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10 モンテスパン侯爵夫人 1

 ルイ14世の一日は世間で言う処の儀式と化しているので、ここで少し紹介しましょう。


 朝は比較的ゆっくりしており、8時に起床を告げられると、国王の寝室へ直ぐに内科医アントワーヌ・ダカン及び外科医シャルル・フランソワ・フェリクスが現われ、朝の健康チェックを実施します。それから朝のお祈りと着替えを済ませ、王族や政府高官の朝の挨拶を受ける。これが“小起床の儀式”です。その後、宮廷に出入りする事が許された一部の者を対象とした“大起床の儀式”を行ないます。

 9時からは私室で王令への署名などの執務を10時迄執り行い、表御座所を通ってそのまま礼拝堂に向かい、階上の国王席からミサに出席します。

 11時からは財政会議などの諮問会議に出席、13時迄執務して、その後王族と共に寝室で昼食をとる訳です。

 14時から17時迄は庭内や離宮の散策、狩りで供廻りの者及び宮廷貴族と過ごします。その時には供廻りに軽食を提供しています。国王は下々の者にも意を配っているとのイメージを大切にしているからでしょう。

 17時からは礼拝堂にて聖体降臨式に臨み、その後は私室で執務を行なう。偶に愛妾の部屋で執務を行なう事もありました。

 19時から改修を進めている“鏡の間”で夜会やビリヤード、博打などの娯楽を王族、宮廷貴族などに提供しています。又、当時大変な人気となっていたモリエールの喜劇も提供していました。彼はルイのお気に入りの役者の一人であったのですが、1973年に亡くなっています。完成前のベルサイユ宮殿で初めて上演されたのは、1664年5月7日から13日にかけて、4作品が披露されています。

 22時からは“王妃の控えの間”などで王族と晩餐。23時から“就寝の儀式”を行い、一日が終了する訳ですが、これら全てが儀式であり、全てに参加者、見学者が帯同しているのです。


 ルイは国王としての役割を良く理解していたので、例えば、支援している悲劇作家ジャン・ラシーヌの劇中で王を演じていたならば、役者としても大成していたであろう、と言われる程です。

 国王の生活は“修道院の生活よりも規則正しい”と表現する者もいました。それ故、多くの貴族やブルジョワなどが儀式の合間や移動中を狙い、国王に謁見や要望を言上するのですが、ルイはそれを嫌がりもせずに一つ一つ対応していました。それが国王の義務であり、権威の具現である事を彼は良く知っていたからです。



 小起床の儀式が終わり、医師団が国王の寝室から退出して、1階の工事中の鏡の間に降りて翼棟に戻る頃合いを見計らい、モンテスパン侯爵夫人は侍医のダカンを自室に呼んだ。ダカンは国王から事前に聞かされていたので、翼棟の自室に戻らず、夫人の部屋に直行した。


 閑話休題

 彼女は5/10/1641生まれなので、気質とすると情の深い人で、既成の枠に捕らわれない思考をするタイプと思われます。


「お早うございます、公爵夫人。ご機嫌は如何でしょうか?」

 夫人の部屋に入り、彼女以外誰もいない事を訝りながらも、彼は丁寧に朝の挨拶をした。彼女が今の宮廷の権力の中心である事を知っていたからだ。

「お早うございます、侍医様。お陰様を持ちまして、産後の肥立ちも良く、元気になりました。貴方は如何ですか?」


「私は相も変わらず、忙しく国王陛下にお仕えしておりますので」

「それはようございました。私も常日頃から、貴方の陛下に対する仕事への熱意について、陛下に良くお伝えしておりましたから、嬉しい限りですわ。今日はお日柄も良いので、午後陛下は庭内の散策に行かれるのでしょうか?」


「公爵夫人の私に対するご配慮、感謝申し上げます。陛下の午後につきましては、左様に伺っております」

「ご同伴なさるのね。侍医ともなりますと、四六時中陛下のお側近くに侍り、気の休まる事もありませんわね。大変なお仕事です事」


「お気遣い頂き有難うございます。陛下からは『侯爵夫人からの頼み事がある』と伺っておりましたので、本日はその件でございましょうか?」

「はい、そうなのです。肥立ちが良過ぎて、大層体が重く感じられるのです。動くのが億劫になりまして、侍女への頼み事が多くなり過ぎて申し訳なく思っております。そこでお願いなのですが、良く効く下剤薬を入手したいので、先生のお知り合いの薬剤師さんをご紹介願いませんでしょうか?」


「下剤薬でしたら私の方で調合致しますので、何なりとお申し付け下さい」

「それは恐れ多い事でございます。ダカン様は陛下の内科医でありますので、そのお方を私事で煩わせる事など滅相もございません」


「ご遠慮なさらなくとも、私は一向に構いませんが」

 ダカンは随分控えめな夫人に少し驚いた。国王への政治にも口出しするという噂を聞いているし、宮廷内でこの世の春を謳歌する夫人がこゝ迄謙虚だったとは知らなかった。


「私事と公務を混同するような事は、陛下に対して申し訳ございません。ですので、貴方にお願いしておりますの。そこの処、ご斟酌下さいませんか?」

「分かりました。では評判の良い者をリストから見つけておきますので、後程侍女を私の部屋にお寄越し下さい」


「有難うございます。余り大っぴらに言える事ではありませんので、少し心配していたのですが、宜しくお願い致します」

「それでは、これにて失礼させて頂きます」

 そう言うと彼は夫人の部屋から退出した。1階の鏡の間を通り翼棟の自室に戻る途中で、今迄のモンテスパン侯爵夫人に対する宮廷貴族の噂と、彼女の部屋でのやり取りとを思い巡らして、彼女の評判が本当なのか、違うのか彼には分からなかった。



 ダガンから侍女が市中の薬剤師リストを貰い受けると、彼女は早速手紙を書いて一人の薬剤師の下に侍女を訪問させた。

 彼女専用の馬車でパリ市中の薬剤師の家に手紙を持って行き、書かれた内容の薬を薬剤師から受け取り、侍女が宮殿に帰って来たのは午後だった。

 その後何度か侍女が薬剤師の下へ薬を貰いに行ったが、夫人の風体は下剤を服用前と左程変わってはいなかった。残念ながら太った体形のままである。



 二週間が過ぎた頃、夫人は自ら薬剤師の家(薬は古くから教会で薬草を調合して病人に使用していた事から、後に教会近くに店舗を出すようになった)を初めて訪れた。薬剤師の自宅兼店舗はパリのサン・ジェルマン・デ・プレ教会の敷地南側に接して、東西に走る通り(後のサン・ジェルマン大通り)にあった。自宅兼店舗は多くの店がそうであるように、1階が店舗、2階部分が自宅となっている。

 事前に手紙で訪問を伝えていたので、店主は夫人の到着を待っていた。


「今日は」

「いらっしゃいませ。モンテスパン侯爵夫人、お待ちしておりました」


「申し訳ございません、私共の私事に関する事でお時間を頂きまして」

「何を仰せられます。侯爵夫人からのお話しでございます。一も二もなくお手伝いさせて頂きます、大変名誉な事ですので」


 店主は夫人をテーブル席に着かせると、奥から女がコーヒーカップに熱いコーヒーを入れて夫人に提供した。

「これは、これは。貴方のお店でコーヒーが頂けるなんて、大層お高いものでしょ?」

 この当時のコーヒーは大変高く、平民が飲む事の出来る飲み物ではなかった。貴族やブルジョア等上流階級の人間は、日中サロンや自宅で客をもてなす接待道具の一つとしてコーヒーやお茶を提供していた。


 丁度10年前の1669年7月、オスマン帝国のモハメド4世の使者、ソレイマン・アガことミュテフェリカ・スレイマン・アガが、ベルサイユ宮殿にてルイ14世に謁見した折コーヒーを献上したのだが、これがフランスでコーヒーが飲まれる発端となった。

 会見自体はソレイマン・アガの不遜な一部の対応によってルイの不興を買い、ソレイマン・アガもルイの対応に不満を表わしており、謁見としてはモハメド4世の親書を手渡した事で了としよう。しかし、前段階のリオンヌ外務卿との会談は無事終了しているので、お互い気が合わなかったのか、気がなかったのだろう。


 その後アガはパリに居を構え、各層の有力者を自宅に招きコーヒーを提供した事により、フランスの上流階級にコーヒー飲用とオリエント趣味が広がっていった。

 コーヒーはオスマン帝国からフランスが輸入していたのだが、これは両者がハプスブルク帝国と敵対していた事からの縁であり、ヨーロッパでは比較的早くに飲まれていた。

 ともあれオスマン帝国との交易は、コルベールの重商主義の為せる業でもあるので、これも彼の功績の一つとして数えても良いのでは。


 ヨーロッパ全体に広まったのは、オスマン帝国が第二次ウイーン包囲戦(1683年)に敗れ、撤退した後の事である。敗残のオスマン軍が陣中に残した物の中にコーヒー豆があり、フランツ・ゲオルグ・コルシツキーなる者が戦利品として接収したと言われておりますが、如何でしょうか?

 因みに、イギリスではオランダとの交易競争に勝ち、中国からお茶を輸入して上流階級はそちらを飲んでいた。


 そんな高価な飲み物が平民である薬剤師の店主から彼女に提供されたので、彼女は彼の気遣いに少し驚いた。今はこんな店主でもコーヒーを手に入れる事が出来ようとは。

「侯爵夫人が私共の店にお出でになるのでございます。失礼な事があっては大変でございますので、色々ご用意させて頂きました。お前、挨拶しないか。こちらはモンテスパン侯爵夫人だぞ」


 店主はそう言いながらコーヒーを持って来たのが自分の細君だと紹介したが、細君は夫人に頭を下げて挨拶すると、そのまま店の奥に引っ込んでしまった。

「申し訳ございません。田舎生まれな者で、ろくな挨拶も出来ませんで。お気を悪くなさいませんように」

「構いませんよ。それより大変美味しいですね。お気遣い頂き有難うございます。満足しました」


「これは私共の店で作成しました香水でございます。お帰りの際にお持ち帰り頂ければ幸いでございます」

 そう言って店主は小さなガラス容器に入れた香水を彼女のテーブルの上に置いた。何処にでもありそうな容器だ。彼女の歓心を引くような物ではなかったが、そんな様子はおくびにも出さなかった。


「それで私事の相談との事ですが、如何なものでしょうか?」

「香水迄頂いて有難うございます。実は私の侍女が妊娠致しましてね。お相手のお方と申しますのが、お名前を憚られるお方で、某貴族と致しましょうか。奥様にはご内密にとの事で。それで、こうしてお願いに上がった次第です」


「そうでございますか。そうなりますと秘密出産でしょうか、堕胎でしょうか」

「出来ましたら堕したいのです。何方か、秘密を守れる口の堅い方をご紹介願いたいのですが。勿論、腕の確かな方をお願い致します」


「秘密が守れて、腕の確かな助産婦となりますと、限られますね。私の伝手から申し上げると、結構な金額になりますが」

「それは構いません。何せ、お相手が全て負担すると仰せられておりますので」


「そうですか。そうなりますと、私が懇意にしております助産婦がおりますので、私の方から連絡を入れておきましょう。侯爵夫人へのご連絡でございますが、私共が直接差し上げてもよろしゅうございますか?」

「そうして頂けますと助かります。お手間をおかけして、申し訳ございません。このお礼は必ずさせて頂きますので」


「滅相もございません。侯爵夫人のお頼みでございます。何なりとお申し付け下さいませ」

「お気を使って頂いて有難うございます。それと、これはダカン先生にはご内密にお願い致します。私の侍女の事ですし、公には出来ませんの。お相手の貴族の方の家名もおありですから」

 彼女は宮廷医師、ダカンとのつながりをここで断ち切ろうとした。公に出来ない頼み事だからだ。


「はい。勿論でございます。私は一言も。それに彼女も口の堅い助産婦ですので、ご安心下さい」

「それでは、くれぐれも宜しくお願い致します」


「今後共、宜しく御贔屓の程、お願い申し上げます」

 下卑た笑顔で店主は頭を下げた。宮廷の実力者、モンテスパン侯爵夫人と直接コネクションが出来たのだ。これは千載一遇のチャンスだ。上手くすれば、宮廷の専用薬剤師にも登用されるかも知れない。なれない迄も、宮廷に出入り出来るのではないか? 宮廷では多くの女官が働いている。客に困る事はない。それに宮廷の有力者を夫人から紹介でもしてもらえれば、店のパトロンにもなってくれるかも・・・ 店主の妄想は際限なく広がって行く。


 夫人はルイ・ドール1枚(金貨、当時の労働者の半月分の収入価値がある。今の価値では16万円程か?)を彼に手渡し、店を出て、専用の馬車でベルサイユに戻った。

 金貨を手にした店主は己の妄想が実現するのではと自信を持った。こんな大金を助産師の紹介だけで・・・


 店主は考えた。公爵夫人に直接連絡をしても良いと了承頂いたので、ベルサイユ宮殿へこちらから伺える。その時に薬や香水を小分けして沢山持って行こう。夫人の侍女達や、ひょっとしたら宮殿の女官達に売り込めるだろう。そうすれば、品物が切れた頃に又伺える。そうなれば、宮殿への出入り商人になったも同然だ。何せ国王陛下の愛妾が顧客になるのだから。俺の望みを叶えてくれるのでは? 否「お礼は必ずする」と約束してくれたのだ。きっとしてくれる筈だ。

 彼の妄想は次第に確信へと進み、彼にとって輝かしい商売のスタートになるだろう。幾らでも彼のイメージは膨らみ、イマジネイションの世界に彼は浸るのだった。


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