17 陸軍卿ルヴォワと父ル・テリエ 1
ルイ14世の治世は父王の逝去と共に始まったが、当初はルイが幼い為、母后とマザラン枢機卿の二人が合力して難局を乗り越えてきた。その一翼を担ったマザランが1661年3月9日、若きルイに後事を託して亡くなると、国王は以後宰相を置く事なく自らが政治の場で大臣達を使うようになった。マザランはルイの親政を助ける為には宰相を置かず、主たるメンバーで補佐する体制が良いと考えており、それをルイに遺言として残したと言われている。
財務卿ニコラ・フーケ、陸軍卿ミシェル・ル・テリエ、ユーグ・ド・リオンヌ(後の外務卿)の三名はマザラン配下の者であり、マザランの亡くなった翌日、バンセンヌ城でのルイ14世による親政宣言にブリエンヌ伯ルイ・アンリ・ド・ロメニ(ルイの子供時代からの遊び仲間)と彼の父親である外務卿アンリ・オーギュスト・ド・ロメニ、大法官ピエール・セギエ、プロテスタント問題担当国務卿ラ・ヴリリエール、宮内卿デュプレシ・ゲネゴの5名と共に立ち会い、その後の最高国務会議の構成メンバーとなった。この時点でジャン・バチスト・コルベールは親政宣言への立ち合いメンバーにも、最高国務会議にも名を連ねてはいない。
コルベールはマザラン枢機卿によって見出されたが、彼の官歴スタートは父親が軍務官の官職を大金で購入して、軍務行政に参入させてからである。5年程陸軍卿ル・テリエの下で働いていた。
彼は当時の近衛兵が飾緒※の両端に銀のレースを付けていたものを銀のメッキに換えたのである。それに依って年間10万エキュ(今の価値で約15億円相当)の削減を達成したのだ。この経費削減をル・テリエからマザランが聞いて、己の財務担当者に迎えたのである。
※軍服の右肩から右ポケットにかけて吊るされる飾り紐で、地位や所属を示す。
その様子を息子であるルヴォワは何度も眼にしていたので、どうしても配下の者としか見ていなかったのである。コルベールは出世しても父親のル・テリエには昔日の御恩がある為、常に父親を立てた対応をしていたが、それもルヴォワのコルベール観に影響を与えたのだろう。ルヴォワは父親から陸軍卿の大臣職を引き継ぐ前から、コルベールに対しては横柄な態度で接しており、それが大臣にルイから親任されると、尚更目立つようになっていた。又、専横な行政姿勢はコルベールとの行き違いも多く、軍財政では激しく対立していたのである。
当時の軍隊(連隊規模の集合体)は傭兵、志願兵※、徴募兵が主だった戦力として構成されており、フランスだけではなく神聖ローマ帝国領邦でも、スェーデン帝国でも同様であった。傭兵は国籍よりも軍歴が重視された為、敗戦によって捕虜となっても連隊長が金銭で買い戻したものである。場合によっては、捕虜となっても敵方の連隊長が軍歴に惚れて己の連隊に好条件で採用する例も少なくなかった。それ故古参兵は同一部隊での軍歴が長くなる傾向にあった。ベテランは戦争で死ななかった存在である為、新兵にとって戦争で生き残る方法を知っている者と思われ、新兵の訓練にも大変重宝したのである。
※当時の平民が出世出来る機会は聖職者になるか、軍隊に入り軍人として出世するしか手段がなかった。スタンダールの小説「赤と黒」はそれを描いたもので赤は軍服、黒は法衣を象徴している。
この軍隊構成をル・テリエと息子のルヴォワは国王の意図が末端迄行き渡る軍隊に換えようと各種施策を実施していた。
例を上げると地方領主は中世有力貴族さながらに下級貴族と御恩と奉公(又は親分子分の関係)による封建的軍隊を率いており、〇〇連隊と地方の名前を冠している連隊は貴族の家産としての価値を持っていた。これは有力貴族が反乱を引き起こす要因でもあり、フロンドの乱も後半には地域の反乱が起こっていた。有力貴族から連隊の指揮権を剥奪する事が困難である為、ルイとルヴォワは平時には貴族を宮廷に住まわせ、戦時にのみ指揮官として戦地に赴くように軍制を改め、替わりに国王任命の副指揮官を地方の連隊に派遣して軍をコントロールしようとした。次第にこの軍制改革は功を奏し、貴族の反乱は激減してくる。しかし、その代償として地方の有力貴族に、宮廷内での生活費を国庫から支出させる額は財務総監コルベールの悩みの種であった。
ルヴォワの軍制改革は更に進む。徴募兵は主に連隊単位で募集されていたが、酒場や市場など人の多く集まる処で美辞麗句を並べ立てられて騙されて入隊した者や、暴力を振るわれたから警察に訴えると脅されて入隊させられた者も多く、常に脱走兵の多さに悩まされていたのである。
兵員の充足率は8~9割程度で推移していたが、ある意味連隊長にとっては好都合でもあった。国から兵士への給与は連隊長を通して渡されるので、定数と実数の差が地方貴族の連隊長としての副収入となるのだ。これを直接国王が親任する地方長官に委ねて、地区毎に兵数を定めて募集する事により水増しを防ぎつゝ、良質な兵を集めたのである。これは後に国民徴兵制となっていく。
後は兵士の兵舎建設や退役兵や傷病兵への施設として有名なアンバリットもこの当時に建設されたものである。
このような軍制改革は莫大な予算を要求するものであり、ルヴォワとコルベールの関係は、ル・テリエとコルベールが友好関係を築いていた時と比べると大きく後退していた。しかし、軍制改革によってフランスはヨーロッパ最大の陸軍国家となり、長年のライバルたるハプスブルグ家との覇権争いに勝利したのである。強国を作り上げ、戦争に勝利した実績がルヴォワにはあった。ルイも彼の要求を拒む事なくコルベールに支出を命じており、コルベールは大きな不満を抱きつつ対応していたのである。
ルヴォワが陸軍卿に親任されてから始まったオランダ戦争ではスネフの戦い(1674年8月)に勝利、メッシナ沖の海戦(1675年1月)に勝利、カッセルの戦い(1677年4月)に勝利したものゝ英国とオランダが同君連合を形成するに至り、各国に講和の機運が持ち上がり、ナイメーヘンの条約が締結された。結果としてフランスはオランダを占領出来なかったが、対スペイン、対神聖ローマ帝国に対しては領土の割譲を得た為、これをフランスの勝利としてコルベールは版画や出版物で大いに喧伝したのである。ルイは常に勝利した戦場で活躍する雄姿を版画や印刷物に掲載され、国民の喝さいを浴びるのだった。
オランダ、スペインと立て続けにナイメーヘンでの条約を締結したルヴォワは、ルーブル宮殿が改装中であった為、ルイ14世が増設した西側に隣接するチュイルリー宮殿の大臣室で父親のル・テリエと歓談していた。傍らには父親を護衛する軍隊上がりの者二名が控えている。
「父上、大臣退任後のご体調は如何でしょうか?」
「大臣をお前に譲って大法官についたが、軍が懐かしいよ。体のあちこちの具合が悪くなったので大法官も辞めたからな」
「就任中は仕事一辺倒でしたからね。父上は法務には向いておりませんからな。軍でもう一度頑張りますか?」
「何を言うか。お前の次は、お前の息子がなるのではないか。ル・テリエ家の家職となっておるのだぞ」少し怒気を強めて父が答えた。
「それだけ大声が出るのであれば心配せずとも大丈夫ですな。体を休めて心身共に万全となられた暁には、私から陛下に最高顧問会議への出仕をお願いしてみますので、どうぞお大事になさって下さい」
「流石にそれは辞退しよう。それよりもお前の娘の旦那が軍事総監に就任出来るよう、陛下にそれとなく伝えておきなさい。身内で周りを固めておけば、ニコラ・フーケのように失脚せずに済むのだからな」
当時の官職は国王に任命権があるものゝ、中堅クラス以下の官職は政府の貴重な財源として政府が売却対象としていた。ル・テリエ家もコルベール家も、勿論リオンヌ家も法服貴族と呼ばれ、官職を購入して頂点に達したのである。官職を得、国王の覚えめでたく出世出来れば、大臣にも登用される。そして子孫が引き継げば貴族にも列せられる。領主、騎士からなる帯剣貴族と区別して法服貴族と呼ばれ、帯剣貴族からは蔑まれていたが、ルイは法服貴族を政治に重用し、権力の中枢には帯剣貴族を迎え入れなかった。その為にもフーケのように蹴倒されず、閨閥をがっしりと作れば、我が世の春を謳歌出来るのである。
「心得ております」
「そこの処は肝に銘じておきなさい。ジャンが宰相にも等しい地位にあるのは陛下のお蔭でもあるが、今は亡きマザラン卿の後をしっかりと務めたからだ。お前もこの戦いで大いに名を上げてくれた。これを好機と捉え、ル・テリエ家の今以上の繁栄を築いてくれ」
「父上、そのジャンですが、陛下と何か問題を抱えているとの情報がありまして」
「ほう、お前も耳目が発達したな。全てに注目する事がル・テリエ家の為だ。安心してお前に任せた甲斐があったというものだ。して、その情報は何処から仕入れたのだ?」
「情報源は父上でもご勘弁を・・・」
「分かった。どのような問題だ?」
「宮廷の近衛兵が絡んだ事件と聞き及びました。未だ詳細は分かりませぬので、詳しい報告があり次第お伝え致します。それはさて置き、ヴォーバン領主セバスティアン・ル・プレストゥルの件でご相談したく、ご連絡したのです」
「伺いましょう」
「彼はロンウィ要塞を昨年建設したばかりというのに、今年はモブージュ要塞の建設に取り掛かっており、大変な出費を強いられております。要塞は彼の攻城理論から平行壕や跳躍弾に対応出来る物を目指しておりますので、時間と費用が以外に掛かりまして、他の部門から予算の要求がきても、陛下のお気に入りですので予算を削る訳にもいかず。さりとて、そのまま予算を計上致しますと、これ又ジャンが口煩く削減を求めてきますので、ほとほと困惑している次第です。何か良い知恵はないものかと思いまして」
「彼は陛下のお気に入りだからな。お前も知っているだろう。ネーデルラント継承戦争ではリールの攻城戦(1667年8月)、オランダ戦争ではナイメーヘン(1672年7月)やマーストリヒト(1673年6月)の攻囲戦を指揮して見事な成果を上げた。だから要塞総監に任命されたのだよ。職制ではお前の配下ではないか。今後の為にも、我らの側に置いておかなければならない人物だからな。なるべく彼の意向は尊重しなさい。そうするとだ、お前が調略すべきはジャンとなるな。あれは私の意向は未だに尊重してくれるから、私からそれとなく軍の予算に配慮してくれるよう話しをしてみよう。これで良いか?」
「有難うございます。そうして頂ければ私もホッと致します」
「お前がル・テリエ家の指揮官なのだから、全てに目配せをしなさい。それには子供や婿殿やらの出世も世話をして、がっちりとした閨閥を作り、ル・テリエ派として子分を多く抱える事だ。そうすれば金融業者は自然とお前の前に集まってくる、何せ軍の予算は膨大だからな」
「心得ております」
「但しだ。大っぴらにやってもらっては困る。フーケの件もあるのでな。その点に関してはマザラン卿の行動は見事だった。ヨーロッパ各国から集めたコレクションを惜しげもなく陛下に寄進したのだから。あれでお咎めなしになり、膨大な土地を子供達に残してやれた。見習うものがある」
「父上、その点につきましては、ジャンがマザラン卿に提案したとの噂がもっぱらでして」
「それは私も聞いている。私の言いたい事は、本人の意思でなくとも、それを主に提案出来る部下がいて、それに従う度量の者が生き残るという事だ。お前もそのような部下を育てなければな」
「耳の痛い事で、赤面するばかりです」
「さて、それではお前の頼み事を伝えてくるとするか。ジャンは今日、何処にいる?」
「昨日から陛下はベルサイユに滞在と聞きましたので、ベルサイユにジャンも同行している筈でございます」
「分かった。それでは吉報を待っていなさい」
「宜しくお願い致します」ルヴォワは父を最敬礼で大臣室から送り出した。




