表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

12/35

12 モンテスパン侯爵夫人 3

 モンボワザンの店に、モンテスパン侯爵夫人が近衛兵を従えて、二日後に現れた。店と言っても助産師の店舗には見えず、サロンのようにも見えるし、隠微な秘密を共有する部屋にも見えた。

 モンボワザンは夫人の到来を店内で待っていた。内密の仕事を依頼されたので、店の裏にある処置室は準備が整っており、幾つかの質問をして直ぐに取り掛かろうと思っていた。

 しかし、夫人が二人の近衛兵を従えて店に入って来た時、堕胎を依頼された侍女の姿は見えなかった。一瞬どうしたものか彼女は訝ったが、夫人の顔を見ると平然としているので、この状況を理解する事が出来ず、理由を尋ねようと喉元迄言葉が出掛かった。しかし彼女は口を噤んだ。

 人には色々と事情があるのだ。それを一つ一つ尋ねては、依頼主がこの店を利用するチャンスを自ら潰すようなもの。この店では何も聞かず、何も公表しない事で信頼を得てきた経緯がある。彼女は“見ざる、言わざる、聞かざる”が鉄則なのだと改めて頭の中で反芻した。


「本日は私共がご無理をお願いしましたのに、快く引き受けて頂き感謝致します」

 モンテスパン侯爵夫人が彼女に話し掛けて来た。それを聞いて彼女は応じた。

「私共をご指名頂き有難うございます」そう言って、彼女は侯爵夫人の次の言葉を待った。


「貴方達はドアの外で待っていて下さい。お願いしますね」

 夫人が警護の近衛兵に店内から外へ出るよう命じた。警護兵がドアから店外に出たのを確認して、夫人が喋り出した。


「実は堕胎と言うのは口実で、内密にお願いしたい事がありますの。宜しいですか?」

「何なりと」

 そう言うとモンボワザンは、丸テーブル用の椅子に腰掛けるよう夫人に勧めた。


 椅子に腰掛けて、夫人は小声で彼女に話し掛けて来た。

「貴方は大層腕の良い助産師で、尚且つ秘密は絶対漏らさない人だと伺って来ましたの」

「その通りでございます。このような商売ではお客様の信用が第一でございます。お互いの信頼の上に成り立つ商売でございますので。何なりとお申し付け下さいませ」


「それを聞いて安心致しました。堕胎は薬を使ってなさるそうですね」

「左様でございます」


「そうですか。実はそのお薬を頂きたいのです」

「如何程、御入り用でございますか?」


「人一人処置出来る位の量になりますね」

「それは子供でしょうか? 大人でしょうか?」


「大人一人になります」

「殿方でしょうか? ご婦人でしょか?」


「大人の女性になりますかしら」

「ご用立ては何時迄でございましょう?」


「出来るだけ早くにお願い致します」

「お話しは承りました。少量ですので、暫しお待ち頂けますでしょうか、お持ち致します」


「今日、ご用意出来るのですか?」

「はい。少量の事ですので、私が仕事で使用しております物をご用意致します」

 そう言うと、彼女は席を立って奥の処置室へ入って行った。暫くした後、小瓶を握り締めて彼女が戻って来た。

 モンテスパン侯爵夫人は、彼女が握り締めている右手の中の小瓶と彼女の顔を交互に見て、興味津々に尋ねた。


「少量でしたら、何時でも用意出来るのですか?」

「はい」小瓶をテーブルの上に置き、彼女は短く応えた。


 小瓶を手に取り、夫人は満足げな表情をして何か彼女に尋ねようとしたが、思い直したのだろう、小瓶をクルクルと(たなごころ)で弄び、そのままテーブルに戻した。

「これで一人分ですか?」

「左様でございます」


「使用方法を教えて頂けます?」

「はい。こちらは植物系の薬でございまして、一日1gを限度にワインに混ぜて飲用させて下さい。三日続けて頂きますと、目的を達する事が出来ます」


「あのう、即効性のあるお薬はないのですか?」

「ございます。しかし、薬物反応が出る恐れがありますし、その場でお亡くなりになられては、ご夫人の関与が露呈してしまいます。それはご本意ではないかと存じますが」


 夫人は少し落胆した。一服盛ってそれで終わりにしたい気持ちがあるから、三日もかけるなど、まどろっこしいと思っていたからだ。だが、薬物反応が出るのは不味い。どうしたものか思案していると、彼女が話しかけて来た。


 モンボワザンも夫人の落胆する姿を見て、不味いと思ったのだろう。みすみす上客を失うなど、出来る訳もない。

「但し、飲み終えて半日程で効果の出る薬もございます」

「本当ですか?」


「はい」

「それでしたら是非そちらを所望します」


「実は、有るには有るのですが、今手元にはございません。お時間を頂ければ、調達致しますので。それで宜しければ」

「致し方ありません。どれ程待てば宜しいのですか?」


「それがはっきりとは・・・」申し訳なさそうに答えた。

「そうですか。それでしたら、致し方ありません。こちらを本日は、頂いて参りましょう」夫人は少し考えて応えた。


「畏まりました。こちらをお持ち帰り下さい。又、入手出来次第ご連絡致しますので、よろしくお願い致します」


 モンボワザンは少し考えて別の話しをした。

「公爵夫人。妖術、魔法の類にご関心はございますか?」

「どのような意味ですか?」


「即効性をお求めで、対象との因果関係をお避けするのでしたら、魔術をお相手に掛ければ宜しいのです。素早い結果と、尚且つご自分の関与が疑われない方法がそれでございます。どうしても薬を飲ませるには、ご自身かご自身の関係者の手で行いますので、関与を否定するには厳しいかと思います。」


《この女は何を話しているのか?》夫人は考えた。

《中世の魔女など、今は誰も信じてはいない。魔術で人を殺める事が出来るのか? 否、魔女裁判で多くの犠牲者が出たが、誰もサバトに参加したとは言わなかったし、地獄の悪魔を見たとも証言していない》

ほぼ全てが伝聞の類であった事を夫人は聞かされていた。それで唐突に魔女の話しを話題に出され、モンボワザンの言動に疑念を抱いたのかもしれない。


「仕方ありません。痕跡が残るのは不味いですから、妥協致しましょう。三日の辛抱で宜しいのですね?」夫人は彼女の説明には応えず、己の要望のみ伝えた。

「薬をお使いになるのでしたら、その方法が賢明な策かと存じます。尚、こちらの容量は三日分ですので、一日で使い切るような事はなさらないよう、お願い致します。一気に飲ませようとなさると、飲用者が必ず気づきますし、とても飲用出来る代物ではございませんので」

 言い終わると、彼女は夫人にテーブルの上の小瓶を差し出した。


 夫人は大急ぎでその小瓶を己の懐に仕舞い込み、一息ついた後彼女にルイ・ドール金貨10枚を握らせた。ズシリと重い感覚が彼女の手に伝わった。

 そのまま何も言わず椅子から立ち上ると、入って来た店のドアに向かって歩き出した。モンボワザンはそれを黙って見ていた。

 夫人がドアから出る刹那、彼女が夫人に向って言葉を掛けた。

「私の提案をご考慮願います」

 ドアを開け外に出る間際に話しかけられ、良いとも悪いとも判断出来なかった夫人は「失礼します」と言い残し、警護の兵と共に馬車で帰って行った。



 モンテスパン侯爵夫人には幾人かライバルと呼べる愛妾がいた。ラ・ヴァリエール夫人、フォンタンジュ公爵夫人とド・ポリニャック子爵夫人である。この四名はルイの愛妾としての時期がクロスしており、寵愛を受ける頻度が四人共に高く、週に一回は必ずルイが寝室を共にしていた時期もあった。7日の内、4日は四人に当て、後の3日は王妃や市井の高級娼婦と過ごす事もあったとされている。ルイの体力は常人の域を超えて、神仙の類に及んでいるのかと噂された事もあったようだ。



 モンボワザンの店から帰った彼女は、直ぐに薬の効果を確かめるべく、自身で主宰するサロンにド・ポリニャック子爵夫人を招待した。名目は「トルコから仕入れたコーヒーを提供したい」と伝えていたから、パリで流行しているコーヒーが愛飲出来るチャンスに、彼女は必ず参加すると読んでいた。


 当時のコーヒーは、地中海交易の権利をほゞ独占していたマルセイユ港から、陸路パリ迄運ばれていた。その他に、マルセイユからジブラルタル経由で、大西洋を北上してセーヌ川河口に位置するノルマンディー地方の都市、オンフルール港に陸揚げされるルートもあった。こちらのルートはコルベールがオンフルール港を24時間使用出来る港に改修して以降のルートではあるが。

それ迄オンフルール港は干満の差が激しく、尚且つ海底が泥地であったので、満潮で入港した船が、干潮で着底する港であった。出港は次の満潮になるので、漁港としてよりも、交易港として栄えていた。

 現在でも遠浅の泥土ではあるが、一部は砂浜として整備され、夏になるとパリ市民の海水浴場として利用されている。

 それを財務総監のコルベールが閘門(こうもん)を設置し、水位を調整して潮汐港から24時間使用出来る常水港に改修した為、オンフルールはアフリカや南アメリカとの交易へも乗り出している。


 後はどのようにして三日間飲ませられるのかという問題だけである。そしてこれが中々難しい。サロンで一度は飲ませ、気に入ったならば、次回も招待する事は出来ても、連続で招待したら宮廷の他の貴婦人達にとかくの噂を流され、こちらの腹を探られる恐れがある。そうなると、ド・ポリニャック子爵夫人の体調が急変した場合、彼女が真っ先に疑われるのは、火を見るよりも明らかだ。どうしたものかモンテスパン侯爵夫人は思案に暮れ、取り敢えずは飲ませて具合を見てみようとの考えに至った。


 結論から申し上げますと、この計画は一回切りで終わった。連続して飲ませる事が如何に至難の業か夫人は痛感し、帰り際にモンボワザン夫人から投げかけられた言葉を思い出し、彼女からの連絡を待つのであった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ