番外2 追い求めていた包帯姫は(上)
子どもたちで賑わう会場に息を潜めて忍び込むと、扉のすぐ近くにぽつりと佇む赤いドレスの少女がいた。その儚げな姿に、幼いアンドレアスの目が留まる。
そっと近づくと、少女の顔は包帯で半分以上が覆い隠されており、隠されていない右目、若葉色の心細げな瞳が、近づく自分を見てとろりと潤んだ。桜色の唇が優しく弧を描きかけて硬直した。その顔の全貌が見たくなったアンドレアスが距離を詰め、顔の包帯を剝がそうとしたからである。
目を閉じて顔を背けた少女は可愛らしい声で小さく悲鳴を上げた。やわらかな金髪がアンドレアスと少女を隔てた。
同時に、悲鳴に気づいた侍従が駆けてきてアンドレアスを抱き上げて少女から引き離した。
ただ顔が見たかっただけなのに、彼女はアンドレスが見つめた瞳を閉じた。
悲鳴を上げるとは思わなかったから、口を押さえる間もなかった。
どうやったら彼女の顔が見られるだろう、彼女に笑いかけてほしかっただけなのに――
――それが、十年前の幻灯祭でのアンドレアスの唯一に近い記憶である。
幻灯祭後に熱を出し、当日のことが曖昧になってしまっても、アンドレアスの脳裏に美しい包帯姫の印象は残りつづけた。高熱で見た夢だったのかもしれないと思いながら、アンドレアスは少女への想いを募らせていった。
そんなある日、婚約者が決まったと父王から伝えられたのだ。
淡い期待を抱いて臨んだ初顔合わせの場。
頭を下げていた伯爵家の面々が顔を上げたとき、三対の紫の瞳が自分を刺すように感じた。
引き合わされた少女は、あの包帯姫とはまるで別人であった。
きつく結われた銀糸の髪と、落ち着いた色味のドレスは煩い家庭教師のよう。
なにより目は小さく、瞳は紫で、冷たく凍っていた。
伯爵も伯爵夫人も怜悧な切れ長の目をしているから、この少女もいずれそうなるのかもしれない。
伯爵家の娘にしては所作が上品に見えたが、自分に笑いかけもせず囁くような返事しかできない。
そんな令嬢に対して王と王妃がことさらに気を遣っているのも気に入らなかった。
よく見れば、エイミーの小さい目は泣き腫らした様子が化粧でも隠し切れなかったものであり、小さく掠れた声も同様であったろう。それでも顔合わせの場では涙一滴、泣き言の一つも漏らさずに婚約者としての礼儀を通したエイミーに、王と王妃は感服したのであったが――幼いアンドレアスはそれに気づかなかった。
また、泣き腫らしていたのはこの日だけで、以降の面会では特に目も小さくはなっていなかったのだが、一度気に入らないと断じてしまったアンドレアスは、改めてエイミーの顔をよく見て、包帯姫との比較をしようとは思わなかったのである。
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きつくひっ詰めた髪型と、老婆のような銀糸の髪、咎めるように自分を見る凍った紫の瞳。
落ち着いた装いと、教師からも褒められる大人びた態度。
そんなつまらない女が自分の婚約者であることと、いずれ結婚してコレとずっと過ごさねばならないことに、アンドレアスは耐えがたさを感じていた。
二人だけになった際、庭の花や勉強の進み具合といったつまらない話題を切り出してきたエイミーに、「金貨しか取り柄がない」「卑しい身分」などと揶揄ってみたことがあるが、面白い切り返しをするどころか黙り込んでしまった。そうではないと反論して、努力して見せればいいものを。
また、エイミーとの面会時に、たまたま目に入ったメイドや護衛騎士らのあかぎれの手や醜い火傷の跡を少し揶揄ってやろうなどとすれば、エイミーはフォローのつもりか自分を遮るように大げさに彼らを褒めそやし、後で自分に苦言を呈してくるのだ。ろくに手入れや治療ができない貧しさなのか性根のずぼらさなのか知らぬが、指摘されることで自覚も芽生えるであろうに。それを大仰に働き者だとか名誉の負傷だとか宣うのであれば、お前こそ貧しい辺境にでも嫁げばいいと思う。
何よりも癪なのは、エイミーのそうした振舞いでアンドレアスが“よく見ている”と評価され、「エイミー様のおかげでアンドレアス殿下も落ち着かれた」などと言われるようになったことである。
しかし父王が決めた婚約に文句をいえる度胸はなく、内心でエイミーを“老家庭教師”や“行き遅れ”などと呼び、嘲笑うのがせいぜいであった。
せめて大きな欠点でもあれば、と思うが、王も王妃も宰相もエイミーはよくできた令嬢だと褒める。
日照りや大雨や嵐や落雷の報を聞くたびに、それがアダムス伯爵領ならばと思うが、残念ながらアダムス伯爵領は国内でも有数の肥沃の地でありつづけた。豊かな領内では善政が敷かれ、早々失脚することもなさそうである。
アンドレアスは鬱屈を抱えながら成長した。社交が許されるようになると、しぶしぶエイミーを伴って参加した。
社交の場では、作り笑いはしても目の奥が常に凍った婚約者とは違い、美しい少女たちが自分に笑いかけてくる。そんな場では、エイミーの相手はそこそこに、彼女たちとの話に興じた。
婚約者がいかにつまらない女かを話せば、「まぁ、お可哀そうに」と自分を慈しんでくれる令嬢たちにアンドレアスは癒しを求めた。
たびたびの叱責を経て、社交の場であまり羽目を外すと王や王妃から叱責されると知ったアンドレアスは、それでも密かに癒しを求めつづけた。王城の上級メイドに誘いをかけようものなら、すぐ王妃に筒抜けとなるが、下級メイドの中には内密に応じる者もいた。
高等学院に進学してからは、自律の名のもとに大人たちの目も届きにくく、アンドレアスも自由に振舞えた。都市部の役職持ちの家の令息令嬢は、常にアンドレアスを立て、エイミーなんかが婚約者で気の毒だと言ってくれる。きっと向こうにも聞こえているだろうから、早く賠償金でも持って婚約解消を願いに来いと思うのに、諦めが悪いのかその気配もない。
時折、側近候補であるフェルナンディオやマクルドが自分を諫めに来たが、候補にすぎない者の言うことなど話半分に聞けばいい。彼らが頭を下げて側近の名を受けるのであればまだ忠言を聞き入れる度量もあるが、こちらの誘いは断るくせに、側近面で諫めに来る彼らに苛立ちも感じていた。
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幻灯祭の場での婚約破棄は、衆目の場でエイミーを辱め、“行き遅れ”とする目的もあった。
これまで散々待ってやったというのに自分から平伏して婚約解消を願わなかったエイミーに対しての罰である。貴族令嬢にとって醜聞は命取りだ。貰い手もなく修道院にでも行くことになれば面白いと内心で想像しては笑いを抑えるのが大変だった。
なのに、どうだ。
現実には婚約破棄をしたアンドレアスが王家から離籍されて侯爵子息となり、あの憎らしい元婚約者には一切の咎めがないどころか、さっさとブルノン伯爵令息と婚約を結んだという。
王妃の不貞を知ったときは、自分が踏みしめていた大地が突如水に転じたような心持ちで、大海に投げ出されてしまったような絶望感を覚えた。しかし、よくよく考えてみれば母の不貞によって自分が産まれたことも、そのことを自分が知らされなかったことも、決してアンドレアスの責ではない。
物心ついてからこの方、いずれ国を治めることを志して学びを修めてきた自分に対し、義弟より爵位が低い婚約者を与え、側近候補どもには曖昧な立場を維持させ、散々アンドレアスの妨害をしたのちに、王らの意に添わぬ婚約破棄を口実に待ってましたとばかりに継承権を取り上げるのは王としてあまりにも残虐な行いなのではないかと、アンドレアスは王を恨んだ。
そんなアンドレアスの逆恨みを見て取ったヴェッタ侯爵は、口を極めて王と王妃のアンドレアスへの愛情を説き、このような結果となったのはアンドレアス自身の選民思想と他責思考によるものだということを理解させようとしたが、アンドレアスは聞く耳を持たなかった。
やむなくヴェッタ侯爵は、アンドレアスが侯爵家に入った後も当面外出禁止を解かないことにし、リリアナとともに学院を休学させる方向で調整を行った。




