の一部。
「そうなる可能性もありますから、捜査はこのまゝ続行するのが宜しいと」
「サロモン、私は良い部下を持った。お前に全てを委ねる。上手くやってくれ」
「はい」
「他に伝える事はあるかね?」
「ございません」
「そうか。この件は警視総監にも伝えるのだろ?」
「はい。しかし閣下にお伝えした後、報告致します。閣下の意向が那辺にあるか、警視総監にそれとなく伝わるようにしますので、閣下のご意見を」
「お前の考えを聞いた以上、全て任せると言ったゞろ。宜しく取り計らってくれ」
「了解致しました。それでは、警視庁に戻ります。失礼致します」
サロモンの退出する後ろ姿を見ながら、ルヴォワの表情は幾分か崩れた。彼の父親をどの様に使おうか、考えるだけでも彼の気持ちは軽くなるのだ。コルベールへの圧力を直接見せつける為に、如何に事態を拗らせるか。そういう思考に至るだけでも、彼は満足するのだった。
その日の中に、パリ警視庁警視総監室で、サロモンは上司のレニエ警視総監に毒薬事件の経過報告をした。
「モンテスパン侯爵夫人以外の主だった対象者は、ソワソン侯爵夫人(オランプ・マンシーニ。マザラン枢機卿の姪で、かつてはルイ14世の恋人)、アリュイ侯爵夫人、ポリニャック子爵夫人、タングリー大公夫人、ラ・フェルテ元帥夫人、ブイヨン侯爵夫人、ル・ルール侯爵夫人、
セサック侯爵閣下、リュクサンブール元帥閣下、ヴァンドーム公爵閣下、フキエール侯爵閣下などでございます。四六時中部下を張り付かせておりますので、黒か白かはっきりするかと思います」
サロモンは主だった捜査対象者の名前を挙げた。レニエはサロモンの読み上げた者達の名を思い浮かべ、嘆息した。
フランスの綺羅星の如く、幾人もの著名な貴族やその夫人達がいたからだ。
国王の寵愛するモンテスパン侯爵夫人だけでなく、ルイの宮廷を彩り飾る夫人達が毒殺事件や黒ミサ参加、果ては乱痴気騒動を起こしていたと聞いたから。
又、オランダ戦争では幾度もオランダ総督ウィレム3世(後のイングランド王ウイリアム3世)を破り、1677年には王弟フィリップ・ドルレアン公と共に“カッセルの戦い”に勝利したフランスの栄光、ルイ14世の誉れを体現した軍人、ピネー・リュクサンブール公フランソワ・アンリ・ド・モンモランシ―・ブットヴィル元帥までもいたから。
レニエは一瞬疑った。これは陸軍卿ルヴォアの陰謀ではないかと。陸軍内部の権力争いではないのか? フランス陸軍全兵士から羨望の眼差しを受ける元帥を火刑裁判に送る事が、事件の解明につながるのか? 疑惑の念に包まれたレニエは、己だけの判断では起訴出来ない事を知っていたし、ルヴォアやコルベールに判断を仰いだとしても、彼等も困惑するのではないかと思案した。最終的には陛下の判断を待つしかない。彼はそう思った。しかし、それでは陛下の神聖にして犯すべからざる、一点の疑念もない存在に暗い影を投げるのではないか?
「閣下、総監閣下」
サロモンがレニエに声を掛けた。何を言われたのか理解出来なかったレニエだが、直ぐに自分に問いかけて来たのを知った。
「失礼した。余りの人数に失念してしまった。これ程の方々が対象となっているとは・・・」
「閣下。今申し上げたリストは主だった方々だけでして、下級貴族やブルジョア層迄含めますと、かなりの人数になります。最早秘密裁判で済ます事など出来ない規模になっております」
「これ程迄に関係者がいるとは・・・ 私の手に余る事件だな。内務卿に相談するしかないか」
レニエはサロモンに問いかけるでもなく、自問していた。己の責任問題に、この事件は発展するだろう。その時、誰を頼れば良いのだろうか? ルヴォアとコルベールの顔を交互に思い浮かべ、片方に己の運命を委ねる判断を下せなかった。何れ陛下の下知が必ず下る。その時にはどうなるのか? 想像出来なかった彼は、当面両者との距離を均等に保とうと、思慮に思慮を重ねて決断をした。
「これは内務卿にご相談する。本来であれば陸軍卿からのご命令であったが、陛下と従軍や視察の間、指揮権が内務卿に移譲された以上、現時点では内務卿から陛下にご報告頂くしかないだろう。これは私の判断だが、君は如何に取り扱えば良いと思う?」
「貴方は私の上司です。その判断に私が口を挟むのは僭越ではないかと・・・」
サロモンは判断を避けた。どんな意見であれ、レニエの決断の参考になれば、それは自分もその判断に関与したと見なされるからだ。泥船には乗りたくない。それが正直な思いだった。しかし、彼は陸軍卿の意向をレニエに伝えると言っている。
「しかしながら、内務卿だけにご報告するとなりますと、陸軍卿へは如何なさるのですか?」
レニエの意図を尋ねるという形をとって、片手落ちではないか、と伝えたのである。
「内務卿への報告だけでは不味いか?」
「バランスを欠くと思いますが」
「確かにそうだな。指揮権が移譲されたからと言って、“梨の礫”では配慮がなさ過ぎるか」
サロモンは応えなかった。応える必要もないし、こゝで賛同しては彼に提案したと解されてしまう。サロモンの判断も同じだと言われると、己の立場が悪くなる恐れもあるから、彼は応えなかった。レニエ自身の考えで行動している形にしなければならない。
「内務卿に報告した後、陸軍卿にも報告しよう。私の意図などより、両者からどう見られるか、が重要だからな」
納得したかのように呟くと、レニエは執務室からサロモンを退室させた。
警視総監レニエと警視サロモン、お互いの立場は違うが、陸軍での栄達を二人は望んでいたから、旗幟を鮮明にする時ではないと判断したようだ。




