7 新しい友人と学院生活
それから、晴れてテオドールの婚約者になったエイミーは、改めて学院生活を楽しんでいた。
王家からは、アンドレアスの身勝手による婚約解消であることと、エイミーの次の婚約者はテオドールとすること。この婚約で、アダムス家・ブルノン家の共同事業の発展を期待するという声明が各家当主に通達されている。
各家への通達はあえて王家の上級使用人が派遣され、彼らは口々に「エイミー嬢は、王妃も第二妃にも認められていた優秀なご令嬢だったのですが…」「もともとアダムス家は身を引こうとされていたのを、王が直々に願っての婚約だったのですが…」「せめてエイミー嬢が恙なく過ごせるようにと、王が仲人となり、新たな婚約を結びました」と残念そうに添えて伝えた。
下級使用人ならともかく、上級使用人が王家の内情を漏らすことなど滅多にない。これが王の指示で添えられた言葉であったことは、わかるものには当然伝わった。
婚約解消した格下の相手に対しての随分手厚い王家の対応に、アダムス伯爵家やエイミーを尊重すべきであると各家は判断した。また、二家と遠い家ほど、この婚姻は共同事業のための政略結婚であり、横入りできぬものだと受け取った。
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アンドレアスの婚約者であった頃に嘲笑してきた令息令嬢たちの態度の変わりように、エイミーもテオドールも困ったものだと笑った。
エイミーは変わらずソフィアやマリアステラと親交を深めつつ、テオドールの縁でこれまで中立を保ってきた令息令嬢とも交流しはじめるようになった。王家の婚約者であれば不要だが、伯爵家同士で婚姻を結ぶなら必要な交流でもある。それには、ソフィアやマリアステラのもとで培った知識や目も役立っている。
「第一王子様が婚約者を蔑ろにしてる話は有名で、エイミーのことも気の毒に思ってたけど、アダムス伯爵家と親しいわけでもないうちに介入する理由などないし、それで王家に目をつけられるのもごめんですもの」
とは、子爵家のユリアナの言葉である。
ユリアナの領地では宝石産業が発展しており、ユリアナ自身は屑石を加工した庶民向けのアクセサリー開発を考案している。いずれ鉱山が枯れても、腕がいい職人を抱えていれば領地の発展が見込めるはずだと語っていた。
「俺は一応エイミー嬢と幼い頃に面識はあったけど……男の俺が間に入ると、変に醜聞になりそうでなぁ」
「あの王子様ならありえるでしょうねぇ。せめてデビュタント前に私がお話しする機会があれば、建前は作れたでしょうけど。
エイミーさんだけなら茶会にもお呼びできますが、一応婚約者の方にお声がけしないのもマナー違反ですし、子爵家から王家へお声がけはさすがにしづらくて」
テオドールの幼馴染のダンテに、婚約者のカレンがおっとりと返す。ダンテの男爵家では麻布の産業が盛んで、カレンの子爵家は海に面した小さな貿易港をもつ。
「ええもちろん――私も皆さんと同じ立場なら、きっと同じようにしてるわ」
エイミーは頷いて、菓子を口に運んだ。高位貴族との茶会で出されるのとはまた異なる、素朴な見た目の焼き菓子を指で摘まんだ。ざくりと噛みしめると、濃厚な乳脂の香りと風味が鼻腔に抜け、砂糖の甘みに舌が喜ぶ。城の茶会で持て囃される見た目も風味も繊細な菓子も好きではあるが、エイミーの子どもの頃から好んでいたのはこうした素朴な味わいだった。
「ま、今はもうエイミーも私の友達よ。友達が虐められてたら、文句の一つは言ってあげるわ」
「まぁ! ふふふ」
ニカッと笑うユリアナに、エイミーも思わず声を上げて笑う。
初対面時に「これまで何もできず申し訳ありません――なんて、謝りませんわよ」と明言したユリアナの豪胆さを、エイミーは今ではとても好ましく思っている。
面識のない貴族令嬢のために王家に対抗するリスクは犯せない、という下位貴族の考えも理解できる。自分も同じ立場ならそうしただろう。また、これまで学院中から蔑視されていたように感じていたが、エイミーに同情しながらも見て見ぬふりをしてきた生徒も多かったことを知り、そうした生徒は“第一王子の婚約者”という肩書が外れたエイミーとは普通に接してくれることを実感して、エイミーはなんだか呼吸が楽になった思いだった。
呼吸が楽になったついでに、髪をきつく結うのもやめたし、ドレスも格式は低いが着心地の良いものを着るようになった。今ではすっかり、下位貴族のなかでも控えめな装いのエイミーである。
「というか、うるさいこと言ってたのって、王子様と隣国の王女様に侍りたい都市部の下位貴族が中心だろ? ソフィア様とマリアステラ様はエイミー嬢を庇護してるわけだし」
ダンテが手についた菓子の屑を皿に払いながら言う。高位貴族であればありえない仕草だが、この場ではこれくらいでとやかく言う者はいない。カレンが気づいて、ハンカチを差し出すのが見えた。
ユリアナが少し心配そうに尋ねてきた。
「そうよね――エイミー、講義を組み直してからもまだ面倒なこと言われる?」
「いいえ全然。カレンとユリアナに言われて講義を見直してよかったわ」
「俺からも礼を言わせてくれ。ありがとう、カレン嬢、ユリアナ嬢」
エイミーと共にテオドールも改めて感謝を伝えた。
王家の婚約者から伯爵家の婚約者となるにあたり、学院で受けている講義の組み直しをしたのはつい先日のこと。
カレンやユリアナに乞われて、差支えがない範囲で王妃教育やソフィアやマリアステラから受けた教えについて語った際、カレンは小首を傾げてこう言った。
「話を聞く限りエイミーさんは、礼儀作法や教養分野に関しては、学院での講義以上のものを王妃教育で受けているようだけれども。それなら、講義のほうは認定試験を受けておしまいにしてしまってはいかが?」
え、と目を瞬かせたエイミーにユリアナも言った。
「そうよね! 礼儀作法は必修だけど、今受けている高位貴族向けのものから下位貴族向けに変更したって、次期ブルノン伯爵夫人としては問題ないはずだわ。他は諦めるか、さっさと単位だけ取っちゃって、空いた時間で一緒の講義を受けましょうよ!
――あっ。もし好きで講義を受けてるとか、成績にこだわってるなら、別だけど!」
ユリアナが、こちらの手を握りしめんばかりに楽し気に、そのあと我に返ったように悄然とするのを見て、エイミーは慌てて顔の前で手を振った。
「いえ! まったく! 好きで受けていたわけじゃないの。これまで受ける講義は王城から指定されていたし、認定試験で単位を取るという発想がなかったから」
「あー。まぁ、王家の婚約者ともなれば、ちゃんと授業を受けていい成績を取りつづけることも大事なのか……俺らは、教養分野は最低限にして、研究のほうを重視してるぜ。たぶん、地方に領地がある下位貴族はそっちが多数派。
まぁ、教養分野は学院レベルができてれば下位貴族としては充分だし、逆に認定試験で単位が取れるほど実家で学んでこれたヤツもいないけど。商売やってる家だと、算術は認定試験で済ませるヤツも多いよな」
ダンテの説明に、テオドールも「そうだったかもな」と相槌を打った。
カレンが悪戯っぽく笑う。
「まぁ、実家で充分な教育を受けている王家の方やその婚約者が、入学早々にすべて認定試験を受けて滅多に登校しない……なんてことがあっても困りますものねぇ。
あるいは、エイミーさんが優秀すぎて、王子様より先に卒業資格を取るとマズいと思われたのでは?」
「まさかそんな!」
ふふふ、と笑ったカレンは
「ぜひ、染色の講義をご一緒しましょう? 染色の講義はほとんど女学生だから、ダンテやテオドール様は持て囃されてらっしゃるのよ。婚約者として、気になるでしょう?」
「カレン嬢!? ――いやエイミー、誤解しないでくれよ?」
「ふふふ。エイミーさん、一緒に妬まれましょう?」
「ふふふ、ふ、あはは、カレンさんってば」
慌てふためくテオドールと、わざとらしく扇で顔を隠したカレンに、エイミーは思わず噴き出した。
(きっとアンドレアス様なら、染色の講義なんて許さなかったに違いない)
指先が少し荒れて、爪の周囲に染料が染み込んだダンテやテオドールの手。薄手の手袋をつけることが多いカレンの指もきっとそうなのだろう。
幼い頃、領民が畑仕事をするのを見るのが好きだった。テオドールとともに、アダムスの果実や芋の収穫を体験させてもらったこともあるし、ブルノンの機織唄を覚えて、織機の前で一緒に歌ったこともある。
アンドレアスとの婚約後には許されなくなったそれらを、エイミーは愛おしく思った。
「ずるいわ! エイミー、造形史も受けましょう。ドレスやアクセサリーの流行を学ぶのよ。ソフィア様やマリアステラ様から学んだことがきっと生きるし、素敵なドレスを見られて楽しいの!
――ねぇエイミー。婚約者ができたり、卒業後の予定が変わったら、講義の組み直しをするのはよくあることよ。下位貴族から高位貴族に嫁ぐとなれば礼儀作法も変わるし、領主になるか文官になるかで必要な知識も変わってくるもの」
ユリアナやカレンの気遣いに、彼女らが語る楽しそうな学院生活に。エイミーは喉元に熱いものが込み上げてきて、言葉を出せぬまま何度も頷いていた。
それからエイミーは学院と相談のうえ、教養分野の大半は認定試験を受けて単位を得、いくつかは講義を高位貴族向けから下位貴族向けに変更し、そうして空いた時間で染色や造形史や薬学に栄養学など、これからの領地に役立ちそうな学問と、刺繍や乗馬などの息抜きができる講義を受けることにした。ユリアナやカレンは面白そうな講義をいくつも教えてくれ、テオドールと相談しながら決めた。
新しく受けることにした講義で出会った令息令嬢たちとは、大抵気持ちよく接することができた。彼らは自分の目的のために学んでいて、中央の噂話や他人を蹴り落とすことには興味がない様子だったからだ。
彼らの領地は地場産業で栄え、経済的にも地理的にも王家とは距離がある。そういった令息令嬢たちとの交流が増えるにつれ、必然的にアンドレアスやリリアナ、これまで姦しくエイミーを罵ってくれた令息令嬢たちとは遭遇しなくなったことにエイミーは気づいた。
つまり、これまでテオドールがたびたび声を掛けてきていたのは、わざわざエイミーを探してくれていたからで――初めてそれに気づいたとき、エイミーの頬は熱く燃えた。
心配そうにのぞき込んでくるテオドールの翠玉の目を、恥ずかしくて見上げられそうになかった。
連休中執筆ができず、間が空いてしまいました。。
もう実質完結なのですが、最終話を誰の視点で書くか迷っています。