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1 十年前の悪夢と共同開発の布

「あぁリリアナ王女、私の麗しき姫が、まさか貴女だったとは!」

「アンドレアス王子……嬉しい! 本当に、初恋の君に出会えるなんて――」


 人目を憚ることなく突如始まった恋愛劇場。

 ここが食堂の個室でよかった――そう、エイミー・アダムスは安堵のため息を吐いた。

 恋愛劇場の片割れが自分の婚約者であることなどはもはや、些末なことであった。


 ∞∞━━━━━━━━━∞∞


 アダムス伯爵家に王家からの婚約が申し込まれたのは、十年前の幻灯祭後のことであった。幻灯祭でアンドレアスがエイミーを見初めた、との申し出に、人違いではないかとやんわりと断りを入れたものの何度も要請を重ねられ、半ば強引に定められた婚約である。

 貴族といえども王族・公爵・侯爵の高位貴族と、伯爵位以下の下位貴族には大きな隔たりがあり、その隔たりを超えての婚姻など滅多にあることではない。


 おそらくアンドレアスがエイミーを見初めたというのも口実で、爵位は低くとも肥沃な領地を管理するアダムス家の財力を取り込みたい王家の意向だというのが、アダムス伯爵家の共通見解だ。


 そうでなければ、婚約後の初顔合わせの場にてアンドレアスが不快気に眉を顰めた理由がわからぬ。

 両親には黙っていたが、アンドレアスはエイミーと二人の場ではあからさまにエイミーを邪険にして、「伯爵令嬢ごときが王妃を目指すか」「金貨だけが拠り所の卑しい血よ」とまで罵ったし、家格が圧倒的に下であるエイミーは反論もできずにただ受け入れるしかなかったのである。


 高等学院に進学してからというもの、アンドレアスの態度はより悪化の一途を辿っていた。

 まるで蜜を集める虫のようにさまざまな令嬢へと声をかけ、エイミーには決して向けぬ甘い笑顔と声音を振りまく。いつしか顧みられぬエイミーは、同格の伯爵家どころか男爵家の者にまで「御可哀そうに」と嘲笑され、針の筵のような学院生活を送っていた。


 王妃教育を受けるために登城すれば、王や王妃、宰相はエイミーの努力を誉め、王家入りを望んでくれているが、一方でアンドレアスを諫めることはない。また、城の下級メイドなどは時折不快な笑みを含んだ目で接してくる。それらのメイドはおおむねアンドレアスの“お手付き”であったし、彼が閨でどんな話をしていたのかも易く想像できる。


 本来であれば今頃エイミーは、相思相愛の伯爵令息と婚約を結んでいたはずであった。


 十年前のあの幻灯祭、婚約間際だったからこそ目立たぬ振舞いに努めていたにもかかわらず、すでに申請していた婚約書類を却下してまでの再三の婚約申し込み、そうまでして縁を結んだ婚約者を邪険にしつづけるアンドレアス、ひいては王家の理不尽な態度に、エイミーの愛国心は、十年間ですっかり磨り減ってしまっていた。


 ∞∞━━━━━━━━━∞∞


 風向きが少しだけ変わったのは、三ヶ月前に隣国から王女が留学してきてからだ。それまでさまざまな令嬢と浮名を流してきたアンドレアスは、留学生への援助という名目でリリアナ第一王女の傍に侍るようになった。


「エイミー嬢、大丈夫ですか?」

「テオドール様、ありがとうございます。大丈夫です」

 中庭で堂々と菓子を食べて談笑しているリリアナとアンドレアスに目を停めていたら、ブルノン伯爵家のテオドールが心配そうに尋ねてきた。心配に見せかけた揶揄いとは異なる、気づかわし気な瞳に心が緩むのが自分でもわかる。

「不敬は承知だが、婚約者のいる方があのように他の令嬢を近づけるなど……」

 周囲を憚って潜められた声に、くすりと笑ってみせる。

「リリアナ殿下であれば、アンドレアス殿下の後ろ盾にもなりえますから、深いお考えがあってのことかもしれません」

「後ろ盾……そうであるならアダムス伯爵家とはそもそも婚約しないでしょう」

「ふふふ」

 陛下のお考えと殿下のお考えは異なるかもしれませんわよ? とは言葉に出さず、エイミーはテオドールに悪戯っぽく微笑んでみせた。どうやら元気そうに見えたらしく、テオドールが安堵したのがわかる。


「そういえばテオ様、先日はエドウィン様から当家に贈り物をいただきありがとうございました」

「いや、こちらこそリオネル様には愚弟がお世話になっている。……もしよければ、贈った布の感想を伺ければと」

「えぇ、従来にない柔らかい色味で素敵かと。よろしければ今度、当家で意見交換ができますと幸いです」

「ありがとうございます。後日使者を出します」


 エイミーも婚約者のいる身として、衆目の中で異性と話し込むのはよくない。名残惜しい気持ちを振り切ってテオドールと別れて歩きはじめると、さっそく横から声がかかった。


「エイミー様、ごきげんよう。テオドール様と楽しそうにお話されておりましたわね?」

 どことなく嫌な笑みを含んだ声だ。周囲からクスクスと嗤う声も聞こえる。

 エイミーは瞬きに見えるように一瞬だけ目を閉じると、少し口角を上げて声のほうに向きなおった。

「マリーア様、ごきげんよう。ブルノン伯爵家とアダムス伯爵家の共同事業につながるお話をしておりましたの。ブルノンの織物と当家の作物で、新しい色の布地を作るのですわ!成果が出ましたら、マリーア様にもご紹介いたしますね」

「まあ!どんな色ですの?」

「従来の鉱石で染めた色よりも、やわらかい色味の物ができないかと開発中ですの。テオドール様と当家のリオネルが中心にやっているのですが、わたくしも時々女性の視点での意見を求めていただきますのよ」

「ブルノン家とアダムス家は懇意にしていますものね」

「リオネル様と、テオドール様の弟君も同じ御年でしたわよね」


 マリーアとその友人たちの関心がドレスに移り、エイミーはさりげなく息を吐いた。

 しばらく令嬢たちの相手をしていると、向こうからアンドレアスがリリアナ王女をエスコートしながら歩いてくるのが見え、腹に力を入れる。

 (学園の中でエスコートですって! 小学部の婚約者同士ならまだ微笑ましく見てもらえるかもしれないけれど……そうまでしてもリリアナ王女に触れていたいのね)


 エイミーに気づいたアンドレアスは、ニヤリと笑うとエスコートを止めるどころか、触れた腕を見せつけるように近づいてくる。リリアナ王女は少しだけ申し訳なさそうに眉を下げるが、振りほどくこともせずされるままにしていた。二人に気づいた周囲が意味ありげにエイミーを見やる。


「エイミーさん、ごきげんよう」

「こんなところでどんな悪だくみをしていたんだか」

「リリアナ殿下、アンドレアス殿下、ごきげんよう」

 アンドレアスの暴言は聞かぬふりをして、挨拶を返す。いつものことだ。

 何を話していたのか聞かれたので、かいつまんで説明した。


「やわらかい色味のドレスだと? 染料をケチった貧相なドレスになるんじゃないのか?」

(余計なことを……)

 あえて周囲に聞かせるようにアンドレアスが嘲笑う。先ほどまで目を輝かせていた令嬢たちが少し鼻白んだように後ずさった。

 仮にも次期王妃となるエイミーの実家の事業である。この事業の成否も持参金の過多に係わってくるのに、どうして出鼻をくじくような物言いをするのか。腹立たしさを表に出さぬよう、エイミーは一段と深く笑んだ。

「さぁ……こればかりは研究を進めてみないと。いずれにせよ、研究の成果がお披露目できるのは早くて数年後、ややもするとリオネルの世襲後になるかもしれませんわね」


 すでに試作品はできているが、それを知るとアンドレアスは次回の夜会までに用意しろなどと言い出しかねない。試作品の粗末な布を無理やりドレスに仕立てさせ、エイミーを衆目の場で嘲笑うのだ。

 まさか第一王子ともあろうものが、ただ婚約者を辱めるためだけに、国を富ませる事業の芽を潰すような愚か者ではないと思いたい――しかし、たったそれだけの信用すらもできないような絆しか、アンドレアスとエイミーとの間にはなかったのだ。


 案の定アンドレアスはつまらなそうに鼻で笑った。

「気の長いことだ。その事業が実を結ぶまで、いっそお前も領地に引っ込むのもいいのでは? ――あぁ、ブルノン家のテオドールはまだ婚約者がいなかったであろう。お前が嫁入りするのはどうだ。あの落ち葉色の髪……二人で辺境の土いじりでもしているほうが、孤独なお前には、華やかな王都よりも似合うと思うんだが」

 面白いことを思いついたように口を歪ませてアンドレアスは笑う。クスクスと周囲が同調する。


 むしろそうさせてほしい、と言ってしまおうか。

 喉元まで込み上げそうな言葉を、エイミーは意志の力で抑え込む。

 十年前(あのこと)がなければ、エイミーは今頃テオドールと婚約していた。相思相愛だった相手と婚姻できないのも、せめて幼馴染としての気安い交流すら許されないのも、すべてが望まぬ婚約のせいだ。


 あの温かい土色の髪は、アダムス家の肥沃な畑を思い起こさせる素敵な色だ。それを下賤なもののように揶揄ったアンドレアスへの怒りで、エイミーの頭はキンと冴え、腹には沸々と溶岩のような怒りが猛り狂っていた。

 それでも、王族の面子を潰すような反論はできない。

 また、賢しらに内情を口外したり果敢にも舌論を挑んだりするのは、貴族令嬢としての自分の首を絞めることにもつながると、エイミーは理解している。


 ――これは王族のためではなく、アダムス家とブルノン家のためだ。

 そう自分に言い聞かせながら、エイミーは何も聞こえないかのように笑みを保つ。

 

「……言っておくが、王妃の威光をかざして粗末なドレスを流行らせようなどとはするなよ。実家の事業とて、貧相なドレスを着る王妃など、俺は決して認めないからな」

 動じぬエイミーに気が削がれたかのように肩を竦めたアンドレアスが、駄目押しとばかりに声高々に宣言してその場を去るまで、エイミーは姿勢と表情を保ちつづけた。

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