5 無邪気な暴露と他国の織物
それから半月と少しの間、エイミーは目まぐるしく、しかし傍目にはこれまでとさほど変わらない日々を過ごした。
学院ではアンドレアスに蔑ろにされ、時々ソフィアからテオドールと共に個室へ呼び出しを受ける。アンドレアスに悪し様に言われた共同事業だが、いずれ社交界の中心となるソフィアやマリアステラが興味を示しているため、他の令嬢たちも期待をしているようだ。
アンドレアスからは一度だけ「進捗を報告せよ」と命令があったが、ソフィアから事前に言われていたように、目を伏せながら「下位貴族の自分には知見が足りないため、ソフィア様とマリアステラ様から服飾や美術に関する教えを受けている」と返せば、アンドレアスはそれ以上追求してこなかった。おそらく、個室でソフィアやマリアステラに虐められているのだと勘違いしたのだろう。満足げな笑みで「精進しろよ」と嗤った。
あとで、フェルナンディオからの援護があったとも知った。
フェルナンディオはあえてアンドレアスに「ソフィア達の当たりがきつくてエイミー嬢が気の毒だから、ソフィアからの呼び出しを遮る形でエイミー嬢をお茶にでも誘ってあげてほしい」と進言したそうだ。アンドレアスは当然これを拒否した。
アンドレアスとリリアナは、相変わらず学院内で誰の目を憚ることなく睦まじい様子を見せている。フェルナンディオとマクルドは、“それぞれの婚約者が暴走しすぎないよう目を配る”という名目でアンドレアスからさりげなく離れていく。
恒例となった茶会で、フェルナンディオは苦笑した。
「確かに、高位貴族と下位貴族が一対一なら、明らかに高位貴族が優位です。ただ、国全体で見たときには必ずしもそうではない」
「そうだな。高位貴族が王家、公爵が三家、侯爵が七家で計十一家。それに対して下位貴族は伯爵家だけでも四十家、子爵男爵も合わせると二百家以上あるんだっけ? 数で押されたら絶対勝てるわけがない。それに、なぁ?」
マクルドも頷く。視線を向けられたステアマリアは肩を竦めた。
「特に伯爵家と子爵家は、歴史を紐解けば高位貴族からの分家が中心。うちの寄子たちだけで四十くらい、姻戚だけならもう少し多いかも。仮に男爵家でも、寄子に頼られて必要があれば候爵家で対応するし、爵位だけで軽んじるなんて愚か者のすること」
「本来は高位貴族になるほど、下位貴族からの反発を懸念し、上手く調整する手腕が求められますわよねぇ」
優雅に紅茶を嗜みながら、ソフィアが締めくくった。
「まぁ、その高位貴族の最上位である王家の第一子がアレでは、国が持ちませんわ」
ところで、と前置きして
「そういえばエイミー様、どうもアンドレアス様は幻灯祭で貴女との婚約破棄を宣言するようですの」
「そうですか……できれば内密に、と思っていたのですが」
「夜会での婚約破棄は、リリアナ王女の念願だったようですもの。隣国でできなかったことを我が国でやろうだなんて、よほどご執心だったのね」
アンドレアスとの婚約破棄は、エイミーにとっては望むところである。
それを知った彼らも、アンドレアスを助長する方向で計画を進めている。すでに王にも根回し済みで、王としても確実に血の繋がった第二王子を擁立するために、第一王子の愚かさが浮き彫りになるほうが望ましい。
十年前、幻灯祭の直後にアンドレアスは父王に、包帯姫との婚約を願った。初恋に溺れたアンドレアスは数日間そのことで頭がいっぱいで、王は愛息子の願いを叶えるべく、多少強引に動いたという。
やがて落ち着いたアンドレアスは、父王の奔走ぶりに喜んで、無邪気に告げた。
「そういえば、あの日本当は父上と揃いの金髪金目になったのですよ。父上にもお見せしたかったのに、侍従に止められたのです」
この一言で、愛息子は不貞の証拠と転じ、父が息子の初恋を叶えるべく用意された婚約は第一王子の将来的な追放先となった。
アダムス家は伯爵家としては裕福で、食うには困らなかったため、最後の情けとして強引に押し通されたのかもしれない。その後、第一王子を産んだ妃とその実家には内々で処罰が下され、別の妃が第二王子を孕んだという。また不用意に同じことを口にせぬようにと、アンドレアスには“勿忘草”が与えられ、色変雫での変化の記憶が封じられた。
幼子には罪はないとすべてを内々で済ませたからか、第一王子は未だそのことを知らずにいる。しかしながら、本来は自分で気づき、立場を弁えておくべきだったのではないかともエイミーは思う。事実、エイミーは気づいて弁えていたし、フェルナンディオやマクルドは知っていて巻き込まれないようにしていたのだから。
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本日は他国の織物商人との顔合わせという名目で、マリアステラの屋敷に招かれていた。事業の担当者としてテオドールとリオネル、マリアステラの友人としてエイミーとソフィア、婚約者としてマクルドが喚ばれた。
海の向こうの国で作られたという、細かい刺繍で絵画のように絵柄の入った重厚な織物は見事なもので、エイミーは勿論、テオドールもリオネルも感嘆していた。商品を一通り見、テオドールとリオネルが商人から他国で使われている染料の定着剤について話を聞く間、隣室で茶会という名の情報交換を行う。
「おそらくだが、アンドレアス様は幻灯祭に、リリアナ王女をエスコートすると思う」
マクルドが言いにくそうに告げた。エイミーは頷いた。
「承知しております。――ドレスも用意ができております」
「ドレスすら贈らなかったというの!?」
信じられない、というようにソフィアが扇を握りしめた。
エイミーは苦笑して頷いた。
「それで、だ。おそらく今アダムス伯爵家には、王家の婚約者としての通例で、身嗜みを整えるためにメイドが派遣されていると思うが、幻灯祭当日にはメイドが引き上げられているかもしれない。それで、男の俺が言うのもなんだが……もしメイドがいなかったとしても、なるべく髪はいつも通りにきつく結い上げるほうがいい、と思う」
「それは構いませんが、どういうことでしょうか?」
マクルドから指摘されるにはあまりにも不似合いな内容で、エイミーは困惑した。ソフィアやマリアステラのほうを見やるも、一様に不思議そうな顔をしている。
「前々から、エイミー様の髪型はきっちり結われすぎていて堅苦しいなと思っていた。それが王宮のメイドの仕事だったのであれば、メイドがいない日は自由に結ってもいいのでは?」
「えぇ、ゆるく結ったり、髪を下ろすのだって、エイミー様には似合うと思っていましたのよ?」
女性二人の咎めるような口調に、マクルドは頭を掻いた。
「自分でも柄じゃないのはわかってるよ――ただ、たぶん、アンドレアス様がエイミー嬢を“包帯姫”だと気づかないのって、その髪型もあるんだよな」
「どういうことですか?」
「アンドレアス様がエイミー嬢の外見で不満をもっているのは、主に二点。まず、第二王子のシンケルス殿下の黄金の目と髪に劣等感を持っているから、強い色の目と髪が苦手。特にエイミー嬢の色味はいかにもアダムス家の色だから、ますます気に食わない」
「言い掛かりにもほどがある」
「それはそう。で、少し吊り目に見えるところも、気が強そうで気に食わない。アンドレアス様の理想は儚い姫君だから。でも、エイミー嬢が吊り目に見えるのは、王家のメイドがきつく髪を結って、そういう化粧をしているからで、たぶん本当はやや垂れ目気味のはず」
「……そうなのですか?」
自分のことなのに、思わず尋ねてしまった。
「微妙な差だから、意外と自分じゃ気づかないのかもな。うちは、お尋ね者がどうにかして国境越えをしようとしてくるのを防ぐのも仕事だから、多少年を取ったり顔を変えたりしても見抜けるように仕込まれる。蟀谷に糊を貼って目の印象を変えるのは、変装の常套手段――あ、いや、喩えが不適切なのはわかってる。すまん」
「いえ、いえ――なるほど、確かに、十年前は片目しか出さないからと、化粧は最低限だったと思います。婚約してからは王家のメイドが、下位貴族は侮られやすいからと、濃い目に化粧をしてくれていました」
「アンドレアス様の道連れで、エイミー嬢もデビュタントまでほとんど社交の場に出なかったし、成長につれて顔立ちが変わるのは普通だから、俺たちは特に違和感はなかったんだけど。かえって、アンドレアス様みたいに日をおかずに会うほうが、別人だと感じたと思う。たぶん、それは快癒した後だったろうし、特に印象に残った目の印象だけで判断したのかもしれない」
「なるほど……」
「そういうことだから、念のため、望まない婚約の破棄と、新しい婚約が成立するまでは、“包帯姫”だとバレないように気をつけたほうがいい。アンドレアス様が執着しているのはリリアナ王女ではなく、“包帯姫”だと思われる」
「ご忠告いただき感謝申し上げます」
帰宅したらさっそく父母に相談して、王宮のメイドが辞した後の化粧担当を決めてもらおうとエイミーは決意した。すでに母から「これまで着せられなかったけど、本当はこんなドレスも似合うと思ってたの」と囁かれている。先走って準備を進める前に、止めておかなくてはいけない。
いよいよ、幻灯祭が始まる。
「ちなみに、リリアナ王女は垂れ目に見せてるが、あれは化粧の力で、本当は吊り目」
「ええっと……それは……」
「マクルド、令嬢の秘密を暴くのはいけない」