番外2 追い求めていた包帯姫は(下)
養父となったヴェッタ侯爵からしばらく学院を休学させると言われたとき、今度は叔父が自分から学びを取り上げるのかと思ったが、表面上はおとなしく従った。
リリアナも学院より自分を優先してくれ、ともに休学してくれるという。リリアナも侯爵家に部屋を与えられるというので、二人で家具を選んだり、この当面の休暇をどう過ごすかを話し合ったりと充実した日々を過ごしている。
そんななか、リリアナが戯れで“王家の婚約者”の格好をしたときには驚いた。
意地悪そうに吊り上がった目に、枯れた薔薇のように濃く暗い紅。
まるで物語に出てくる魔女もかくやといった風情であった。いつものおっとりと儚げな姿と同じ人物だとはとても思えない。
幼い頃、王妃が夜会に出向くときの盛装に惧れを感じたことを、アンドレアスはふと思い出した。貴族の女性の盛装には戦装束のような気迫があるのか――
「……エイミー様は毎日これに耐えていたのですね」
楽しげに話すリリアナの言葉が、ふと耳の奥を擽った。そういえば同じような髪と化粧をしても、以前の婚約者はここまでではなかった、と思う。
――あの女は、化粧を落とすとどれほど地味な顔立ちだったのだろうか。
そう思いついたとき、アンドレアスは愉快な気持ちになった。リリアナが化粧でここまで化けてしまうのは、元の顔立ちが優れているからではないか。それに比べて、化粧でも今一つパッとしなかったかつての婚約者の残念さよ。
記憶の中のアダムス伯爵家は、伯爵も夫人も次期当主のリオネルも、全員が涼やかな目元で近づきがたい雰囲気だ。リオネルは“氷の伯爵令息”などと言われていい気になっているようだが、伯爵自身もかつては同じ綽名で呼ばれていたと聞く。
あの夫人であれば、このリリアナ同様に目線だけで相手を殺しそうな気迫のある顔になっていたに違いない。エイミーの顔立ちはそこまでではなかった。家族と同じ色を持つのに、顔立ちは似ないとはさぞかし悔しかったろうと内心で嗤うと、少し溜飲が下がった思いだ。
それにしてもこの姿のリリアナには近づきがたい。
会話が弾む気もせず、早々に辞去した。長居をすると取って喰われそうだ。
あの姿もリリアナ自身は気に入っている様子であったが、婚約後はなるべく控えてほしいとアンドレアスは思った。
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いよいよ休学の手続申請が整った。せめて学院への申請だけは自分で、と叔父に請えば、侍従を連れていくことを条件に許された。リリアナをエスコートして、久しぶりに学院を散策する。
学院長に引き留められるかとも思ったが、誰かに何か言われているのか、すんなりと書類が受理され、休学が決まった。
最後だからと中庭をぐるりと巡っていると、楽しそうに盛り上がる一角がある。
近づくと学院給仕が立ちふさがり、プリメラ公爵令嬢からの招待状はあるかと言われた。自分がいなくなり、ソフィアはここぞとばかりに影響力を強めようとしているらしい。ソフィアを呼び出すよう命じた。
ソフィアから、自分を招待していないと言われた時には頭に血が上りかけたものの、辺境の下位貴族らの集まりと言われて納得する。爵位を持つだけの、農民頭や職人頭などと交流しても得るものはない。奴らが優れたものを作ったならば、命じて納めさせればいいだけのことだ。
そういえば元婚約者が新たに縁を結んだブルノン伯爵家も、布の生産が主産業であった。アダムス伯爵家のさまざまな農作物で共同事業を行うと、かつてあの女が話していた。
せめてひと声かけてやろうかと、ソフィアを見遣ると、ソフィアもフェルナンディオも自分を冷たい目で見返していた。一歩踏み出しかけたとき、後ろから侍従が袖を引いていることに気づく。
そのとき、会場の一角でわあっという歓声が上がった。
そちらを見遣ったとき、パッと目に入ったのは落ち葉のような髪色の令息だった。あの色はブルノンの息子・テオドールだ。
テオドールは淡い色の髪を緩やかに背中に流した令嬢の背後に立ち、その髪に触れているようであった。未婚の令嬢の髪に触れるなど、彼もなかなかに遊んでいるらしい。
「おや、ブルノンのテオドールは随分持て囃されているようだ。隣に控える華はアダムスではないようだ、が――」
揶揄ってやろうと口を開きかけたとき、翠玉の光が目を刺した。テオドールが少女の髪につけた髪飾りの色だ。隣に腰を下ろしたテオドールに、少女がふんわりとした笑みを向けた。
(あれは――)
テオドールと目が合い、とろりと潤んだ瞳に、ぶわりと鳥肌が立った。
アンドレアスからは、少女の顔の右側しか見えない。いつかの包帯姫と同じだ。
少女の桜色の唇が優しく弧を描き、おそらく「ありがとう」と告げて、ひときわ深く笑んだ。
ふと雲が太陽を遮り、見えた少女の髪は確かに銀色で。とろりと甘く溶けた瞳は、紫水晶――
正面から確かめたい。衝動が込み上げたが、また侍従が袖を引く。
同時に、正面からソフィアの声が冷水のように降ってきた。
「いえ、テオドール様は婚約者のエイミー様と睦まじくされておりますわよ? エイミー様も新たなご婚約で落ち着いた装いになられましたので、以前と雰囲気が異なって見えるのでしょう」
すっと背筋が冷えた。
我に返ると、ソフィアとフェルディナンドは相変わらず社交用の笑みで自分を見ている。
侍従は袖を強く引いたまま、もう片方の手で軽く背中に触れ、退出を促してくる。
その場を取り繕わねばと思いつつ、どのように辞去の言葉を述べたのか思い出せない。
馬車に揺られながら、向かいから心配そうに自分を見てくるリリアナの視線も、今は煩わしかった。
アンドレアスは、ただただ思い返していた。
かつて夢に出るまで焦がれた優しく潤んだ若葉の瞳を、
元婚約者が別の男に向けていた甘く溶けた紫水晶の瞳を。
十年間、一度だって婚約者は自分にそのような目を向けなかった。
お前は不要だと、邪険にすればするほど、その目は冷たく凍っていった。
そんなはずはない。その結論に行きついてはならないと自分に言い聞かせる。
もしかしたら、すでに手に入れていた包帯姫を。私は――




