3 十年前の吸血鬼と姫君
ソフィア嬢からのお茶会は「新しい布について知りたい」というもので、同じ招待状をもらったテオドールと揃って参加した。
公爵令嬢ソフィアとその婚約者で公爵令息のフェルナンディオ、侯爵令嬢のマリアステラと侯爵令息のマクルド、そこに招待されたエイミーとテオドールの場違いさに、身の竦む思いがする。
「今日は来てくれてありがとう。まずは座って。この部屋では不敬を問わないから気楽にね」
「そうは言われても、気楽になんて話せないだろう。なぁテオドール殿?」
いかにも淑女らしい笑みでソフィア嬢が着席を促したあと、すかさずマクルドが突っ込みを入れる。
一瞬ヒヤリとしたが、コロコロ笑うソフィアの姿に毒気を抜かれた気持ちがした。ソフィアの隣で、フェルナンディオがふわりと笑んだ。
「大丈夫。本当にこの場では気にしなくて構いません。私たち4人は幼馴染で、ここは身内の場なので」
「まぁ、俺だけは幼馴染じゃないがな!学院に入るまでずっと領地だったんでよ」
「はいはいマクルド、ちょっと黙ってよう?」
マクルドもまた側近候補の一人だ。武門の出で、海と隣国に面した防衛の要の地を領土としている。婚約者のマリアステラの一族は商売を起こして分家した家々を多く抱えており、庇護を与える寄子たちの流通網を統括すれば手に入らないものはないと言われている。
エイミーは、アンドレアスの側近候補であったフェルナンディオやマクルドとは城で何度か話したことがあったが、それまで見たことがなかった自然な笑顔で笑う彼らに驚いた。隣で引き攣った笑みを浮かべつづけているテオドールを見て、思い切って声をかける。
「私、マクルド様は寡黙な方だと思っておりました。親しみやすい方だったのですね」
叱責も覚悟の上での明るい声に、正解だというようにソフィアが微笑んで頷き返す。
「普段はボロが出ないように黙ってるのよ」
「ソフィアひどいぞ! まぁその通りだけど」
ソフィアの揶揄いに、マクルドも苦笑しながら頷き、エイミーを見る
「俺は領地の辺境警備隊で過ごすことが多いんだ。平民に交じって一兵卒としてしごかれてるから、堅苦しい喋り方は苦手で。今日はこの口調でもいいだろうか?」
「もちろんですわ」
「構いません」
エイミーに一拍遅れて、テオドールも頷いた。
「ありがとう。あなたたちも、普段の言葉づかいで構わないわ。――今日はまずはエイミー様にこれまでのお詫びと、改めて認識のすり合わせをしたくてお呼びしたの」
エイミーは、淑女らしさを損ねない角度で小さく小首を傾げた。
布の共同事業に関してはテオドールの管轄だが、どうもそれは口実で、ソフィアの本題はエイミーにあるようだ。エイミーとしても、普段高位貴族と関わる機会がないテオドールを矢面に立たせるより、多少なりとも淑女教育を受けた自分が対応できるほうがありがたかった。
「お詫びというのは、今学院内でエイミー様が置かれている状況についてね。本来であれば婚約者のアンドレアス様――次点で、アンドレアス様の側近候補たるフェルナンディオとマクルド、そしてその婚約者の私とマリアステラ様が貴女を庇護し、配慮をすべきでした。でも、私たちはあえてそうしなかったの」
「それは――アンドレアス殿下は私を厭っておりますし、当然かと」
「いえ、そうではないの。私たちが手を出さなかったのは、貴女の立ち位置がわからなかったから。でも、先日ディオから聞いて、調べたわ。エイミー様はもともとテオドール様と婚約予定で、王家からの婚約は強引なものだったのね」
エイミーはちらりとフェルナンディオに目を遣る。彼は頷いた。
「十年前、確かにアダムス家とブルノン家の婚約申請がされていた。見たところ特に不備はなかったが最終承認権を持つ王のところで保留され、保留期限が過ぎて却下された形になっていた。そして却下されたのと同日に王家からエイミー嬢とアンドレアス様の婚約が申請され、当日中に受理されている。
詳しく調べると、保留期間中にはアダムス家からもブルノン家からも何度か再申請をしようとした形跡があった。アダムス家・ブルノン家共に、王家に睨まれる覚悟でなんとかこの婚約を通そうとしたんだとわかる――王家との婚約がアダムス家にとって望ましいものではなかったことも、エイミー嬢とテオドール殿は単なる政略ではなく、強い意志での婚約だったのだろうと理解したよ」
「フェルナンディオ様……御骨折りいただき、感謝申し上げます」
エイミーとテオドールは立ち上がり、フェルナンディオに深々と頭を下げた。
まだ学生の身であるフェルナンディオが、王城にかかわる申請、それも十年前のものを調べる権限などあるはずがない。たかが伯爵家の二人のために、公爵家の彼がどれほどの骨を折ってくれたのだろうと慮ると頭を上げられる気がしなかった。
また、あのとき険しい顔をしていた父が、エイミーには知らせずにできる限りのことをしてくれていたこと。また、ブルノン伯爵も同様であったということに、エイミーの目頭は熱くなった。
フェルナンディオとソフィアに何度か宥められて、二人はようやく腰を下ろす。
「十年前、エイミー様がアンドレアス様に見初められたとき、私とマリアステラは納得したのよ――私たちもあなたたちの仮装を覚えていたから」
ソフィアの言葉に、エイミーは目を丸くした。
「私、そんなに目立っておりましたでしょうか?」
目立たないようにと選んだ仮装が悪目立ちをしていたのだろうか。後悔で目線が下がってしまう。
いえ、違うのよとソフィアとマリアステラは苦笑して手を振った。
「あの夜会で、すごく華美なドレスを着ていた子がいたでしょう? 何の仮装かまったくわからなかったけど」
「結婚式でもあんなドレスはゴテゴテしたドレスは着ない」
「あぁ……」
エイミーは頷いた。確かに凄い格好の少女がいた記憶がある。
「あの子――まぁリリアナ王女だったんだけど――性格も騒々しくて。方々でトラブルを起こしてたわ。顔がいい男の子、特にパートナーと来てる男の子に近寄っては声をかけて。まだ男の子たちってああいうときどうしたらいいかわからないから、代わりにパートナーの女の子と揉めて。私やマリアステラは正面からやり合ってしまったけど、下位貴族だったり気が弱かったりした女の子は酷いこと言われて泣いてたでしょう?」
「当時六歳? 七歳? 三つ子の魂百までとはよく言ったもの」
「えっ! あれリリアナ王女だったんですか?」
驚きのあまり、つい砕けた口調が出てしまう。ソフィアもマリアステラも咎めることなく、うんうんと頷いた。
「そう。その中で、まるで年上の男の子みたいにパッとエイミー様を庇って対応した吸血鬼、あれがテオドール様でしょう? とても素敵だった。私もああいう子が婚約者だったらよかったのにと思ったのよ」
「頼りなくてすみませんね、ソフィア。――そして、幼かった少年たちには、何も言い返さずテオドール殿の後ろにいた包帯姫は、騎士に守られる姫君のように可憐に見えたのです。テオドール殿を信頼しているのが伝わってきて、とても羨ましく見ていました」
「まぁ、俺はお姫様みたいな子は泣かれそうで苦手だけどな。ソフィアとステラがじっと見てたのは覚えてる」
「マクルドはあのときリリアナ王女を嫌がって走って逃げたでしょ」
そんな風に思われていたとは知らなかったエイミーは、テオドールを顔を見合わせた。エイミーと目が合ったテオドールは少し照れたように笑い、そして何かに気づいたように軽く手を挙げ、質問した。
「その話だと、アンドレアス殿下がエイミーに一目惚れして婚約を申し込んだのは間違いないようです。しかし、最近アンドレアス殿下はリリアナ王女を十年ぶりの初恋との再会だとおっしゃっているとか。ただ、私は疑問に思っておりました。――そもそも夕の部の子どもたちは、色変雫を食べているはずです。もともと金髪に若葉色の瞳のリリアナ王女が、アンドレアス殿下の初恋の君だとは考えにくいのです。そこにアンドレアス殿下が思い至らないということはありえるのでしょうか?」